幕間3 第34話 体育祭での一幕。


 これは嘘も秘密も筒抜けになった、その後の話だ。



 春も終わり、ようよう夏めいていく五月の末日。

 天候は雲ひとつない快晴無風。

 坂の上に立つ高校の広い校庭は、朝から騒がしさに溢れかえっていた。



 ──体育祭である。



 ◆◇




 祭りは良いものだ。

 あらゆる祝い事やハレの日を、飛鳥は問答無用で好んでいる。


 はしゃぐのが、というよりは浮かれた空気が好きだ。

 飛鳥はちょっと離れたところで祭りの様子をニヤニヤ眺めていることに愉悦を感じる人間なため、友人が少なくなった今も、昔と変わらず祭りが好きだった。


 好きなの、だが。



「…………暑い」



 校庭の隅で飛鳥は死んだ目をしていた。




 なにせ異世界むこうには季節の変化がなく、常に薄ら寒い気候だった。

 身体が完全に夏を忘れており、暑くて死ぬ。


 一応、記憶にある限りでは夏は好きだったはずだ。

 だが「五月」というのが、とにかくいただけない。


 飛鳥は割と暦を重んじる。

 暦は宇宙なのですごいからだ。

(訳:暦はその製作過程に想いを馳せると、天体とそれに伴う人類の営みを感じられ、非常に趣深い)

 あと日めくりカレンダー破るのが好き。


 つまり何かというと、カレンダーが五月のうちは気持ちがまだ春なので、照りつける日差しとか普通に腹が立つ。


 飛鳥は空を睨む。


 帰れ太陽。

 夏じゃないのに暑くなるな。

 空気読め。


 いや、空気を読んだから快晴なのか。

 祭りが晴れであるという状況は、情趣的には正しいのだが。

 それでも今日ばかりはどんよりと重たく曇って欲しかった。


 空気より暦を守れ。


 などと、空にガンを飛ばしてたら目が痛くなった。

 流石に天気には勝てない。

 現世、勝てないものばかりである。


「……笹木、ちょっとサボってくるわ」

「はいはい、いってらっしゃい」


 昼休憩の後なので皆集中が切れていて、他の生徒もまばらになっている。

 担当の競技もとうに終わった。

 ので、少しくらいサボっても支障もお咎めもないのだった。


(流石に長袖は、暑い……)


 気温なんかに敗北し、祭りの空気を間近で吸うのを諦めるなどとは。

 はなはだ遺憾だった。







 給水機を経由してから、校舎の影の自販機の方へ向かう。

 こっちの方の自販機には、生徒はほとんど寄り付かない。

 なにせ品揃えが悪い。

 ……その自販機にわざわざ買いに行く人間もいるのだが。


「やっぱりここにいたか」


 高い位置で髪をポニーテールにまとめた、咲耶を見つける。

 校内ではここでしか売ってないいつもの缶コーヒーを手に、死ぬほど不機嫌そうな顔をしていた。

 が、飛鳥を見た途端に表情が緩んでいく。

 めちゃくちゃちょろい。


「探しに来たの?」

「涼むついでにな」


 ちょっと前までなら「いや別に」とか言っていたが、最早隠す必要もないので正直に答える。


「ふーん?」


 咲耶は嬉しそうだった。

 隙を見せすぎだろ、と飛鳥はしかめ面をする羽目になる。


 他に人目がないのでジャージの上を一枚脱ぐ。

 臭いを気にしてあまり咲耶には近付かない。


「……あれ、おまえ暑いの駄目だっけ?」

「全然平気。正直、汗もかかないわ」


 体質のおかげで、咲耶の方は涼しい顔をしていられた。

 その辺、体質についてはもう大体聞き出している。

 洗いざらい……とはいかないが。

 不必要な隠し事は、お互いの間にはもうなかった。



 じゃあなんで不機嫌そうな顔してたんだ、という疑問に、咲耶は。


「…………紫外線に、負けたの」


 眼帯を外す。

 その下にはうっすらと、四角い日焼け跡ができていた。


「わはは!!」


 流石に頭をはたかれた。

 手加減されていたのでまったく痛くない。


「あんたほんと性格がカス!」

「だってわざわざ見せるって。それ、『笑え』って意味だろ。笑うのが礼儀だ」

「だとしても笑いすぎ!!」


 咲耶は怪我ダメージが自動で治る体質とは言え、出血しない類のダメージは判定がゆるく、日焼けは普通にするのだった。

 ……といっても、一晩で元通りなのだが。





 そのまま校庭の様子を眺めながらだらだらと雑談をする。


 ──異世界帰りだからといって体育ではちゃめちゃをやる、などということはない。その辺はきっちり弁えている。


 せいぜい飛鳥の体育の成績は中の上程度でしかなかった。

 常に人体にブレーキはかけていたし、ちゃんと飯を食ってないのでそもそも体力が余ってないし、ちゃんと寝てないのでやる気もなかった。


 咲耶はというと、身体機能は高いはずなのに鈍臭いので、差し引きゼロである。


 ──総じて、こういった行事で目立つことはないのだった。



「にしても。あんた今日、いつもより足遅くなかった?」

「あー……筋肉痛まだ治ってないんだよな」

「まだ!?」


 金曜の朝、二人乗りで坂道を爆走するまでは良かったとして(良くない)、その後の週末はタイミングが悪いことに力仕事のバイトが入っていたため悪化の一途を辿り、週明けに体育祭である。

