第2話 アイツは窓から帰っていく。


 深夜三時の侵入者に俺は言う。


「いいか、何度でも言うぞ。窓から入ってくるな、窓から」


「じゃあどうすればいいのよ」

「普通に正面の扉から、常識的な時間に尋ねてこいよ」


「なんで、わたしがあなたの家を訪ねないといけないの?」


 何故か、話が、通じない。


「は? じゃあなんで来てんだよ。来んなよなんだおまえ。なんで舌の根乾かないうちに矛盾したこと言えんだよ」


「矛盾してないわよ。考えたらわかるでしょ。ていうか日常会話で『舌の根』とか使うヤツに常識語られたくないのだわ」


「翻訳文学の女みたいな喋り方するやつに言われたくねえわ」


 だがそこまで言うなら、と彼女の言っていることの意味を考える。


 この側迷惑な隣人は、自分が『魔女』であることに謎のプライドを持ち、ことあるごとに自分が『魔女』であることを示そうとする。


 そこから答えを推測しようとするが、無理だ。


「わからん。はよ吐け」


 これだから剣しか知らないやつは……みたいな顔で肩を竦める咲耶。

 口調は翻訳文学、仕草は洋画、中身は電波。哀れな生き物。


 魔女は哀れまれているとも知らず、得意げに指を立てる。


「いい? 窓から入ってくるのは〝侵入〟だからいいのよ。なぜなら『魔女とは侵入するもの』だから」


 俺は曖昧に頷く。

 まあ「魔女」というのは「泥棒」と同じ系統の悪人だからな。

 ギリギリ理解できる。


「でもドアから入るのは〝訪問〟だから駄目なの。『魔女わたしはあなたと馴れ合う関係じゃない』から」


 俺は、もう一度頷こうとして。


「……は?」


 なんだその謎理論は。


「全然わからん」

「これだから鉄の塊振るしか能のない奴は……」

「そうだな。聞いた俺が悪かった」


 これ以上付き合ってると頭が痛くなる。

 やっぱり追い返すか。

 ハエ叩きどこにしまったっけな、と背を向ける。





 と、咲耶は。

 突然神妙な声で言い出した。


「ねえ……あんた。全然関係ない話するけどさ」

「なんだよ」

「部屋着ダサくない? そのTシャツ、死ぬほどダサくない?」

「今度は真っ向から失礼だなおまえ」

「いや本当に。鏡見てきなさいよ。ヤバイって。右腕にぐるぐる巻きの包帯と相まってなんかもう最悪だから」


 片目だけが赤いヤツに言われたくない。絶対に。


「そっちこそ。夜中に洒落込んで何するつもりだったんだ?」


 よく見なくてもわかる。

 咲耶の着ている黒いワンピースは上等で、とても部屋着などと呼べる代物ではない。

 ……そういや咲耶は良家のお嬢様だったか。

 たいそうな代物なんだろうな、と彼女の服をまじまじと見る。


 咲耶はなぜか赤面した。


「えっ。べ、別に、わたしが何を着ていたってどうだっていいでしょ」

「そうだね。マジでどうでもいいね。自分で聞いといて全然興味なかったわ」

「……それはそれでムカつく」


 別に、ただ。

 めちゃくちゃ似合っているな、と見てしまっただけだ。

 背が高くてスタイルがいいから、いかにも魔女っぽい黒のドレスなんかが普通に似合ってしまう。

 ざっくりと胸元が開いた大胆なデザインなのに、何故か上品でいやらしさがない。

 ……少し、目のやり場には困るが。


 コイツの見てくれだけはいいことを思い知らされて、ちょっと腹が立つ。





「で、結局。何しにきたんだよ」


 まあ、心当たりなんてひとつしかないのだが。






 ◇




 さて、俺と彼女の関係の、前提の話の続きをしよう。


「異世界召喚」なんて言葉こそファンタジーな響きだが、それを正しい日本語に訳すると拉致である。


「異世界召喚」イコール「拉致」

「世界をお救い下さい勇者様」イコール「強制労働年中無休24時」


 これが当事者からすると正しい認識だ。

 つまり、割とイヤイヤやっていた。


 現世こっちに帰ってきてから、いくつか参考文献ライトノベルを読んでわかったのは、どうやら俺たちの異世界は「福利厚生が最悪」だった、ということだ。


 休みも給料もなんもない。

 なんか、楽しいこと、なんもなかった。

 クソブラック異世界め。


 俺も辺境でスローライフとかしたかった。

 現世に帰ったら家が更地になってたからボロアパートでバイト生活ハードライフなんだが。

 意味がわからない。

 現世もカス。



 ──話が脱線した。



 そんなわけだから、俺たちが現世に帰りたいと思うのは自然なことだったし、とっとと巻き込まれた異世界召喚の諸々なんて終わらせたいと思っていた。


 俺たちはたまたま敵陣営にいただけで、意思は概ね一致していた。


 知らない世界で強制労働をさせられ続けるのはごめんだ。

 勇者オレはとっとと異世界を救いたかったし、魔女アイツはとっとと世界を滅ぼしたかった。

 さっさとこんな仕事から解放されるために。


 だから──根本的に同じ境遇にも関わらず。

 お互いの正体を知らないまま、全力で敵対してしまったのだ。



 俺は現世に帰るため、一度魔女アイツをボコボコにした。

 しょうがない。敵だったわけだから。

 戦なんだからどっちかは勝つし、どっちかは負ける。


 まあ結果的に二人とも現世こっちに帰ってきたんだからいいだろ!

