第7話 俺はドアから部屋を出る。
◆
「人生なんて全部、演劇みたいなものだ」
と思うようになったのは多分、
「ある日突然お金持ちの家の養子になる」
なんて特殊な経験をしてしまったせいだ。
それは劇的だけど、今は特には関係のない話。
大事なのは、わたしの人生が「完璧」だったということだ。
──二年前までは。
根暗な自分を取り繕って、それなりの人気者を演じて。
わたしは考えうる限り最善の高校生活を享受していたし、その先の未来のことも何ひとつ疑っていなかった。
普通ではなく、普通よりも恵まれた高校生だっただろう。
なのに。
ある日突然「異世界」なんかに飛ばされて、わたしの人生全部だいなしになってしまったのだから!
あんまりの理不尽に、人生の酸いも甘いも知らない
そしてそのまま異世界で、わたしは「魔女」になったのだ。
『どうせ、誰もわたしを助けになんて来ないのだから』
と、
──〝元の世界に帰る〟なんて夢物語を、完璧に諦めて。
そうして悪に堕ちた
けれど。
向こうの世界で、あとは
『ったく、これ以上クソッタレな異世界に付き合ってられるか! おい咲耶、帰るぞ!』
──どうやって。
『知らねえよ。今から考えるんだよ。は、できるわけがない? ハッ、おまえにできなくても。俺は、おまえに勝ったから、できるんだよ!!』
──どうして。
『ガタガタうるせぇな……いいから、さっさと望め! 帰りたいって、言え!!』
『俺が、叶えてやる』
なんの根拠もない、意味がわからない理屈。
どうして助けてくれるの、と。
その問いの答えは聞けないまま。
わたしは、恩を売られてしまった。
無茶苦茶な理屈を振り回したまま、完膚なきまでに救われてしまった。
──だから、あなたへの感情は。
好意なんて、恋なんていうくだらない気持ちで──そんなもので、片付けていいものじゃない。
「好き」なんて……そんな言葉で言い表せるものでは、ないのだ。
ただ。
現世に帰ってきたのに「めでたしめでたし」というわけにもいかなかったのは、ちょっと笑える。
アイツの家は何故か更地になっていたし。
わたしはというと、家に持て余されたし。
学校だってあのざまだ。
──わたしは、悟って、想って、考えた。
ばかみたいね。結局、帰る場所なんてなかったのよ。
帰りたいと望んだけど、帰る場所もなかったから……いたい場所なんて、あなたの隣しかないの。
けれどあなたはわたしを見ていない。
わたしにはあなたしかいないのに、あなたはまるで、別にそうじゃないみたいな顔をする。
だから。
わたしは飛鳥に会いに行く口実に「魔女」を要した。
かつての敵対を引きずることを選んだ。
そして〝同じ気持ち〟を味わわせてやろうと思っていたのだ。
否定や敗北を、思い知らせてやる以上に。
わたしが彼を必要としているように、
──素のわたしは、根暗で、不器用で、面倒くさくて、浅ましい。
そんなどうしようもないわたしの陰謀はあっけなく、正攻法で真正面から壊されてしまった。
否定されたと思っていたのは勘違いで、初めから気持ちは同じ。
おまけに隣にいるための言い訳まで与えられて。
望まれたのは、誰にも晒したことのない
──思えば、昔から。
日南飛鳥という生き物は、肝心なところで正解を引く天才だった。
ああ、本当。ばかみたい。
なんて無様だろう。
わたしは、ひとりで何をやっていたのか。
──望んだのは、こんなに簡単なことだったのに。
◇
屋上。
昼休みが終わるまで、あとわずかだ。
勢いに任せて考えたことを全部言った俺は、自分の発言をとりあえず速攻で忘却した。
多分結構、恥ずかしいことを言っただろう。
もう全部忘れた。何も覚えてない。
都合の悪いことは忘れるのが人生のコツだ。
自分で言うが、俺は結構人生が上手い。
俺は、提案への返事を待つ。
合意の握手を求め、手を差し出したまま。
咲耶は無言無表情のまま、じっと俺の手を見ながら──
「……なぁ咲耶。なんか口から血が出てるんだけど。え、なんで? 大丈夫?」
薄紅色の唇の端からたらりと赤いのが、流れていた。
咲耶はこくりと喉を鳴らして、口元を隠しながら声を発する。
「なんでもないわ。ちょっと口内炎が爆発しただけだから」
「こっわ」
口内炎、爆発するんだ……気をつけよ……。
咲耶は残っているコーヒーに口をつける。
……え、コーヒーで血を洗い流してないかそれ?
