第9話 わたしは彼を家に引きずっていく。
◆
この頃、わたしはかつてないほど上機嫌だった。
彼と友達になってからの数日は、大体そんな感じ。
なんだかとっても単純な人間みたい。
というか、実際に言い訳もできないほど、単純なのだけど。
なんでもない普通の友達として会いに行けるって、なんて素晴らしいのだろう!
そんな浮かれ心地のまま、わたしは週末を迎えていた。
週末、飛鳥に会う予定はなかった。
彼は大抵、土日は労働に勤しんでいるし。
わたしも程々に忙しい。
せいぜい、窓から飛鳥の部屋の様子を確認するくらいだ。
わたしは意外とちゃんと気遣いのできる女(自己申告)なので、労働終わりに突撃とかしない。
わたしは、ひとりの時間の大切さを知っている。
部屋の隅で膝を抱えてじめっとMPを回復することも立派な人生の一部だ。
そういう時間を邪魔してはいけないと思うし、飛鳥だって、いくら見てくれがいいわたし相手でも(これは客観的事実)、四六時中顔を合わせたくはないだろうなー、と思う。
……あれ、でもアイツ。
ひとりで屋上を占有しても嬉しがらなかったな。
わたしは正直、友達がいなくても余裕で生きていけるタイプなのだけど。
彼は多分そうじゃない。
少なくとも昔の『日南君』は、そうだったと思う。
もしかして、割と寂しがり?
……ちょっとくらい、会いに行った方がいいのかな。
いえ別に、わたしが、会いたいとかじゃなくて。
飛鳥が寂しがってないか、っていう、ね、そういうのだから……って、誰に言い訳してるのか。
──みたいな葛藤に苛まれた、日曜の夜。
ソファの上でうんうんと唸りながら、わたしは口実を探す。
訪ねる言い訳があればいいのだけど。
ちらりとキッチンの方を見て気付く。
この週末の成果──つまり料理が、大鍋の中にある。
口実、あった。
よし、行っちゃおう。
すくっと立ち上がる。
ああでも疲れてるかもしれないし、その前に一報入れるくらいはして……と、とても常識に乗っ取った手順を踏もうとして。
わたしは、飛鳥の連絡先を、知らなかったことに気付いた。
お隣さんだから。
今まで、連絡する前に会いに行っちゃってたから。
今の今まで、連絡先を交換するのを忘れてた。
「そんなことある……?」
頭を抱える。
そういえば、飛鳥がスマホを契約し直す前に、わたしから一方的に電話番号を教えたきりだった。
…………。
何が『友達の定義』だ!
そんなものを詰める前に、もっと、やることがあったでしょう!
友達なのに連絡先も知らないなんて、どうかしてる!
そんなこんなでキレつつ開き直り、完全に勢いづいた午後七時前(なんて常識的な時間!)。
わたしは隣のアパート、二階のベランダに飛び降りる。
日が暮れたにも関わらず電気はついていなかった。
不思議に思う。
知らない間に出かけていたのだろうか。
けれど窓には鍵がかかってなかったし、開けっぱなしになっていた。
網戸とカーテン越しに声をかける。
「飛鳥〜」
返事がない。
「カレー、作りすぎちゃったんだけど〜……」
もしかして寝てるのかしら。
わたしはいつものように網戸を開けて六畳間の中へ入り、そして。
飛鳥が倒れているのを、発見した。
◆
「きゃーっ!? し、死んでる…………!!」
うつ伏せになった飛鳥の指がぴくりと動く。
よく見たらちゃんと生きてた。
ちゃんと? これ、ちゃんと生きてるって言う?
「何があったの!? 寝てただけ? 寝相が死体みたいだっただけ!?」
あわあわと狼狽えながら、ぺちぺちと手の甲を叩いてみたり、ゆさゆさと背中を揺すってみたりする。
は、反応が、薄い!!
「ど、どうしよう」
おろおろと立ち尽くしていると、飛鳥のしかばね……じゃなかった。しかばねっぽい人体から、お腹の音がした。
「…………え?」
冷静になる。
まずは状況確認が事件捜査の基本だ。
部屋をぐるりと見回す。
綺麗すぎる流し台に料理の形跡はない。
壁にはカレンダー。今時珍しい日めくりだった。使ってる人いるんだ……。
5月23日、日曜日。
一般的な給料日前の日付だと思い当たる。
わたしは概ねを理解した。
飛鳥の前にしゃがみ込む。
「ねぇ、飛鳥……この週末、ちゃんとご飯、食べてた?」
かろうじて意識を取り戻したらしく、顔を上げる。かすれた返答。
「食べた」
「何を」
「…………おまえんちのカレー、の匂いをおかずに霞を」
それは、何も、食べてない。
「え、本気? 本気で言ってる?」
飛鳥はあまり虚言は吐かない。わたしと違って。
つまり、本気だ……むしろ虚言であって欲しかった……。
「状況説明、きりきり吐きなさい」
わたしは魔法でチョコレートを取り出して、飛鳥の口に捻じ込む。
目に光が戻った。糖分は偉大だ。
「いや、違う。日々のカロリー計算はしている。経験からの理論上、今日の日付は越えられるはずだった。倒れる予定はなかった。何故」
口調が機械的で無感動になってる。重症だ。
「…………足りなかったんじゃないの?」
「俺はそもそもあんまり食わない」
いや、少食でも霞で凌ごうとしないから。
そもそもここ山じゃないから、霞は出ないから。
ばかなのかなぁ……ばかなんだろうな〜……知ってた……。
「というか、少食ってそれ二年前の基準でしょ?」
「え、うん。あっちの世界じゃほぼ魔力啜って生きてたし」
わたしたちの召喚された異世界は滅びかけで、ろくな食べ物とかなかったのだ。
本当に最悪。
美味しいご飯のない世界は何やってもだめ。
閑話休題。
「多分その計算が間違ってたと思う。だってあなた、昔と身長も体格も全然違うじゃない。今の人体、二年前より燃費悪いわよ」
ハッと天啓を得たかのような顔。
「そうか、燃費悪くなってるのか。どうりで最近やたら腹が減ると思った」
「もしや人体は初めて?」
いや、やっぱり異世界ボケしてんのはあんたの方よこれ。
ほんと、どの口でわたしに異世界ボケとか言ったの?