 ……と俺は思っているのだが。


 どうやら彼女はそう思っていないらしかった。


 プライドの問題らしい。

 異世界で「魔女」としてのアイデンティティを固めてしまった可哀想な彼女は「勇者てき」に惨敗したことが、それはもう気に食わなかったらしい。


 つまり因縁、禍根である。

 だから、かつてのいざこざが終わった今でさえ。

 俺たちは未だに、犬猿の仲だった。



 因縁だの禍根だの、犬にでも猿にでもキジにでも食わせとけ、と俺は思う。

 だが面倒なことに、このラスボス後遺症に侵された高飛車中二病女はそうじゃないらしい。


 負け戦の私怨を持ち越して、未だに「喧嘩を売ってくるつっかかってくる」のだ。


 敗者は敗者らしく大人しくしてろよ。

 往生際というものを知らないのか。

 俺は負けたら潔ぎよく腹を切ろう。

 これだから魔女は駄目。





 そんなわけだから、文月咲耶がわざわざ俺のところにやってくる理由なんて、ひとつしかないのだ。


「目的? それはもちろん! こんな時間まで起きて勉学に勤しんでいる、可哀想な誰かさんを笑いに来たのよ!」


 ほらな。


 とてもいい笑顔だった。

 ああ、本当に。顔だけは綺麗だ。

 もう黙っててくれないかな。


 そうか、と俺はにこやかに頷く。


「よかったな隣に住人いなくて。得意の高笑いし放題だぞ。おまえの肺活量と腹筋に敬意を払うよ。ほら笑えよ。点数つけてやる」


「喧嘩売ってんの?」

「買ったんだが?」


 ふふふ。

 あはは。


「死ねバカ」

「うるせえナスビ。はよ本題入れ」


 咲耶はむすとしたが、このまま話し続けていると日が昇るのも経験上分かっているのだろう。

 大人しく膝を畳んで、卓袱台の前に座り込む。

 そして、そのまま無断で閉じておいた俺のノートを覗き見する。


「ねえ。この前の試験ではわたしが圧勝したでしょ」


 ──喧嘩を売ってくる、とは言っても。現代でできる争いは限られている。

 気も話も合わないが「暴力沙汰は避ける」という一点はお互いに守っていた。

 だから俺たちにできる勝負は限られており、「成績」という実に高校生らしい課題もその対象だった。


「わたしは順当に学年二桁位、あなたは理数系赤点で惨敗の追試。どう見てもわたしの勝ちよね?」

「そうだね。俺はそんな程度の低い争い、醜いと思うけどね」

「めちゃくちゃ低い声で『覚えてろよ……』って言ってた癖に」

「俺は覚えてないから言ってないが」

「は? 舌引っこ抜くわよ」


 売られた喧嘩、全部買う。

 往生際とか知らん。

 最後に勝ったやつが勝ちだ。





 咲耶はさらりとした髪を弄びながら、俺のノートをめくり続ける。


「ふぅん。どうやら追試の勉強もてんでダメみたいじゃないの」


 とても嬉しそうに言いやがる。


「異世界の勇者サマも高校数学の前にはカタナシなんてざまあないわ!」


 俺はもう一度ハエ叩きを探しに行く。


「ええ。そんなことだろうと思った。だろうと思ったのよ。ふふっ」


 見つからない。

 殺虫剤じゃ駄目だろうか。






「──ねえ、いいものを上げましょうか」



 彼女の囁き声に、振り向く。


 肘をついて甘やかに笑みを浮かべる。

 細めた左目が、長い前髪の隙間で妖しく輝いていた。



 ──その笑い方を、知っている。

 それは〝魔女〟としての笑い方だ。




「おまえ、何するつもりだ?」




 異世界あちらで持っていた力には程遠いとは言え、彼女は今でも割と魔法が使える。

 例えば鍵を開けるとか、人を魅了するとか、洗脳するとか、記憶を操作するとか、そういう物騒なことができるのだ。


 魔女なんてだいたい泥棒と近似である。

 彼女に残されたのは所謂、悪人の才能だ。


 だから、一体どんな悪行の提案をしてくるのかと身構える。

 こいつなら、たとえば追試の試験を盗み出して対価を要求するとかやりかねない。


 ……もしそういうことを考えているならば。

 異世界同期のよしみとして、俺が引導を渡してやらなければと思う。






 と、後ろ手に隠したハエ叩き(やっと見つけた)を握りしめる。


 俺の問いかけを「了承」と受け取ったらしい咲耶は、にこりと微笑んで。

 何かを手渡してくる。



「はい」



 どこからか魔法で取り出したのだろう、それは。

 見覚えのないノートだった。


「は?」

「わたしのノート。貸したげる」


 なんで?


