幕間2 第7.5話 昼休みの屋上での一幕。
関係の名前が友人になってから、初めての昼休みのことだ。
昼食と何気ない雑談はセットである。
だから、屋上の僅かな日陰で、いそいそと昼食を広げながら、咲耶がこれを言い出したのも特に他意のない話の流れだった。
「明日世界が滅ぶとしたら何する?」
即答。
「救う」
「は? 死ね」
反射で返した後に咲耶は顔を覆った。
──友達相手に死ねとか殺すとか、言わない。
そんなことしたら人間性ポイントが下がる。
友達に死ねとか言っていいのはゲームの時だけだ。
(いやでも仕方ないでしょ、救うとか言われたら……)
──こっちの悪態スイッチが入る!
咲耶の自己嫌悪と逆ギレの煩悶などいざ知らず。
弁当箱の風呂敷を解こうとしつつ、飛鳥は続ける。
「真面目に答えるなら滅亡の種類に寄るけど……いや、ギリギリ救える急な滅亡のパターン、魔王か隕石の二つしかよく知らねーわ」
氷河期は急に来ないし、世界が急に海に沈むこともないだろう。パンデミックはじわじわ系の滅亡だ。
氷河期には勝てないし、海にも勝てないし、ゾンビには勝てるが病原菌は滅殺できない。
(……俺、意外と弱いな?)
現世、物理でなんとかなることが少なすぎる。
海、せめて海くらいには勝ちたかった。
海とは即ち生命の象徴なので。
そして生命はおしなべて偉大である。
偉大なものに勝てるとうれしい。
論理的な帰結である。
海を割ったら勝ったことにならないだろうか?と考える。
だが割ったとして勝利!という感じはするだろうか?
いや、しない。
(……深海に潜れたら勝ちだな)
死ななければ勝ちなので。
生存不可領域で死なないことは、とてもすごい。
飛鳥は昔から、宇宙とか南極とか深海とか、遠くてヤバい場所のことが好きだった。
つまり、深海に耐え得る潜水艇を作り出した地球人類全体の大勝利である。
人間は既に海に勝利していた。よし。
「滅ぶなら隕石がいいよなー。魔王飽きた」
「……あんた、隕石は最強だって言ってなかった? それ、勝算あるの?」
「負けるだろうなぁ」
なにせ隕石は恐竜を滅ぼした偉大なヤツだ。
恐竜は竜なので勝てる(聖剣は魔女殺しであると同時に竜殺しなので)が、手並の鮮やかさが自分とは段違いだ。
隕石は格上の最強。尊敬する。
「でも、他にやることないし」
──そう、明日終わりが来るというのなら、全力でそれに抗うだけだ。
たとえ相手が、何であろうとも。
飛鳥は弁当の風呂敷の固すぎる結び目と格闘していたので、咲耶が隣で「うっわぁ……」という顔をしていたのに気付かなかった。
「ごめん……わたしの質問が悪かったわ」
もっと雑な談をするつもりだったのに。
異世界ボケを悪化させてしまった、と咲耶は反省した。
そんなわけなので、話の方向性をちょっと変える。
「もし明日死ぬとしたら、何を食べたい?」
元々そういうベクトルの、あたりさわりのない話題を振りたかったのだが。
(……あれ? 明日世界が滅ぶより物騒な例え話じゃないかしら)
生々しさが違うというか。
明日世界が滅ぶ可能性より明日ぽっくり死ぬ可能性の方が普通は高いので。
「なんだ、そういう話だったのか」
だが、飛鳥はあっさり納得してくれた。
リアリティの感覚がバグっている。
飛鳥の風呂敷の結び目がようやく解けたのを見て、咲耶はサンドイッチの箱を開ける。
近所のパン屋で、今朝のバゲットと一緒に買ってきたものだ。
飛鳥は弁当を開く。
おかずはもやしと卵焼きだ。なんと二種類もある。
最近めきめきと体重が減っている気がするのだが、現世ではお役御免となった筋肉が去って行ってるんだろうな〜とのんびり構えていた。
危機感がなければ、家に体重計もなかった。
──断食失敗で倒れるのはこの二日後のことである。
そんな未来のことなど知るはずもなく。
「そうだな。食べるなら卵焼きかな」
咲耶の質問に答える。
「明日が最後になるなら、特別なことは何もしたくない。普通の日にしたい。だから多分いつも通り、朝に卵焼きを作る」
最初にされた質問の再回答を兼ねて、そう答えた。
「最後の食事に朝ご飯の内容を答えるんだ……」
「大事だろ、朝飯。一日の初めなんだから。もしも卵が綺麗に焼けたら、その日はきっといい日になる」