 完全に追い討ちだった。

 死ぬ。


 祭りだというのに妙にテンションが低いままなのは、そういうわけだった。


「う……ごめ……」


 謝罪を遮る。


「昨日、肉食ったから平気だ」


 とっくに禊は済ませているので、これ以上を受け取る気はない。




 例の夜の一件は、とりあえず奢りで水に流すという話に着地した。

 というか無理矢理、流れで落着させた。


 そんなわけで、週末は焼肉だった。

 ……人に飯をたかるのは苦手なのだが。


 正直、飛鳥は大分自分が悪かったな、と理解している。

 罪の認識はできているのだ。

 あまり反省も後悔もしていないだけで。

 だから、一方的に謝罪を受け取るような道理はない。


 だが「おまえの吹っかけた喧嘩なんざこの程度の価値しかねぇよ」の意を示さないと延々と咲耶は自分の失敗を引き摺る、ということが予想できた。


「俺も悪かったし気にするな」と言うよりも、「おまえが悪いから誠意示せよ」と言って、飯を奢れと揺すった方がすっきり仲直りできる。

 咲耶はそういう性格だった。

 本当にどうかしている。


(……めんどくせぇ女)


 ──その面倒くささと対処法を大体理解しているあたり、飛鳥も大概な野郎だった。




 ともかく、七輪で焼いた肉は美味かったので満足である。

 禍根は完全にもうない。


 途中、油を滴らせすぎて網から火柱が上がったり、咲耶が髪を焦がしそうになったり、肉が消し炭になったりなどのアクシデントはあったのだが。

 肉より氷を焼いていた記憶の方が残っているのだが、そこはそれ。



(つか七輪、家にも欲しいよな)


 延々とおにぎりを焼きたい。

 今にも消えそうな炭火を眺めて一日を終えたい。

 侘び寂びである。


 ……というか、本気で検討していいのでは?

 自分ひとりが風情を楽しむために金を使う気はさらさらないが。


(多分、呼べば咲耶は来るし)


