第5話 屋上で君を待つ。


 咲耶が通学路で「友達作り」なんて古い勝負を蒸し返してから、翌日。


 あれから咲耶はというと、まるで昔の文月に戻ったように、急激にクラスメイトと距離を詰めていた。

 というよりは。勝負を忘れていなかったということは、今までもこつこつとアプローチを続けていたのだろう。

 俺がただ見ていなかっただけだ。


 今日なんか「昼食にお呼ばれした」と言っていた。

 いや、お呼ばれってなんだよ。茶会か。

 あいつ、語彙が絶妙にお嬢様なんだよな。お嬢様なんだけども。





 さて、「お嬢様」という記号は二年前まで、彼女を高嶺の花たらしめていた要因だった。

 だが俺が思うに。

 かつての文月咲耶の美点というのは、もっと内面的なものだった。


 彼女は、敵がいなかったのだ。

 おそらく誰にも嫌われていなかった。

 美人であることや家柄が良いことに、やっかみを受けたりもしていなかった。

 咲耶は、けっしてそれを鼻にかけたりはしなかったから。


 意外と成績なんかは普通だったりして、良くも悪くも目立つことをせず、だけど行事なんかの面倒ごとをよく引き受けていて、素朴に慕われている、そんな優等生だった。


 文武両道とか眉目秀麗とか生徒会長とか、そういう絢爛な四字熟語が似合うような、「特別な女の子」ではなかったのだ。


 ただその、「完璧に標準的な優等生」みたいな在り方やそつのなさは、いっそ作り物みたいで。


 どことなく踏み込みがたさを感じさせ、彼女を「特別」に、「高嶺の花」にしていたのだと思う。



 ……いや、今とは大違いだけど。

 逐一、俺にマウントを取ろうとするようなやつじゃなかったんだ。本当に。





 そんなことを考えながら、昼休み。

 俺は屋上でひとり弁当を食べていた。



 俺は、というか俺たちは昼休みには大体屋上にいた。


 今から一ヶ月前。

 新学期、早々のことである。

「やばい。舐めてた。高校生活舐めてた。いけると思ったんだよなぁ! 命がかかってないから全然余裕だと思ってたわ!! 全然無理だこれ!!」

 と、いきなり根を上げた俺は、昼休みの避難場所として「屋上」を求めた。



 屋上はいい。自室で一番趣きに浸れるのが窓なら、学校での一番は屋上だ。

 屋上には風情しかない。

 屋上の空気はあらゆる憂鬱を打ち消す。

 なぜなら高いし、高いところは正義だし、あと何よりも人がいない。



 ……と思ったら、同じことを考えて屋上に来た咲耶に遭遇したのが、四月。



 当然のように、お互い「屋上」を譲らなかった。

『は? ここは俺の場所なんだが?』

『は? あんたが出て行きなさいよ』

 みたいなことを言い合ってるうちに、その日の昼休みが消えた。

 当然昼飯は抜きだ。


 以来、「屋上の占有権を主張することは不毛」ということで合意がなって、なんだかんだと昼休みは一緒に飯食うようになっていた。



 だけど、今日は俺ひとりだった。



 本当は屋上は立ち入り禁止で、鍵かかっている。

 いつもは咲耶が魔法で鍵を開けて、そのおこぼれに預かる形で屋上に入っていた。


 今日は咲耶がいないから魔法には頼れないけれど。

 別に、ちょっと壁を登れば楽に侵入できるので、咲耶がいなくても何も問題はない。

 念願の屋上を独り占めだ。



 早々に弁当箱を空にし、パックの牛乳を啜りながら、ひとりきりの屋上に浸る。


「……いや、別にそんな気分よくねえな」


 なに屋上に夢見てるんですか?

