第4話 朝に遭遇するのは偶然じゃない気がする。


 翌朝アパートを出ると、丁度隣のマンションから咲耶が出てきたところだった。


「あら。おはよう」


 朝の咲耶は比較的、普通の挨拶をしてくる。

 曰く『朝は魔女の時間じゃないから』とかなんとか。絶対朝に弱いだけだと思う。


 つんと澄まして、ここで会ったのはさも偶然です、みたいな顔をしているが。


「おはようっていうか、さっきぶりだけどな」


 鉢合わせるのはよくあることだ。多分わざとだと思う。






 制服姿の咲耶は、夜とは真逆の雰囲気だった。

 上品ながらもどこか刺々しさのある、魔女めいた黒のワンピースから一転。


 白い糊のきいたブラウスに、左右対称に結ばれた赤いリボン。

 そしてふわりと広がる紺のスカート。


 校則はゆるいにも関わらず、几帳面に制服を着こなした姿は、辺鄙へんぴな町の公立校の生徒とは思えないほど、お嬢様然としている。


 同じ制服なのにどうしてこうも咲耶だけあつらえたようなのか。と見るたびに思う。


 ただし、左眼を隠す眼帯だけは浮いていたが。


「そういやおまえさ、夜あの後、カーテンにぐるぐる巻きになってなかった? 窓から見えてたんだけど」


「…………そんなことしてない」


 バレバレの嘘。


「あ、そ」


 やはり朝だからテンションが低い。

 俺も流石に少し眠いし、追求するほどの気分じゃなかった。


 朝から喧嘩腰になれるほど若くはない。








 駐輪場へ自転車を出しに行くと、当たり前のように後ろを咲耶が付いてくる。

 しれっと付いてこられると突っ込みづらい。


 ついでに無言で、咲耶はまじまじと俺を見ている。

 なんか変なモノでもついてるか?


 制服はいつも通りネクタイがないだけで、顔もちゃんと洗ったし、髪は、少し伸びてしまっているが整えてはある。


 前髪が少々長いのは、お互いに同じだ。

 俺も異世界むこうでの名残で両目が青い。

 隠すほどではないが、あまり髪を短くすると目立つ。


 あとは変、といえば。

 右手の包帯ぐらいだが、眼帯女にそれを言われる筋合いはない。


「米粒とかついてるなら言ってくれ」

「いえ。ただ、あなたに思うところがあって」


 咲耶は真顔で、ぽつりと。


「一生制服着てればいいのに」

「一生留年しろって意味かよ」


 朝から喧嘩売りやがって。

 これだから最近の若者は。







 俺は自転車を引いて歩く。


 俺たちの住む「坂白さかしろ」という町は、名前の通り坂や階段が多い。

 学校は急勾配の上に建っているため、通学に自転車はほとんど使い物にならない。

 わざわざ持って行くのは、放課後にバイトを梯子するためだ。


 つまり実質の徒歩通学。

 朝にこうして会った以上、咲耶と並んで歩いて学校に行くことになるのは必然的な展開だった。





 ちらりと横を見る。

 ぴんと伸びた背筋と細い腰を締め付けるスカートが、胸を強調している。

 咲耶は女子にしては少し高めの身長だから、目に毒な大きさが……近い。

 スタイルが控えめに言っても良すぎるのだ。


 いやそもそも、歩く間隔が近過ぎる。

 俺が自転車を引いているせいだ。あまり距離を開けると道が塞がる。

 だからこの距離感は意味のない近さ。わかる、わかっている。


 微妙に視線を上へ逸らすと、視界には彼女の横顔。

 俺の左側を歩いているから見えるのは右側。

 眼帯に覆われていない方の瞳は憂鬱そうで、唇はきゅっと引き結ばれている。



 ──咲耶は絶対に俺の右側を、歩かない。



「おまえってさ、学校行く時いつも不機嫌そうだよな」


 こちらを振り向いた咲耶は、思いっきりしかめ面をしてみせる。


「こ、れ」


 眼帯をぐいと引っ張る。

 隙間から、鮮やかすぎる赤色の目でこちらを睨む。


 確かカラーコンタクトでもごまかせなかったと言っていた。

 中二病のくせに眼帯は不本意なんだ……。


「って、おい。そんなに引っ張ったら、」


 忠告も虚しく咲耶は手を離す。

 眼帯のゴムとプラスチックが、バチンッといい音がして戻った。


「痛っった!!」


 嘘だろ。


「こ、こんなもののせいでっ……美少女が台無しよっ」

「今の自滅がなにより一番台無しだよ」


 苦痛に歪む形相で、片手で顔を覆う。

 そのポーズはいかにも闇に呑まれてそうなんだが、経緯が経緯なのでただ哀れ。


 見ていられない。目に毒だ。

 電波抜きの咲耶も所詮ただのアホだった。


「つか流石に、美少女を自称するのは……きつくないか?」


 両方早生まれだからかろうじて十八だが、本来ならば大学生か社会人かっていう年齢なんだから。

 それって少女か?


