第15話 わたしはあなたの姿を目で追う。
◆
「なんで来た?」
喫茶店の扉を開けるなり、わたしを出迎えたのは飛鳥の渋面だった。
なんで来たのか、ってそれはもう。
「あなたがちゃんとできてるか……というのは、実はそんなに心配してなくて。友達のバイト先に行くって、憧れてたの。えへへ」
飛鳥は無言で面食らったような反応をした。
「あ、もしかして嫌だった?」
「いや。驚いたけど、平気だな」
「そうよね。あなた、昔はお客が同級生だらけのファミレスでバイトしてたし」
「……」
沈黙。
「どうしたの?」
「……いや、そんなこともあったなって」
その頃、わたしは令嬢ロールに全力だったので「ファミレスなんて全然行きません」という顔をしていた。
ので、結局日南君が働いている時には一度も行けなかったのだ。
今思うと惜しいことをした、本当に。
だから今度は同じ失敗はしない……!
と、心に決めた。
今のわたしはただの文月咲耶。
日南飛鳥の友人なのだから、バイト先に突撃するくらいわけない。
『友達』の肩書き、それは結構免罪符。
「でもなんで来ちゃうかなぁ……」
「えっ」
なんだか反応がおかしい。
バイト先に来られたのが嫌なんじゃなくて、本当に何かよくない理由があるかのような。
「おまえ、夕飯食いに来たんだろ」
「ええ」
わたしは平日は、夜ご飯が遅くなりがちだった。
なにせ、ひとり暮らしは五月から始めたばかりでまだ慣れていない。
一応、実家はお手伝いさんとかいる環境だったので、実は結構家事がボロボロだったりする。
あれは魔法でなんとかなるものでもなかった。
今日も全然、片付けが終わらなくて
結局諦めて途中で放り出してきた。
……昨日、飛鳥を家に連れ込んだ時は綺麗だったのだ。(連れ込んだって言い方、なんか違う気がする)
でも、その後諸事情あって散らかしてしまった。
ほら、一緒に夕飯を作る約束をしたということは。
………………その度に、衣装が必要じゃない?
それは料理ができるほどにラフな格好でなければならないし。
けれどちゃんとしていない格好を見せるなんて、わたしはごめんだし。(たとえ、あいつの私服のセンスは破綻していたとしても!)
かといって、気合を入れすぎているとは思われたくないし……。
と、悩んで深夜まで、ああでもないこうでもないと服を取っ替え引っ替えしていたら。
当然のように散らかった。
ふふ。浮かれ過ぎてて恥ずかしいわ、わたし。
存在が。
と、数秒意識を飛ばしていたら。
「あのな咲耶。この店にはな」
飛鳥が神妙な顔でわたしに言う。
「カレーしかないんだ」
「……え?」
なんて?
「この喫茶店はカレー好きのマスターのこだわりで、飯のメニューはそれしかない。飯時は、完全にカレー屋として周りから扱われている」
「…………」
なるほど。
どうりでコーヒーの香りと一緒に、なんだかスパイスのいい匂いがすると思った。
「え、わたし今日もカレー?」
土日にしこたま作ったのに?
「そうだよ。だから『なんで来た』って言ったんだよ」
事前に言ってくれれば教えたのに……と飛鳥が哀れみの目で見た。
連絡、相談は大事だと身を以て知る。
ご飯がカレーしかないだけで、デザートの類はきっちりとあるらしい。
それを夕飯代わりにする、という手もあるけれど。
それはいけない。
──なぜなら。
わたしは覚悟を決める。
「大丈夫。心をインドにすれば何も問題はないわ」
この前見たインド映画を脳裏に思い起こして、精神統一。
合掌。
わたしはカレーが大好き。(自己暗示)
「よし」
ととのった。
「よしじゃねぇよ。今おまえの後ろに一瞬インド見えたわ。なんでだよ。才能の無駄遣いだなおい」
◆
カウンターの席に着く。
隣の席には、
同じ学校の生徒だ、と気付く。
小さくて驚くほど可愛い。
ちょこんとカウンター椅子に腰掛けたさまは、まるでドールのようだと思った。
つられてわたしも、彼女と同じクリームソーダを飛鳥に注文する。
店内で、目が合った笹木君に会釈する。
彼は遠距離から愛想よく、お辞儀を返した。
同級生の笹木君とはこの程度の関係だ。
笹木君には、放課後の一幕を見られたけれど。それについて、わたしはノーダメージだった。
何故かというと、笹木君には元々わたしが昼休みに屋上に行っているのがバレている。
四月、まだ周りの目が厳しい時期に偶然見られてしまったのだけど。
『黙っておくよ』と言われて、笹木君はそのまま本当に秘密にしてくれていた。いい人だ。
なので多少、飛鳥と一緒にいるところを見られたとしてもどうということはない。
……まぁ、彼といる時はよそ行きのロールを保てていないのだけれど。
今更イメージを守ったって仕方ないところもあった。
処世術なのでそれでも猫は被る。
注文が届くのを待ちながら、わたしは頬杖をついて飛鳥をそっと目で追う。
わたしの後からぽつぽつと客が増えてきたので、彼がわたしに構うことはないだろう。
友達が働いている姿は、日常の範疇の非日常って感じでいいなと思った。
こういうのでいい、と思う。
こういうのがせいぜいの範疇の非日常でいい。
窓の向こうで倒れてるとかそんな非日常はいらないです。
……それにしても。
喫茶店の制服が似合うなと思う。
後ろ姿を見ているだけで飽きなかった。
彼はあまり、人に外見の印象を残さない。
多少は目立つ見た目になった今でも結構、存在感が薄い。
わたしとは真逆だ。
どうあがいても目を引くから、見られることを前提に猫を被ることにしたわたしとは。
日南飛鳥は、どこでも自然と馴染んで記憶にさして残らない人間だった。
少なくとも当たり障りのない話をしている限りは。
多分、教室でひとりポツンと居るのはその特性のせいが三割くらいあると思う。
地味、なのかもしれない。
特に昔の日南君は、眼鏡をかけていたし背も低かったから、周りに紛れがちだった。
それは実のところ「何の印象や違和感も残さないほどに、見た目が整っている」という意味だと。
わたしは昔から密かに気付いていた。
──いや、恋愛感情特有、盲目の節穴かもしれないけど!
