アイツは窓からやってくる。〜かつて最強だった俺たちが、無敵の夫婦にいたるまで〜

さちはら一紗

第一章 友達以上編

1節 アイツは窓からやって来て、俺はドアから部屋を出る。

第1話 アイツは窓からやって来る。

 窓が好きだ。

 住む場所を選べるのなら、大きな窓があるところがいいと常々思う。


 築ウン十年の、住人も俺の他にはろくにいないボロアパート。

 ひとり暮らしの部屋の窓辺で、静かな夜中に勉強をする。

 それは俺にとって悪くない時間だった。


 たとえ、二年遅れ・・・・でなった高校二年の五月。

 そうそうに追試を食らったがため、これっぽっちもわからない問題の数々に、頭を抱えていたとしても。


 けっして、悪くない時間だったのだ。


 ──ベランダに彼女・・の気配がするまでは。





 開け放った窓、風がぶわりと薄いカーテンを膨らませる。

 風と共に入り込んだ赤い光の粒子が、弾けて消えた。


 俺は窓の向こうに目をやる。

 カーテンは強風で開ききっていた。


 踵を鳴らす、着地音。

 今にも崩れそうなベランダに、軽やかに降り立つ少女が窓の向こうにいた。


 ほのかに色づいた唇を吊り上げて、彼女は会釈のように小首を傾げる。



「ご機嫌よう、飛鳥あすか。いい夜ね」 


 風に広がる長い亜麻色の髪。

 纏うのは大人びた真っ黒なワンピース。

 露出した華奢な肩と胸元の柔らかなシルエット。

 深いスリットの入った裾から、すらりと長い脚が伸びている。


 よくできたマネキンのような、いっそ作り物めいた美少女が、錆び付いたベランダに立っていた。


 ただでさえ現実感がない容姿のその少女には、ひとつだけ決定的な違和感がある。

 

 ──片方だけが赤く染まった瞳が、こちらを見つめている。


 彼女は、透明な鐘のようなしっとりと響く声で囁く。


「いい夜だから、あなたの顔を見たくなって。……会いに来ちゃった」


 綻んだ花すら顔を背けるような完璧な笑顔。

 その言葉を聞いて。


 途端。


 卓袱台の上のノートに力一杯突き立てていた俺の鉛筆の芯が。

 ばきりと音を立てて折れた。






 

 俺こと、日南飛鳥ひなみあすかは、普通の高校生だ。少なくとも今は、それを自負しそうあらんと努めている、清く正しいごく一般的な貧乏学生だ。


 そしてこの、浮世離れした外見の女の名は文月咲耶ふみづきさくや

 同じ高校に通う同級生であり、不本意なことに旧知の仲の人間だった。



 折れた、というか折ってしまった鉛筆の芯をゴミ箱に投げ捨て、俺は彼女に聞く。


「なぁ咲耶。今、何時か知ってるか?」


「午前三時」


 顔色ひとつ変えず、即答。

 時刻は夜更けを通り越した夜明け前だった。


 俺は眉間を押さえる。


 窓は好きだ。

 開けっぱなしの、大きな窓がある部屋ならば、どんなところだって都だと思う。

 冷房が壊れた真夏日だって耐えてみせよう。

 

 だけど、窓から入ってくる人間がいる場合は別だった。

 そういう場合物件価値というのは著しく下がると、俺は思うわけだ。


 なぜなら窓から入ってくる人間を俺は二種類しか知らない。

 それは「泥棒」か「魔女」の二択。

 

 ──要は、深夜に窓から入ってくるやつは〝最悪〟だということだ。



 俺は立ち上がりベランダに近付く。

 そして笑顔で佇む彼女に、きっちりと笑い返して言う。



「帰れ」



 ピシャリと窓を閉めた。










 そのまま鍵をかけてカーテンを閉める。

 なんだか慌てたような女の子が窓を叩くのは無視した。


 今夜はもう駄目だ。

 朝まで勉強しようと思っていたけど、今ので完全にやる気をなくした。


 寝よう。

 深夜にやることなんて勉強か寝るかの二択だ。

 学業に励む以上に大事なことなど学生にはないし、「窓の外になんか変なのがいたなぁ」なんてことは寝たら忘れられるような些末ごとだ。


 俺は窓に背を向け、布団を敷くために卓袱台をガタガタ動かす。


「待って待って……待っててば!」


 きっちり鍵をかけたはずの窓をガラリと開けて、彼女はもう一度入ってくる。

 また窓を閉められないようにとご丁寧に靴を脱いで、畳の上へ侵入。

 育ちの良さと行儀の悪さが奇跡的に両立していた。


「いきなり締め出さなくてもいいじゃない! 仮にもお隣さんなのに!」


 咲耶は形のいい眉を釣り上げて、理不尽に俺を非難する。


「それは窓から侵入していい理由にはならないし、俺は夜更けに窓から入ってくる不審者をお隣さんには持ちたくなかった」


 建物としては「隣」、部屋としては「向かい」。

 彼女は、俺の部屋の正面にあるマンションの三階の住人だった。


 アパートとマンションにはそれなりに距離があり、しかも俺の部屋は二階で、彼女の階とは一階分の高低差がある。

 この二つの部屋をベランダ越しに渡ることは普通のヤツにはできない。


 つまり、この女は普通ではない。


「しょうがないでしょ! だって──〝魔女〟は『窓から入ってくるもの』なんだから」


 窓の鍵を見る。

 きっちりとかけたはずの鍵は、指一本触れられないまま開けられている。

 鍵に付着したキラキラと光る赤い粒子。

 それは〝魔法〟の名残だ。


「だからイヤなんだよ」


 そう、傍迷惑な隣人である彼女は。


 ──あろうことか、本物の〝魔女〟だった。













 こうなるまでの経緯を簡単に、初めから説明しよう。


 〝異世界召喚〟という概念がある。

 字面はそのまま、ある日突然こことは異なる世界に喚び出されるというものだ。

 そしてそういった場合の異世界というのは、悪の魔王に脅かされ人類が戦っている、というのがセオリーらしい。



 二年前。俺と彼女はその〝異世界召喚〟を経験した、いわば同期だった。


 ただし、召喚された陣営は「逆」だった。


 思い出すのもなんとなく恥ずかしい話だが。

 俺、日南飛鳥は人類側に「勇者」として。

 彼女、文月咲耶は魔王側に「魔女」として。

 それぞれ召喚され、そしてお互い正義や悪のために勤しんでいたわけだ。


 お互いの正体に気付いた時は酷かった。


『こんなところで何やってんだよ!!』

『それはこっちの台詞なんだけど!?』


 みたいな、ものすごく気まずいやりとりがあったりなかったりした。


 で、なんやかんやとあった末、無事にこうして現代に帰ってきたというのが、ここまでの話だ。





 まあそれはいいとして。

 問題は、目の前のコレだ。

 未だに厚顔に「魔女」を自称するこの女だ。


 折角念願叶って現世に帰ってきたと言うのに、コイツは常識とか倫理とかを異世界むこうに置いてきてしまったらしい。


「魔女」としての振る舞い以外をきれいさっぱり忘れてしまったらしく、こうして夜な夜な俺に喧嘩を売りに来るのだ。



 ──ひらたく言うと、異世界ボケである。



 そして、真っ当に真面目に健全に生きようとしている俺が、その割を食い続けている、というのが。


 現状の正しい認識だった。


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