邂逅
第10話 青年、男の娘(こ)に会う
「ぶえっくしょい! うう寒……」
「大丈夫?」
「ああ。でも少し肌寒くなってきたな」
ミィハの気遣いにシグルは鼻をすすりながら答えた。
シグルたちは共和国と帝国の国境となっている、きれいに足元を整えられた山道を下っていた。
すでにシグルたちは共和国の領土に入っている。
まだ昼の時間帯だが、帝国よりも標高の高いところにあるのか、肌寒さを感じるほど気温が低い。
「国境なのに要塞とかもなければ監視している兵もいないのですか?」
「あ、それ私も思ってた。途中関所もなかったわよね」
レインが呟いた疑問にジャンヌが頷いた。
一行の道中にはこれまで普通の山道が続くのみで、誰でも共和国に入ることができる。傍から見れば不用心極まりない。
「まあ、この道は裏道みたいなとこだし、ほとんどの人は通らないよ」
シグルたちが山道を抜けると開けた場所に出た。
しかし、シグルたちが立っている草原の周りはまだ深い緑の木々に囲まれている。
「行き止まりか?」
「おい、リリィ。お前道に迷ったんじゃないのか?」
ロキがきょろきょろと周りを見渡して他に道がないか探し、シグルはリリィに不信感に満ちた視線を向けた。
「お兄、もう少し可愛い妹を信用してほしいなあ。ここを抜けるんだよ」
「は?」
リリィが軽口と同時に指差したのは、目の前に広がる、真っ暗闇の、見上げるほど高い木々が密集している密林であった。
どう見ても人が通れそうな道はない。
リリィ以外の全員は目を点にして立ち尽くしていた。
「おい、正直に言えよ。そろそろ怒るぞ」
「もう。まあ、見てなって」
シグルの機嫌が悪くなるのを見てため息混じりに言ったリリィは、密林に向かって深く息を吸った。
「イツキ、戻ったよ。開けろー!」
リリィが密林に向かって声を張り上げると、目の前で信じ難い事が起こった。
『な……っ⁉』
シグルたちが絶句するのも当然である。
低い地鳴りが響いたと同時に、ぎゅうぎゅうに敷き詰められた高い木々が道を開けるように左右にずれたのである。
地鳴りが収まったあと、シグルたちの前には、細い道が開いていた。
奥はかなり長く続いているのか、暗闇になっていて何があるのか視認できない。
「木が、動いたよな?」
「ええ、どうなってるのかしら……」
「レ、レイン……」
「大丈夫ですよ、フレイヤ様」
ロキとジャンヌも驚きのあまり言葉が尻すぼみに小さくなっていた。
フレイヤは怯えてレインの背中に隠れてしまった。
「リリィちゃん、これって……。それにイツキって?」
「私と同じ八闘将の一人。少し進んだらあっちから迎えに来ると思うよ」
「これが闘将の力なのか……」
「もうある程度のことじゃ驚かないわね」
リリィの答えに、シグルとジャンヌは思わず表情を硬くした。
「じゃあ、行くよー」
リリィの気の抜けた号令を聞きながら、一行は薄暗い密林の中へと入っていく。
シグルたちは深い密林の中を歩きながら、周りを見渡していた。
外から見た限りでは、暗い印象があったが、中に入るとそれは全くの逆になった。
木漏れ日に照らされた赤や黄色など様々な色が混ざった、色鮮やかな花が高い広葉樹の根本に咲いていた。
それらに蜂や小さな鳥が飛び交い、木々の枝の上をリスなどの小動物が走り回っている。
さながらお伽話に出てくるような幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「「きれい……!」」
ミィハとフレイヤは目を輝かせながら動植物を見つめていた。
他の面々も感嘆の表情をしながら先導しているリリィの後ろを歩いていく。
「――おーい、リリィちゃーん!」
「声がしたわね。女の子かしら」
突然森の中に響き渡った声にジャンヌが反応した。
遠くの木々の間から、徐々に人の姿が見えてきている。
「子供か?」
シグルが目を凝らすと、小柄な人間が手を振りながら駆けてきているのが見えた。
「皆さんがセント・イスラシオ帝国から来られた特使の方々ですね⁉」
リリィと同じくらいの小柄な体、ぱっちりとした双眸、緑色のクセのある髪、子どものような屈託のない笑顔の少女がシグルたちの前に息を切らして近づいてきた。
