第3話 わたしは窓からアイツのところへ。
──思えばわたしたちの確執の始まりは、あの台詞だった。
『おまえ……本気で「世界を滅ぼそう」なんて、頭沸いてんのか!!』
『そっちこそ、本気で「世界を救おう」なんて、脳味噌おかしいんじゃないの!?』
敵対していた相手が同じ異世界に召喚されただけで、同じ境遇の、しかも同級生だったと気付いたら、普通は和解できそうなものだろう。
けれどわたしたちは、それができなかったのだ。
それは何故か。
思うにきっと、わたしたちはお互いに、
異世界での二年はちょっと長すぎた。
与えられた役割にのめり込むには、十分な時間だった。
だからわたしたちは二人とも、嫌々と異世界の事情に付き合わされていたくせして「勇者」と「魔女」の役割を全うすることに、本気になってしまっていたのだ。
同じ境遇で真反対の立場と真反対の主義主張。
似ているからこそ断絶は決定的。
わたしたちは同時に、悟った。
──ああ。
──こいつとは、絶対に分かり合えない。
と。
◆
いくつかあった候補地のひとつが、今住んでいるこのマンションの一室だ。
周りには街灯が少なく、わざわざそこに住む理由はなかった。
そのマンションが丁度、飛鳥の住むボロアパートの隣だと知るまでは。
選択に躊躇はなかった。ガラガラで選び放題のマンションから、わたしは迷いなく飛鳥の部屋の対面を選び、そこに引っ越した。
同じ二階ではなく三階にしたのは、完全に悪あがきの誤魔化しだと自覚している。
……それにしても。初めて入った日、飛鳥が「俺の窓がぁぁ!」とか喚いてたけどあれはなんだったのだろう? 別に割ったりしてないのに。
窓を一人称所有格付きで呼ぶ人間、初めて見た。
なんかすごく、怖かった。
ええと、ともかく。そういった経緯で、わたしはあいつのお隣さんになったのだった。
──すべては日南飛鳥に、会いに行くために。
そして今日。
時は、飛鳥の部屋に侵入するより少し遡る。
五月も半ばの涼しい夜半、時刻はもうすぐ午前三時になろうとしていた。
その夜読んでいたのは好きだったファンタジーの続きの巻。
けれどわたしはそれを、うまく楽しめずにいた。
原因はわかっている。自分が
「……さいあく」
ふてくされて寝てしまおうかと思ったけど、眠気すらまったくなかった。
わたしは分厚いカーテンをめくり、窓の外をぼんやりと眺める。向かいの二階だ。
「電気、まだついてるし」
カーテンが薄いせいで、卓袱台に向かうシルエットまで筒抜けだ。
「……あいつ、追試食らってたな」
わたしはしばらく考え込んで立ち上がる。
わざわざ服を着替え、ノート類を急いで取りまとめる。
仕上げに、鏡を覗き込んだ。
──毒々しい赤色をした瞳が映り込んで、辟易した。
節操なしに読書を嗜むわたしが、いわゆる〝中二病〟なんて概念を知らないわけがない。
オッドアイなんて最悪に痛いと思う。
れに、深夜三時に窓から入ることが不躾だってことも当たり前にわかっている。
わたしは、完璧に、
すぅ、と静かに息を吐いて。
わたしはさっきまで無表情だった顔に、笑みを実装した。
計算された完璧な、
「完璧」
そうして深夜。
わたしは、意気揚々とアイツのベランダへと乗り込んだのだった。
──そう。その夜もわたしは〝完璧〟なはずだった。
着地のタイミングも、挨拶の声色も、作った笑顔も、仕草さえ!
なのに。
結局いつも通りあいつのペースにぐだぐだにされて、用意していた台詞も全部すっぽ抜けて、表情筋なんてもうめちゃくちゃになって、挙句の果てにどうだっていいような口論で負けて、これ以上は分が悪すぎると逃げ帰る羽目になったわけだ。
本当に、いつも通り!