 なにもないよ。屋上とか。

 なんか日差し、暑くなってきたし。なんか埃っぽいし。教室の方がいいよ。


 冷静に考えればなんだよ風情って。風情で飯が食えるのかよ。

 風情をおかずに飯は食えな……いや食えるな。俺はできるけども。







 と、昼休みも残り十分というところで。

 屋上の扉が勢いよく開いた。


 つかつかとこちらにやってくる咲耶は、得意げな表情で、手にはブラックコーヒーの缶を持っている。


「ひとり侘しくご飯食べてるあなたを笑いにきたわ」

「はいはい。ご丁寧に説明どうも」


 咲耶は俺の側にきてフェンスに身を預けながら、缶コーヒーをプシっと開ける。

 チープな銘柄の、無糖のブラックコーヒーだ。

 絶妙に似合わないそれを、咲耶は随分と美味しそうに飲む。


「それで、昼食会はどうだったんです? 咲耶さん」


「上々。今のところ友好的な関係を結ぶまであと一歩ってところ。あの勝負は、わたしの勝ちで揺るがなさそうね?」


 ふふ、と。上機嫌に両手で缶コーヒーを抱えながら咲耶は言う。


「そうか、」


 と俺は相槌を打ち、






ちゃんと・・・・演じきった・・・・・みたいでよかったよ」








 咲耶の表情が、一瞬にして強張った。


「どうして」

「いや、流石にあれだけヒント出されたらわかるわ。おまえが『演技をしてる』ことくらい」


 咲耶はまるで覚えがない、という顔をする。

「あなたの前では見せてないのに」とでも思っているのだろうか?

 確かに、俺は咲耶の内心なんてわからないから半分は適当だが。


 それでも根拠ぐらいは持って言っている。


 まずはひとつ。


「おまえさ、疲れるとわざわざ美味くもない缶コーヒー飲む癖があるよな」


 咲耶の飲んでるそれは、学内で売っている缶コーヒーの中でもあまり評判がよくないものだ。


 そしてふたつめ。


「あと、なんかあるとカーテンに包まる癖もある」


 俺にノートを貸してくれた夜に、自分の部屋へと戻った咲耶がカーテンでもぞもぞとやっているのを、俺は見ている。


「んなっ」


 指摘された咲耶の耳が赤くなっている。

 カーテンが恥ずかしいのか?

 なんというか羞恥心が独特だよな。こいつ。



 が、一瞬で咲耶はむっとした顔を作り、


「なにそれ。それがどうしたっていうの。わたしが不味いコーヒーを飲もうと、自分の部屋で何をしようと勝手でしょ。それがどうしてさっきの指摘に繋がるのよ」


 なるほど、もっともな言い分だ。


「覚えてないか?」


 だから、俺はもっと昔の話を蒸し返すことにした。


 ──俺たちがまだ、正真正銘に普通の高校生だった頃の話だ。


「三年前、高一の時の文化祭でさ。

 咲耶は色々と仕事を引き受けて、結構、頑張ってくれただろ。

 でも無事に迎えた当日、おまえはどこにも見あたらなくて。

 探しに行った俺が、教室でひとり、カーテンに包まって缶コーヒー飲んでる咲耶を見つけた」


 今となってはもう、随分と昔の話だけど。

 その時に見た咲耶はどちらかというと……早朝の、静かな彼女によく似ていたように思う。


「……よく覚えてるわね」

「記憶力はいいんだよ」

「その割に試験散々の癖に」

「うるせ。でも合ってるだろ。おまえの癖」


 真顔で小さく頷いた。


「まあ、確かにそうよ。わたしは時々、缶コーヒーを飲んだり、カーテンに……その、埋もれたり、したくなることは否定しない。

 でも飛鳥。

 それを〝演技〟と結びつけるのは無理がない? 肝心の繋がりはどこ? 飛鳥が何を言ってるのかわからないわ」


 飄々と、顔色ひとつ変えずに言ってのける。

 口調に揺るぎはなく、論理に隙らしい隙はない。

 

