第19話 ふたり並んで帰路に就く。

 明るい夜だった。

 雲間の月は大きく、ほんの少しだけ満月に届かない。


 今朝は雨だったから、自転車は持ってきていない。

 だから間隔を寄せる必要もなく、俺たちは人ひとり分の間を開けて、無言で歩く。


 夜だからもういいか、と諦めたのか、咲耶は眼帯を付け直さなかった。

 おかげで今夜は、横顔がよく見えた。


 視線は、合わない。




 こうして夜道を並んで歩いていると、現世に戻ったばかりの時のことを思い出す。

 俺がうっかり周囲に異世界のことを口走ってしまった時のことだ。


 病院に監禁されそうになったから、仕方なく脱走し、咲耶に電話をかけたことがある。

『何かあるといけないから』

 と、電話番号をあらかじめ教えられていたのだ。


 不機嫌そうに、けれど速攻で飛んできた彼女は、


『ありえないわ。まったく! どうしてそんな初歩的なミスをできるのかしら? あなたひとりが自滅する分にには構わないけど、わたしに迷惑はかけないでよね! ……この貸しは、高くつくわよ!』


 などと、散々罵倒しながら事態収集(魔法)をしてくれた。

 その借りはまだ、返せていない。


 その一件の際も、二人で延々と夜道を歩いたのだが。

 あの時はまだ彼女も刺々しく、道行きは無言でも耐えられた。

 それで十分な、関係だったから。


 でも今は違う。






「咲耶、あのさ」


 俺は、意を決して呼び止める。




「……そろそろ喋っていい?」




 普通に、無言に耐えられなかった。

 限界。無理。クソ気まずい。



 咲耶は、目を丸くして。



「ふふ、あはは」



 弾けるように笑い出した。


「何かと思えば、そんなこと! ……はー、おかしい」


「なにが」


「だって真面目な顔して、そんな情けない声出すんだもの。あなたって顔には出ないけど、声には出るのね」


 ぐ、と言葉を詰まらせる。


「ふふ、そんなに気まずかった?」


 目元を擦りながら、咲耶はからかうように言う。


「いやもう、手汗がすごい」


 片手だけでよかった。



「ええ、ええ。お喋りしましょう」


 隣を歩く彼女は、俺の顔を覗き込むようにして、嬉しそうに微笑んだ。


「わたしも、丁度……そうしたい気分だったの」








 たわいもない話をした。

 今日あった、なんでもないようなことを。


 大半は善良な同級生の話であり、不思議な同輩の話だった。

 バイトを見つけた経緯とか、二人と親しくなった経緯とか、そして彼女もまた二人についてのことを語った。


 それで結論は結局、

「あの子たち、やっぱり変よね?」

 で落ち着いて。


 丁度その時。

 俺の携帯に芽々から、大量の無意味なスタンプメッセージが届いてことに気付いて、顔を見合わせて笑った。


 確かに『死蔵スタンプ送りまくってやりますよ』とは言ってたけど。

 本当にやるのかよ。

 あんなもん見せた後だっていうのに。


 逆にめちゃくちゃいいやつだと思った。






 そして今度は、明日の話をする。


「明日の味噌汁の具は何がいいか」と訊けば、咲耶は「お味噌汁に何を入れるのかよくわからない」と答えて、俺もそもそも冷蔵庫の中がカラだったことを思い出したので、「とりあえず明日の放課後は買い物に行こう」と約束をした。


 返すように「明日のお夕飯は何にしましょう」と訊かれたから、カレーの次に覚える料理は何がいいだろうと考えていたら、「あ、唐揚げ食べたい」と咲耶が言い出して、「いきなり揚げ物は無茶じゃないか?」と返せば、「唐揚げを嫌がるなんて男子高校生の自覚が足りない」と怒られた。