帰ってきた自分の部屋の窓の前で膝をつく。
「ああもう、最悪!!!」
あいつ、あの目! 絶対にバカにしてた!
絶対わたしのことを「バカだな」って思って見てた!
ちがうのに、ちゃんと考えてやってるのに!
考えて、ちゃんと用意して、そのすべてを……しくじっているだけで……。
「いえ、それは、それはむしろ何も考えてないよりひどいわ。ひどい無様だわ」
ぐるぐるとさっきのやりとりが頭の中を回る。
ノートを差し入れる言い訳ももっとちゃんと綺麗に、隙がないものを用意していたはずなのに。
……最初、窓から締め出されるまではいい感じじゃなかった?
いい感じにミステリアスな魔女を演出できていた気がするのだけど。
……逆に言うとそこだけじゃなかった?
わたし、今日、いいところ、あった?
口走った台詞を思い返してひとつひとつ吟味して、ついでに飛鳥の反応・返答・表情と照らし合わせる。
あれはあれで常に「はぁ?」って顔をしてるからよくわからないのだけど、あいつの「はぁ?」にも実は結構種類があるのだ。
わたしは詳しい。
評定結果、魔女として五十点。人間として三十点。
極めて低い。
わたし、今日、いいところ、ない。
「なんでよぉ……」
カーテンにくるまりながら呻く。
もう帰りたい。逃げ帰ってきたばかりだけど。
なんでアイツと喋ろうとすると途端に脳味噌の出来が悪くなるんだろう。
わたし、あんなに愚かじゃないはずなのだけど……。
……いや。本当は。わたしがこうなってしまう原因をちゃんとわかってる。
全部、昔のわたしが残した厄介な「病」のせいだ。
──二年前、こうなる前のわたしは。
恋という一過性の病の、好きな人を相手にしてうまく喋れなくなってしまうという症状。
これはその、
あくまで名残で、好意は過去形でしかない。
──わたしは今のアイツを、これっぽっちも好きじゃない。
だからこんな症状には、爪の先ほども意味はないのだ。
ないのに。
「うぅ……条件反射で喧嘩を売るのはできるくせに……」
「因縁」というものが明白にあるおかげでわたしの無意識が、ふさわしい言葉を弾き出して自動的に喧嘩を売ってくれる。
別にそれはいいのだ。
別に、それは。
だって、十全に理性が機能していたとしてもわたしは飛鳥に喧嘩を売る。
それは決定事項だ。
それは、わたしの目的に即している。
わたしの目的は、なんなのか。
「確執」を由来とするそれは、あいつが何ひとつとして問題にしておらず、わたしひとりだけが未だに拘っていることだ。
かつて
アイツはわたしをこっぴどく打ち負かした。
『本気で〝世界を滅ぼそう〟なんて、頭沸いてんのか?』
そう言って──わたしの異世界での二年を〝全否定〟して。
「なによ。わたしが──どうして、世界を滅ぼしたかったかも、知らないくせに」
わたしの目的は、あいつに「同じ気持ちを味わせてやること」だ。
『いつまで魔女やってんの? 普通に生きろよ』とか小馬鹿にして言うのは、自分は勝ち逃げしておいて、とても、とても性格が悪いと思う。
……というかあいつ、自分が普通なつもりなの?
どのへんが? 一体どのへんを普通だと思ってるの?
絶対鏡見た方がいいと思う。わかめがよ。
だから。わたしはことあるごとに、あいつに喧嘩を売りに行く。
ただそれだけの関係で。わたしがあいつの隣にいるのは、ただそれだけの理由だ。
『実は俺のこと、結構好きだろ』
あいつのまるで棒読みの台詞を思い出す。
棒読みだ。そういうところが、最低だと思う。
「別に……そんなのじゃ、ないんだから」
呟く唇が熱いのは、気のせいだ。
絶対に。
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