どつき回すわよボケ。
多分、これは昨日今日という話ではない。
思えば朝の味噌汁の具はさもしかったし、昼の弁当は小さかったし、夜に至ってはいつも何を食べているのか知らない。
目に見えるような変化がなかったから気付かなかった。
わたしとは違って、演じてるわけじゃないのだろう。
考えていることもそうだけど、なんというか、飛鳥はまったく表に出ない。
基本表情は豊かだから、実際は表に出てないことにも気付かない。
おそらくそういう、厄介なタイプだった。
深々と溜息を吐いた。
「も〜〜……困ってるなら素直に助けてって言えばいいのに……」
「…………なんで?」
「は?」
は?
ブチッと何かがキレる音がした。
異世界ボケなら仕方ないか、まあねあるよね、わたしも時々寝るの忘れるもの、とか考えていた。
人体の運用を忘れるくらいは大目に見ようと思った。そういうこともあるからね。
でも、今の「なんで?」は、ない。
ありえない。
「『協力する』って言ったでしょうが! あんた、なんのために友達の定義擦り合わせたのよ!!」
胸ぐらを掴む。
予想よりは軽いけど普通に重い!
「そんなめんどくさい話は全部忘れた」
「自分で言っておいて!?」
キレる方面が多すぎて何から怒ればいいの、これ!?
だめだ。こいつ今、頭が回ってないんだろう。
ろくに話が成り立たない。
「…………今から、うちに来なさい。わたしカレーを作りすぎたの。この意味がわかる? わかった? わかれ!」
返事は待たない。
引きずって窓に行く。
「待って。俺は窓からは入らない。おまえではないので」
「あっそう! 元気そうでよかったわ!」
なんなのこいつ!!
◆
実のところ『初めて家に友達を呼ぶ』ということにわたしは、人並みに期待していたのだ。
それを込みでわたしは葛藤して、あいつを呼びに行ったというのに。
もう雰囲気も何もあったものではなかった。
最悪ですね。本当に。
これ、『初めて友達を家に呼んで手料理を振る舞う』っていうイベントだったはずなのだけど。
わたし、ちょっと泣いてもいいと思うの。
意味わかんないでしょ。
どうしてたかが二日、目を離しただけで野垂れ死にしかけてるの。
なんなの。
生きるの下手なの?
あいつ、自分が思ってるより異世界ボケしてるわ。
叩いたら直らないかな。
古いテレビみたいに。
アレを連れて(もうあいつなんか「アレ」で充分)家に戻ったあと。
わたしはうっかり呪詛を吐かないように耐えながら、エプロンを付けて台所に行く。
カレーを作りすぎたとは言ったけど、どちらかというとそれはスープが多いという意味で。
かき混ぜてみるとどうにも具が少なかった。
『これでも食べて待ってなさい!』と言って追加のチョコレートを叩きつけた(文字通り叩きつけたのでチョコはバキバキ)ので、間は持つだろう。
よし、具を足そう。
なんかトマトとかナスとか野菜を入れまくろう。
わたしはまな板にトマトを並べる。
なんと、野菜食べないと人間は死ぬのだ。
人類は雑魚なので。
……本当に、なんて弱くて愚かな生き物なのだろう。
ご飯を食べないと死んじゃうなんて。
それもちゃんとバランスよく食べないと破滅しちゃうなんて、繊細にも程がある。
人類、逆にちょっと愛おしい気がしてくる。
そう、許可なくぶっ倒れるアレは愚かで愛しい人類の一部……と思うとまぁ、そんなに怒るほどのことでもない。
わたしは地球人類は愛せるタイプの魔女だ。大丈夫、慈悲深い。自称だけど。
──それに、経緯はこんなになってしまったけれど。
手料理を振る舞うということは予定通りに運んだわけだし?
そう、今からわたしの作ったご飯があいつの血肉になるわけだ。
そう考えると。なんだかとても、とても…………うん。悪くは、ないかな。
なんて。
──包丁に、自分のにやけ顔が写っていた。
「何考えてるんだわたし!」
包丁を、ダンッと振り下ろす。
トマトが弾けた。
ついでに。
わたしの指もザックリと逝った。
「〜〜ッ!!」
すんでのところで悲鳴を堪える。
聞かせるわけにはいかない。
ありえない。
あまりのどんくささに自己嫌悪で死にたくなる。
骨に届きそうな深い切り口から、どくどくと血が溢れて、まな板のトマトの上に流れ出す。
びちゃりとまな板に染み出すトマトの汁と混ざり合って、青い匂いと赤い血の匂いが、嫌な感じだった。
「…………」
わたしは傷を押さえもせず、その様子をぼんやりと眺めていた。
──傷は、もう塞がり始めている。
数秒後。
光に手をかざしたわたしの白い指には、傷痕すらも残っていなかった。
まるで何事もなかったみたいに。
……まな板の惨状は、何事もなかったことを否定しているのだけど。
わたしはすっと目を細める。
血のついたトマトをゴミ箱に放る。
ぐちゃり、と嫌な音が、底で鳴った。
あーあ。
もったいない。
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