第16話 食べ物には叙情性があるらしい。

 わたしがひとりでじたばたとしていると。


 さっきまでスマホをいじっていた隣の女の子がこちらをまじまじと見ていることに気が付いた。


 ……もしかして、一部始終見られてた?


 わたしは先程までの醜態を誤魔化すようにこほん、と咳払いをして、素知らぬ顔をする。


「なにかしら」


 いや。

 なにかしら、じゃないのよ。

 無理でしょ、ごまかせないわ。

 もうわたし、存在が痛い……。

 つらい……。



 赤い金髪の女の子は、ぱちぱちと瞬きをして、淡白に返す。


「いえ、知ってる人が隣にいるな、と思いまして」


 そう言って、彼女は自己紹介を始めた。

 寧々坂──その名前には、見覚えがあった。


「あなた、成績上位者にいなかった?」

「ご存知でしたか。照れますね。はい、勉強はそこそこ得意な方なのです」


 うちの学校は、それほど勉強に熱心ではないのだけど、上位の成績は張り出されるようになっている。

 わたしは上位者にぎりぎり掠る二桁位あたりを努力して取るようにしているので、毎回きっちり確認するのだ。

 ……今回、飛鳥の名前がないと思ったらズタボロになってたのは記憶に新しい。


 

 寧々坂芽々、と名乗った同学年の少女は言う。


「咲耶さんですよね。よく駅前の本屋でお見かけしてました」


 一方的に覚えられているのはよくあることだ。そうなの、と頷く。


「それで、もしや気が合うのでは、と思っていたのです」


 そう言って、寧々坂さんはさっきまでいじってたスマホを見せる。

 画面に表示されていたのは、電子書籍の一覧だった。


 本棚の開示。

 それは本読みにとって、何よりも雄弁で赤裸々な自己紹介だと思う。


 寧々坂芽々の本棚は、漫画、ライトノベル、サブカル、文芸、古典に至るまで、ひしひしとセンスを感じさせるものだった。


 というか、端的に、趣味が合う。




 うっ、と内心でたじろいだ。


 

 ──これは、あからさますぎる餌だ。



 わたしはわかっている。

 今更、「趣味が合いそうだから」という理由で、わたしに近づいてくる人間なんているものか。

 そうでなきゃ、五月になるまで友人を作ることに苦戦していない。



 だから、目の前の少女には目的があるはずで──、



 …………。




「……お話、してもいい?」



 気付けばわたしは、ほとんど素で答えていた。



 友達は、別にいなくても平気。

 それは虚勢じゃない、けど。


 趣味の合う誰かと好きなものの話をできるかもしれないという欲に、逆らえなかった。

 


 ほら、今さらロールとかどうでもよくない?

 いい気がしてきた。


 いえ、猫を被ったまま好きなものの話くらいできるわ、大丈夫。

 わたし別に、飛鳥の前以外ではばかじゃないもの。


 それに、他に狙いがあったとしても。

 相手はたかが普通の高校生だ。

 罠だとしても、かかっていい、いいよね、いい気がする。



「ええ、是非。お近付きになりましょう」


 寧々坂さんはニコリ、と微笑んだ。




 ……ああ、うん。

 気付いてしまった。


 わたしは、多分。



 ──根本的に、ちょろいのだ。




 




 そうこうしているうちに、注文が届く。

 運んできたのは幸いにして笹木君の方だった。


「ごゆっくり」と言われる。他人行儀な距離感が心地よかった。

 年下なのに落ち着きがあるのは見習いたい。

 わたしは最近ずっと浮かれてて、落ち着きがないから。自省。




 寧々坂さんはわたしの注文を見て、


「そういやクリームソーダのチェリーは、先か後かどっち派ですか?」


 と聞いた。


「え、最後……かしら? 大事に取っておきたいかな」

「なるほど」

 

 わたしはアイスをソーダの中に沈めた。


「あ、ドロドロに溶かす派。そっちですか」


「……も、もしかして、飲み方間違ってた? わたし、こういうの初めてで」


 シェイクとかラッシーとかと同じようなものだと思ってたんだけど、もしかして飲むものじゃなくて、食べるものだった……?


 所詮は元庶民なので、素で生きてしまうと品性が抜け落ちてしまう。

 せめてコーヒーにしとけばよかった!


