第32話 自己の証明を。

 咲耶は狂気の淵からほんの少しだけ戻ってきた。


 聖剣が起動したおかげで彼女にも『角』が生えており、その角が〝理性〟を補い始めていた。

 ……人外の理性なのだが、まぁ、そこはそれ。今は関係のない話だ。



 組み伏せるのをやめて、咲耶の身体を起こす。

 赤い空の下、アスファルトの上に膝をついて。


 すぅっと息を吸う。



「……で? 誰が、『自我がない』って?」



 そろそろ我慢の限界だった。


 ──いや、もう、ほんっと。


「俺が、どれほどの思いで、魔女を殺すのを止めたと思ってんだ!?

 どれほどの意思で、聖剣の機能に逆らったと思ってる!!

 おまえ見てただろ、隣で! 節穴か!?」


 貫き通したのは自我だ。

 ──それを、今更疑うなどあるか!


「こちとら証明は、とっくに終えてるんだ!! 今更、ガタガタ抜かすなアホタレが!」


 自我、意識、思考、感情、全部。

 それを他者に証明する手段はない。頭の中を覗けでもしない限り。

 けれど、自分さえ確信できたなら。

 他に、誰の存在証明もいらないのだ。


「それでも信じないって言うなら、おまえ、思考垂れ流してやろうか。これからずっと、何考えてるか話してやる。

 聞くか全部? 普段何考えているか。考えてるからなまじで。おまえ胸でかいよなとか全部口に出してやろうか、ええ!?」


「も、もう言ってるからそれ……!」


 咲耶は、露出の高い衣装の胸元を隠した。

 正気で着れるわけがない服だと思う。


 痴女だよもう。

 どこをどう隠してるんだよ。

 露出が高過ぎて逆に全然エロくないから助かるとか考え──思考を打ち切る。

 品性がなかった。許されない。

 死ね俺。


「ともかく! 人を勝手に自我ねえとか決めつけるなよ。失礼だろ!」

「え、間違って……!?」

「まあなかったけど。実際」

「な……!」

「でも今はある」


 息を深く吐いて、落ち着ける。


「……いや、うん。節穴呼ばわりは、悪かった。『言わなきゃわからない』って言ったのは俺だったのにな」


 くそ、同じ失敗ばかり繰り返している。ダセぇ。

 眉間のしわを解く。





「……死んでも言わないつもりだったんだ」



 嘘と隠し事はお互い様だ。

 でも、それがなんのためなのか。

 自分のためで──互いのためだ。


 横たわるのは『言ってどうにもならないことは言わない』という、暗黙のルール。


 だってそれは、泣き言だ。

 笑えない話は全部、無価値だ。


 だからどうした、言うほどのことでもない、と受け流していくのが〝正解〟だと思っていた。


 だが、そのせいで咲耶が傷付くならば。

 それは、〝間違い〟だ。


「言わなくて……いや、言えなくて、悪かった」


 ──ずっと、それを言って受け入れられないことが、恐ろしかった。


 どうして言える。

 彼女に、自分を否定されたら。

『あなたは日南君じゃない』と言われたら。

 立っていられる自信がなかった。


 咲耶をここまで追い詰めたのは、俺に意気地がなかったせいだ。


「確かに、今の俺には君の記憶ことしか残っていなかった。一度死んだようなものだったのは、おまえの言う通りだ」


 ここにあるのは、初恋の記憶と感情を核に、かつての日南飛鳥を参照し、再生した人格だ。

 それは、本物かつてとはどこか決定的にズレているのだろう。


 だが。


「それでも、俺は俺だ」


 答えは、もう出ている。


 たとえ中身が空になったとしても。

 最後にたったひとつ、彼女それさえ残っていれば。

 俺が、かつて日南飛鳥オレであったことは変わらない。

 今は、紛れもなくその『続き』だ。


「俺は感情を動かして、思考を回して、ちゃんとここに生きている。そのことを、誰よりも俺自身が分かっている!

