第14話 クリームソーダを論じる。
「それでは〝試験〟を始めましょう」
作ってきたばかりのクリームソーダを前にして、寧々坂芽々は言う。
喫茶木蓮のクリームソーダは、古式ゆかしい、ひねりのない一品だ。
白い皿の上に、乗った緩やかなカーブを描くグラス。中はたっぷりと氷と透き通った緑の液体で満たされ、半円のバニラアイスで蓋をされている。
そしててっぺんには、シロップ漬けの赤いサクランボが乗っている。
芽々は長いスプーンでサクランボを指し示し、試験内容を告げる。
「このチェリーを、食べるタイミング。
それは、最初でしょうか、それとも最後でしょうか?
それを、答えてください」
なんだそれ。
「それは試験っていうより」
「ええ、心理テストみたいなものです。
芽々が知りたいのは、『貴方と気が合うかどうか』なので。
飛鳥さんが何をどう見て、考え、感じるのかということを知りたいのです」
それはまた。
不思議というか、面倒なことを言う。
だが、深く狭い人間関係を求めるには、利に叶っているのかもしれない。
俺は広く浅くがいいです。本当は。
「ま、軽く決めていいですよ」
要は『ショートケーキの苺をいつ食べるか』という雑談と似たようなものだろうか。
だが、芽々は気になる念押しをする。
「──でも、しっかり考えてくださいね」
俺は、芽々の意図を数秒、考えて。
「最初だな」
と答える。
「ほほう。その心は?」
品定めするように、芽々は眼鏡の奥で翠眼を細めた。
やはり『考えて』というからには、理由が肝らしい。
そこはもう、想定通り。理由はちゃんと用意してある。
「まず、前提として。〝このサクランボに自我がある〟とする」
「待って」
慌てたように話を遮る芽々。
「ま、え? いや、いきなり何言ってんだてめーですよ」
「なんだよ。聞いたのはそっちだろ。最後まで聞けよ」
「おかしいでしょ」
芽々は絶望的な表情をした。
「いやだから、サクランボに自我があるとするじゃん?」
「
一寸の虫にも五分の魂、サクランボにも一分の自我。
芽々は眉間を揉んだ。
「……お題を選んだ芽々が悪かったですね。諦めます。続きをどうぞ」
促されたので、弁論再開。
俺はサクランボを指差す。
「
「そうですね。無いとなんとなく物足りないですよね、わかります」
芽々はこくこくと頷く。
「俺は来世がサクランボなら、将来はクリームソーダの上に乗りたい」
「は?」
「シロップ漬けサクランボ界ではクリームソーダの上は人気の就職先だ」
「頭メルヘンか?」
丁寧語が消えた。
なんで。
「つまり、クリームソーダの要を担う
──と、ここまでが序論である。
「うううん?」
首を折れそうなほどに曲げて唸る芽々。
「前提も仮定もおかしいんですよ。なんなの〜?」
「もしや通じてない、のか?」
「いや、わかります論理は。わからないのはおまえです」
「貴方」が「おまえ」になった。
ごりごり失点を重ねている気がする。
おかしいな。
俺はただ、求められたことを求められたようにやっただけなのに。
まぁ、通じているなら問題ないだろう。
気を取り直し、続きだ。
「これまでの前提、仮定を踏まえて。
もしサクランボを『最後に食べる』とすると、まずはどうする?」
「そうですね。まずは落っこちないように。グラスに敷かれたお皿の上にチェリーを置きます」
そう言って芽々は実際にやってみせて、サクランボ抜きのクリームソーダを手に取った。
グラスにはシンプルな緑と白(ちょっと溶けかけ)のみが残っている。
「じゃあ、ここで前提の見直しだ。
俺は、サクランボがクリームソーダの大事な構成要素だって言ったけど。
実のところ、なくっても〝クリームソーダ〟という『存在』は成り立つんだよな」
「たしかに。上にチェリー乗せない店もたくさんありますよね」
芽々は頷き、アイスの部分を掬ってひと口食べる。
サクランボは受け皿の上にぽつんと置かれてたまま。
主成分は、あくまでアイスクリームとソーダだ。
「そう、皿の上に除けられる。その時点でもう、サクランボはクリームソーダから除外されているわけだけど。
こいつが、ようやく食べられる最後のときには。グラスの中は
芽々が手を止めた。
「クリームソーダの『存在をたらしめる主成分』はもうどこにもない。
そうなると。
皿の上に残されたこいつは、クリームソーダの要素なんかじゃなくて。
──もはや〝ただのサクランボ〟じゃないか?」
かちゃり、とスプーンを置いて、芽々は視線で俺の言葉を促す。
「つまり、『己が〝クリームソーダ〟の一部である』という、自我の崩壊だ」
店内のジャズ曲だけが流れるシン、とした空気の中で。
「あのですね」
芽々が、深々と息を吐いた。
「人間は、チェリーの自我に共感できるようにできてないんですよ? 飛鳥さん」
「ただの仮定だよ。サクランボに自我があるわけないだろ。あったら怖いわ。なに言ってんの?」
「は? マジでどの口で言ってやがるですか。おまえの来世梅干しの種な。今呪ったんで覚悟しとけよ」
「くそっ、白米の上に乗るしかない」
芽々はざくざくと、アイスとソーダの間の凍った部分を食べながら、流し目を俺に向ける。
「でも、言ってることはギリギリわかります。
