第30話 愛の証明を。

 飛鳥の理性と感情の出力のある程度は制御下にあった。

 鋭敏になりすぎた感覚は、意識的にスイッチを落としてあるだけだ。

 身体機能は常人並み。剣が出せなければ高々、リミッターを外すことしかできない。


 けれど、それだけですべてが事足りる。


 魔法を振り切って進む──あと七歩。

 たったそれだけを埋めれば、勝負は決する。

 

 彼の勝ちで。







「喧嘩はこれで売り切れか?」


 魔女は唇を噛む。


『甘い』と彼は言った。

 だが、目的が愛ゆえの庇護である以上、〝傷付けない〟その制約は必然で。


 殺傷力を付与することはそれに反する。

 己に貸した制約を破ると、魔法の強度は下がる。


 だから、できない。


 ──本当に、ギリギリなのだ。不壊の聖剣を『壊す』という試みは。


 現世では、不死身の肉体の再生速度すらも遅かった。


 だが。

 甘い、など、なりふり構うな、などと──好き勝手言ってくれる!



「次の手くらい、考えているわよ!!」



 彼女は唇を噛み切って、指で伸ばす。

 引いた紅を血で上塗り、発する言葉の強度を上げる。



 本命、第二陣。

 残りの使い魔に全霊を注いで、一気に畳み掛ける。



 これ以上は──後戻りができない。



 覚悟はここに。無い腹を括れ。怯えはいらない。

 彼女は胸に手を、心臓に手を当てて。

 そして──、



 心臓が、弾け。


 一度、死んだ。





 彼女の魔法は呪いだった。


 呪いには代償が必要。

 支払う代償はその身。

 死なずの肉体。


 人が全霊いのちを賭して、ようやく一度だけ使える怨念のろいを、彼女は何度だって行使する──それが理外の〝魔法〟の正体。



 ──故に、彼女は、異世界で最強の魔女だった。





 口から血が溢れる。

 目から光が消える。


 ──飛鳥が一歩を詰める。


「このッ馬鹿が!!!!」と詰る彼の声が聞こえた気がする、気のせい? 気のせいだ。

 だって死んでるから聞こえない。


 ──二歩。


 最優先で再生される心臓が、一度死んだ身体に血を叩き込んで、魔女は、息を、吹き返す。



 だが──その目に光が、戻らない・・・・



『聖剣』をぶち壊すための呪い。

〝角〟も出ていない状態でそんな無茶な魔法を、幻想くうきの薄い現世で使い続けてどうなるのか。


 平気なはずがない。


 濫用、代償の払い過ぎ──閾値を超えた。


 グラスに注がれすぎた炭酸の、泡があふれるように。




「────あはッ」




 理性が、思考が、正気が、こぼれ落ちる。


 光の消えた瞳を、ぐるりと回す。


「ええ、ええ! どうしてもっと早くこうしなかったのかしら?」 


 魔女は、唇を赤く赤く歪めて、嗤う。


「ソレが『邪魔』なの。ソレが阻むの。……そんなこと、最初からわかってたのに!!」


 思考が氾濫する。


「異世界なんて思い出したくもないでしょう? 『ならばいらない』そんな腕、『奪って壊して失くしてしまえばいいのでしょう』!?」


 異世界の言葉と現世の言葉がぐちゃぐちゃに混在した、呪文のような会話のような何か。


「……手足の一、二本、なくたってかまわない。あなたの目を塞いでしまいたいだけなの」


 吐瀉物のような、歪んだ思考の逆流。


「一緒にお料理もゲームもできなくなっちゃうか。悲しい、悲しいわ、残念ね? でも『かまわない』わよね? 『それがどうしたっていうのかしら』、別にかまわないでしょ?」


 最早会話の体裁は為さず、独り言ですらない。


「『かまわないようにしてあげる』から『何も問題ないわよね』?」


 だというのに、むせ返るような呪力が、溢れる言葉を〝魔法〟に仕立て上げていた。





 ──結界がひび割れて、より一層に空が赤くなる。



 彼女からびりびりと迸る圧力が、嵐のように叩きつけられ、彼は停止を余儀なくされる。

 残り五歩の壁が、あまりにも高くなる。



 ──結界の空気がいねんが更に、『異世界』へと近付いていく。




 彼女はふと喋るのをめ。

 ことん、と。

 落っことすように、首を傾げた。



「……あれ、わたし、おかしいこと言っている?」



『そうだ』と、返すことすらもままならない存在圧いあつかん



 ──認識を塗り替える。


 ──目の前の現実を変える。



 彼女の魔法は、思い込みで、自己暗示で妄想だ。

 自分で自分に嘘を吐き、騙すという行いだ。


 そんなものが、精神にいい・・わけが・・・ない・・


 不死身とはいえ〝角〟の出ていない今、彼女の存在は〝人間〟と定義されている。

 今、精神の強度は人並みでしかなかった。

 だから、自らの魔法への耐性が低いのだ。

 