そのことに気付いているのはわたしだけ。
わたしだけだといいなぁ……。
わたしだけだといいんだけど、多分そんなこともないんだろうなぁ。
よく見れば気づくもんなぁ……。
と悶々とする。
今は視力がいいから眼鏡もないし、身長もとうにわたしを追い越してしまっている。
異世界ボケさえ治ったら、まともに女の子に相手にされるのではないだろうか。知らないけど。
別に、
……想像すると少し、腹が立つかもしれない。
別に嫉妬とかでは、ない。
ああでも。やっぱり似合っている、と溜息を吐く。
「一生制服着てればいいのに……」
変な私服着るのやめろほんと。
と、思った時。丁度飛鳥がカウンターの近くへと来ていた。
わたしは気が付けば、スマホを取り出してカメラを起動していた。
……静かに気付かれないように、立ち姿にピントを合わせる。
ふと、飛鳥がこちらを振り返る。
わたしはびくりと、肩を震わせる。
飛鳥はカメラ越しに「ハァ?」という表情をした後。
ちょっと考えるように一瞬真顔になって、にかっと笑ってみせた。
──わたしは脊髄でシャッターボタンを押した。
「いや、なんで今笑った!?」
「カメラ向けられたら笑うのは常識だろ」
「それだけ!?」
「それだけだけど?」
ごく当たり前のことを言うように、そう答えて。
何も気にしていないように、飛鳥はそのままカウンターを離れる。
わたしは唖然としてスマホを握りしめたまま──ようやく、我に返った。
……いや、そもそもなんで撮ってるんだわたしは!?
完全に、魔が刺した。
未遂だけど「隠し撮り」だった。今のは。
わたしはカウンターに突っ伏す。
あぁぁ……やっちゃった……やっちゃった!!
こんな、こんなはずでは、こんなことをするはずじゃなかったのに!
ぐるぐると渦巻く感情を抑え込む。
だって、今のは言い訳がつかない。
今のは〝友情〟なんて範疇じゃない。
悪質な恋愛感情の〝名残〟が、先走っていた。
往生際が死ぬほど悪いわたしでも認めざるを得ないほど、完全に。
わたしは罪悪感に苛まれる。
隠し撮りくらい別にいいじゃない、と言う
でも理性を担当する
なのに、まったく無意識で、躊躇なくやらかしていた。
……それがどうしようもなく、恥ずかしい。
昔はどんなに欲しくても、正攻法で撮られた日南君の写真しか入手したことがなかったのに。
……いや手に入れてるじゃん。気持ち悪いなわたし。そういうところよ。
まあ昔のスマホとか、異世界で木っ端微塵なのだけど!
あれ、でもバックアップとか残ってる気がする。
残ってるかな。そういや確かめてなかった、残ってたらいいな……じゃなくてぇ!
ああ、もう。
……認めるしかない。
あるのだ、わたしにはどうしようもない悪癖が。
ストーカー気質、とでも呼ぶべきものが。根暗だから。
いや、全世界の正しく生きる根暗に失礼。ごめんなさい。
わたしは所詮、わざわざ隣に越してくるし、無意識で隠し撮りをしようとするような痛い女だった。
監視だ心配だ友達だと理由をつけても。
──
スマホを抱えたままがくりと、首を落とす。
もうだめ……わたしはわたしの、こういう
うう、とスマホの画面を見る。
写真は……消せない。
でも、直視もこわい。
どうしよう。
はーー、と息を吐いて吸って、覚悟を決めて、確認する。
画面の中、切り取られた彼の笑顔。
けれど。
それを見た時、自分でも驚くくらい、スッと脳が冷えた。
ほんのりと暗い店内の中でも鮮やかな、彼の両眼。
絵の具をぶちまけたような瞳の青色を、写真は現実よりも強調していた。
──なんだ。昔と、全然似てないじゃない。
その青を。指でなぞり、画面を爪でガリと引っ掻く。
浮かされていた熱が冷めていくことに、少しほっとして。
けれど、それ以上に真っ黒な気持ちが湧いて、唇を噛んだ。
口紅と血の味がする。
けれど。
やはり、わたしの唇に傷が残ることはないのだ。
──彼が二度と、眼鏡をかけることがないのと同じように。
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