 そうやって。

 ひとつひとつ足元を確認するように。

 意識的に、『普通の会話』を重ねていく。


 現世だけで話題は十分事欠かない。

 だから、余計なことを思い出す暇はないのだ。



 暗い道を街灯が少しずつ照らしている。

 咲耶のワンピースの裾がすぐ横でひらひらと揺れる。

 いつの間にか俺たちの間合いは縮んでいた。


 隣を歩く彼女の背筋はぴんと伸びて、足取りは軽く表情は柔らかく、声は弾んでいる。

 そのことに、安堵する。


 そうして緩やかな坂の登りながら。

 なんでもない会話の延長戦を続けていく。







「そういえば飛鳥、もうすぐ追試じゃなかった?」


 うわ、現世もイヤなことあった。


「ノート、貸してくれたおかげでなんとかなりそうだ。助かってる」

「別に、もう直接教えるくらいはしてあげるわよ」


 咲耶は苦笑する。

 ほんの数日前に『教えてあげる義理はないけど』と言ったことを思い出したのだろう。


 咲耶から渡されたノート類は本来、自分が見返すために作られたものだと思う。

 要は、相当な労力を費やした自習の跡だった。


「咲耶ってさ、昔は完璧な優等生って印象だったけど。本当は努力家だよな」

「努力というか。わたし、単に要領が悪いのよ。真面目にコツコツやって、ようやく中の上なんだもの。やんなっちゃう」


 明るく自嘲する。


「昔は正直、高嶺の花なんて噂される度に胃痛がしてたわ。なんでもそつなくできますって顔だけしてたの。十割雰囲気のハッタリよ」


 器用すぎて不器用なんだよな。


「ほら、わたしって。見た目しか取り柄がないから?」

「おまえは性格もいいよ」

「うぁ……急に、褒めるな! ていうか、性格がよかったら……」

「よかったら、何?」

「……初めから、あんたに嘘なんて。つかずに済んでたわ」


 いちいち面倒なロールを演じてばかりの彼女は確かに、言い換えれば〝嘘吐き〟かもしれない。


「その辺はまぁ。俺がどうこう言うことじゃないな」

「そうね。あなたもいい性格してるもの」


 いい性格。

 言葉は同じなのに意味が逆だった。

 おかしいな。




「それにしても。試験の科目の話、わたしは英語が一番苦戦したんだけど」


 確かに、言語は使わないと錆びつくとはよく聞く。


「なんなら国語もだめになってたもの。でもあんたはその辺、割と点数取ってなかった? あれ、どうやったの?」

「ああ、うん……」


 言葉を濁す。



「これ、異世界むこうの話になるけど」



 咲耶は、沈痛に額を押さえた。


「……あー、ごめん。しくじった。地雷踏んだか……」


 その反応に、なんだかおかしくなって、笑いが漏れる。


「なによう」

「いや、なんか俺みたいなこと言ってんなって」



 ……そうか、彼女も。

『正解』を探しながら喋っていたのか。



「咲耶が気にしないなら別にいいんだ。話すよ」

「……そ」


 何か納得いかなさそうに、唇を尖らせた。



「ん、ほら。召還されて異世界むこうの言葉が分かるようになったじゃないか。俺はなんか、目が覚めたら急に使えるようになってたって感じなんだけど」


 咲耶はそれを聞いて、眉を顰めた。


「待遇が違うわ。わたしはあっちの言葉、自力で覚えたんだけど」

「まあ、魔王側おまえんところは人類いなかったしな。意思疎通のための術がなかったのか。自力は本当にすごい。尊敬する」

「いまいち尊敬の念がこもってないわ。五十点。もっと褒めて!」

「は? 調子に乗りやがって」


「というかそれ……脳味噌弄られてない? 大丈夫?」

「うわ、魔女の発想だ。こわ……」


「で、それがどうしたのよ」

「それが、異世界語だけだと思ったらさ、現世こっちでもなんか、他の言語もフワッと分かるようになってたんだよな。いや、流石に喋れたりはしないけど」


 咲耶は天を仰いだ。


「チート引き継ぎじゃない! なんでよ! ずるいわ! わたしも欲しかった! つまり、アレとかコレとか原書で読めるってことよね、いーーなーー」

「チートって。ま、このくらいの土産はあっていいだろ」

「そうね! あーあ、わたしも何か貰っておけばよかったなぁ」


 その言葉で、ふと。

 今が聞き時だと思う。


「……そういや、おまえ、あの体質・・・・は直ったか」

「ええ」


 さらりと答えた咲耶は腕を伸ばして、形の良い手を広げて俺に見せる。


現世こっちに帰ってきてから、ちゃんと髪も爪も伸びるようになったわ。成長期は終わってるから、あんたの身長を越せないのが残念ね」

「はは、身長で張り合うとか小学生かよ。……昔は咲耶より少しだけ低かったんだっけ」

「そうよ。知らない間に大きくなっちゃって、生意気」


 多分そのことを、昔の俺は気にしていたと思うけど。

 目線の高さが同じじゃなくなったのは少し、残念かもしれない。