 ──反動に、耐えられない。


 呪いは彼女自身を蝕む。

 重ね過ぎた自己暗示と誇大妄想は、当たり前のように正気を削る。



 外れていく歯車。

 溶けていく意識。


「──嫌っ……」


 それを一瞬、手繰り寄せるように歯噛みして。

 けれどやはり、彼女は狂気の淵に落っこちる。



 ──とぷん、と。




「……大丈夫よ別にそんなことも『忘れれば何も問題はない』のだから」


 語調は、冷ややかになった。


「大丈夫わたし、あなたがどんなに変わっても愛せるわ『愛してる』。魔女の『愛は永遠』なのよ」


 狂気は冷徹に、固まった。


「たとえあなたに自我が残っていないとしても。わたしの、愛で、『どろどろに溶かしてあげる』から、溺れるように愛してあげるから……ね?」


 溺愛を唱え、彼女は毒花のように微笑んで、両手を広げる。



「『こわいものなんてひとつもないの』」



 妖艶な黒と赤のドレスが彼女を飾り立て、一層に〝魔女〟の気配を強めていく。


 純粋無垢の少女性──〝文月咲耶〟の成分が、欠落していく。












 ──魔法による結界の強化が終わり、嵐のような威圧感が、ようやく鳴りを潜めた。

 呼吸ができるようになった。


「……くそっ、もう何言っても届かないかよ」


 息を継ぎ、悪態を吐く。


 相性こそあれ、双方の実力差はほぼ対等だ。

 ──それは、彼とて、彼女の為すことを止められないという意味。


 武器がなければ対応は後手に回る。

 なにせ彼女は待ち伏せて、罠を仕掛け、準備を事前に終えているのだ。


 魔法を力尽くで打ち破ることはできても、魔法の発動前の自傷を止めることまではできない。



 ──そのことがひどく腹立たしい。




 彼女は腕を、ゆらりと持ち上げる。


 緋色の魔女の、足元の紋様が七つ。

 『赤い蛇』に変化へんげする。


「──あなたを『傷付けさえしなければいい』」


 左目からどろりと、血が流れ落ちた。

 魔眼の臨界を超えた使用。

 正気を捧げ、蛇に『魔眼』の効果を上乗せする。


「『食らい付け』!」


 命令。

 ずるりと地を這う七本の蛇が、順次に襲い来る。


 一体目。

 避ける暇は無く、咄嗟に腕で庇う。

 

 が、──触れた生身の左腕に硬直ロックがかかる。


 だらりと垂れ下がった腕。

 飛鳥は鬱陶しそうに一瞥いちべつし、身体の出力を更に上げる。

 ……これで明日は多分、起きた時にちょっと泣く。



 残る攻撃、その全てを回避。

 けれど、結果。二歩分の後退を強いられる。


 阻むは、あまりにも遠い七歩だった。




 七歩──彼女の部屋と自分の窓までの距離が、そのくらいだっただろうか。


 あんなにも普段、彼女が軽々しく越えていた距離の遠さを、今、思い知る。

 

 ──会いに行く、ただそれだけが、こんなにも難しかったのか。


 と。




 ──本当に、はらわたが煮えくり返る。

 

 

「……いい加減、起きろよ。これだけ魔法を食らって、まだ寝ぼけてんじゃねぇよ。目の前にいるのが誰か、オマエ・・・はわかっているはずだ」


 呟くように、語りかける先は自らの『機能』。

 ずっと感じている、嫌な気配。〝魔女〟の気配だ。

 それを飛鳥が分かっていて、ソレ・・が感知していないわけがない。


 結界ここは初めよりもずっと、『異世界』に近づいている。


 ──だから聞こえる・・・・はず・・だ。



「オマエに頼るのは癪だ。もう見たくもない。

 でも寄越せ。

 今必要だ。

 ──とっとと『起きろ』!