「勝負する敵の歯応えがなさすぎるんじゃつまらないもの。ええ、敵に塩を送るのも魔女の嗜みです!」

「それは義の逸話だからおまえとは一番遠い。おまえは嬉々として傷口に塩を擦り込む方」

「……お望みならば今度やってあげるわよ」


 受け取ったノートをめくる。

 授業のそれではない。

 わかりやすくて綺麗な、いわば「手書きの参考書」とでも言うべき代物だった。


「手取り足取り教えてあげる、なんて義理はないけど。あんたならそれで十分でしょ。あと一応、他の科目のやつも色々持ってきたから」


 追加でどさどさと卓袱台に乗るノートと参考書など。


「勘違いしないで欲しいのだけど、これはただの気まぐれだから。あんたが……あまりに見てられないんだもの。ふふん、せいぜいわたしに、感謝することね?」



「…………」



 …………。


 あーー、なるほど。


 理解した。

 なるほどな。




 つまり、用件というのはこれだったらしい。


『目的? こんな時間まで起きて勉学に勤しんでいる可哀想な誰かさんを笑いに来たのよ』


 という文月咲耶語を正しく人語に翻訳すると、以下だ。



『困っているようなのでささやかながら力を貸しましょう』



『あんまり遅くまで起きていると心配です』




 …………わかるかんなもん。

 はよ言え。




 はー、と溜息を吐く。


「おまえさぁ」

「なによ」







「実は俺のこと、結構好きだろ」







「……ハァ?」


 咲耶はノート一冊取って投げつける。

 ベシャ、と顔面に直撃したが甘んじて受けた。


「何言ってんの? バカじゃないの? アホ! 自意識過剰! Tシャツにわかめって書いてるくせに! 死ね!」


 語彙力がなかった。

 魔女のくせに呪詛が下手だ。


「いや、Tシャツがわかめなのは関係ないだろ。わかめに謝れよ。あいつらすごいぞ。増える」

「わかめ喉に詰まらせて死ね!」

「お、今の呪詛はよかった。70点くらいある」

「殺す。いつか殺す」


 言いながら、咲耶は窓を開け放つ。


「帰る!」


 被った猫が全部脱げていた。

 ミステリアスな魔女も電波も抜け落ちている。

 なんかそろそろ逆に、微笑ましくなってきた。



「咲耶」


 軋む欄干をよじ登って帰ろうとする彼女の後ろ姿を呼び止める。


「何よ」





「ありがとな」





 振り返った彼女は、毛を逆立てた猫のような顔をして。





「──別に、あんたのためじゃ、ないんだから!!」





 いや、俺のためじゃなかったら誰のためなんだよ。

 流石にわかるわ。



 やっぱアイツ、バカだな。






 ◇






 二年前。

 つまり、俺たちが異世界なんかに飛ばされる前の話だ。


 文月咲耶という少女は、正真正銘の高嶺の花だった。


 地方の公立高校に、なんの間違いか紛れ込んだお嬢様。

 容姿端麗、品行方正で、成績もそれなりに良く、人に優しく親切で……本当に、お淑やかでいい子だったのだ。

 息をすることと善行を行うことが、まるで一緒の、嘘みたいな優等生。


 そんな完璧な彼女に誰もが憧れていた。

 当時から同級生だった俺も、そのひとりだ。



 それが、異世界で再会したらあのざまだった。

 顔が同じだけの別人かと思ったくらいだ。

 変わり果てている。

 天使もかくやという優等生が、どうやったらあんなバカの魔女に変わるんだ。

 おかしいだろ。




 ──だが、あの文月咲耶も確かに同一人物なのだ。




 どんなに悪ぶっても、電波になっても、残念になっても、根が世話焼きで真面目で良いやつには変わりなかった。

 ちょっと異世界ボケしてるだけで。



 それをわかってるのは俺だけだ。


 だから、俺は彼女と縁を切れない。






 やるべきことは、ひとつ。

 同じ異世界転移経験者のよしみというやつだ。


 あいつがちゃんと異世界ボケを直して、普通に真っ当に、元の彼女に戻れる日が来るまで、温かく見守ってやろうと思う。


 それが俺の、現世での当面の目標というやつだった。



 それはそうと売られた喧嘩は全部買って俺が勝つ。

 腹立つから。





 俺と彼女の関係というのは、それだけ。


 それだけだ。






 ──だから。二年前、あいつが俺のことを「好きだった」らしい、なんて過去は。

 今はまだ、あまり関係のない話だった。

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