第10話 醜態を晒した自覚はある。


 気がつけば咲耶の家にいた。

 なんで?


「うわっ、チョコレートが粉々」


 バキバキになっていた板チョコが半分くらいなくなっていること、口の中に甘みが残っていることから推察。

 どうやら意識が朦朧としていたらしい。


 入ったこともないのにここが「咲耶の家」だと認識しているあたり、記憶には残っているんだろう。

 俺はソファの上でこれまでの経緯を遡り、


「………………」


 割とすぐ、全部思い出した。




「腹切って詫びるか……」


 ものすごい醜態を晒した。

 もう死ぬしかない。

 ここが往生際だ、とソファの上で姿勢を正し、


「いや、剣がないわ」


 そうだよ。

 もうないよ。聖剣とか。


 やべえ。今完全に異世界ボケしてた。







 俺の独り言を聞きつけたのか、台所の方からぱたぱたと足音がする。


「その様子だとようやく頭にカロリー回ったみたいね。人語、解せる?」


 咲耶がこちらへとやって来る。


 家で見る彼女はいつもとはまったく違う雰囲気だった。


 シンプルなパンツルック。

 長い髪は下方、横流しに束ねている。

 すらりと長い足がエプロンの下から伸びていた。


 制服姿とも魔女らしいワンピースとも違う。

 休日の、力を抜いて人に会うための装い。


 飾り気はないが、それが返って素材の魅力というものを引き立てていた。

 涼しげな美人とでも言おうか。



 ──端的に言って、どきりとした。



 ほとんど起き抜けみたいな頭には強すぎる刺激で、動揺しながら彼女をまじまじと見る。


 咲耶は仁王立ちし、冷ややかな眼差しで微笑んだ。



「──何か、言うことは?」



 言うこと。

 その髪型とエプロン、めちゃくちゃいいと思──ではない。


 ではない。


 正気に返った。

 それどころではなかった。




 俺はソファの上で正座したまま頭を下げる。


「誠に申し訳ない」


 どう考えてもぶっ倒れた俺が全面的に悪い。風情で飯は食えなかった。

 礼を尽くして詫びるしかできることがない。


「人体の脆さを完全に忘れていました」


 あれ、地べたの方がいいかな。でも地べただとやりすぎて逆に嫌味な気がする。

 冷や汗を流して塩梅に悩みながら、咲耶の処断を待つ。


 咲耶は腕を組んで、こくこくと頷いていた。


「そうね。あなたの言うこともわかるわ。ファンタジー補正強かったものね、この二年。土手っ腹に穴が空いても死なない世界で生きてたもの。幻想濃度高い異世界ってすごーい!

 でも、現世はそんなことないから。タマひとつ腹に食らったら死にますからね、うつし世は。飯抜いても死ぬのよ」


 語彙が咲耶にしては上品じゃない。これは確実に怒っている。


「その……この借りは必ずや」


 くい、と顎を上げたままこちらを見下ろす視線。


「別に、返さなくていいわ。──借りならわたしのほうがあるし」


 そうだろうか。

 貸し借りなど、ありすぎてお互い正確に把握できていないが。


 ──借りがあるのは、こちらの方だ。



「まぁ、この件についてあまり責めるつもりはないから。給料日前でどうしようもなかった、という事情は考慮します。あなたにはあなたの事情がある。わたしがそれに対し、どうこう言えることはない。けど」


 咲耶は、眉を下げて。



「……助けのひとつも求めてくれないのは、寂しいわ。友達なのに」



 か細く言った。



 ……ぐさりと刺さる。


「すまん」


「まったく。二度目はないんだからね!」


 なんかもう。

 彼女の性根がどれだけ良いかを思い知らされた。







「それで、その。話があるのだけど」


 正座したまま俺は頷く。


「ええと。カレーに、具を追加したんだけど、ね?」


 咲耶はしどろもどろに、視線を彷徨わせ。


「……なんか、入れすぎて味がボケた。水っぽいし酸っぱい……助けてぇ……」


 仁王立ちから一転、表情がふにゃふにゃになる。


「おまえ……」


 なんでそんな一気に崩れるんだよ。


「何よぅ。あなたに『助けを求めろ』と言った手前ですからね、わたしは実践するわ。あなたとは違うので。あなたとは違うので! 文句ある!?」


「いや、えらい」

「舐めてんの?」

「感動している」

「棒読みなのよ」


 本心なのに。


「正直、とっても情けないけどね! でも不味いもの食わせるよりマシなのよ!!」


 やけくそ気味に背を向けた、咲耶の後を追う。


「俺は、おまえのそういうところが割と好きだ」

「……!? いや、褒めてないでしょ! 褒めてないわよね今の、っていうかあんた、さてはまだ頭回ってないな!?」



 開き直った後のその素直さが、俺にはない美徳だと思う。


 やっぱり。

 捻くれた悪人の代名詞みたいな〝魔女〟なんて。

 彼女には、向いていない。






 さて、台所。

 鍋の中身を見せられる。

 ちょっと赤みがかった普通のカレーに見える。


「……これ、なんとかできる?」


 言われるがまま味見をする。

 確かにトマトが強い。


「十分美味しいと思うけどな」

「お世辞はいいから」


 本心なのに。


「あー、とりあえず……甘味とバターと小麦粉、でなんとかなるか?」

「……あんたって、料理できる人よね。なんで?」

「別にできるって程でもないけど。ばあちゃんに最低限は仕込まれてるから」

「へぇ〜。そうなんだ」


 相槌の声音が、なんだか嬉しそうだった。

 不思議そうに見る。


「いや、飛鳥っておばあちゃん子だったんだな〜って。あなた、全然自分のこと教えてくれないじゃない? わたし、あなたがどんな人でどんなふうに育ったかなんて知らないもの。それがちょっと知れてうれしい」


「それはお互い様だと思うけど。……まぁ、友達だし」

「そっかー。友達かー。ふふ」


 咲耶はにこーっと笑う。

 身体もわずかに跳ねて、束ねた髪が揺れた。


 ……あ、もしかしてこいつ。

 今日はすごく機嫌がいいな。

 というか、元々機嫌がよかったから、「カレー食べる?」しに来たのか。

 俺の存在が機嫌を損ねていただけで。

 まじか。申し訳なさが更に上がる。


 よくわからないけど機嫌直ってくれてよかった。

 ありがとうばあちゃん。

 激辛カレーばっかり作るファンキーな祖母だったけど。

 おかげで俺は甘党かつ辛党というわけのわからない味覚になってしまったけど。

 今度まんじゅうと激辛のカップ麺を供えに行こう。




 と、思いながら冷蔵庫を開ける。


「なぁ咲耶。なんで焼肉のタレだけ何種類もあるんだ?」

「…………」


 咲耶が顔を背けた。


「…………おまえ」

「お、美味しいじゃない!!」

「舌が庶民なんだな、エセお嬢様」

「さよなら、わたしのイメージ」

「おまえのことを知れてうれしいよ」

「知らなくていいこともあるのよ、この世には!」


 そうか。世界の真実を知ってしまったな。

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