第11話 現実はカレーより辛い。

 そして大皿が二人分、テーブルに並ぶ。


 ごろごろと具の入ったカレーなんて本当に何年振りだな、と思いながら相伴に預かる。

 カレーは美味いし、人の作ったご飯というものは美味い。

 そういう真理をこの身で感じる。


「わたし料理下手だから」とか、咲耶は卑下してたけれど、全然そんなことはないと思う。

 と言っても「空腹の人間の言うことなんて信じるか!」と一蹴された。


 なんだか今日は何を言っても信じてもらえない。

 まずい。日頃の行いを改めなければと心底思った。

 信頼は欠かしていいことがない。



 食事の最中に、咲耶がふと言い出す。


「さっきから、あなたの金銭事情を邪推していたのだけど。らちがあかないからもう聞くわね」


 『邪推』、言葉の意味としては間違っているのだが。

 多分『不躾な憶測』の意味のつもりで使ったのだろう。

 その気遣いに、あえて用法の指摘はせず頷く。


「そもそも……あんたの家、なんで更地になってたの?」


 ごもっともな疑問だ。


「正直、笑いを取りにくいから言いたくないんだけど」

「そういう基準なの? え、ていうか笑いを取りたいの?」

「いや別に」

「?? ええと、言いたくないならいいのだけど……」

「いや、黙ってた方が深刻に思われるから、言う」


 別にそんなたいした話ではないのだ。


「俺さ、そもそも親がいないんだけど」

「いきなりぶっ込んできた」


「でもその辺で特に苦労はなく、俺はばあちゃんに育てられたということだけが重要で」

「ああ、それで」


「ただ高校入る直前に、ばあちゃんも死んで──あっこれは綺麗にぽっくり逝ったのでまじで気にしないで欲しくて」

「随分と予防線張るわね」


 張るよそりゃ。


「なんも苦労してないのに『苦労したんだね……』って目で見られるのは、嫌だろ」

「本人が気にしてないのに『そうなんだ……』って言われるほど気まずいことないわね」


 咲耶が淡々と頷く。


「それに、昔のことはよく覚えてないし」


 咲耶は表情を、おそらく意識的に落としたまま。


「そっか。あなたは『ひとりで生きる』のが当たり前なのね」

「いや、そこまで冷淡な考え方はしてない。人は好きだぞ」





 話が一旦止まったので、食事の手を再び動かす。


「……生育環境、人格形成……助けを求めないの、これかー? わたしが言えることじゃないなー……」


 皿の端の方から丁寧に米を掬う。

 あ、うまい。

 いい米使ってる。


「ん、ごめん。話聞いてなかった」


 小さな声でなんかぶつぶつ言ってたのは聞こえてたけど、耳を素通りしていた。

 話と食事を同時にするのが苦手だ。

 いや、昔はそうでもなかったんだが最近は完全に会話力が落ちていた。

 これも多分異世界ボケ。


「ううん、ひとりごとだから気にしないで」





「で、結局更地はなんなのよ」


「ああうん、話の途中だったな。

 ばあちゃんが死んだ後、俺が住んでた家は伯父さんのモノになってたんだけど。

 俺が異世界に飛んだ直後に……なんか、破産したらしくて。

 なんやかんやあった末に、更地? みたいな」


「……は?」


 咲耶が困惑した。


「え、なに? 純粋に現世が世知辛いって話?」

「そう、だから言いたくなかった」


 異世界転移、微塵も関係がない。

 召喚されなくても更地になっていた可能性がある。


 伯父さんはいい人、というか、ひとの良い人だった。

 俺が生きてたことを喜んでくれただけで十分だったので、更地の詳しい経緯はあまり聞いていない。


 大丈夫、人間の悪意とかそういうのはない。

 間が悪かっただけ。現世もカスなだけ。


「これ、笑い取れると思うか?」

「取れない。無理」

「やっぱり? だよなー」

「いやまず取ろうとしないで」

「ワンチャン鉄板ネタになるかと思ったんだけどな。異世界から帰ったら家が更地になってたって、絵面がウケる」

「ウケないウケない、ウケないから」

「俺は爆笑したのに」

「わたしはそれ見たとき引いたから」


 どうせ同じ更地になるなら原因は隕石がよかった。

 隕石は良いものだ。

 あの圧倒的な暴力の前では人類は無力だ。

 人間は隕石には勝てない。

 そういうところがとても良いと思う。


 理不尽が極まった桁違いの脅威にはいっそ見惚れるというもので、あれこそがまさに最強だ。

 生まれ変わったら隕石になりたい。



 などと物思いにふけっている間に、咲耶はすごく微妙な顔をしていた。


「あのね。確信したけど。あんた感性おかしくなってるわ。いえ、もともと変だった……?」


 俺の服をガン見する。


「なんだよ」

 