 『聖剣lapisgram』!!」



 つるぎの、真名を呼ぶ。


 ……聖剣は、現れない。



 けれど。


 ──ガチリ、と励起れいきの感触がした。



 右腕。包帯の隙間から青光あおびかりが漏れる。

 眼前。向かってきた『蛇』のあぎと

 反射。全力で拳を叩き込む。

 衝撃。魔女の魔法は、砕け散った。



 ──聖剣の文脈は『魔女殺し』。

 その効果は、シンプルだ。


〝あらゆる魔法を叩き斬る〟


 ただ、それだけ。

 それだけで事足りる。


 粉々になった魔法。

 赤い粒子が、宙を舞う。



「……やればできんじゃん。ツンデレか?」



 当然、剣が返事をするはずもないのだが。


 拳を、握りしめる。


「あと六歩。あと六匹だ。──その喧嘩、全部買い占めてやる」












 一歩一歩、地面を踏み締め、立ち塞がるモノを砕いて、その距離を埋めていく。


「……なんで。なんでよ!」


 彼女には、わからなかった。

 目の前の光景が。


 何故、自分は負け始めているのか。

 ──勝利条件は揃っていた、はずなのに。


 理性が飛んでるので答えが出せない。

 思考をとっくにやめてしまったので行き止まり。



 返答は、彼が代わりに。


「なんでってそりゃ、テメェ」




 ──あの異世界で。

 魔王の呼び出した『魔女』に対抗する形で召喚されるのが『勇者』だった。

 彼は初めから、『魔女』に勝つために造られている。


 ──何より、一度、既にあの世界で。

 彼は彼女に、勝っている。



『一度勝ったのなら、二度勝てないわけがない』



 彼自身の存在にすら、既に『魔女を討つ』という文脈いみが乗っているのだ。




「……『いやだ』」


 駄々のように、呪詛を吐く。


 ──いやだ。


 誰も助けてくれなかったからわたしは魔女になるしかなかった。

 でも、あなたが助けてくれた。


 じゃあ、誰が。

 あなたを、助けてあげられるの?


 わたししかいない。

 わたししかいないじゃない。


 ──いないのに。




 剣を起こした勇者との間には、問答無用の相性がある。

 魔女が、どれほど強くても無意味な、絶望的なまでの差がそこにはある。

 

 そして。

 立ち塞がるは〝文月咲耶〟にとって『絶対のヒーロー』でもあった。


 頭をよぎるのは『惚れた・・・負け・・』という文脈。

 それを思いついてしまったその途端、〝自縄自縛の呪い〟になる。


 ──文月咲耶は、日南飛鳥の存在を貶める呪詛を持たないのだ。


 たとえ、どれほど罵倒を重ね、自己暗示で上書きしたとしても。

 思慕おもいを消せないから、魔法うそは意味をなさない。



 ──いやだ。


 負けない。

 負けたくない。


 ──もう二度と、あなたになんか、負けたくないのに!



 最後の一体まほうが、砕かれる。




「どうして!!!」


 どうして、なんて。


「決まってる」




「──俺が、『勇者』だからだよ」



 最後の一歩が、埋まって。

 ここで、詰み。



 彼女の腕に、彼の手が触れて。

 青い、聖剣の光が、目を焼いた。





 ──ああ、やっぱり。




 ──わたしじゃ、あなたには勝てない。






 ◆◇






 気付いた時には、咲耶は組み伏せられていた。


 飛鳥の右手に握られるは、青色の刀身を持つ機械的なつるぎ

 喉元に、刃を突きつけられている。


「くそ、もう絶対名乗りたくなかったのに! マジで意味わかんねぇ。名乗らないとバフかからないシステム本当に嫌いだ! 十八にもなってノリノリで魔女とか勇者とか言ってんじゃねえよ恥ずかしいな本当に! あぁ死にたい!」


 巻いた袖から覗く鈍色の腕。

 包帯はとうに解けていて、呪いの錆は跡形もなく消えている。





 咲耶は、虚空を見つめて。


「どうして」


 焦点の合わない目で、吐くのは呪詛の残り滓だ。


「あなたが真っ当に生きていけるのならば、普通の人間のままならば、わたしは身を引くつもりだった。青春だけを取り戻して、わたしは隣からいなくなるつもりだった! でも、そうじゃなかったのなら! あなたも、わたしと同じだったなら、とっくに変わってしまっていたのなら! 一体何を、我慢することがあるの!」


