第6話 わたしは屋上で鍵を開ける。

 ◆



「俺と、友達にならないか」





 飛鳥のその言葉を聞いて。

 わたしは、



「……は?」


 耳がおかしくなったかと思った。


 けれどすぐ思い直す。

 わたしの耳がおかしくなるわけがない。


 目の前には、確かに差し伸べられた掌がある。

 おかしいのはアイツの頭だ。



 わたしは息を大きく吸いこんだ。



「いや、意味がわからない。どうしてそうなるの!?」

「え、普通に考えて」

「ごめんそれやめて。頭おかしくなる」


 多分、わたしの方が『普通』の基準に詳しいから。絶対。


「いい加減自覚してほしいのだけど。あんた結構、論理が飛躍するからね!?」

「そんなことないだろ」


 あるのよ!!!


 飛鳥は全然ピンときていない顔をしていた。

 こいつ……!


「あのね、飛鳥。わたしはあんまり冴えてないの。それでもって結構、頭が固いの。自分でわかっているのかって? ええ、わかっています。わたしはわたしのことを完璧に理解しているのが売りの女なので」


 いや、なんで売り込んでいるんだわたしは。


「だから、あなたの考えていることなんて! 一から十まで説明されないとわからないの!」


 正しい台詞が、表情が、役柄がわからなくなっている。

 まるでらしくないことを話してしまっている。


 本当は、叶うならば今すぐ口を噤みたい。

 でもわたしが言わなければ、話が進まないことは確信できた。

 だってこいつ、だめじゃん。




 飛鳥は合点がいったように頷く。


「ああ、そうだよな。俺も、おまえが考えていることなんてわからないし」


 それはそうだ。

 多分、わたしたちは根本的に分かり合えないようにできている。

 そうでなくとも……人は、簡単に分かり合えたりしないのだから。


 でも自分で言っておいて……なんだか、思っていたよりも、歯痒かった。


 だって今の言葉はまるで──『不理解』を「仕方ない」と受け入れてしまうみたいだったから。






 とりあえず保留にされた左手を、飛鳥は何かを考えるように顎にやる。


「あー……説明する前にこれだけ確認しとくか。咲耶、さ。なんでわざわざ面倒くさい『演技』なんてしてるんだ?」


「それは、」


 彼の疑問は至極当然。

 わたしは自分がそれなりに不可解な振る舞いをしていることを自覚している。


 多分、人間というのは、普通は。

「被った猫の脱ぎ方がわからない」なんてことにはならないのだと、思う。わたしみたいに。




 ──だってわかんないんだもの。〝役柄〟を演じる以外に生き方の正解がわからない。


 ──そういう生き方しか……わたしは、知らない。




 そんなことを赤裸々に言えるほど、まだわたしは開き直れていなかった。



 言い淀んでいると、飛鳥はひらりと手を振った。


「ま、いいや別に」


 別にいいんだ。

 そっちから聞いておいて。

 なんなの。

 いえ、言えないのだけど。

 それはそうとしてなんだかうっすらと腹が立つ。


 ……腹が立つのは、彼のすまし顔にだ。

 その顔はまるで「大体わかるからいいや」と言っているみたいだった。


 ついさっき、わたしのことなどわからないと言ったくせに。

 群青の空みたいな両目に、まるで。

 いつも見透かされているような気がする。


 というか、本当に見透かされているのだろうか?

 たしかに飛鳥の前では演技ロールがうまくいかないことが多いけれど。

 それでも50点の出力は出ている計算なのだ。

 取り繕ったその向こう側を覗かれる振る舞いなんて、


「ていうか割と素、出てるしな」


 見せたことないはず……え?


「朝とか素だろ」

「………………え?」

「あ、そこは無意識なんだ?」


 わたし、もしかして、思ってたより……もっと、だめ?

 人間として30点もない?

 そんな…………。

 


「器用にやってんのかと思ってたけど。意外と不器用なんだな」



 その言葉が、ぐさりと刺さった。

 かなり、クリティカルに効いた。


 ふらっと倒れないように、わたしは足元に力を入れる。

 強くイメージする。今、踵からは杭が出てコンクリートに刺さっている。そういう妄想で踏ん張る。


 大丈夫。まだ立てる。戦える。

 揺らいでもまだ死んでない。


 涙目にならないように、キッと彼を睨み返して。


 

