第9話

「……やっと来たか。思っていたよりも早かったじゃないか」


 到頭、国の中心部へとやってきました。

 先程の咆哮により騎士達の妨害は雀の涙ほどとなっていた為、悠々とはいかなくても、今以上は傷を負う事なく辿り着けました。


 門の上で、独りだけ佇む騎士団長の姿。

 相変わらずの無表情は、ここまでくると機械か何かとしか取れません。国の王が危険に晒されようとしているのに、未だに表情を変えないからです。


「ここまで来れたのは君が……まだ一頭目か。何だ、竜も大した事は無いんだな」


 呟く、嫌味な独り言。

 別に聞かれようと構わないのか、淡々と感想を述べます。


「まぁいい、取り敢えずここは通さない。いや、通れない。自分の命が惜しければ、素直に引き返した方が身のためだと思うが?」


 小首を傾げて、気怠い瞳を漆黒の竜に向けます。


 ――団長の背後に構えるは無数の機巧。

 ここまで来るのに苦しめられてきた凶器が一挙に集結した様に、鋭い鉄と人型が犇めきあっていました。そのどれもが蒼色を帯びており、まるで湖が城を囲んでいるかのよう。

 つまりは、その全てがバルムンクの加護を受けていると云う事。

 今この場にいるのは自分一頭のみであり、深紅の竜と巻き起こした竜巻はもう起こせません。

 だから、躱す事も避ける事も、不可能でした。


「……人よ。ワシにはやらねばならない事がある。だから、悪いのだがこの場は押し通させてもらう」


「人の子にそこまで執着する竜なんて聞いたことがない。…君は中々、面白い心情の持ち主だな」


 団長は漆黒の竜が国に入ってきた理由を知っていました。

 だれにもわからない事を、無機質な思考だけが読み取っていました。





「…………――ッ」


「…………――ん」





 羽ばたく竜。

 翼の痛みを無視して、爆風を生み出します。


 示唆する人。

 無慈悲に手を上げて、後方に発射を命じます。


 ――放たれる蒼の光。

 団長の合図で紐が解かれた様に、騎士達は一斉に凶器を解き放ちました。

 真っ直ぐになる事を心待ちにしていた弦は、今その願いを叶える為に、恐ろしい速さで竜殺しを押し飛ばします。


 風切り音――、尖る先端が大気を貫く音。

 それは弱まる事など知らず、同じ仲間たちと集い、漆黒の竜へと迫っていきます。


 最早それらが織り成すは壁。

 蒼色を全体にに塗りたくった、避けようの無い槍と矢の壁と化していました。

 城を覆い隠してしまうそれは…、お互いが接触しないように計算されたそれは…、その刃を目標に向けて空中を穿ち貫き突き進みます。



 ――――だから竜は、

 息を吸いました――――。



 大きく大きく息を吸って、体内で変異させた空気を媒体とし、一気に吐き出す事で炎と成しました。

 これは本気の証――深紅の竜に向けた小さな炎ではなく、一万二千二百の年を生き抜き蓄えてきた、漆黒の竜の本気の炎でした。


 その色その質たるや、炎と云う概念を一掃しかねない程の威力を秘めています。

 空間自体を燃やしているのではないかと云う本気は、今までの中で三度しか使った事がありません。


 一度目は、兄に向かって吐いたもの。

 数千年前の話し合いの途中で喧嘩へと発展してしまった時。結局返り討ちにあったのですが、山一つ消し去ってしまったのは、その血筋による天性のものでした。


 二度目は、ある村を津波から救ったもの。

 千年前に起こった大嵐により生まれた海の狂気を、その炎により一挙に蒸発させたのでした。


 つまり此れ――今吐いたこの炎は、年数により前の二回を更に凌駕している事になっています。

 最早地獄の炎としか比喩出来ない事は、誰にとっても同じ事。形容し難い存在を想像し難い存在でしか表せられない事は、何も恥じる事はありません。


 何故なら、それが正しいからです――。

 この鏖殺おうさつの吐息には、それが正しいからです――。


 衝突する蒼壁と獄炎。

 入り乱れたその二つの軍配は、無論――蒼にあります。炎の質が足りないのではなく、それはどう仕様もない程の、性質の相容れなさからくるものです。


 バルムンク。

 それは絶対にして絶大な、竜殺しのみに特化した圧巻の存在。

 硬い鱗を紙と成し、熱い炎を風と成す、宝具たるが由縁の力。


 それが溶け込んだだけの液体でも、やはり竜に関するものは全てを無に帰します。一万年を超えた、伝説の悪竜と同じ血が流れる竜の炎でも、それは変えられません。炎の中でその蒼色を輝かせながら、着々と対象に向かって進んでいきます――――が。