「わ、わたしの外見は十六の頃から変わっていないし」

「確かにそうだけどさ。おまえは可愛いっていうか綺麗寄りだし、美人って言うならまだしも……」


「うぁ、」


 なんか一瞬変な声出したな。

 咲耶は視線を彷徨わせる。

 髪をくるくると指で弄びながら、


「あ、あなたに褒められても! ……いえ、わるい気はしないわ。その……ありが、」


「いや別に褒めてない。おまえが綺麗なのも美人なのもただの事実だ。事実を並べた以上の意味はない。そこに石ころがあるな〜、くらい」


「死ぬほどむかついた」







 ◇




 半分以上起きていない頭で不毛なやりとりをしているうちに、別れ道が見えてくる。


 学校に着く直前の岐路。

 片方は近道の階段で、もう片方は回り道の坂道だ。


 別れ道に差しかかる前に、咲耶は立ち止まる。


「ねえ、飛鳥」


 咲耶は滅多に俺の名前を呼ばない。

 呼ぶときは真面目な話の可能性が、爪の先ぐらいはある。


 自転車を引く手を止めた。


「覚えているかしら。四月からずっと続けている勝負のこと」


「うげ。あれまだ有効だったのか」


 その勝負とは何か。


 それについてはまず「俺たちが現世に帰ってきたこと」が周りにどう扱われたか、という話をしなければならない。




 戻ってきたら「召喚された二年前のあの瞬間に戻る」などという都合のいいことは起こらなかった。


 約二年、しっかりと時が進んでいた。

 時の流れ自体がずれて浦島太郎になったりしなかっただけマシだろう。


 現世では二年間、俺たちはなんらかの事件に巻き込まれたと思しき、行方不明者として扱われていた。

 それが突然帰ってきたのだから騒ぎにもなる。


 帰還時に色々と魔女サクヤが魔法で誤魔化したおかげで、そこまで大ごとにはならなかったが。

 事情を聞かれて一回うっかり異世界とか口走ったら、病院にぶち込まれそうになったりした。

 危ない。


 そんな感じで現世特有の一悶着をなんとか片付け、学校に戻ったわけだが。


 坂白の町の高校は、自由な校風にも関わらず立地の悪いため、わざわざ遠くから通いたがる生徒が少ない。


 結果的に学校には地元の人間が多く──その頃には、失踪事件の噂は見事に広まっていた。



 まあなんだ、要は新学期早々、好き勝手に言われていたのだ。


 神隠しにあったとかどうとか。

 駆け落ちに失敗したとかどうとか。

 ヤクザに拉致られてたとかどうとか。

 異世界に転移していたとかどうとか。


 いや、誰だよ正解引いてるヤツ。


 まあ面白おかしいのは半分くらい。残りは『なんだか厄いから関わらない方がいい』という悪評だ。


 噂に辟易した咲耶が「全員洗脳しとく?」などと、瞳孔かっ開いた目で言っていたのを覚えている。


 流石に全員は出来ないとは思うが、全力で止めた。

 倫理観の異世界ボケは洒落にならない。




 要するに、だ。

 俺たちは学校で浮いた。


 それはもう見事に。

 流布した噂のおかげで。


 仕方ない。所詮現世もカスだからね。

 



 そんなこんなで人間関係に疲弊していた頃、どちらともなく言い出した。


『いっそどっちが友達を先に作れるか、勝負しない?』


 いや、冷静に考えると友達は勝ち負けで作るモノじゃないんだが。


『乗った』


 と答えてしまったわけだ。


 さてそれが、現世こちらで一番初めにふっかけた、或いはふっかけられた勝負であり──それは五月の半ばになっても、まだ決着がついていなかった。






「それで、調子はどう? ……なんて。あんたが相変わらず孤立してるのは、同じクラスだから知ってるけど」

「ぐ」


 珍しく声音に煽りの色がないのが、逆に痛かった。


「おかしい……こんなはずじゃなかったのに……なんでだ……!」


「それ本気で言ってる?」


 咲耶が胡乱げに見る。


「いやだって、現世で生きてきた十六年、友達に困ったことなんてなかったから。思ってたんだよ……たかが友達くらい、なんか普通にやってたら、できるって……」

「うわ」


 咲耶の胡乱な目が哀れみの目になる。 

 ちくしょう!


 いや、流石に何もしていなかったわけではない。

 クラスメイトと最低限の会話は毎日出来ている。かろうじて。

 ただその先に進む道が、まったく見えない。

 壁を感じる。


「……ほんとにわかってない?」


「これっぽっちも。いや、確かに前評判は散々だったけどさ! 人の噂は実際七十五日も持たないだろ。なのに、」


「そこじゃないわ、原因は」


 と、かつて高嶺の花だった彼女は首を振る。



「こういうのはね、第一印象で決まるのよ」



 第一印象。

 つまり前評判と外見と、あとは「最初に何を言ったか」だろうか?