 ──飛鳥が、半分きまり悪そうに苦笑したのを、直視した。



「なんだ。じゃあ、何も遠慮することなかったか」





 ……その途端。

 わたしは反論の手札をすべて失う。


 ずるい。

 ずるいと、思う。


 だって今の、ちょっと困ったような優しい笑い方は──昔の『日南君』に似ていた。


 「むかしむかし」のカテゴリに放り込んで閉まっていたはずの、冷えた彼への好意が、じわりと熱を持ち始める。


 ああ、いけない。

 このままじゃ、わたしは詰んでしまう。



 ──わたしは、その顔には、弱い。





「と、ともかく! さっきのは、どういう理由で言い出したのよ」


 慌てて気持ちに蓋をして、話の続きを促す。

 というか戻す。


「あー、とりあえず。まず、例の勝負のことに遡るけどさ。あれ、俺は早々に放棄してたんだよな」


「そうでしょうね。あんた忘れてたし。普通に話せる知り合いはできているのに、それ以上の何かをしようとはしてないもの」


「訂正。一応、やろうとはしたんだ。けど、『あ、ヤバイなこれ。どっかでしくじる』って思ったんだよ。俺は、おまえほど器用じゃないから。親しくなると絶対にボロが出る。なんせ、うっかり異世界って口走って病院送りにされそうになるくらいだ。……程よく孤立した方が、理屈に合ってた」


 たとえどれほど取り繕っても、今さら、現世こちらに馴染みきることはできない。

 異世界むこうのことを、理解できる人なんていやしない。


 それは、わかる。

 それはわたしも感じているから。


「それで勝負の風化狙いっていうか」

「ノーゲーム狙い?」

「そうそう。俺にできないのにおまえに友達ができるとも思ってなかったし」

「死ぬほど失礼」





「それに。たとえこのままでも。

 おまえがいるから、別に寂しくなかったし」




「そう…………ぇ?」




 わたしはまたも、耳を疑う。


 え、今。

 こいつ、何を言った?


 …………。



『おまえがいるから寂しくない』



 いや、何言ってんの!!?!?




 叫び出しそうになって、代わりに思い切り舌を噛んだ。

 大丈夫、舌を噛めばポーカーフェイスは保てる。いざというときの処世術だ。

 あ、だめ。膝が震え出した。


「今日さー、おまえいなかったじゃん、昼休み。寂しかったんだよなー」


 追い討ち。

 膝から崩れ落ちそうになった。

 

 な、なんでそんなこと言うの!?


 わたしは直視しないように飛鳥の方を見やる。

 へらへらしていた。


 あ、こいつ! 絶対何も考えてない! 絶対何も考えてないで言ってる! そういうとこだぞ!!


 ギリギリギリと舌を噛み締める。

 すごく、血の味がする。


 ……よし、耐えた。ぎりぎり耐えた。


「ていうかそもそも、既に咲耶とは友達のつもりでいたんだよな」


 何それ知らない、と目線だけで言う。なにせまだ舌を噛んでるので。


「う……。俺は合意とか取らないでそう思う方なんだよ。文化の違いっていうか。おまえがそのところきっちり線を引くタイプで、自分が相手にとって何者かを気にするやつだってこと、知らなかったんだよ。

 いや、ていうかわかるか。はよ言え。めちゃくちゃ考えてようやく気付いたんだぞ。

 おまえがことあるごとに自分が魔女だって言う理由が、まさか『線引き』だとは思わなかったわ」


 わかりにくいのは、紛れもなくわたしが悪いけれど。

 伝えるつもりがなかったことを、早く言えなどと言われても。






 飛鳥は「あ〜」と、言葉を探すようにフィラーを伸ばして。


「そんなわけだから、わるいけど友達になるこういった作法を知らないんだ。……全部、そのまま言うぞ」


 真っ直ぐに、わたしを見る。


「俺が、素でいられるのはおまえだけだし、分かり合えるのも結局、だけだって思ったんだよ。それは多分、咲耶も同じだと思う」


 かつて分かり合えないと思っていた彼が、よりにもよって理解を語る。

 ひとつだけ混じった「君」という呼び方。

 それに、本気を感じてしまう。


「それに。こっちで一番初めに友達になるなら、咲耶がいい。向こうで敵だったおまえが。……それでようやく、『終わった』って感じがする」


 そして彼はもう一度、手を差し出す。





「友達になろうぜ、咲耶。俺は、文月でも魔女でもない、ただの咲耶とそうなりたい」




 なんのてらいのない、こちらが聞いていて恥ずかしくなるような台詞を、微塵も恥じずに。


 飛鳥は、続ける。





「それで、今度は・・・ちゃんと・・・・ドアから・・・・訪ねて・・・こいよ・・・




「『友達』なら、おまえもわざわざ窓からじゃなくて、普通に入って来れるだろ?」






「……あ」



 その言葉は、わたしの「制約」を完璧に理解したものだった。

 