「というか、そもそも。あなた、どうして学校に戻ったの? いえ特に他意はなくて。ただ……高校生活に未練があるようには、見えないし」


 確かに別の選択肢ならいくらでもあった。

 というよりは、そもそも学校に戻っている場合じゃなかっただろ、というのが正しい。

 家更地になってるし。


 でもそうしなかった。

 何故か、と言われると。


「だってほら、おまえ。こっちに帰ってきた時に『学校に戻ろうかな』みたいなこと、言ってただろ」


「……それだけ?」


「いや、まあ。それ以外にも色々あるけど」


『じゃあ俺も戻るか』で、他の選択を全部消したのは本当だ。




 咲耶は、両目を瞬いて。


「あなたって、もしかして」





「……わたしに、甘いの?」





「そうだよ。ようやく気付いたか。おまえ以外が窓から入って来たら問答無用で殺虫剤かけてるわ」


「あはは。野蛮だ!」


 髪をなびかせて、彼女は高らかに笑う。

 ああ、今の表情。写真に残せたらよかったのに、と自然に考えて。


 俺もアイツも両方バカだな、と思った。







 そして咲耶は、神妙に。


「ねぇ。飛鳥は、この先どうするの。高校を卒業したら」


 将来の話を。

 明日よりも、ずっと先の話を切り出した。


「そうだな。とりあえず働いて、余裕ができたら進学する。なんかこう、堅実にやっていけたら。あとはなんでもいいや」


 現世は割合ちゃんとしているので、野垂れ死ぬことはそうないだろう。

 ないといいな、と思う。


「咲耶は?」

「わたしは……大学には行くかな。向いてそうな学問って、何があるかしら?」

「哲学」

「あは、難しそう」


 彼女は、二、三歩。

 先を行く。


「あーあ、わたし。頭よくないからなぁ。どうしよう。全然思いつかないのよね」

「昔は何になりたかったとか、ないのか」


 地に足つかない不安定な足取りで、短い黒のワンピースを翻し、振り返る。



「素敵なお嫁さん」



 幼げに、彼女は笑って。


「今どき、甘い考えで笑えるでしょ」

「笑わねーよ」


 ──だってそれは、多分。潰えた夢の話だ。

 喉から出かけた言葉を飲み込んだ。


「別に、なんでもいいんじゃないか。やりたいことをやればいい」

「そうね。全部やれば、いいか」

「そうだよ。これからの人生は……長いし」


 自分で言って、自分で驚いた。

 そうか、あと半世紀も続くのか人生。

 長すぎて気が遠くなるな。


 ひと気のない静かな道を、彼女は後ろ向きのまま進む。


「ねえ、あなたは昔、何をやりたかったの?」


 咲耶の問いにほんの数秒、思い出そうと試みて。


「忘れた」


「……そっか」






 後ろ歩きで、俺の目の前を歩いていた彼女は立ち止まる。


「ね」


 後ろの街灯が彼女に逆光を浴びせる。

 表情が、暗くて、よく見えない。


「もしも。わたしがまた、」


 真っ暗な顔で、彼女は低く、問いかける。




「──悪い魔女になったら、どうする?」




 ……これは、さっきまでと地続きの将来の話だ。

 そしてその答えを。

 決して、間違えて・・・・いけない・・・・


「その時は、」


 だから、迷わずに、答える。





「──ちゃんと、倒しに行ってやる」




 二、三歩と。小さく遠ざかっていく。

 街灯の真下へと入った、彼女は。

 光に照らされて、しっとりと微笑んだ。



「わたし。あなたの、そういうところが……嫌いよ」



 それは、〝嫌い〟なんて言うには、あまりにも柔らかすぎる表情で。


「知ってる」


 多分、俺も似たような顔をしていると思った。







 ──大丈夫。これはいつもの、ただの軽口の延長線上だ。


 たとえ、大丈夫じゃなかったとしても。

 今ここに積み上げた日常を壊さないことだけが果たすべきことで。

 そのための力はまだ、ここにある。


 だから。

 恐れることなど何もない。



 拳を握りしめて。

 アスファルトを踏みしめる。

 咲耶との間に空いた距離を、一足に詰める。


「ほら、さっさと帰ろうぜ」


 咲耶は、少し驚いたような顔をして。

 ふっと表情を緩めた。








「あ、待って。遠回りしてコンビニ寄ってもいい?」

「いいけど。何買うんだ」

「決まってるでしょ。今夜は、長くなるんだから」


 咲耶はにんまりと赤い唇を歪める。


「わたしはなにせ極悪なので、深夜にポテチとか買っちゃうのです。ついでに、言い訳が効かないほど庶民舌なので、コーラだって買っちゃうの」


 なるほど、それは確かに。


「世が世なら大犯罪だな」

「でしょ?」



 やはり。

 今夜は、眠れないらしかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る