人生最後の日だろうとなんだろうと、日常の価値は変わらない。
咲耶は、眉をひそめて。
「あんたって時々……ナイーブよね?」
「そんなことないだろ」
「じゃあ、朝に卵焼き焦がしたら?」
「もう何やっても駄目な日だな」
「繊細じゃない」
「でも五分くらい寝たら忘れるし。次の寝起きが良ければ勝ちだ」
「やっぱり図太いかも……」
切り替えは大事だ。
くよくよしてると死ぬので。
「ま、得意なことをジンクスにしてるからな。大体毎日縁起がいいよ」
「おめでたい脳味噌ね?」
「生きるのが上手いって言え」
細かいことに気付いてしまう性分と、細かいことは考えない性癖(正用)は両立する。
「ていうか卵焼き、得意なんだ」
「ああ。今日は特に綺麗に焼けたんだ。全部弁当に入れたから、朝飯には出せなかったけど」
じっと弁当の中を覗き込む咲耶。
「食うか?」
「いいの?」
「まだ箸使ってないし」
咲耶はサンドイッチなので自分の箸がない。
なので、飛鳥は卵焼きを摘んで、咲耶の方へと差し向け──、
「えっ、ちょっと……!?」
──弁当の蓋に卵焼きを乗せて、箸ごと渡した。
「あ、そういう……」
「? どうかしたか」
「いえっ、なんでもないわ」
(あーんされるのかと思った……びっくりした……)
そんなわけなかった。
咲耶の脳味噌の設定がデフォルトでお花畑なだけだった。
「じゃあちっちゃいサンドイッチ一個と交換ね」
「ありがたく頂くよ」
「なに笑ってるの?」
「いや、なんか……友達っぽいやりとりだなと思ってさ」
随分と嬉しそうにそんなことを言うから。
咲耶は動揺を隠して顔を背ける。
「…………急にそういうこと、言わないで」
「なんでだよ」
そんな笑い方されると負けた気がする、なんて言えるはずもなかった。
穏やかな時間だ。
喧嘩せずに過ごせる一日とは、こんなにも良いものだったのか、と飛鳥はじわじわと感動に浸っていた。
こういうのでいい。
こういう、健全な友人関係を続けていけるのが一番いいと思う。
咲耶は箸に口をつけないように、慎重に卵焼きをかじっていた。
その様子を飛鳥は横目に眺める。
こうして見ると、口が小さいというか。
随分ちみちみとした食べ方をする。
小動物か?
と一瞬思ったが。
小さい、という形容詞は咲耶にはあまり似合わなかった。
背も高いし。どことは言わないが、小さくもない。
喩えるならば、でかい猫だと思う。
猫ならば窓から入ってくるのも仕方がない。
品種で言えば、すらりとした短い赤毛のアビシニアンとか。
ツンとすました顔をしているくせに人懐っこくて、ちょっと雰囲気にヤマネコの面影が強いやつだ。
つまり何かというと。
彼女はあまりお嬢様っぽくもなければ、魔女っぽくもないのだ。
咲耶は咲耶でいいと思う。
「味、どうだ」
エセではあるがお嬢様なりに育ちがいいので、食べながら喋らないらしい。
咲耶はこくこくと頷いてみせる。
それを聞いて、内心ほっとする。
料理はできる、といっても実は飛鳥は結構雑な人間だった。
あくまで家庭料理、というか、安くて早くて美味くて死なない飯さえ作れればいいと思っている。
人目がなければうどんは鍋から食うし、卵の殻が入っていても自分用ならば平気で食べる。
片手で卵を割れるとかっこいいので、思い立っては挑戦して、その度にしくじっているため、殻の混入率は割と高かった。
今朝は綺麗に割れたし、綺麗に焼けて本当によかった。
紛うことなき「いい日」である。
などと思いながら、咲耶から貰ったサンドイッチを食べていたら。
「あっ」
「……あ」
咲耶が最後のひと口をぱくついた弾みで、うっかり箸を咥えてしまっていた。
唇に触れた黒い箸の先は、唾液に濡れている。
「口つけてしまったかー」
「ご、ごめんなさい……!」
咲耶はめちゃくちゃ慌てていた。
「俺は別に気にしないけど、そんな反応されると、なんか」
なんだろう、気まずい。
「いや、ちがっ、その……」
赤らんだ顔で咲耶は叫ぶ。
「わ、わたしだって。間接キスとかそんな中学生じゃあるまいし気にするわけないでしょ!?」
でかい声で間接キスとか言わないでほしい、と飛鳥は思った。
「そうじゃなくて……! 衛生の話を、しているのよ」
衛生?