 「名案」と言った意味をようやく把握する。


 彼は、ちょっと前には「さっぱりわからん」と一蹴したわたしの論理を理解してしまったのだ。




 以前、『魔女は窓から入ってくるもの』だとわたしは言った。

 ──正確には、魔女だから、「窓から入ってくるしかできなかった」のだ。


 わたしは、演じるロールの生き方しか知らない。

 それは「役以外の振る舞いを、自分に許さない」ということだった。


 だから、かつての文月わたしでもなくなって、彼にとっての魔女てきでしかなくなったわたしは、ただ彼の部屋を訪ねるだけのことに、あの演出を要した。


 つまりは。 


 飛鳥はわたしに、新しい「役」を与えようとしているのだ。


 「普通の友達」という役を。


 そうすれば、わたしは「友達」のロールに則って、正しく自分の前に現れると踏んで。





 舌の代わりに苦虫を噛む。

 自分が意味不明な論理を掲げている、自覚はあるのだ。なのに。


「なんで、わかっちゃうのよ」

「半分は勘だ」

「半分考えてるじゃないの」


 ……わたしには、あなたが何を考えているのかさっぱりわからないのに。






 差し出された掌をじっと見る。

 わたしに取られるのを待っている手だ。


 骨張った長い指に、短い爪。

 広い手のひらには目を凝らせば、いくつもの小さな傷跡が見てとれる。



 ──あなたはなんて、都合の良い提案をしたのだろう。


 でもきっと、そんなうまくはいかないのだ。

 だって今更、ただのわたしとあなたに戻るには。

 重ねたものが、多すぎる。



 『本気で世界を滅ぼすつもりか』と詰る声が、脳裏で亡霊のように蘇る。

 あなたはかつて魔女わたしを否定した。

 分かり合えやしないと、境界線を引いたのだ。




 わたしは俯く。


「……ひとつだけ聞かせて」


 表情を作るまでもない。

 わたしは今、きっと、怖い顔をしているだろう。


「あの時の、もしもの話」


 言葉少なでも伝わるはず。

 「あの時」なんてひとつしかない。


 異世界あそこで雌雄を決した時。

 元はただの高校生だったわたしたちが、敵同士、嘘みたいに世界の命運を賭けた時のことだ。



 顔を上げる。


「もしも、魔女わたしが、勝っていたら。あなたはどうしていた?」







「そんなの決まってる」


 即答、だった。



「その時は。おまえがあの世界をめちゃくちゃにするのを、隣で大人しく見ていたよ」



 感情の読めない瞳に、けれど迷いはなく。


 飛鳥は静かにそう、言い切った。







「え」


 驚いて呆けた声が出る。


「なんだよ。俺は往生際はいいんだよ」

「あなたはそういうのを、絶対許さないと思ってたのに」


 飛鳥はまるで今から言い訳をするような、罰が悪そうな顔をする。


「確かに主張は真逆だったし。おまえのやろうとしてることはおかしいとは、思ってたけど。別に、正しいとか間違ってるとかは考えてなかったんだよ」


「世界だのなんだの、普通の高校生には重すぎるわ。

 しかも現世とは違う異世界だぞ。

 世界が違えば価値観が違うんだ。

 根本的に部外者の俺たちの倫理観で、善悪が測れるもんか。

 どっちが正しいかなんて、意味がない」


「なら、勝った方が正しいってことでいいだろ。俺が勝ったから、俺が正しかっただけだ。

 だから。おまえが勝ったら、おまえが正しかったってことに、していたよ」



 それを聞いて。


 わたしは──






 あきれた。


「え、意味わかんない。ばかじゃないの? 脳筋だわ。いえ、むしろ野蛮? 今すっごい倫理の点数悪そうなこと言わなかった?」


「おまえはめちゃくちゃ倫理の点数良さそうだよな。倫理観ないくせに」




 ……聞いたら納得するかと思ったけど。

 なんだか、かえってよくわからなくなってしまった。


 やっぱりわたしには、こいつの考えていることがよくわからない。







 でも。

 ひとつだけ、確かに理解わかってしまった。




 ──なんだ。彼は、最初から。魔女わたしを「否定」なんてしていなかったのだ。




 そう、思い至ってしまったから。

 途端ガチャリと。

 わたしの心にかかっていた鍵が、開く音がした。



 我ながら、あっけなく。

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