 たしかに昔のことを持ち出して癖を確定させても、根拠にはまだ弱い。


 やっぱだめか。

 ノリで詰めたらテンパって聞いてないことまで吐くかと思ったんだけど。所詮咲耶だしって舐めてた。



 先日の通学路で、昔のように名前を呼ばれて。

 一瞬、昔の『文月』に戻ったと思った。

 そうじゃない。

 戻ったんじゃなくて、あいつは昔の文月をっていたんだ。

 そう考えると、しっくりくるんだけどな。


 今日は咲耶のおつむが強い。カフェインのおかげかもしれない。






 しかし。


「飛鳥、か」


 昔の彼女には『日南』と苗字で呼ばれていた。


 友人と言えるほどの関係ではなかった。

 なにせ、かつての文月は男友達を作らない生徒だったから。

 が、同級生としてはそれなりの仲ではあったと自負している。




 それが、何故。

 昔よりずっと険悪な仲になった今。

 俺たちは下の名前で呼び合っているのか。




 その理由は、明確だ。


 ──異世界むこうで再会したその後に、まず「名前で呼ぶこと」を要求されたのだ。




 俺は、名前を呼び合うことを了承した。

 片方だけでは公正ではないから、お互いそうなるのは必然だ。


 向こうの世界では、俺たちは肩書きばかりで呼ばれていたから。

 あの世界で、正しく俺たちの名前を呼んでくれるのはお互いしかいない。

 それは敵対という関係性を差し引いてでも、名前を呼び合う理由に足りた。



 だが、今になって引っかかる。

 それだけじゃない気がする。



 ──そう、確か。




『文月って、呼ばないで』



『それは「わたしが呼ばれている」って、感じがしないの』




 彼女はそう、言っていた。






「なあ、咲耶ってさ──元々は、お嬢様じゃなかった?」


 咲耶が動かしたのは眉だけだった。

 が、それだけで核心をついたのは分かる。


 咲耶は諦めたように答える。


「……そうよ。養子」


 なるほど。

 それは確かに、二年ぶりに苗字で呼ばれても呼ばれた気がしないわけだ。


「知らなかったよ」

「言ったことないもの。誰にも」

「そうか。見抜かれたこと、ないんだな」


 生粋ほんもののお嬢様ではないことを。



「やっぱ咲耶、演技上手いんじゃん」



 反論はなかった。



「て、ことはさ」


 彼女には、反動のサインがあることを俺は知っている。


 それは今日。

 二年ぶりに猫を被った状態で、クラスメイトと昼食を共にした後のこと。


 あるいは先日。

 夜中にいかにも魔女の顔をして、俺の部屋に窓から入ってきた後のこと。



 そこから導き出せる可能性がひとつある。



「もしかして〝魔女〟すら、演技だった?」



 沈黙は雄弁だ。


 なるほど。



「おまえはそもそも、異世界ボケなんて、はじめからしてなかったんだな」




 普段、魔女ぶっているのがどうして絶妙に下手なのかは知らないが。

 まあ、年季の違いとかそういうものだろう。


 俺は咲耶が「昔の文月」のように戻るのを見守るつもりでいたけど。

 そもそも昔の姿すら嘘であるなら、俺の目標というやつは見当違いだったことになる。


「いやぁ、気付けてよかった! なんだ、そうだったのか。ああスッキリした」


 これで、致命的なミスをする前に目的の軌道修正ができる。

 ついでに話の通じない電波な魔女なんていなかったし、咲耶はただのバカじゃなかった。

 ひと安心だ。というかほぼ全部解決した。

 いや、空が広いな!



 と、ひとしきり満足していると。

 隣で咲耶が顔を引きつらせていた。


「い、異世界ボケ? わたし、そう思われてたの?」

「それ以外に何を思うんだよ」

「………………」


 なんか白い目で見てる。

 なんだよ。




「あ〜〜、もう!」


 咲耶は髪を、崩れない程度にくしゃくしゃとやって、


「ええそうよ! あなたに会う前からずっと、異世界むこうに行く前からずっと、わたしは『わたし』を演じて生きてるし、令嬢も魔女も全部ロールプレイよ!」


 勢いよく、仮面をひっぺがした。


「けどそれが何? それを知って、どうするのよ!」


 悪くない往生際だ。60点。





「いや。別に、何をするってわけでもないけど……」


 思考を巡らして、思い付く。


「ああそうだ。提案がある。とびっきりに冴えた、名案だ」


 訝しむ彼女へ、俺は左手を差し出した。


「咲耶」






「俺と、友達にならないか」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る