 呼ばなくても来る気がするし。

 もう卓袱台の対面に咲耶がいる絵面しか思い浮かばなかった。


 窓から醤油の焼ける匂いを垂れ流せば、庶民舌の咲耶は簡単に釣れるだろう。

 さらに鰹節を乗せればイチコロだ。


 飛鳥は隣の女のことを、割と本気で猫か何かだと思っている節があった。



「なあ咲耶、炭って好きか?」

「炭……? 敵を消し炭にするのは好きよ。灰にするのも好き」

「そっかー」


 俺はあんまり戦闘とか好きじゃないよ、と思った。


 どうせ斬るなら豚バラブロックとかがいい。

 聖剣よりもちょっと良い包丁の方が欲しかった。








 だらだらと休憩をしているうちに、咲耶のコーヒーもなくなったが。

 もう一競技だけ日陰で眺めてから戻ろう、という話になった。


「次の競技ってなんだっけ」

「例年通りなら……そろそろ三年の騎馬戦じゃなかった? ほら」


 丁度、騎馬戦の前の号令のため、校庭のお立ち台に三年代表──金髪七三の生徒会長が立ったところだった。


 ──生徒会長は、体操服の上に法被はっぴを着ていた。青くて背中に祭と書いたアレである。


「……なんで?」


 生徒会長はメガホンを構え、口上を述べる。



『諸君。今日この日は待ちに待った体育祭、即ち祭りである。

 そして祭りと言えば──〝神輿〟である!!』



「あいつ呪術キメてる?」

「え、わかんない」



『例年ならばここで騎馬戦を行い、大いに祭りを盛り上げるところだが──果たして諸君は! それで、本当にいいのか!? いいや、よくない!!』



「いや、いいよ」

「いいでしょ」



『真剣に祭に向き合い、我々三年は考えた──そう、この祭に足りないものは〝神輿〟であると。


 つまり。


 騎馬戦なぞ古い!! 時代は!! 神輿戦・・・だ!!!』



 パンパンと撃ち鳴らされるピストル。

 ドコドコと打ち鳴らされる太鼓の音。

 そして入場する片や金ピカ、片や真っ赤の、御輿。


 どでかいダンボール製である。

 そのてっぺんのシャチホコには鉢巻が巻かれており、それを防衛するように騎馬が取り囲んでいた。



「いや、結局騎馬戦じゃん」



 飛鳥の脳内で昔の自分が『あれはない』と首を振っていた。

『俺もそう思う』と昔の自分に返す。


 いくら祭り好きと言っても限度というものが、ある。

 体育祭にふさわしい情趣と神輿にふさわしい祭はまったく別物だ。

 無節操に祭ればいいというわけではない。

 流石に引く。


 だが、何故か校庭は沸いていた。

 ワーワーと歓声が上がり、神輿と神輿が睨み合っているし、吹奏楽部が無駄に壮大なBGMを演奏するものだから、もうめちゃくちゃだった。

 雰囲気十割で盛り上がっている。

 あまりにも無節操。




 校舎の影で二人はひっそり戦慄する。


「もしかしてこの学校……変、なのか?」

「そんな気がするわ」


 ここはちょっと自由な校風なだけのごく普通の公立校、の、はず、なのだが。

 三年前の記憶と、ここ二ヶ月の記憶を漁る。


「……そういやさ、俺、包帯のこと突っ込まれたことないんだよね」

「そういえば、わたしもない」


 腫れ物扱いか、友達がいなさすぎるだけかと思っていたが。

 よく思い出してみれば、笹木ですらひと言も触れなかった。


「よく思い返せば校内に、包帯ぐるぐる巻きのミイラみたいな生徒、いたね」

「えっ意味わかんない。何部?」

「演劇部」

「あぁ、演劇部ならしょうがないわ。演劇部は役作りのために外見の全てを許されているもの」

「あれなぁ。流石に特殊メイクで授業受けるのは怖いからやめてほしいよ」



 ──あれ?



「…………おかしいわね?」

「…………おかしいな?」



 ──何故今まで気付かなかった?


 人生が、それどころではなかったからである。


「……ちょっと現実逃避で今から寝るわ」

「外で寝ると熱中症になるわよ」


 寝て切り替えることも許されなかった。

 痛む頭を押さえる。



 もしかして、異世界帰りとか──あまり、大した問題ではない?



「なあ、咲耶。……俺は常識あるよな?」

「多分、わたしの次くらいには……」





 なお、ダンボール神輿による騎馬戦は大いに盛り上がり、最終的に神輿は盛大に木っ端微塵になったという。


 当然、生徒会の完璧な指揮と采配により、怪我人等はゼロだった。

 祭りは安全に事を成してこそ、というのが生徒会の理念である。






 ◇◆





 茫然と騎馬戦(だったもの)を眺めた後。

 咲耶と真剣に常識の定義を議論しながら、クラスの陣地に戻った頃には次の競技が始まっていた。


「あ、日南君。丁度良かった!」


 ポニーテールの女子生徒が駆け寄ってくる。

 演劇部の麻野だ。

 なお、飛鳥は同級生の名前をほとんど覚えていないので、「誰だっけこいつ」と思っている。


「いま私、着ぐるみ仮装借り物競走やってるんだけどさ」

「なんて?」


「だから、着ぐるみ仮装借り物競走。協賛は演劇部だよ」


 ……魔改造の犠牲になった競技は騎馬戦の他にもあったらしい。


 鉢巻きを巻いた麻野は、借り物のメモを見せる。


「『三月生まれの人』探してたんだ。笹木に、日南君がそうだって聞いたけど」

「なるほど。そういうことなら」


 と、ついて行こうとしたのだが。


 ──いつのまにか、ぱしりと掴まれている左腕。


 振り返る。

 クラスメイトについて行こうとする飛鳥を、咲耶が引き止めていた。


「……ハッ!? わたしは何を?」


「アッ……ごめんね文月ちゃん!!」


 麻野は全てを察してとても申し訳なさそうにしていたが、肝心の咲耶が自分の行動を理解していなかった。


 飛鳥はちょっと哀れみの目で咲耶を見た。

 人様の気遣いを無駄にしてはならないと思う。

 名前もおぼろげな同級生に気を遣わせるとか、あまりに情けない。


「てか咲耶、おまえも三月生まれじゃん」

「えっ、あっ、ほんとだ!」


「……えーと、麻野だっけか。こいつ連れてっていいよ」


 引き止められるならば、代わりに咲耶を引き渡すしかない。


「ありがと!」


 麻野はすかさず、咲耶と腕を組んだ。


「それじゃ、カノジョ・・・・。お借りしますね、日南君!」


 ばちこっとウインクをして、咲耶を連れて去っていく。

 演劇部は全員、ウインクが上手いのである。

 




「……お借り?」


 というか今、彼女・・のイントネーションがおかしくなかったか?


(あっ、俺から咲耶を借りるって意味か)


 と、ようやく思い至って。




(……いや、そもそも俺のではないな)


 ない。





 …………まだ。



 







「ま、待って麻野さん、えっわたし今から着ぐるみ着せられるの!?」


 引き摺られていく途中でようやく我に返る咲耶。


「大丈夫、頭だけだから、そんなに暑くないよ!」

「余計にイヤよ滑稽じゃない!!」


「あ、飛鳥、飛鳥ーーっ!! たすけて!!!」

「はは。がんばれー」

「手、振ってないで!!」

「安心しろ。写真もバッチリ撮ってやるから」


「……まさか、わたしを生贄にした!?」

「バレたか」




「このっ性格最悪クソ野郎ーー!!!」




 咲耶はそのままドナドナされていった。




 なお、「あの罵倒は確かにまだ付き合ってないな?」と、クラスメイトの誤解は無事に解けたという。


 めでたし。

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