第29話 あの日の続きを。
魔女の
だが、この場所は既に術中に落ちた。
彼女の服装が変わる。
堅苦しい制服から、黒と赤の、毒花のようなドレスへ。
豊かな胸元、白い腹、長い脚を大きく露出するその装束は、艶めかしさよりも鮮烈の印象を与えるものだった。
象徴的な、捻じ曲がった角は無いが。
まるで〝あの頃〟のような衣装を纏って。
彼女は、再び『魔女』を演じる。
◆
〝制約〟。わたしの魔法にとって、重要なそれ。
できることが多いよりも、できることが限られている方が、〝存在〟は確固になる。
制約が
わたしが自らに化した制約のひとつが、『魔女は窓から入ってくる』だった。
『そうでなければならない』という言葉は、人を縛る呪いだ。
これはこういうものだと定義する。ルールを定める。文脈を敷いて、目の前の現実を改変する。
──それが、〝
だから、友達となった後も頑なに、彼の家に窓から入り続けたのは。
『魔女は窓から入ってくる』という〝制約〟を守るためだった。
わたしが
……どこかで予感していたのだ。
いつか、わたしはあなたの前にもう一度。
敵として立ち塞がる。
その日のために。
わたしは初めから、友達を裏切り続けていた。
──わたしはあなたの
それで、あなたを救えるのなら。
◆
ここはわたしの〝不可視の結界〟の中。
空は異世界の真昼のように赤い。
『鍵の魔眼』の効果は継続中。
一度限りの全霊を込めて『施錠』したから、飛鳥はまだ動けない。
声を発するのにも、難があるはずだった。
……それでも、わたしに質問を投げかけたのだから、根性があるというかなんというか。
呆れる。
聖剣は使うほどに目が青くなる──そこから導き出した仮説が、『聖剣は使い手の肉体と精神に作用する』だ。
頭を弄られて勇者にされたのか、勇者になって頭がおかしくなったのか。
どちらが先か、あるいは両方か。
それを確かめる
どちらだって同じことだ。
結果、結果さえあれば過程なんてどうだっていい。
わたしは今から、アイツに勝つ。
勝って、飛鳥を蝕んだ
──勝利条件を、思考する。
まずは前提。
彼の聖剣は『魔女殺し』の
現世での性能はわたしの方が上、とはいえ、その武器との相性は最悪だ。
だが、それさえなければ怖くない。
聖剣の『起動』が、魔法そのものに反応してのことではないことは、彼に魔法をかけた時に確認済み。
起動は、
魔法を使っている時のわたしに右手が触れることで起動する、という飛鳥の仮説を採用。
つまり──触れられなければいい。
だから距離を保ち、近寄らせず、起動される前に、
──では、どうやって壊すのか?
ここは
真っ当に壊せるようにはできていない。
だから。
わたしは彼を見据え、言葉を吐く。
詠唱を始める。
「そもそも『聖剣』なんて、ご大層な名前がよくないわ」
──壊せるようにできていないならば。
「『定義する』」
──〝壊せるもの〟に変えてしまえばいいだけだ。
「何が〝聖なる剣〟だ。精神汚染付きの『ろくでもない武器』のくせに。聖剣なんて美しい肩書き、『おこがましい』と思わなくて?」
概念の強度を下げる。
つまり──最強の武器を〝
「〝この装備は外せません〟なんて、
詭弁、連想ゲーム、自己暗示、文脈の引用、論理武装、現状否定、認識の改変──
「そして同じ呪いなら、〝呪いで出来た
つまり。
「呪いには呪いをぶつけんのよ!」
「それ何の
「教えない!!」
言いたかっただけ!
──詠唱の完了と、飛鳥の身体のロックが解けるのは同時だった。
彼は真っ直ぐにこちらへと走る。
わたしに触れ、聖剣を起こすために。
けれどここは既にわたしの
地面の赤い紋様に指を向け、次の詠唱を。
「『おまえは蛇だ』」
──紋様が、生物のようにうねり出す。
その外見は本来、蛇というよりは、紐や縄と形容するのが正しいだろう。
けれどわたしが『蛇』と言えばそれは蛇であり、『使い魔』となる。
ソレらは彼の手足を絡めとり、わたしとの距離を縮めることを阻む。
飛鳥は無表情のまま舌打ちした。
紋様の蛇には先の詠唱の効果を付与してある。
──剣の価値を零落させる呪いを。
締め付けられた右腕が、ぎしぎしと軋みを上げる。
肘の関節、逆方向に折り曲げて引きちぎろうと、
だが。
──利きめが、悪い。
『右腕には
流石に打ち消すまでの効果はないけれども、高い耐性を持っているのは確かだ。
飛鳥当人に魔法をかけるならまだしも、
起動していないとはいえ、中身はやはり『魔女殺し』だ。
──まだ、
強く呪力を込める。
詠唱を重ねる。
「おまえなんか、所詮は『呪いの武器』のくせに!」
けれど。
口から吐きこぼれたのは言葉だけでなく赤、──血、液。
こふ、と咳き込んだ。
遅れて、激痛。
わたしの腹が、べこりと凹んでいた。
──強い呪いの代償は血肉だ。
事前に、使った口紅と同量の血液を支払っていたのだが、今ので足りなくなったのだろう。
対価の徴収──
「──ッ……!」
叫ぶこともできない、本物の痛みの中。
