第9話 わたしは彼を家に引きずっていく。


 この頃、わたしはかつてないほど上機嫌だった。

 彼と友達になってからの数日は、大体そんな感じ。

 なんだかとっても単純な人間みたい。

 というか、実際に言い訳もできないほど、単純なのだけど。



 なんでもない普通の友達として会いに行けるって、なんて素晴らしいのだろう!



 そんな浮かれ心地のまま、わたしは週末を迎えていた。

    




 週末、飛鳥に会う予定はなかった。


 彼は大抵、土日は労働に勤しんでいるし。

 わたしも程々に忙しい。

 せいぜい、窓から飛鳥の部屋の様子を確認するくらいだ。


 わたしは意外とちゃんと気遣いのできる女(自己申告)なので、労働終わりに突撃とかしない。


 わたしは、ひとりの時間の大切さを知っている。

 部屋の隅で膝を抱えてじめっとMPを回復することも立派な人生の一部だ。


 そういう時間を邪魔してはいけないと思うし、飛鳥だって、いくら見てくれがいいわたし相手でも(これは客観的事実)、四六時中顔を合わせたくはないだろうなー、と思う。


 ……あれ、でもアイツ。

 ひとりで屋上を占有しても嬉しがらなかったな。


 わたしは正直、友達がいなくても余裕で生きていけるタイプなのだけど。

 彼は多分そうじゃない。

 少なくとも昔の『日南君』は、そうだったと思う。


 もしかして、割と寂しがり?

 ……ちょっとくらい、会いに行った方がいいのかな。


 いえ別に、わたしが、会いたいとかじゃなくて。

 飛鳥が寂しがってないか、っていう、ね、そういうのだから……って、誰に言い訳してるのか。




 ──みたいな葛藤に苛まれた、日曜の夜。



 ソファの上でうんうんと唸りながら、わたしは口実を探す。

 訪ねる言い訳があればいいのだけど。


 ちらりとキッチンの方を見て気付く。

 この週末の成果──つまり料理が、大鍋の中にある。


 口実、あった。

 よし、行っちゃおう。


 すくっと立ち上がる。


 ああでも疲れてるかもしれないし、その前に一報入れるくらいはして……と、とても常識に乗っ取った手順を踏もうとして。




 わたしは、飛鳥の連絡先を、知らなかったことに気付いた。




 お隣さんだから。

 今まで、連絡する前に会いに行っちゃってたから。


 今の今まで、連絡先を交換するのを忘れてた。


「そんなことある……?」


 頭を抱える。

 そういえば、飛鳥がスマホを契約し直す前に、わたしから一方的に電話番号を教えたきりだった。


 …………。


 何が『友達の定義』だ!  

 そんなものを詰める前に、もっと、やることがあったでしょう!



 友達なのに連絡先も知らないなんて、どうかしてる!






 そんなこんなでキレつつ開き直り、完全に勢いづいた午後七時前(なんて常識的な時間!)。


 わたしは隣のアパート、二階のベランダに飛び降りる。


 日が暮れたにも関わらず電気はついていなかった。

 不思議に思う。

 知らない間に出かけていたのだろうか。


 けれど窓には鍵がかかってなかったし、開けっぱなしになっていた。


 網戸とカーテン越しに声をかける。


「飛鳥〜」


 返事がない。

 

「カレー、作りすぎちゃったんだけど〜……」


 もしかして寝てるのかしら。




 わたしはいつものように網戸を開けて六畳間の中へ入り、そして。







 飛鳥が倒れているのを、発見した。







 ◆






「きゃーっ!? し、死んでる…………!!」


 うつ伏せになった飛鳥の指がぴくりと動く。

 よく見たらちゃんと生きてた。

 ちゃんと? これ、ちゃんと生きてるって言う?


「何があったの!? 寝てただけ? 寝相が死体みたいだっただけ!?」


 あわあわと狼狽えながら、ぺちぺちと手の甲を叩いてみたり、ゆさゆさと背中を揺すってみたりする。


 は、反応が、薄い!!