「ああいや。違うんですよ。単に芽々が、食べ方に興味あるだけなんです。

 ほら、ものの食べ方って、性格が出ません?

 叙情的な食べ物ほど」


 『叙情的な食べ物』とはまた、なんというか。

 まるで飛鳥みたいな言葉選びをする子だな、と思った。


「食べ物に叙情性なんて、ある?」


「んー、 そですね。わかりやすく言えば。食べ物に付随した〝文脈〟を食べるって意味です。斜に構えた言い方ですけどね」


「ほら、料理の写真を撮って、SNSに上げるでしょ?」と芽々は続ける。


「ご飯を食べてるんじゃなくて、結構みんな、文脈を食べてるんだな〜、って思うこと、ありません? たとえば。カワイイものは美味しいし、エモいものは美味しいし、人と食べるご飯は美味しいし、推しが食べてたのと同じものは美味しい、とか。

 お腹がちっとも空いてなくても食べたくなるのが、〝意味〟だと思うのです」

  

 

 わたしは相槌を打つ。

 通じると踏んで話しているのだろうけど、初対面に話す内容にしては突飛じゃないか、と思う。


 まあ、わかるのだけど。


 文脈とは何か。この場合、コンテクストが意味するのは共通認識のことだろう。

 説明せずとも伝わる前提のこと。


「クリームソーダだと、『レトロかわいい』とか『ハイカラ』とか『あえて古いものに惹かれるのがカッコいいと思ってそう』とか、『エモいしか言えなさそう』とか、『逆にクソサブカル』とかが文脈ですかねー」


 寧々坂芽々は美味しそうにクリームソーダを飲みながら、嬉しそうに罵倒する。


「どうしてそんなこと言うの……?」

「当然、クリームソーダを愛してるからですが?」

「なに言ってるのかわからないわ」


 その愛、歪んでるわ。


「え、でも別にそんなにめちゃくちゃ美味しいってわけではなくないです? 人工甘味料味だし」

「え? 美味しいじゃない。メロン味」

「……ですね!」



 とにもかくにも。

 文脈とは『これってこういうものだよね』という、共有される認識のことだ。

 この場合は。



 わたしには、それが理解できた。

 それには魔女として馴染みがある。


 ──わたしの魔法は〝文脈〟を利用するものだから。




「もちろん、美味しいものは美味しいという大前提で。雰囲気にも味があるよねって話ですけどね」


 そしてやはり、彼女はどこか『似ている』と思った。


 口調はしっかりとしているくせに、どこか地に足のついていない話をするところ。


 寧々坂芽々は、アイツに少し似ているのだ。


 だから馴染むのかもしれない、とまで考えて。



 いや、わたしは別に。

 アイツが変なこと言うの好きじゃないからな、と思った。



 ……昔の彼は、変なこと言わなかったはずなのだけど。






 ◆






 隣の寧々坂さんと話に花を咲かせるうちに、夜も更けていく。


 そろそろ帰らなければ、と立ち上がったところで。

 飛鳥がわたしに声をかけた。


「ちょっと待ってろ。もうすぐ上がるから。送ってく」

「いいけど……別に、ひとりで帰れるわよ?」

「ひとりで帰るなよ。夜道だぞ。あの辺の道、真っ暗なんだから」


 飛鳥はしかめ面で言う。


 わたしは、その意味をしばらく考えて。


「……あなたって、もしかして──」





「過保護な母親?」  



「ハァ?」




 おまえバカなの?と顔に書いていた。

 失礼な。



「わかった。じゃあ、裏口のあたりで待ってるわ」

「そうしてくれ。すぐに行く」






 鞄を取りに行くと、寧々坂さんが引きつった笑顔でこちらを見ていた。


「あの、不躾な質問いいですか」

「なに?」



「咲耶さんは、飛鳥さんと付き合ってるんですか?」




 その、問いに。


 わたしは、



「まさか。そんなわけないじゃない」




 


 寧々坂さんはかくん、と首を傾げて。

「そうですか」と答え、それ以上は聞かなかった。





 ──聞かれた質問に、少しは動揺するかと思ったけど。

 

 微塵も照れる感情もなく。

 平然と答えられたことに安心した。


 わたしは片手で写真の入った端末、真っ暗な画面を握りしめる。



 ……そう。

 たとえ、わたしがどれほど彼に心を寄せようとも。




 ──そんな関係は、ありえない・・・・・のだから。


 絶対に。

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