「新学期初日の自己紹介。あんた、何言ったか覚えてる?」


「多分、普通にやったはずだぞ」

「鮮明に思い出して」


「ええ? 確か……まず、名前を言って。名乗った後に『あれ、何も言うことがないな』って思ったから。そのまま『よろしく』って言った、気がする」


「……さては自己紹介の前に何も用意しないタイプ?」


「え? うん。そういうもんだろ。自己紹介なんて、その時になったらすらっと出てくるし。紹介できる自己がなかったな、って思ったのはあれが初めてだけど」


 はぁーーあ、と彼女は大きな溜息を吐く。


「なるほどね。つまりあなたは前評判と外見でデバフ……じゃなかった、失点を背負ってるにも関わらず、無愛想に名を名乗って。しばらくの間、重く沈黙して。結局、やる気なんて微塵も感じられない、投げやりな言葉だけ寄越して席についた……ってことよね? なーんにも考えず」


「うん。うん……? なんかそう聞くと……」


 咲耶の言った通りに、客観的に想像してみる。




 無言で立つ自分。 


『日南飛鳥。………………。よろしく』


 シンとする教室。




「……うわ! 関わりたくねえ! え、俺、そんなんだった!?」


「そうよ。そこであなたという人間への裁定は下ったの。噂の真偽がどうであろうとね。……しかも、『ヒナミ』と『フミヅキ』で出席番号が繋がってるせいで、わたしの番、あんたの直後よ。あんたが空気ぶっ壊したその直後。もうね、何を言っても無駄だった。あんたとわたしの評判ってセットなんだもの。かんっぜんに割りを食わされたわ。いえ、別にこれについてはあなたのせいにするつもりはないの。わたしの落ち度よ。あんたがやらかすことまで読んで、完璧な自己紹介を用意できなかった、わたしのね!」


 口元に手を当てて、微笑みながら喋り尽くす。


「え……ごめん……」

「ふふっ。ようやく自分の醜態を思い知った? 無様。あんたが顔を青くしてると嬉しいわ。ちなみに今もあんまり変わってないから」

「嘘だろ!?」

「だから鏡見ろって言ってんのよ」


 衝撃すぎて受け取り方がわからない。


「いや、でも! おまえも同じ・・ようなもんだろ」


 俺がその、客観的にちょっとアレに見えるらしいことは認めるとして。

 人間関係を構築できてないのはお互い様だし。

 散々魔女を自称している彼女に言われる筋合いは無い、無いんじゃないか、ギリギリ無い気がする!


 我ながら苦しまぎれの反論に。



 彼女の片目が、すっと細まる。





「──同じ・・だったら、どれだけよかったか」







「……どういう意味だ?」



 彼女は、俯いて。

 一拍の間。

 顔を上げる。



「なんでもないわ。日南くん・・・・



 柔らかな声とその笑みに、俺は固まった。


 先までの低血圧めいた唸るような声音や、こちらを睨みつけるような視線は、影も形もなかった。


 真夜中に騒がしく窓から踏み込んでくる魔女なんかとも程遠かった。


 それはまるで春の日差しのような、

 ──二年前かつての〝文月咲耶〟の、微笑みだと。


 記憶が言う。



「多分わたしのことを思って言ってくれたのよね。ありがとう。でも、ご心配には及びません。わたしこれでも結構……やるときはやるんだから、ね?」



 軽やかに笑いながら、小首を傾げる彼女は。

 親しみと、けれど触れ難い不可思議な魅力を漂わせて。

 何ひとつまるで当たり障りのない台詞を、滑らかに吐いてみせる。



 髪型も、化粧も、眼帯も、全部。二年前とは違う。

 赤い粒子なんて飛び散っていないから、魔法は使われてなんかいない。

 だというのに。




 ──そこには、完璧に。


 ──かつてと同じ〝文月咲耶〟が居た。






「それじゃあ、お先に失礼させてもらいます。……お互い、頑張りましょうね!」


 そう言って、彼女は俺を置いて先へ行く。


 ここは別れ道だ。

 自転車を引いては登れない階段を、彼女はひとりで軽やかに登っていく。



「あ、おい。文月・・!」



 つられて昔の呼び方で、後ろ姿を呼び止めた。


 彼女は、くるりと段上で振り返って。



「……ばーか!」



 それはもう見事な、あっかんべーをしてみせた。


 そうして、ようやく〝文月〟の幻覚は、掻き消えたのだった。











 置いて行かれた俺は、唖然と立ち尽くす。


「……あいつ。ちゃんとした顔、やればできるのかよ」



 まじかよ。

 なんで俺の前でだけああなんだよ。

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