 今日はわかめじゃないのにまだ文句あるのかよ。












「とにかく、当面の目標の修正をしましょう」


 ごちそうさま、の後。

 食後の紅茶(ティーバッグ)と共に咲耶が言う。


「まずは生存、いいわね? それなしで社会復帰も何もありません」

「ごもっともです」

「その第一歩として! 提案があります」


 びしりと指を突きつける。いつかと真逆の構図だ。


「わたしに料理教えて。対価として、その分の食費はわたし持ちね」


 それは、なんというか。

 都合の良い話で、都合が良すぎて受け入れがたい。


「咲耶、金は? それ、親御さんのお金で俺が飯を食うことにならないか?」


 それはちょっと筋が通らないだろう。


「いえ、一応仕送りは受け取っているけど。手をつけずに生活費はほとんど自分で出してるわ」

「どこから」


 バイトしてるとしても足りないだろう。


 咲耶は、目を泳がせた。


「えと、その、マネーゲームのビギナーズラックで少々……」


「うわっ上流階級の遊び」

「ち、ちがうの。婚約破棄の慰謝料が入ってきて、ヤケでぶっ込んだら……なんか、増えちゃって……」

「えっ」

「えっ?」


 今、さらっと言ったが。


 彼女に付随していた〝婚約〟というもの。

 これが、文月咲耶を「絶対に告白が玉砕する高嶺の花」として名高かくしていたのが、かつての話だ。

 婚約の存在が絶対的な一線を引いていたため、彼女には男友達というものがいなかった。


「え……婚約破棄されたの?」

「されたわよ。わたしがこっちに帰ってきた後、即」


 さらりと言う。


「まじかーー」

「それ、どういう顔?」

「どんな顔すればいいのか忖度した末にわからなくなった顔」

「解説ありがとう」


 咲耶は軽く笑いを零す。


「でも、ほら、嫌でしょ。元婚約者むこうも、別に好きでもなんでもない上、2年も謎に失踪してた女と結婚するのは」


 上流階級的に、余計な問題はない方がいいってことだろうか。


「そんなわけでお家からも放り出されて、『学校までは面倒見るけどあとは自由にしなさい』って感じ。要は不干渉だから、ま、気にしないで」


 と軽く言っているけど実際はどうなのか。

 咲耶の表情を読もうとするが、飄々としてまったく読めない。


 くそっ、今演技入ってるな。


「そういうわけで。環境のおかげではありますが、一応……自分が自由に使えるだけの、資金はあるのです。だから、わたしの家族への引目は感じなくていい」


 逃げ道が一個塞がれた。


 苦し紛れにもう一手。


「……友達って、三食共にするものか?」


 お互いに予定があるから「いつも」とはならないだろうけど。

 それでも、朝も昼も夜も、という日ができることは確実だ。


 朝飯に誘っておいた分際で言うのはなんだが、流石にそれは……よくないんじゃないかと思う。

 不健全というか。



 咲耶はゆっくりと瞬きをした。


「確かに、普通はしないのでしょうね。でもわたしたちはします」


『その反論は既に想定済み』というように。


「なぜなら友達の定義には、友達の数だけ正解があるからです。以上! これが完璧な論理よ!」


 得意げに胸を張る。


「勘違いしないことね。これはあくまで利害の一致。何ひとつ引目に感じることなどないの。

 ……ていうかぶっ倒れられると、困る! 怖い! だから、あなたのためなんかじゃないのよ。いや本当に」


 俺は両手を上げた。


「全面的にそっちが正しい。完敗だ」


 もう何も言えない。


「…………よしっ」


 咲耶は小さくガッツポーズした。





「でも全額そっち持ち、っていうのは勘弁してくれ。来月以降は懐も大丈夫だと思うんだ。新しくバイトに受かったし」


「あらおめでとう。面接、苦労してそうだったものね」


 そう、働く以前にまず中々雇われなくてあのざまだったのだ。


「ちなみにどこ?」

「駅前の喫茶店。ほら、ドアが真緑の」

「ああ、あのなんかレトロな店」


 咲耶は両手にカップを抱える。


「へえ、ふーん……」

「なんだよ」



「なーんでもない」



 そう言って、意味深に微笑んだ。






 ◇






「そういやここ数日、ずっとカレーの匂いがしてたけど。なんでカレーばっか作ってたんだ?」

「う、それは」


 カップの縁を指でなぞって、上目にこちらを見る咲耶。


「……あんたのお味噌汁が、美味しかったから。その……負けたくないなって思って。

 でもわたし、料理はてんでだめじゃない? とりあえず絶対に作れる料理を、ひとつ覚えようと思って。ずっと練習してた……」


 まじかよ。

 めっちゃカレーが好きな人かと思ってた。


「咲耶……」


 赤面する彼女に、伝える。





「俺は、結構出汁を取るのが上手いぞ」





「…………なんで今ドヤ顔した? なんで今マウント取った? ねぇ、なんで?」


 いや、だって。


「そこに隙があったから」


 つい。



「あんた性格悪いわ、ほんと」

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