 ……だから何も問題なんて、ないんだよ」


 今更、自我の在処ありかに迷う必要なんてない。

 この感情は全部、正真正銘に、俺のものだ。

 揺らぐ余地なんてない。


「心配することなんて、ひとつもない」


 とっくに覚悟はできている。

 結論なんて出てるんだ。


 別に、過去がクソだろうが今がカスだろうが、全然、平気だ。

 どうってことない。

 全部笑い飛ばしてやる。


 たかが異世界転移で、人生終わらされてたまるか。



 舐めるなよ、世界。




「……だから本当に。

 たいしたことはないんだ、全部。

 たいしたことは、なくなったんだ。

 ──君のおかげで」



 ようやく動くようになった左手を、剣の柄に添える。


 彼女は黙り込んで、返事はなく、けれど俺を止めようともしなかった。


 アスファルトに刃を突き立てる。

 先程まで、彼女が動かずに立っていた場所に。

 結界を作る魔法の、を破壊する。



 ──言っただろ、ちゃんと倒しに行ってやるって。



 十二時タイムリミットよりも早く。

 鐘の音アラームが鳴ることはなく。

 赤い空は、粉々に砕けて消えた。





 ◇





 結界が解けた先の景色は、いつもの夜だった。

 地面に傷はなく、紋様も残っていない。

 正しく現世に、戻ってきた。


 咲耶の目には僅かに正気の光が灯っていたが、まだ天秤が狂気の側に傾いているらしく。

 ゆらゆらとした瞳で、俺の言葉を反芻しているようだった。


「……どうして? あなたの言葉は、強がりだわ。そんなこと、もう言わなくていいの。ここに、簡単な結末があるのよ。あなたが受け入れてくれるだけで、すべての虚勢は要らなくなる……」


 しゃがみ込んだまま、彼女は俺に縋り付く。


「あなたの中に、わたししかないなら尚更に! わたしのすべてを、あげるのに!!」


 瞳は潤んで今にも溢れ落ちそうだった。


「わたしだけ見てわたしのことだけ考えてずっとわたしの側にいてよ!!! ねぇ、飛鳥……」


 狂気の淵の駄々。彼女がずっと、嘘で覆い隠していた本音。

 俺は、胸倉を掴む彼女の手に、左手を重ねる。




「やるよ。人生。──俺なんかの人生でいいなら、全部やる」




 咲耶は、眼をしばたく。



「……え、ぁ……えっ?」 



 ぽろりと、鱗が落ちるように、目尻に溜まった涙が剥がれて零れる。



「────えっ!? い、今、あなた何を……っていうか、わたし、今まで……何を言ってたの!??」



「ようやく正気に返ったか。おかえり」

「えと、ただいま……じゃ、なくて! ……わたし、あなたに、その……!!」


 咲耶は、無意識に溺れている間に何を口走ったのかを思い出すのに忙しいらしく、まったく言葉が出ていなかった。

 困惑と混乱に表情をころころと変えるもんだから、少し可笑しい。


 だが今は構わずに、話を続ける。

 彼女の手を握って、大事な話を。


「俺もさ、この二日、ずっと考えてたんだ。……おまえの身体のこと、気付いてたよ。角、見た時からそうじゃないかと思ってた」


 エプロンにも何故か血痕が残っていた。どうせ包丁で指でも切ったのだろう。

 だが、咲耶に傷は残っていなかった。


 嘘は上手いけど根本的に隙だらけだし、詰めが甘い。

 まったく、隠すなら隠し通せ。

 ……とは、バレた俺が言えることでもないか。



 咲耶の眼を、覗き込む。

 決意を口にするために。


『わたしに負けてよ』と彼女は言った。

 その返答が、まだだった。


咲耶おまえを元に戻す。そのために力が、まだ聖剣これが必要だ。

 ──だから、魔女おまえには負けられない」


 人生なんざくれてやる。

 でも。


「俺は、おまえのことも、俺自身のことも、何もかも。まだ諦めちゃいないんだ」


 だから魔女の論理で用意された、簡単な結末なんて欲しくない。

 破綻が約束された関係なんて、いるものか。


「みくびるなよ。俺は結構やるヤツだって、おまえが一番知っているはずだ」






「それに……」


 今更。

 今更だ、と。

 ──今更、昔は両思いだったなんて知ってなんになる。

 ずっと、そう思っていた。

 全部手遅れで変わってしまった後なのだからと。


 でも咲耶が。

 強引に窓をこじ開けてくれたから。

 今更なんかじゃなくなったのだ。


「この一週間、楽しかった。……楽しかったんだよ、本当に」


 とっくに俺は、救われてたんだ。

 それは紛れもなく、咲耶のおかげだ。

 でも。


「『おまえだけ見ておまえのことだけ考える』……正直、キツい誘惑だ。それもいいか、とちょっと思った。

 でも、そういう自分になることを俺は許さない。だって、それは。人間・・として・・・正しく・・・ない・・


 日南飛鳥むかしのオレならば、そんなことは望まない。


「だけど、今の俺は。咲耶がいない人生も、嫌なんだ。

 だから、頼むよ……『いなくなる』なんて、言わないでくれ」


 これはただの執着かもしれない。

 よすがに縋り付く行為かもしれない。


 けれど、『隣にいて欲しい』と願う感情を、どうしても捨てられなかった。


 だから。

 関係を『友達』と、感情を『友情』と再定義して、境界線を引いて、堤防を作って──始めようとしたのだ。


 正しい関係を。

 一から。


 それはあまりにも回りくどい選択だった。

 けれど、〝正解〟はそれ以外に、なかったのだ。





 咲耶は、俯いて。

 俺の手を両手で握り返す。


「……ずるいわ、そんなの」


 静かにしずくを手の甲に落としながら。

 正気の声音で。


「そんなこと、言われたら。わたしもう……勝てないじゃない」

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