こっわ…………。
いや、まあ、うん。
いいや。
腕差し出しっぱなしも格好つかないし。
いい加減、疲れてきた。
「それで、返事は?」
咲耶は、鷹揚に頷いて。
「いいわ。あなたの提案、受け入れましょう」
俺の左手を握り返そうとして──、一寸先でぴたりと止まった。
「……ねぇ、今気づいたのだけど。これでわたしとあなたが友達になったらあの勝負はどうなるの?」
どちらが先に友人を作れるか、というアレだ。
「そうだな。そりゃ言い出しっぺの法則で俺の勝ちだろ」
「んなわけあるか! ていうかそういう法則じゃないし」
「それが通らないってんなら、じゃあ。『引き分け』だな」
「……ん、まぁ。それならいいか?」
咲耶は釈然としなさそうに、視線をさまよわせ、はたと気付いたように俺の目を見る。
「あんた、『名案がある』って言ってたけど……まさか」
おっと、気付かれたか。
「そう、これは。
咲耶は、うんざりとした顔をした。
俺の左手を握り返すのをやめて、代わりにぺしりと叩く。
「あんたって、やっぱり性格悪い!」
失礼な。
ちょっと意地でも負けたくないだけだ。
「でも……ありがと」
そう言いながら、咲耶は気の抜けた笑顔を浮かべる。
──ああ、そっちの方が。
露悪的な魔女の笑みよりも、欠点のない文月の微笑みよりも。
ずっといい。
「別に。おまえのためじゃないさ」
そうして、俺たちは三年と一ヶ月をかけてようやく。
友達になったのだった。
いや、遅すぎるわ。
◇
翌日。
朝、七時。
天気は良好、気温は上向きに初夏の前触れ。
今年は随分と気象がよく、五月は比較的に涼しめ。
まぎれもなくいい朝だった。
久々に良い目覚めをして、上機嫌のまま俺はコンロで味噌汁を沸かす。
「……やべ、米炊くの忘れた」
弁当分はあるのだが、朝食分がない。
「しまったな。抜くか」
と、その時。コンコンと音が聞こえた。
──ノック音は、窓からしていた。
眉間にしわが寄っていく。
盛大に溜息を吐いて、コンロの火を止める。
窓辺。
ガラス一枚隔てたすぐその先に、制服を着た文月咲耶が微笑みながら立っている。
何故か片手に、バカ長いフランスパンを抱えて。
俺はやけくそ気味に窓を開けた。
「……なぁ。おまえ、朝は魔女やる気がないって言ってたよな」
「言ったわ」
「友達なら、ドアから入って来れるって理屈は合ってるよな」
「その通りね」
「咲耶、今、素だよな?」
「ええ、もちろん」
「…………なんで窓から入ってきてんの?」
咲耶はしたり顔で言う。
「合理的だから」
「合理」
「窓から入ると直線距離、つまり早くて近い。完璧に効率的だわ」
「ああ、うん……うん? 合理って常識とどっちが大事?」
「大丈夫よ。あんたにだけは常識語られたくないから」
「おまえ、素でも喧嘩売るじゃん」
表情がわずかに乏しく、声音が少し低い。
素であることは確かなんだが。
「どうやらそうみたいね?」
自分で自分の言っていることに、今気付いたように咲耶は小首を傾げる。
マネキンのような綺麗な顔に、あどけなさが滲んでいた。
「みたいね、って。自我初心者かよ」
まあ、ノックするようになっただけ成長か。
「それで、朝っぱらから何しにきたんだ? 友達ができたのに浮かれて朝っぱらから突撃とか?」
「んなっ……勘違いしないで。別に、パンを買いすぎたからお裾分けしに来ただけ。このバゲット、大きすぎてひとりじゃ食べきれないから仕方なくよ」
「そうか。俺も今、味噌汁を作りすぎたところだ。丁度よかったな」