芽々たちが好きなのはあくまでクリームソーダで、チェリー単体ではない。
だから、最後にぽつんと残されたチェリーに『意味はない』ってことですよね」
「そう。紆余曲折を経て、念願叶い〝クリームソーダ〟となったこのサクランボは、その結末を良しとするのか? いいや、しないだろう」
「そうですね。そうかなぁ……」
結論。
「だから『一番初め』に食べる。
そいつがクリームソーダの上に乗っているうちに。
それが紛れもなく一部であると証明できるうちに。
──そいつがそいつであるうちに」
そして。
芽々はゆっくりと瞬きをしながら、俺の答えを吟味する。
「──いいでしょう。『合格』です」
ソーダをくるりとひと混ぜする。
「認めるのは癪ですが。貴方の答えはエモーショナルだと思います。正直、芽々はちょっとかなり好き。
……
「それは君が言うか?」
先に妙な会話を仕掛けたのはそっちだろ。
俺はむしろ芽々に合わせただけだ。
「いや、釈然としねー」と芽々は頬を引きつらせた後、
「ですが」と、人差し指を小さな顎に当てた。
「その論理で考えると、芽々の答えは飛鳥さんとは真逆になりますね」
真逆。それでも『最後に残す』ということか。
「なるほど?」
理由はなんだ、と相槌を打つ。
芽々は、グラスに付いた結露を指でつつ、となぞりながら語る。
「たとえ器の中身が空っぽになっても、ソーダ一滴残らずとも。乗せられたその時から、このチェリーは〝クリームソーダ〟の一部です。
それは揺るがない事実だと、芽々は知っている」
皿の上のサクランボをつついて、芽々はいたずらっぽく俺を仰ぎ見た。
「──そう考える方が、エモいでしょ?
だから芽々は、最後に食べることにします」
俺はその答えに、なるほど、と頷いて。
「さては、情趣のわかるやつだな」
「なんでもないことに『素敵』を見出すのが、上手に生きるコツですからね」
「俺、やっぱり芽々のこと好きだわ」
「それはどうも。両思いですね、飛鳥さん」
眼鏡の奥で目を細めたまま。
顔色ひとつ変えず、芽々はしれっと返すのだった。
「あと芽々、シンプルに、好きなものは最後に取っておくタイプなので」
「あれ……もしかして、聞かれてたのってそんな単純なことだった?」
「そうですよ。言ったでしょ『心理テストみたいなの』って。誰がいきなり『自我を論じろ』と言いましたか。誰だよ。おまえだよ。おまえが勝手に始めたんですよ。まじ意味わかんねー反省しろですこのアニミズム野郎」
めちゃくちゃ早口で詰られた。
「ごめん」
現世、難しいな。
「ま、それはともかくとして。どうぞこれからもよろしくお願いしますね、飛鳥さん」
そう言って芽々は握手を求め、小さな右手を差し出した。
「ああ」
俺は自然と握り返そうとして、手を止める。
右手には、今は薄い手袋を嵌めているが。
その下は、いつも通りだ。
「 ……いや、今どき握手なんてしないだろ」
「そうですか? ま、いいですけど」
芽々は気にした様子もなく手を下げた。
「あ、そうだ。今スマホ持ってます? 業務中だから持ってない、ですか。では後で友達登録しましょう。ふふ……死蔵のスタンプ、送りまくってやりますよ……!」
「秘蔵じゃなくて死蔵なのかよ」
「飛鳥さんのトーク欄なんか、使い道のないスタンプの墓場で十分です」
あ、そういや咲耶と連絡先の交換、まだしてなかったな。
ケータイをあまり使わないから忘れていた。
アイツの電話番号は一方的に知っているんだが。
などと話していると、ようやく奥から笹木が用を終えて出てくる。
「あ、芽々じゃん。来てたんだ、って……」
笹木は俺と芽々を見比べた後。
穏やかな顔立ちに、険しい表情を浮かべた。
「……芽々、さては日南を困らせてただろ。ごめんな日南。こいつ、気難しくて」
「うわっ
マコ……?
あ、笹木の下の名前、
芽々の反論に、笹木は短い眉をひそめた。
「いや、日南がそんなことするわけないだろ。多分。……しないよね?」
笹木はいいやつだな。
俺は力強く頷く。
「ああ、しない」
「は? なんですかこいつ。覚えとけよ」
「それより、」
気になることがある。
「二人の関係はなんなんだ? なんか、兄妹みたいに見えるけど」
ああ、と頷いて、笹木と芽々は同時に互いを指を差した。
「こいつは、幼馴染で」
「ついでに、親戚です」
合点がいった。
というか、笹木の『幼馴染』って。
「そうか、芽々……おまえ、ひとんちに窓から入ってくる人種だったのか」
「なんですかそれ」
「いや、納得した」
おまえも大変だな、笹木。
◇
と、その時。
カランカランと音がした。
しばらく客足が途絶えていた喫茶店の扉が開く。
午後八時半。そろそろまた、波が来るか。
客を迎えようと頭を切り替え、振り返る。
「……げ」
扉を開けたのは、咲耶だった。
制服ではなく黒のワンピース姿。
彼女は俺の姿を見た後、笹木たちの存在に気付き、よそ行き用の微笑みを見せる。
そして唇だけを動かした。
「(来ちゃった)」
俺は微妙な心持ちで、いらっしゃいませ、と返す。
いや、なんで来たんだよ。
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