最終話 レディ・グレース

「ごめんなさい。無理です」


 グレースは両手で顔を覆った。

 伯爵令嬢としてなら、綺麗に笑って引き受けるところだ。ましてやそれが礼になるならなおさら。でも、自分の中の美古都が嫌だと言っている。一番素直な自分が、それは嫌だと叫んでいる。

 普段なら絶対あり得ない感情がグレースの中を渦巻いて、どうしてもこらえきれなかった。


「やっぱり僕が相手では……」

「違います、そんなんじゃない!」


 傷ついた声に驚いて思わず顔を上げて大声を出していた。彼の目は声と同じで傷ついていて、そのことにグレースは愕然とする。


「私は――オズワルドさんのことが好きなんです。すごく大好きだから無理。無理なの。誰かの代わりも、お礼の代わりも、好きな人と舞踏会に行ける理由がそんなことでは嫌なんです。わがままでごめんなさい。勝手に好きになってごめんなさい」


(他のことなら何でもする。でもこの気持ちにだけは、もう噓が付けない)


 しかし、このせいで彼に二度と会えないかもしれないとパニックになりかけたグレースの前で、オズワルドが椅子を倒すように立ち上がり、グレースのもとに駆け寄って抱きしめた。


「ごめん、グレース。僕は怖かったんです。何か理由を付けなければ断られてしまうと、卑怯にも思ってしまっていた。まさか君にそんな風に思われてるなんて夢にも思わなかったから」


 体を離し、両手で頬を包まれる。


「本当に? レディ・グレース。僕を……」


 自信なさげな彼の目をまっすぐに見て、グレースは「好きです」と告げた。


「私はオズワルドさんの名字さえ知りません。どんな立場の方なのかさえ知りません。でも好きです。あなたがいたから、私はつらいときも耐えることが出来たんです。あなたはずっと、私の心の癒やしで支えでした」


 絶対伝えられないと思ってた気持ちを吐き出したことで胸の内が軽くなり、思わず笑みが浮かんだ。呆然としていたオズワルドがハッと息を飲む。


「じゃあ、僕が結婚を申し込んでも迷惑ではない?」


 思わず……といった風にポロリとそんなことを言ったオズワルドは、自分の言葉に驚いたように手を離し横を向いてしまった。

 グレースの心臓は一度大きく胸を打つも、(やっぱりオズワルドさんは可愛いなぁ)とあふれる愛しさに、そっと手を伸ばす。その赤くなった頬に触れ、その温かさに胸がキュンと甘く痛んだ。


「迷惑なんて……。そんなことをされたら、幸せで死んでしまうかも……」


 これ以上信頼できる人には、この先決して出会えないと思った。こんなに愛せる人にも、きっと――。


「レディ・グレース!」

「はい」

「僕は君を心の底から愛しています。絶対大事にするし、幸せにします。だから僕の婚約者として、新年の舞踏会に一緒に行ってください」

「オズワルドさん。はい、喜んで」


 今までで一番の笑顔を見せてオズワルドが初めてしてくれたキスは、とっても甘くどこまでも優しくて、グレースは自分が綺麗に浄化されたような……そんな、気がした。


   ***


 新年の鐘と共に始まった舞踏会には、グレースの祖母と弟のリチャードも招待されていた。


 まさかオズワルドが国王の息子で現公爵であるとは夢にも思わなかったし、その姉のリーアが本当は、今年国王になるエミリア殿下であることにも驚いた。


 中でも意外だったのがオズワルドの友人ビバルで、なんと彼は王立図書館の副館長をしている司書だという。


「騎士ではなくて?」


 もう何を言われても驚かないつもりだったグレースが、屈強そうな体躯をもつビバルの正体に目をぱちくりとさせると、彼は面白そうににんまりと笑った。


「レディ・グレース、いいことを教えてあげましょう。俺はね、オズワルドとは幼馴染なんだが、体術でも剣術でも、一度もあいつに勝てたためしはないんだ。唯一勝てたのが本への情熱だったというわけ。知識だけは負けませんよ」


