第9話 青年、王女に出会う

 夜の帳が降り始めたころ、辺りは静寂と、困惑と恐怖の感情に覆われていた。


「――シグルっ!」

「ミィハ、良かった……」


 ミィハは恐怖で泣きながらシグルの胸に飛び込み、シグルも彼女の無事に心から胸をなでおろした。


「リリィちゃん、だよな……?」

「そうじゃなかったら誰に見えるんだよ、カス」


 ロキの問いに、リリィは吐き捨てるように答えた。

 ちなみにこれには理由があり、普段のロキの軽薄な接し方のせいでリリィにはひどく嫌われてしまっているのである。


「シグル、この子は?」

「俺の妹のリリィ……なはず」


 ジャンヌの問いにシグルははっきりと答えることができない。

 なぜ、こんなところに、こんな状況でいなくなった妹が現れているのか、頭が全く理解できていない為である。


「もう、目の前に最愛の女の子がいるのに何で飛び込んでこないの? お兄ったらひどい」


 リリィは彼らの困惑など気づいていないかのように身体をくねらせて言った。


「そんなことよりお前、何でこんなところにいるんだよ⁉ それにさっき盗賊を殺したのは――」

「あ、ちょっと待って。その前に」


 リリィはシグルの問いを途中で遮ると、ローブを纏った二人に歩み寄った。


「貴様、何者だ!」


 背の高い方が剣を構えて警戒を露わにした。

 小柄な方は恐怖が収まらないのだろうか、小さく震えている。

 リリィはそのまま二人に近づくと、突如地面に片膝をついて頭を垂れた。


「お初にお目にかかります。ゴストール王国王女、フレイヤ・リ―リス・エリファーリル様」

『え……っ⁉』


 リリィの挨拶の中で出てきた名前を聞いたシグル達は耳を疑った。


「あ、貴方は……?」


 ようやく小柄な方が声を発した。声音からして若い女性であることが分かる。


「申し遅れました。私は――」


 リリィはそう言うと、シグル達を唖然とさせる内容の自己紹介を行った。


「ヴィングスコルニル共和国代表、ライラ・ブリュンヒルデ直属〈八闘将〉が一人、〈第七位階闘将〉のリリィ・アトラスと申します」


 その後に声を発したものは誰もおらず、一陣の冷たい風が荒れ地を流れていった。



 しばらくして、シグル達は一つの焚火を中心に輪を囲んでいた。

 未だに重苦しい空気が漂っている。


「――まずはお礼を言わなければなりませんね」


 沈黙を破ったのは先ほどの二人組の内の一人であった。

  紺色の髪を後ろに小さく纏め、意志の強そうな鋭い目つきの長身の女性である。


「私はレイン・エスト、ゴストール王国王宮侍従長を務めております。この度は私とフレイヤ様の命を助けて頂き、心よりお礼を申し上げます」

「わ、わたくしも……」


 口を開いたのは、クセのある栗色の髪を肩口まで伸ばした気弱そうな少女であった。


「私はフレイヤ・リーリス・エリファーリルと申します。この度は本当にありがとうございました……」

「でもどうしてあんなところにゴストール王国の王女様が?」


 皆が抱いている疑問を、ミィハから傷の手当を受けているジャンヌが尋ねた。


「はい、我がゴストール王国は、先のグリアモス公国がセント・イスラシオ帝国に侵攻した後、帝国並びにヴィングスコルニル共和国と軍事同盟を結びました。事はそのしばらくしてからでした。当時フレイヤ様と私は離宮にいました。突然大きく地面が揺れて地震かと思って外を見たら、見たことのない真っ黒で巨大な化け物が王宮の敷地内に大量に現れたのです」