風邪気味とかだろうか。
「……その、わたし、魔女なわけじゃない?」
風邪とかの話ではなさそうだ。
「魔女の体液って魔法に使うものだったじゃない? だから多分、呪い的に、ばっちいわ……」
「あー、まあ。現世だし、気にしなくても大丈夫じゃないか?」
と、飛鳥は軽く受け取ったが。
──咲耶は自分の肉体が魔女のままであることを、まだ隠している。
これはかなり真面目な話だ。
たとえばもし、食べ物に自分の血が混入したとする。
それを食べさせることは、毒を盛ることと同義だ。
自分の血を摂取させれば、体内から呪いをかけることが容易くできるのだから。
唾液だから血液ほど気にする影響がないのはわかっているが、それでも嫌だった。
──もし、もしもだ。
彼にもう一度敵対することが、あるとすれば。
この手だけは使わないでおこうと咲耶は思う。
彼は、こんな面倒くさい魔女を友達にしてくれたのだから。
せめてその時が来たら。
どれほど相性が悪いとしても、真正面からぶつかろうと思う。
正々堂々と。
向き合って。
恩を仇で返すのだから、咲耶はせめて勝ち方くらいは選びたかった。
「……とにかく、『禊ぎ』をしなければということよ」
禊ぎ、つまり洗い清めるということだ。
どうしようかとうろたえて、はっと気が付く。
そういや、パンを買った時のおしぼりがもう一つ余っていた。
新しいおしぼりでキュッと箸を拭き、飛鳥に返す。
「失礼しました」
「いやいや丁寧にどうも」
そうして、間接キスと衛生的・呪術的不健全を見事同時に回避したのだった──。
(完璧な解決だわ)
満足げにランチを再開した咲耶は、隣で飛鳥が微妙な顔で箸を見つめていたことに気付かない。
(大袈裟に騒いだせいで、むしろ逆に意識してしまうとか……言えるわけないな)
何も完璧じゃなかった。
──そんなこんなで、放課後にちゃんと友達の定義を詰めよう、と飛鳥は思ったのだった。
◆◇
昼休みももうすぐ終わり。
「あ、文月さん」
教室に戻る途中の廊下で、二人は同級生とすれ違う。
明るい髪をポニーテールにまとめた、快活そうな女子生徒。
演劇部の
咲耶を校外学習の班に入れてくれた子であり、先日は昼食を共にした相手だった。
つまり、咲耶にとって友達一歩手前の親しいクラスメイトだった。
……一緒にいるところを見られた。
同級生とのエンカウントに、飛鳥は咲耶に目配せだけをして、ひとり先に教室に戻っていく。
「(じゃあな)」
「(ええ、また後で)」
そんな感じだ。
無言なのは、さっきまでずっと一緒にいたことを同級生に悟らさないためだった。
(あれ? でも、友達になったのだから、見られても問題はないんじゃないかしら)
よく考えて見ればやましいことなど何もなかった、と麻野に向き直る。
だが、麻野はにやりと目を細めて言った。
「ははーん。文月さんが今日のお昼の誘いを断ったのは、
「……え?」
──目配せだけで意思疎通したのを見せてしまったのが、逆にアレだった。
状況証拠というやつである。
そもそも昼休みになるたびに教室から二人が消えていることをクラスメイトは大抵知っていた。
勿論、四月に目撃した笹木はきちんと黙っていたが。
教室にいつもいない二人が共にいる可能性について、思い当たるのは難しくない。
そしてこの日、先程の一件を目撃した麻野紗良は思った。
──視線だけで以心伝心とかそれ、もう結婚してるじゃん、と。
「そういうことって、あの」
「あ、早とちり? ごめんね。
「ち、ちが」
「いいのいいの、みなまで言うない。麻野さんは恋する乙女の味方ですから!」
──だから、恋とかじゃない!!
だが強く反論すると良くない気がする!!
ぐっと黙り込んだ咲耶に、ぐっと拳を握って麻野は笑顔で言った。
「応援してるからね、
……ちゃん??
呼び方が、急に変わった。
──まさか今、友達認定された? こんなことで??
咲耶が愕然としている間に予鈴が鳴る。
「やっば。授業始まっちゃう」
麻野はポニーテールを揺らしながら慌てて教室に戻っていく。
「ま、待って! 違うの、違うんだってば……!!」
なお、同級生の誤解を解くのには随分と時間がかかったというが。
そもそも「誤解」と言えるのかどうかすら、怪しいところである。
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