「ど、どうしよう」


 おろおろと立ち尽くしていると、飛鳥のしかばね……じゃなかった。しかばねっぽい人体から、お腹の音がした。



「…………え?」



 冷静になる。

 まずは状況確認が事件捜査の基本だ。


 部屋をぐるりと見回す。

 綺麗すぎる流し台に料理の形跡はない。


 壁にはカレンダー。今時珍しい日めくりだった。使ってる人いるんだ……。


 5月23日、日曜日。

 一般的な給料日前の日付だと思い当たる。


 わたしは概ねを理解した。


 飛鳥の前にしゃがみ込む。


「ねぇ、飛鳥……この週末、ちゃんとご飯、食べてた?」


 かろうじて意識を取り戻したらしく、顔を上げる。かすれた返答。


「食べた」

「何を」


「…………おまえんちのカレー、の匂いをおかずに霞を」


 それは、何も、食べてない。


「え、本気? 本気で言ってる?」


 飛鳥はあまり虚言は吐かない。わたしと違って。


 つまり、本気だ……むしろ虚言であって欲しかった……。


「状況説明、きりきり吐きなさい」


 わたしは魔法でチョコレートを取り出して、飛鳥の口に捻じ込む。


 目に光が戻った。糖分は偉大だ。


「いや、違う。日々のカロリー計算はしている。経験からの理論上、今日の日付は越えられるはずだった。倒れる予定はなかった。何故」


 口調が機械的で無感動になってる。重症だ。


「…………足りなかったんじゃないの?」

「俺はそもそもあんまり食わない」


 いや、少食でも霞で凌ごうとしないから。

 そもそもここ山じゃないから、霞は出ないから。


 ばかなのかなぁ……ばかなんだろうな〜……知ってた……。


「というか、少食ってそれ二年前の基準でしょ?」

「え、うん。あっちの世界じゃほぼ魔力啜って生きてたし」


 わたしたちの召喚された異世界は滅びかけで、ろくな食べ物とかなかったのだ。


 本当に最悪。

 美味しいご飯のない世界は何やってもだめ。


 閑話休題。


「多分その計算が間違ってたと思う。だってあなた、昔と身長も体格も全然違うじゃない。今の人体、二年前より燃費悪いわよ」


 ハッと天啓を得たかのような顔。


「そうか、燃費悪くなってるのか。どうりで最近やたら腹が減ると思った」


「もしや人体は初めて?」


 いや、やっぱり異世界ボケしてんのはあんたの方よこれ。

 ほんと、どの口でわたしに異世界ボケとか言ったの? 

 どつき回すわよボケ。






 多分、これは昨日今日という話ではない。

 思えば朝の味噌汁の具はさもしかったし、昼の弁当は小さかったし、夜に至ってはいつも何を食べているのか知らない。


 目に見えるような変化がなかったから気付かなかった。

 わたしとは違って、演じてるわけじゃないのだろう。

 考えていることもそうだけど、なんというか、飛鳥はまったく表に出ない。

 基本表情は豊かだから、実際は表に出てないことにも気付かない。

 おそらくそういう、厄介なタイプだった。


 深々と溜息を吐いた。


「も〜〜……困ってるなら素直に助けてって言えばいいのに……」


「…………なんで?」


「は?」


 は?


 ブチッと何かがキレる音がした。

 異世界ボケなら仕方ないか、まあねあるよね、わたしも時々寝るの忘れるもの、とか考えていた。

 人体の運用を忘れるくらいは大目に見ようと思った。そういうこともあるからね。


 でも、今の「なんで?」は、ない。


 ありえない。



「『協力する』って言ったでしょうが! あんた、なんのために友達の定義擦り合わせたのよ!!」


 胸ぐらを掴む。

 予想よりは軽いけど普通に重い!


「そんなめんどくさい話は全部忘れた」

「自分で言っておいて!?」


 キレる方面が多すぎて何から怒ればいいの、これ!?


