第17話 真面目に生きてたのにボロが出る。
『送っていく』とは言ったが、その言い回しは間違っていたかもしれない。
と考えながら、バイト上がり、俺は急いで帰り支度をする。
送るも何も方向が同じなんだから、『一緒に帰ろう』と誘えばよかったのだ。
その方が友人としては正しかったし、そうすれば、咲耶もとんちきな返事をしなかったのではないか、と思う。
流石に「過保護な母親」呼ばわりは、無いだろ。
あり得ない。
そう言った時の咲耶の顔が妙に幼く見えたから、文句を言いそびれてしまったけど。
……最近、俺たちの関係が、間違っている気がする。
気のせいだろうか。
気のせいではないな。
流石にそろそろ、気付いてしまった。
やっぱり普通の友達は、三食を共にする約束をしたりしない。
家も隣だし……それもう、ほとんど一緒に住んでるのと同義じゃん。
冷静に考えたら気付いたわ。
俺は常識があるので。
──おかしい、こんなはずじゃなかった。
友達、というのはもっと健全な関係のはずで。
だからこそ、こうなるのが「最も冴えた解決」だと、少し前の俺は判断したのだ。
しかし。
正式に友達になってから、まだ五日しか経ってないというのに。
あまりにも──壁が、崩れるのが早い。
……アイツ、好意がだだ漏れじゃないか?
咲耶は思っていたよりも常識がある、ということが判明している。
常識とは、思考の型になるものだ。
役割の型を丁寧にロールする咲耶が、
「刺々しい態度を取らない/親しげな態度を取る」
という常識をトレースするのは、当然の結果。
だが、その途端に……隙だらけになり過ぎていると、思う。
なんだよ。「来ちゃった。えへへ」って。なんなの。は?
もう態度がフワッフワだろうが。食パンか?
先週まで全力で煽り散らしていた相手にする顔じゃないだろ。
まじで何考えてるんだアイツ。
……いや、何を考えているのか。
まったくわからない、というわけではない。
なにせ──二年前、あいつが俺のことを「好きだった」というのを、知っているのだから。
何故、それを知っているのかというのは簡単で。
本人の口から、聞いたからだ。
『わたし、ね。昔……あなたのこと、好きだったのよ』
と。
あの時は、現世に帰ろうとしてることがバレて異世界の奴らに追われるわ、なんとか逆転移が成功したはいいものの空から墜落するわで、わりとズタボロになっていたし、お互い意識が朦朧としていたからか。
彼女は、言ったことを覚えていなかった。
俺も、正直本当にそれを聞いたのかは、確証がない。
もちろん事実だとしても、それは今は関係のない話で、あくまで過去形の告白だと重々に認識している。
だから、聞かなかったことにして素知らぬ顔をしているが──別に俺は、鈍感ではない、はずだ。
勘は、いい方だと思う。
クリームソーダの一件も、「そういう話が寧々坂芽々は好きそうだ」と踏んでのことだ。
「好きだけど流石にそれはねーです」が返答だったあたり、失敗だったのだが。
なるほど、あれは「間違い」なのか、と記憶に刻み込んだ。
次は間違えない。
だから直感である程度は、わかる。
──彼女が、どうあがいたって俺に好意的であることも。
──それ以上に、〝好意ではない感情〟を抱かれていることも。
だが。
それに向き合うには、まだ。
俺たちには、
そんなことを考えながら、裏口の戸を押し開いたせいか。
よく磨かれた金属製の扉が、重いように感じた。
◇
裏路地。
閉店間際のこの時間は、表の通りも閑散としている。
俺が裏口の扉を開けると、咲耶が路地でしゃがみ込んでいるのが目に入った。
喫茶店に来た時から彼女は私服で、黒いワンピースの裾が地面につかないように、器用に屈んでいる。
何をしているのかと、目を凝らすと、どうやら野良猫と戯れているらしい。
「んー、おまえ、わたしを怖がらないのね。黒猫だからかしら? 魔女は黒猫を連れるものだものね。ほんとは犬派なんだけど……ふふ、悪くないかも」
ふわふわとした声で、猫を愛でる咲耶。
「おまえ、うちの子になる? ……んん、流石に意思疎通はできないか……。いいなぁ、わたしも、どうせなら箒で空を飛ぶタイプの魔女になりたかったわ」
いや、めっちゃひとりごと言うじゃん。
あたま食パンか?