「あなたがシグル・アトラスさんですか?」
「ああ、そうだけど」
「か、かわいい……‼」
後ろで少女の行動を見ていたジャンヌが普段出さない上ずった声を出していた。
「あの、君は?」
「す、すみません! 初めまして! ボクはヴィングスコルニル共和国〈第五位階闘将〉のイツキ・エメです! ようこそお越しくださいました!」
『……っ⁉』
その場にいた全員が一斉に息を呑んで絶句した。
それもそのはずである。
シグルたちは、リリィという前例はさておき、先のような超常的な力を見せつけてきた存在とはいったいどれほどの者なのか、魔女の老婆か、宙を舞う妖精か、はたまた先の戦に現れた巨人のような異形の怪物か、などと勝手に想像を膨らませていたのだが、結果は普通の人間の姿であった。
「いや、え、は? どう見たってただの子供――」
「ぷっ、やっぱり言われた!」
「……っ‼」
シグルが思わず口にした一言にリリィは小さく噴き出して肩を震わせていた。
それを聞いたイツキは頬を膨らませて涙目になっている。
「イツキちゃん、どうしたの?」
「ボ、ボクは男で……、年は今年で十八です‼」
『えええええええええええええ⁉』
心配したミィハが思わず声を掛けた瞬間、イツキは全員が大声で驚くほどの事実を暴露した。
木々に止まって羽を休めていた鳥たちも驚いて一斉に羽ばたいていく。
「ご、ごめん! そんなつもりじゃ――」
「俺らより年上でしかも男ォ⁉どう見たってちんちくりんの女の子だぜこれ!」
シグルが慌てて誤解を解こうとしている一方、ロキは興奮しながらイツキの頭をぐりぐりと撫でまわし、それにつれてイツキの顔が涙を湛えながら歪んでいく。
下を向きながら拳を握って必死に泣くのを堪えている姿は子供にしか見えない。
「二人ともやめて! 泣きそうになってるじゃない!」
「ロキアンタはああああああ‼」
「ぐええええええっ! 死ぬ、死ぬって……!」
「ううっ……ぐすっ……」
見かねたミィハがイツキを抱きながらシグルとロキを諌めた。
ジャンヌは鬼のような形相でロキの首を締め上げている。
イツキは年下のミィハの豊かな胸に顔をうずめながら嗚咽を出すまいを必死に耐えていた。
「はあーあ、イツキの反応はいつみても飽きないわ」
「ひどいよ‼ ボクが一番気にしてるの知ってるクセに‼」
イツキが涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔をリリィに向けて抗議した。
その瞬間、周りの木々や植物の枝葉が地響きとともに小刻みに震え出した。鳥やリスなどの動物たちがいつの間にか木の枝に留まり、オオカミなどの獣は牙を剥いて威嚇しながらシグルたちをじっと見ている。
シグルたちはこれまで穏やかだった空気が突然重く、ピリピリと刺すような雰囲気へと豹変していることに気付いた。まるで家族を傷つけられ怒りを露わにしているように。
「待って! 彼らは敵じゃない!」
イツキがミィハの腕の中から飛び出し、両腕を広げて叫んだ。
「みんなありがとう。でも彼らは仲間なんだ! ボクは大丈夫だから落ち着いて、ね?」
イツキが優しく語りかけるように喋ると、ざわざわと音を立てていた木々たちが動きを止め、動物たちは姿を消していった。
それと同時に圧迫感に満ちていた空気が元の穏やかさを取り戻していく。
「な、何だったんだ……」
「木や動物が、怒りを?」
シグルは突然の現象に対して体が硬直していたことにようやく気付いた。
フレイヤを守ろうと剣の柄に手を掛けていたレインが顔を困惑の色に染めながら呟いた。
「ごめんなさい。ボクのせいで彼らが勘違いをしてしまったみたいで。もう少し歩けばボクたちのお城の近くに出ますので、今しばらくお付き合いください」
イツキの言葉を受け、シグルたちは困惑が収まらないまま先へ進むことに決めた。
「あ、あれ出口かしら」
ジャンヌの声を聞いたシグルたちは細い陽光が差し込まれている、小枝で組まれたアーチ状の出口を見つけた。
歩を進めるにつれ、光を放つ緑の出口に吸い込まれていく。
「ではみなさん、改めてようこそ。我がヴィングスコルニル共和国へ!」