滲んだ視界で、飛鳥が鬼の形相を浮かべていた。
能面を剥がして彼が叫ぶ。
「やっぱテメェ、身体戻ってねえじゃねえか! この嘘吐きが!!」
「げほっ……うるさい、この、秘密主義者……!!」
血を拭う。涙を拭う。
痛い、のは、嫌いだ。
でも。
今更泣き言を言うものか。
どうせ治るのだ。
死なない魔女の身体なんて、引き落とし日が来ないクレジットカードのようなものだ。
内臓のひとつやふたつ、タダも同然で…………あ、焼肉食べたい。今、すごく。
と、いうか。
な、んだか。 思考が、とっ散らかる。
──意識が朦朧とし始めた。
血が足りない、なんてことはないはずなのに。
まるで酸素が足りないような錯覚。
現世はどうにも異世界とは違って、魔法を使うには息苦しい。
必死で意識を保ち、出力を維持し続ける。
縛り上げた彼の右腕から、みしり、と音が聞こえる。
あと少し。
あと、少しなのだ。
──だから。
「とっとと壊れろ、クソ異世界……!」
◇◆
魔女の術式。赤い紋様の蛇たちは、彼の手足を固め、動くことを許さない。
付与された呪いは彼の身体を傷付けず、ただ右腕だけを蝕み、捻じ折ろうとしていた。
袖の下、包帯の下で、金属の肌の上に毒のような錆が広がっていく。
最強の武器に対するは最強の呪い。
『聖剣』がじわじわと、〝錆びた剣〟に零落していく。
──戦闘の速度は、かつてと比べものにならないほど遅い。
詠唱は回りくどく、攻撃は弱く、動きに冴えはない。
所詮、ここは幻想とは縁遠い
だが、今。
この
彼と彼女が〝最強〟であることに、揺るぎはない。
現状を、正しく見つめ、彼は口を開いた。
「……なるほどな」
術式を把握する。
「『聖剣は最強の武器である』という真実を、『解除不可能性』を以ってして、フィクションの『呪いの武器』の文脈で上書き。『最強の呪いを使う魔女』ならば『呪いの武器』に勝てる、という
呪いの構成要素を解体。
「『くだらない』」
そして、
「そんな『戯言で勝てるわけがない』だろ」
──
彼に魔法は使えない。
けれど、呪文に意味がないかといえば──
何故ならば。
〝呪術〟とは、人類史上、『誰もが使ってきたもの』だからだ。
約束に指切りをすることも。
照照坊主に晴れを願うことも。
そんな些細なおまじないやありふれた儀式はすべて呪術だ。
──そしてあの異世界は、現世よりもずっと〝言葉が呪いになりやすい世界〟だった。
この結界は『擬似的な異世界』だ。
たとえ、『
『不可視』の恩恵を彼に与えるために、最低限の影響は及んでいる。
だから、
──『真実を補強する』という効果が。
詠唱の内容は、どこまでも正論だった。
けれど、真実は、真実というだけで『嘘よりも強い』。
──呪いが打ち消され、蛇の拘束が緩む。
魔女は焦るように反論、
「『勝てる』! わたしがそうと決めたから、そうなんだ!!」
「うるせぇ! ガタガタ抜かすな! 『俺の方が強い』!!」
──そんな、身も蓋もないことを言うなんて!
呆れるべきか怒るべきかもわからない!
赤く歪んだ瞳を、見つめ返して、
「咲耶。おまえには言ってなかったが」
彼は言う。
「俺は自分で、自分の脳味噌を、少しは弄れる」
「……は?」
真実による
手足はかろうじて動く。
──ガチリ、と頭の中の撃鉄を起こす。
右腕に絡みつく〝蛇〟を引っ掴み、呪いを引き千切った。
「嘘ッ! 魔法を素手で千切るなんて、どうしてそんな芸当ができるのよ!!」
魔女の使い魔だ。
人間の力でどうにかなるような、生易しい強度はしていない。
「代償ならあるさ」
真剣な表情。
ぞくり、と寒気が走る。
一体何を、支払って──
「明日めちゃくちゃ筋肉痛になる」
身体の出力を無理矢理上げただけだった。
「……そうでしょうね!? いや、違くない!? 代償ってもっと、こう……!」
……だ、だめだ、と首を横に振る。
うっかり突っ込んでしまった。
ペースに飲まれてはいけない。
彼女の魔法において、『場の空気の掌握』は必須。
なのに。
──主導権を、奪われる。
いや、そんな。
こんなことで?
ふざけやがって!
「最悪、この、チート野郎!!」
「ちげぇよ」
飛鳥は、深々と溜息を吐いた。
「──おまえが、甘くなってんだよ。現世ボケか?」
口調はふざけているのに、眼には冗談の色がない。
絡みつく蛇を引きちぎりながら、歩を進める。
「せめて呪詛に触れれば焼けるようにしろ」
一歩。
「〝腕だけ壊す〟なんて甘いことを考えるな」
二歩。
「肉を断て。四肢を落とせ。ちゃんと、不意を突け」
三歩。
「──本気なら、勝ち方を選ぶな」
四歩。
「そんなだからおまえは俺に、負けたんだ」
彼我の距離は、あと七歩。
眼差しが、深く鋭い青色が、魔女を刺し、
「忘れたのか文月咲耶」
彼は、
「『おまえは俺に勝てない』。絶対に」
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