 ……それを越えずして、何が“願い”でしょうか。


 竜にはやらねばならない事があるのです。

 またあの小さな人の子に逢って、あの時の過ちを、謝らなければならないのです。

 背中を向けて、出さなくてもいい冷酷を剥き出しにしてしまった事を、竜は謝らなければならないのです。


 だから、蒼色が薄くなっていくのは当然なのです。

 一万二千二百の中に四日程度を足した炎でも、そのまま蒼色の水を打ち消し、蒼色の鉱物を溶かす事が出来るのです。


 ――だってその四日は、竜が今までに感じた事の無い四度の一日。

 堕落した毎日に僅かながらの光を灯してくれた、掛け替えのない思い出となっているのですから――。


「――やるな。視野に入れて置いてよかったよ」


 そんな光景を眺めながら、団長は無表情に独り言を呟きました。


 竜がこれだけの数の――バルムンクの加護を蒸発させられる事は始めから計算通り。

 思い出などと云う物を何とも思わない無慈悲さが成せる、非情な企て。


 竜にはその時まで見えませんでした。

 蒼色の下に隠れる金色の光が。


「――!?」


 竜は眼を見開きました。


 己の最大限を生かした炎で、不可侵である筈のバルムンクの加護を蒸発させたのに、まだ生き残りがいたのです。

 ――それは即ち、高純度の鉱石。

 バルムンクの周囲にしか存在しない、竜を討ち滅ぼす力が極限に達した、蒼を越えた金色こんじき


 竜は、それを知りませんでした。


「がっ――――!!」


 金色の刃が竜を貫きました。

 硬い漆黒の鱗を易々と貫きました。

 痛みと驚愕に思考を奪われた竜。しかし負けじと己を奮い立たせ正面を見据えた瞳には、第二波の壁が映りました。


 気付いても遅すぎました。同じ炎を吐こうにも、息を吸う時間さえありません。

 咄嗟に、翼を前に向かって羽ばたかせました。前方に風を飛ばして軌道を乱そうと、必死の抵抗をします。


 ――しかし遅いのです。

 遅すぎるのです――。


 確かに風の奔流で壁が削れました。でもそれは表面の話。その奥にもまだまだ続いているのですから、それは意味がないのと同義。

 再び羽ばたこうにも、その時にはもう、竜殺しは到着してしまいました。






 右目が潰れました。

 頬が破れました。

 左肩が無くなりました。

 首の右付け根が削れました。

 鎖骨が砕けました。

 腕も足も切り裂かれました。

 骨が剥き出しになりました。

 左腕は吹き飛びました。

 大腿は削り取られました。

 体積が半分になりました。

 血が噴出しました。

 両足首は千切れました。

 胴体は抉れて窪みました。

 中身が見え隠れしていました。

 翼に膜はありませんでした。

 血染めの骨になっていきました。






 ――それでも…竜は必死に抵抗しました。

 最早落ち続ける事しか出来ない躯でも、炎を吐き散らして意味の無い抵抗をしました。

 何とか繋がっている片腕と半分が無い片腕で頭を守りながら、数十の竜殺しを躯に生やしていたとしても、死ぬまいと存命に渇望していました。


 金色と蒼の雨の中――、まるで怯え縮こまる幼子の様な体勢の漆黒の竜。その間にも、自分の躯がカラダと形容出来るもので無くなっていっています。


 ――でも意識の続く限り、眼を閉じようとしませんでした――。


 痛みに歪んだ顔に負けじと、潰れてしまった片目の代わりにもう片方を、死ぬものかと云う思いでギラギラと輝かせています。

 苦しむ喘ぎ声さえ我慢して、必死に必死に光を閉ざそうとはしませんでした。





















「――……ふむ」


 団長は納得した様に、無表情からぽつりと言葉を零しました。部下である騎士達が周りを囲む中で、後ろに手を繋いでそれを眺めていました。

 そこら中から血を流す、全く持って異形のそれ。


 ――それとは、竜でした。


 翼が無い為に地上に叩きつけられ、その瞬間に骨が砕け飛び出し、数多の槍と矢と骨を生やした漆黒の竜でした。

 所々が破損消失したその姿は最早、竜と形容――寧ろ生き物と形容出来るのかわからない存在と成り果てています。


 …けれども、竜は生きていました。

 息も絶え絶えの、半ば白目を向いた表情でも、竜は生きていました。


「…これ程の傷を負って尚も途切れずか。うん、これはいい参考になる」


 関心した無表情は、その痛々しい光景に悲観など持ちません。

 竜の生命力の強さを新しい知識として取り入れ、既に次の迎撃態勢を思案していました。


「………………人よ……」


「ん、何だ?」


「…………一つ、訊ねたい……」


 息も絶え絶えの、辛うじて口の形容を保つそこから、竜は血を吐きながら言葉を発します。


「あの赤子は……元気、か………?」


「――…ああ、勿論。泣き声に皆が困っている程だ」


「そう…か…。ならば……よい…………」


 残っていた空気を吐き出すと同時に、竜は最期の言葉を終えました。

 やがて眼の光が段々と薄くなっていき、眠る様に、その片目を閉じました。


 チビに逢う事が叶わなくなった為、そんな事だけでも訊いたのかも知れません。

 でもどこかその表情は、心なしか微笑んでいる様にも見えました。



 ――そして竜は、その命を、静かに消しました――。





































『あぅ、うー』


『こ、こら暴れるなチビ。今オムツ交換してんだからよォ…!』


『…何と臭い事か…。猿、早くせんかっ』


『旦那ァ…、自分には関係ないと思ってからに――うきゃあぁぁぁ!?』


『きゃう~』


『チビの野郎、小便を出しやがったァ!? 旦那ァァァ!!』


『あ、阿呆…! 何故こっちに来るのだ?! 止めんかぁ!!!』


『死なば諸共でェい! 旦那も小便まみれになっちまって下せェ!』


『なぁぁ!? 尻尾に掛かったではないかっ、何とも汚らしい…!』


『あぅきゃふう』



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