 だめだ。こいつ今、頭が回ってないんだろう。

 ろくに話が成り立たない。


「…………今から、うちに来なさい。わたしカレーを作りすぎたの。この意味がわかる? わかった? わかれ!」


 返事は待たない。

 引きずって窓に行く。


「待って。俺は窓からは入らない。おまえではないので」

「あっそう! 元気そうでよかったわ!」


 なんなのこいつ!!






 ◆






 実のところ『初めて家に友達を呼ぶ』ということにわたしは、人並みに期待していたのだ。


 それを込みでわたしは葛藤して、あいつを呼びに行ったというのに。

 もう雰囲気も何もあったものではなかった。


 最悪ですね。本当に。 



 これ、『初めて友達を家に呼んで手料理を振る舞う』っていうイベントだったはずなのだけど。


 わたし、ちょっと泣いてもいいと思うの。


 意味わかんないでしょ。

 どうしてたかが二日、目を離しただけで野垂れ死にしかけてるの。


 なんなの。

 生きるの下手なの?


 あいつ、自分が思ってるより異世界ボケしてるわ。

 叩いたら直らないかな。

 古いテレビみたいに。



 アレを連れて(もうあいつなんか「アレ」で充分)家に戻ったあと。

 わたしはうっかり呪詛を吐かないように耐えながら、エプロンを付けて台所に行く。


 カレーを作りすぎたとは言ったけど、どちらかというとそれはスープが多いという意味で。

 かき混ぜてみるとどうにも具が少なかった。


『これでも食べて待ってなさい!』と言って追加のチョコレートを叩きつけた(文字通り叩きつけたのでチョコはバキバキ)ので、間は持つだろう。


 よし、具を足そう。

 なんかトマトとかナスとか野菜を入れまくろう。


 わたしはまな板にトマトを並べる。


 なんと、野菜食べないと人間は死ぬのだ。

 人類は雑魚なので。


 ……本当に、なんて弱くて愚かな生き物なのだろう。

 ご飯を食べないと死んじゃうなんて。

 それもちゃんとバランスよく食べないと破滅しちゃうなんて、繊細にも程がある。


 人類、逆にちょっと愛おしい気がしてくる。


 そう、許可なくぶっ倒れるアレは愚かで愛しい人類の一部……と思うとまぁ、そんなに怒るほどのことでもない。

 わたしは地球人類は愛せるタイプの魔女だ。大丈夫、慈悲深い。自称だけど。



 ──それに、経緯はこんなになってしまったけれど。


 手料理を振る舞うということは予定通りに運んだわけだし?


 そう、今からわたしの作ったご飯があいつの血肉になるわけだ。


 そう考えると。なんだかとても、とても…………うん。悪くは、ないかな。


 なんて。



 ──包丁に、自分のにやけ顔が写っていた。



「何考えてるんだわたし!」



 包丁を、ダンッと振り下ろす。


 トマトが弾けた。


 ついでに。


 わたしの指もザックリと逝った。




「〜〜ッ!!」




 すんでのところで悲鳴を堪える。

 聞かせるわけにはいかない。


 ありえない。

 あまりのどんくささに自己嫌悪で死にたくなる。


 骨に届きそうな深い切り口から、どくどくと血が溢れて、まな板のトマトの上に流れ出す。


 びちゃりとまな板に染み出すトマトの汁と混ざり合って、青い匂いと赤い血の匂いが、嫌な感じだった。


「…………」


 わたしは傷を押さえもせず、その様子をぼんやりと眺めていた。




 ──傷は、もう塞がり始めている。


 


 数秒後。

 光に手をかざしたわたしの白い指には、傷痕すらも残っていなかった。


 まるで何事もなかったみたいに。


 ……まな板の惨状は、何事もなかったことを否定しているのだけど。

 


 わたしはすっと目を細める。


 血のついたトマトをゴミ箱に放る。

 ぐちゃり、と嫌な音が、底で鳴った。




 あーあ。

 もったいない。

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