俺はしばらく、その様子を眺め……とりあえず、写真を撮ることにした。
カシャリ、とシャッター音。
咲耶が勢いよく振り返る。
「な、な…………!?」
驚愕と羞恥の表情になっていく咲耶を尻目に、写真を確認。
「おお。最近の携帯電話ってすごいな、綺麗に撮れる」
「未だにケータイ呼びなの!?」
スマホ? スマホか。そうか。携帯ってもう言わないのか。でも携帯電話の方が良くない? 四字熟語だし。漢字が四つ並んだら全部イカしてる。
「ていうか、なんで撮ったの!?」
「友達の写真撮るのは普通だろ」
「理由聞いてるんだけど!」
「いや、かわいかったから」
「…………っ!??」
「猫が」
「…………そうね!」
「ちなみに俺は猫派だ」
「いつから聞いてたのよ!」
などとうるさくしていたら、猫が逃げた。すまん。
咲耶は、ずい、と俺に近付く。
「あのね、飛鳥。いいこと?」
うわ、顔近い。
真剣な表情で、彼女は片目に俺を大きく写して、言う。
「──この世にはね。急に写真撮られると魂が抜ける人種が、いるのよ」
「は?」
睫毛長いな、とか考えていたから、何言っているのかわからなかった。
「どゆこと?」
「猫被ってる時は撮られてもいいけど、わたしの素は、撮られてもいいようにできてないんです! ので、その、急に撮られると……困る!」
なるほど、力強く情けないことを言っている、というのは理解した。
「大丈夫、おまえは美人だよ」
「えっありがとう……じゃなくてぇ!!!」
なんだ、情緒の忙しいやつだな。
「消して!」
「やだ」
「やだ!?」
「ちゃんと咲耶にも写真送るからさ。連絡先交換しようぜ」
「あっようやく言った! する! けど!! 写真は消してくれないのね!?」
「だって、それは公正じゃないだろ。俺は撮られたのに」
「あんたは自分から撮られに来たじゃない!」
「はぁ? おまえがカメラ向けたからだろ」
「それは、その、ごめん……」
「なんで謝ってんの?」
「うぅ……!」
頬を両手で覆う咲耶。
暗い中でも、赤くなっているのが見えていた。
羞恥のポイントが謎だ。
「わ、わたしも……写真消す、から……」
「? わざわざ撮ったものをなんで消す必要が?」
「価値観の相違だわ!」
どうやら、根本的に写真というものへの向き合い方が違うらしい。
「とにかく消しなさいってば!」
とうとう俺の携帯を、咲耶がひったくろうとしてきたので、とりあえず避ける。
「わかった。こういう時は、アレで決めよう」
友達の定義を詰めた時に、揉め事に対してのルールも定めてある。
大抵は話し合いで解決する。というか、話し合いで勝ち負けを決める。
つまり、納得した方が勝ちを譲る、ということにしてある。
だが、それができない今回のような場合の時は。
──厳正なるジャンケンで決める、と。
頷き合う。
「いくぞ、覚悟はいいか」
「ええ、どこからでもかかってきなさい」
特に納得できる理由もなく写真を消して欲しい咲耶と、特に正当な理由もなく写真を残したい俺の、戦いの火蓋が、今、切って落とされようと──
「いや、待て」
「ちょっと待って」
ジャンケンを始めようとして。
お互い、最初のグーで固まった。
「……おまえ今、魔法で俺の出す手を変えようとした?」
「……あんた今、動体視力と反射神経で、後出ししようとした?」
…………。
「チッ卑怯者め」
「お互い様でしょーが!」
ふしゃーーっとする咲耶。
でかい猫だな、と思った。
「まあでも、お互い妨害しあって条件は同じっていうか? 逆に公正なジャンケンになってる、のかしら……」
「あ」
「えっ何、なんか思いついたみたいな声出して」
さっきまで出していたのは、何もない左手の方だった。
それをわざわざ右に変える。
「こっちの手だと、おまえの魔法が効かないこと思い出した」
「…………」
咲耶は、無言で、俺を見て。
「ずっるい!!!」
くわっと目を見開いた。
「公正な勝負はどうしたのよ!」
「ハッ、知らないのか。人間は……負けたら死ぬんだぞ」
「いつジャンケンに命を賭けたの!?」
「人生は常に命懸けだからなー」
「あたま異世界か!? いや、正々堂々って大事だと思うのよわたし!」
魔女が『正々堂々』とかお笑いぐさだな。
フッと小馬鹿にして笑う。
「悪いが、俺は勝ちを選ばない!」
「ふざけんなぁ!」
「そっちがその気なら、わたしだって!」と、咲耶は眼帯を外す。
光る左眼、赤い粒子が飛び散った。
いやもう、これなんの争い?
いいか。なんか楽しくなってきたし。
──そう考えたのが間違いだったと、数秒後に思い知る。
無駄に熱くなったせいで。
それぞれが一歩を踏み出し、腕を伸ばし、物理的な距離感と勢いを見誤った。
その結果は、互いに出した手の
俺の右手と、赤い粒子を纏った咲耶の肌が、僅かにほんの少しだけ、掠めた。
──しまった、と思ったのも束の間。
「……え」
バチッと、赤と青の閃光が弾けた。
瞬間、目が眩んだ。
秒にしてコンマ一秒もなかっただろう。
けれど不意打ちの衝撃に、一瞬、意識が断絶したような気がする。
視界が晴れて、まず、彼女を見て──愕然とした。
「いったぁ……、何、今の……」
路地に尻餅をついた彼女は、おもむろに頭に手を当てて、さっと青ざめた。
それも、そのはず。
──彼女の頭部には、捻れた〝角〟が生えていたのだから。
現世に帰って消えたはずの、〝魔女〟の証であるそれ。
服装は現代のままなのが、恐ろしいまでの違和感を伴っていた。
だが、彼女はすぐにこちらを見て
声を震わせた。
「あんた、それ……」
ああ、わかっている。
こちらも、気付いている。
握り締めた拳の包帯が解けている。
露出しているのが肌色ではなく、金属の鈍色なのは、今はいい。
今、気にするべきことじゃない。
問題は。
──何故か、今、俺が〝剣〟握りしめているということ。
現世ではとっくに呼び出せなくなったはずの、異世界の〝聖剣〟が、手の中にあるということだった。
立ち上がった咲耶が、一歩、後ずさる。
「……どういうこと、なの」
そして、間が悪いことに。
丁度そのタイミングで、裏口のドアがガチャリと開く。
出てきたのは、例の幼馴染二人だった。
「えっ」
「あら」
「うぇっ」
「げ」
丁度帰るところだった笹木と芽々と、裏路地で鉢合わせる。
異世界の証拠をばっちり目の当たりにして。
……現世、もう駄目だと思った。
誰だよ、人生そろそろ全部上手くいく、とか舐めたこと考えたのは。
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