 戦える司書って最強でしょと片目をつぶるビバルの後ろから、髪の色を本来の金髪に戻したオズワルドがやってきた。


「やあ来たな、オズワルド。懐かしき氷の貴公子様の登場だ」

「変なあだ名で呼ぶな、ビバル。グレースがおびえたらどうするんだ」

「いや、ないでしょ。見ろ、うっとりしてるじゃないか。いいねぇ。いや、ほんといい。俺もこんな可愛い恋人がほしい」


 最後だけ思い切り真面目な声になったビバルを小突いたオズワルドが、改めてグレースを見てハッと息を飲む。吐息のように「美しい」と言ったのが聞こえ、グレースは熱くなった頬に手を当てた。その様子に、モリーや城の侍女たちがクスクス笑う。


 グレースのドレスはオズワルドから贈られたものだ。

 五日しか時間がなかったものの、お針子たちが急ピッチで仕立てたアイスブルーのドレスはグレースにぴったりだった。周りの様子から、もしかしたら事前にある程度準備されていたのかもしれない。


「お待たせしました、グレース」


 ヒヨコのような髪を整えたオズワルドが、グレースに手を差し出しながら、ほんの少しだけ心配そうな顔をする。いつもの眼鏡をしていないからだろか。「今の僕は怖くはないですか?」と聞かれ、グレースは首を振った。


「とても素敵です」


 普段のオズワルドも素敵だけど、年相応の姿もとても素敵だとうっとりする。


 求婚を受けてからはこれ以上ないくらい驚きの連続だったけど、不安がないのは、この人がそばにいてくれるから。

 優しく微笑んでくれるアイスブルーの目に、グレースも心からの愛をこめて微笑んだ。


 ***


 エミリア女王の時代は、女性躍進の時代とも呼ばれている。

 女性の服からコルセットが消え、窮屈さから解放された女性たちは、このころから様々な分野へと進出を始めた。

 女王の実弟であるミズリー公爵の妻が、イリシア国初の女子校リリス学園を設立したのもこの時代だ。


 貴族の女性であっても、幅広い勉学に加え基本的な家事を学ぶことができる。学生の自立をモットーとしたこの学園は、のちの学校制度の手本となった。今や、学生の必修科目になっている「そろばん」は、このミズリー公爵夫人の発案であることは言うまでもない。


 もしもリドロンを訪れる機会があったなら、ぜひ「カフェ・レディ・グレース」を訪れてほしい。ロマンティックなあなたならご存じだろう。ミズリー公爵夫人と同じ名を持つこのカフェこそが、夫人がまだ伯爵令嬢だった時代に出資して開いたカフェであり、お忍びで訪れていた公爵と夫人が、互いの正体も知らぬまま恋に落ちた場所だということを。


 カフェは今では珍しくもない憩いの場だが、実はコーヒーと軽い食事を楽しめるこの手の飲食店は、この店が最初だと言われている。ジェニシア様式の洗練されたこのカフェ・レディ・グレースは今も健在で、当時のメニューを味わうことができるのだ。


 なお、ミズリー公爵夫人と初代店長であったグレースを同一視される声もあるが、時代背景を考えると別人と考えるのが無難だろう。諸説あるが、ミズリー公爵夫人の父方の又従妹はとこであり、婚約者を亡くした後生涯独身を貫いた男爵令嬢、グレース・アンではないかという説が有力だ(なお、カフェ店長だったグレースは、今もベストセラーとして名高い「グレースのレシピ本」の著者でもある)。


 様々な出会いを生み、はぐくんだ「カフェ・レディ・グレース」。

 地元では今も、良い出会いが訪れる幸運の場所として愛されているこの場所で、ぜひ薫り高いコーヒーを味わってほしい。

 あなたにもきっと、素敵な出会いが訪れることだろう。


Fin

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借金令嬢は異世界でカフェを開きます 相内充希 @mituki_aiuchi

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