出口を抜けたと同時に眩しい陽光を受け思わず目を瞑ったシグルたちは、イツキの歓迎の言葉を聞きながら再びゆっくりと瞼を開けた。
シグルたちは小高い丘の上に出ていた。
足元は肌色や赤色などの煉瓦できれいに舗装されている。丘からは街を見渡すことができた。
青い海をひっくり返したような、雲一つない澄み切った青空が地平の彼方まで広がり、その下には家々が色とりどりの屋根で幾何学模様を作り、自らの存在を空に主張しているかのように建っている。
そしてそれらを囲い込むように雪を被った山々がそびえ、山の麓と街の中間には鮮やかな若草色の森がドーナツ状に広がっていた。
決して大きくはないが、円形に整えられた街の美しさは見る者に感銘を与えるには十分であった。
「これは、盆地か? こんな秘境みてえな山奥に国があるなんてな」
「これが、ヴィングスコルニル共和国……」
ロキは初めて見る外国の地をゆっくりと見渡した。
シグルはようやく自らが抱えている謎の答えを得る場所にたどり着いた事を、冷たい風を受けながら確かめるように呟いた。
「みんな景色に見とれるのはいいけど、目的地はこっちでしょ」
「ああ、すまんリリィうおっ⁉」
シグルが背後にいるリリィの指摘に振り向きながら答えると同時に間抜けた声を出しながら仰け反った。
他の面々も驚きのあまり口をポカンと開けていた。
視線の先にはクリーム色の高い壁の向こう側に巨大な黒い城が鎮座していた。
大きさは帝国の行政府と皇帝の離宮などが合体した帝城に比べて小さいが、目の前の城は高くそびえ、黒曜石をそのまま使って建てたような角張った外装が禍々しく太陽の光を反射し、息を呑む程の威圧的な雰囲気を放っている。
しばらく歩くと、リリィたちはこれまた黒塗りの大きな城門の前にたどり着いた。
門の左右には銀色の鎧を纏った壮年の兵が槍を持って立っている。
軽く会釈してから開いた門の下をくぐっていく。
「では皆さん、これから中に入ります。他の闘将の人たちとも会えると思いますので」
イツキの声を聞きふと気づくと、一行は大きな城の入り口に着いていた。
そこからは一階の広い吹き抜けのある広いエントランスが見えている。
内装も黒い大理石のような鉱物で造られているようだ。
城内ではたくさんの黒い法衣を着た役人と思われるような男性や給仕服を着た女性たちが慌ただしく歩き回っている。
「やっと着いたってのに、出迎えも無しかよ」
「すみません。今回はみなさん極秘の任務ということでお出迎えは控えさせていただきました。特に王族であらせられるフレイヤ様には無礼でしょうが、どうかご容赦を……」
「い、いえ、そんな! わたくしたちのせいでこのような……」
イツキがロキとフレイヤの方を見ながら申し訳なさそうに言った。
今回はあくまでヴィングスコルニル共和国とセント・イスラシオ帝国のトップ同士により決まった極秘任務であり、他の国の関係者が知らないのは当然と言える。
「まあ、ウチの事務方には帝国の新兵の代表が合同訓練をするって言ってあるらしいよ」
「そんな適当な……」
リリィの説明にシグルは力なく抗議した。
「でもやっと来たんだな」
シグルは任務に対する緊張よりも、自分に降りかかった不可思議な事態など、諸々の疑問を明らかにすることができるかもしれないと期待で一杯になっていた。
しかし、
(そもそもこの国の代表が知っている保証があるのか? もし知らなかったら……)
「では皆さんをお部屋に案内しますね。ライラ様に会う前に少し休憩なさってください」
「ありがとう。さすがに疲れちゃったわ」
イツキの提案にジャンヌが笑顔で礼を言った。
後ろでロキが豪快に口開けて欠伸をしてミィハに注意されていた。
受付にいた兵士に荷物を預け、シグルたちは来客用の宿泊部屋がある五階の廊下を歩いていた。赤い絨毯が床に敷かれ、高級感を醸し出している。
「お、誰かいるぞ」
ロキの声に皆が目を向けた先に、一人の女性が一番遠くの部屋のドアに腕を組みながら背を預けていた。
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