「とっくに脳味噌弄られてるなら、わたしが上書きして何がいけないの!?」





 飛鳥は、それを聞いて。

 二、三度。瞬きをし、


「…………え、何? おまえ、腕いで俺のこと洗脳しようとしてたの……? こっっっわ!!!? なんで!?」



 本気で引いた。



「ていうか普通に腕千切れそうで痛かったんだけど!? うわっ継ぎ目から血ぃ出てるし……染み抜き大変なんだぞ、最悪だ……」


 ありえない情けなさで泣き言を言うが、それはそれとして剣は突きつけたままである。

 隙はない。

 警戒も、解いていない。


「いや確かに、『本気なら』って言ったけどさぁ。あんなの売り文句に買い文句だろ。本当に本気出すと思うかよ、なんだったんだよ〜……」


 だが、どれだけ話しかけても、反応はないし、会話が成り立つ気配もなかった。


 咲耶はただ、ぶつぶつと、胡乱な瞳で何かを唱えているだけ。

 

 最早、力尽きているのか呪詛にもならない。

 ただ、正気の側にいないだけだ。



 飛鳥は溜息を吐く。


 ──まったく、誰が「壊れてる」だよ、誰が。



 むしろそれは魔女の方だ、飛鳥は思う。


 世界を救う使命を無理矢理刷り込まれるよりも。

 「世界を滅ぼす」と自らの意志だけで決意した彼女の方がヤバいに決まってる。


 世界を救う理由は──それをやりたいかはともかく──ごまんとあるとして。

 世界を滅ぼしていい理由なんて、三千世界を探したってあるものか。



 ──本当に狂っているのは、魔女かのじょの方だ。




 

 呼びかける。


「咲耶。咲耶。戻ってこい。咲耶。おまえまでそっちに行くな。……なぁ、頼むよ文月・・


「日南、くん……?」


「おっ」


「違う、違う違うわ。飛鳥・・、ねぇ、どうして?」


「……駄目かー」


 咲耶は倒れ伏したまま、手を伸ばす。

 地面から、飛鳥の頬を掴む。


「ねぇどうして? とっくに終わってるんだから、いいでしょ?

 わたしの全部をあげるから、あなたの全部をちょうだいよ。

 わたしに、残りの人生全部ちょうだいよ!」


「つらいのも悲しいのも全部忘れさせてあげる。

 わたしがしあわせにしてあげる。

 あなたのためなら、どの世界だって滅ぼしてあげるから!」


「だから。

 ゆだねてよ。

 おぼれてよ。

 お願いだから。


 ──わたしに、負けてよ!!」


 目は、ぐるぐると狂気の渦を巻いていて。

 けれど、憂いと悲しみに溢れていた。 


「……もう、わたしを救わないで。わたしに、救わせてよ……」




 飛鳥は、そのすべてを黙って聞いていた。

 ようやく、この喧嘩・・がなんだったのかに思い至る。


「あー……あー? なるほど……そういうこと、か。いやどういうことだよわっかんねぇよ、なんでこうなってんだよ……」


 ガシガシと頭を掻こうとして、『鍵』がかかった左腕が、まだ上がらないことに気付いた。

 締まらない。


「……まあ、でも。大体理解わかった」






 合わない視線を、それでも合わせる。


「咲耶」


 ──俺は、おまえのことを魔女なんてわない。


「おまえは間違っている」


 ぶつけるのは正論。


「知ってるわ、そんなこと……」


「違う」


 不意の否定に、彼女の瞳の焦点が少し合う。


「おまえは、まず、大きな勘違いをしている」


 正気が僅かに灯る。


「おまえを助けた理由について。『理由はない』じゃない。いらない・・・・、だ」


「……思い出したから、助けた、でしょ」


「そうだな。でも、なんで思い出したのかが、間違っている」



 たまたま・・・・偶然・・、再会したから思い出した──そんなわけがない。



 ──そんなに簡単に、擦り切れていた自我が、思い出すわけないだろう。




 組み伏せたまま、剣を引く。

 顔面一杯に苦々しさを浮かべて。 


 彼は、



「……好きだったから、思い出したんだよ」



 細く、


 静かに、


 

の、ことが」



 かつてのように、彼女を呼んだ。





「…………え?」

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