嘘だけど。わかめ増やすか。今から。
「まあ、入れよ」
「言われなくとも。……おじゃまするわ」
「ん。いらっしゃい」
パンに味噌汁というちぐはぐな朝食が二人分、卓袱台に並んだ。
「頂いておいてなんだけど。この組み合わせって、どうなのかしら」
「別にいいだろ。気にするようなことじゃない」
「そうね──合わなくたって、いいわ」
やけにしみじみと言って、正座した咲耶はお椀に手をつける。
「そう、意外と合うんだよ。パンと味噌汁」
白い目で見られた。
なんだよ。
と、俺も小さく切ったパンに手を伸ばして、ふと気付く。
買いすぎたって言っていたけど。
これ、そもそも近所のパン屋のだ。
近所のパン屋は夜明け前に開き、朝にはもう売り切れる。
この辺じゃちょっと人気の店のだった。
……こいつ確か、朝弱いよな?
咲耶はすまし顔のまま、綺麗に味噌汁を飲んでいた。
「なぁ、咲耶」
「やっぱさ。俺のこと、実は結構好きだろ」
咲耶は無言でお椀を戻し、
「そうね。嫌いじゃあ、ないわ」
「え」
「なんで驚くのよ」
「いや。知らなかったなぁって」
「なんでよ」
咲耶がそれなりに好意的なのは、どうあがいても伝わっていた。
でも。
たとえアイツが、俺のことを実は結構好きだとしても。
それ以上にアイツは今の俺のことを、嫌っていると思っていたのだ。
実は友達になろうって言った時、断られたらどうしようって内心ビビってた。
絶対言わないけど。死ぬまで言わない。
咲耶はふいっと顔を背け、わずかに上目でこちらを伺う。
「……別に、好きでも嫌いでもないわ。普通よ〝普通〟」
〝普通〟
それは、いい言葉だと思う。何よりも。
「そうか。よかったよ」
──こちらに帰ってきてわかったことがある。
所詮、現世もカスだ。
結局、今は地続きでしかない。
でも、こいつが側にいるならそれも悪くないと思える気がした。
異世界ボケしてない彼女に、俺は必要ないかもしれないけど。
まあ、なんだ。
ほら、色々と変なままかもしれないけどさ。
それも普通の日常として。
なんかいい感じにやっていけたらいいよな。
と、ぼんやりとした頭で、ぼんやりとしたことを考えながら。
大きな窓だけが取り柄のボロい部屋で、日差しの中ふたり、ちぐはぐな朝食を終える。
「ごちそうさま。美味しかったわ。それじゃ、わたしは一旦自室に帰るわね」
「別にわざわざ戻らなくても。おまえ、魔法で荷物こっちに呼び出せるだろ。歯を磨くくらい、うちの洗面台使っていいぞ」
「え?」
「効率的だろ。どうせ、一緒に学校行くんだから」
白状しよう。
咲耶がどちらにせよ、友達という肩書きに、俺は浮かれていた。
完全に。
いや、だって。
なりたかったよ、俺は。友達。三年前からずっと。
その上、朝から家に来るとかなんだよ。
普通に嬉しいし、浮かれるに決まってるだろうが。
「あと、多分」
だから、浮かれたまま口走る。
「俺は明日も味噌汁を作りすぎるし」
ひらたく言えば『これからも朝飯食おうぜ』ってことなんだけど。
咲耶は、ゆっくりとその意味を考えて。
「あんたってもしかして……友達には、甘い?」
「さぁな」
俺は笑って、誤魔化した。
◇
さて。
あいも変わらず、彼女は窓からやってくるけど。
俺たちは一緒に、ドアから部屋を出る。
ささやかな変化を積み重ねていく。
これはそういう。
これからの、日常の話だ。
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