「それって」

「ウチに攻め込んできたやつの事だろうな」


 ジャンヌとロキは先の戦に現れた者と同一であると確信した。

 レインは苦しい顔をしながら言葉を続けた。


「その直後でした。兵が私たちの所へ駆け込んで知らせてきたのです。一人の巨大な鎌を持った男が突然玉座の間に現れて、国王陛下と王子殿下のお二人を捕えたと」


「そんで泡食って国から脱出してきた、と?」


 ロキの問いにレインは固い表情で頷いた。


「はい。幸いにも脱出することはできたのですが、その後に盗賊に追われたのです」

「とにかくここ会えたのは幸運だったわね。このまま皆で共和国に向かいましょう」

「だな」

「皆様、重ねてこの度のお礼を言わせて頂きたい。本当に有難うございました」

「あ、有難うございました!」


 ジャンヌとロキはお互い首肯し、レインとフレイヤは深く頭を下げて礼を言った。


「それにしても先ほどのお二人の戦いぶりは大変凄まじいものでした。ですがシグルさんは一体……」

「シグル、どうしたの?」


 ミィハは不安げな声でシグルに声をかけた。


 シグルは返事をせずにリリィをずっと睨んでいた。

 リリィは気にすることなく小さく口笛を吹きながら夜空を見上げている。

「ミィハー、お腹減った」

「え? あ、そうだよね! 今用意するからちょっと待ってね!」

「私も手伝いましょう」

「あ、私も!」


 ミィハはリリィの気の抜けた催促を聞き、慌てて荷車に駆けていった。

 レインとフレイヤは手伝うべくミィハの後に続いた。


「リリィ、お前には聞きたいことが山ほどある」

「だろうね」


 シグルの困惑と憤りの混じった問いに、リリィはあっけらかんとした様子で答えた。


「まあ、リリィの素性を隠してたことは謝るよ」

「いや、謝られても……、一体お前いつから……」

「まあ、大体五年くらいかな」

「五年……」


 五年というと、リリィが現在十四歳なので、九歳の頃から共和国の要人を務めていることになる。

 しかも国が滅ぶ程の力を持っているという存在として。

 普通は絶対に考えられない事だが。


「親父は、この事知ってんのかよ」

「もちろん。パパも同じだし」

「な……っ!」


 シグルは再び言葉を失った。

 地元の商会に勤めているはずの父すらも自分に身分を偽っていたことになる。

 一体どういう事なのか。


「何でそんな重要な事、今まで俺に黙ってたんだよ!」

「簡単だよ。関係ないお兄に言ったってしょうがないから」

「なんだよそれ……!」


 普段の物言いよりずっと冷たい答えにシグルの頭に一瞬血が上った。

 しかし、実際リリィの言う通りで、ただの一般人であるシグルに言ったところで何の意味もない。


「正直このまま黙ってるつもりだった。でも、公国に攻められた帝国がウチと同盟を組んで、お兄が使者としてくるんだったら会わないわけにはいかないじゃん」

「それで俺らに会いに来たと?」


 ロキの問いにリリィは黙って首を縦に振った。


「まあ途中にそこの二人が王国から逃げたって聞いたから探してたんだけど、一石二鳥だったね」

「「申し訳ございません……」」


 リリィに悪意はないのだが、フレイヤとレインは再び深く頭を下げた。


「二人が謝ることはないわよ。命が助かって何よりだわ。とにかく、このまま皆で共和国に向かえばいいんじゃない?」


「だな」


 ジャンヌの提案にロキは短く頷いた。


「……」


 シグルには他にも聞きたいことがいくつもあった。

 なぜリリィとグレンが異国の人間であることを隠していたのか。

 それを確かめる必要性があるのかと思ったとき、シグルの中にとてつもない疲労感が沸き上がった。


「皆、ご飯できたよ! 熱いから気を付けてね」

「待ってました!」


 しばらくして、ミィハの掛け声にロキやリリィ達が鍋の周りに群がっていく。


「どうなるんだよ、これから……」


 今後起こる出来事の面倒さに、シグルは深くため息を吐いた。

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