第8話


「――!」


 突然、横を何かが通り過ぎていきました。その後に遅れてやってくる、乱された大気が爆風となって吹き荒れる様は――自分と同じ特殊な飛行による事象。

 軌跡に風の奔流を残していく其れは、正面に構えていた騎士達を、翼の羽ばたきによる風圧によって屋根から吹き飛ばしました。


 ……何が起こったのかわからないように、辺りの空気は静まり返っています。

 でも竜だけは、その姿をしかと見据えていました。


「…お前――」


「勘違いするな」


 相手の疑問が聞きたくない、遮る言葉。

 滞空して、漆黒の竜を見つめ返す深い紅の瞳。

 現れた其れの正体は、前に殺し合いを行った、深紅の竜でした。


「ワタシはただ、いつもの様に我々の威厳を示しているだけだ。決して、貴様などの加勢をしている訳ではないっ――!」


 振り向き様に後ろから放たれてきた竜撃槍を素手で掴み取り、腕の力に任せて勢いよく投げ返しました。

 槍は建物の中腹を貫き、折れて瓦解していく高台の上から、騎士は叫びながら落ちていきます。


「……ふっ。言い逃れまでも真似しろとは教えておらんのだかな、赤頬の小童が」


「なっ…!? い、言い逃れとは何だ! いや、それよりもその呼び名はやめろと言ってるだろ!」


「何を言う。慌てるとただでさえ紅い顔が更に赤くなるのだぞ? お前は」


「な、何だと……いやそうではなく、兎に角やめろと言うのだ!」


 誤魔化す様に、深紅の竜は微妙に赤くなった頬を知らずに必死に反論します。


 ――それが可笑しかったのか、漆黒の竜は笑いを堪えて肩を動かしていました。

 この場に現れた動機などもうどうでもよくなり、相手のそんな仕草にただ笑いを我慢しているだけでした。


「…まぁいい。それよりも礼を言おう。少々躯が強張っていたようだ」


「っ――……ふんっ、知れた事か。毎日寝ている方が悪いのだ…!」


 一瞬だけ驚いた深紅の竜は、腕を組んで余所を向いてしまいます。

 礼を言われたのは、この時が初めてでした。


「そうだな。お前の言う通りだ…。では――」


「……ああ。成程――」


 目配せした漆黒の瞳。

 何がしたいのか読み取った深紅の瞳は、方頬を吊り上げました。


 ――二頭を囲む騎士の軍勢。

 新たな竜が出現した事に呆気に取られていましたが、このまま黙っている訳にはいきません。


 直ぐ様。

 竜撃槍の照準を合わせ、連弩の補充を済ませて、蒼色に濡れた矢を構え、二頭の異形を殺しにかかります。


 放たれた竜殺しの数、その光景は地上から仰ぎ見れば、無数のコウモリが空を埋め尽くそうとしている様でした。

 最早隙間としか映らない空の色、つまりそれは――横から覗けば逃げ場のない牢獄を意味します。

 しかしそれはただの牢獄ではなく、壁一面に鋭く尖った針が散りばめてあり、剰えそれが止まる事を知らずに迫ってくるのです。


 そして、その中にいるのが二頭の竜。

 迫り来る蒼の槍と矢を避ける事叶わず、ただじっと見つめて――、手を繋ぎました。

 お互いの親指を付け根ごと掴み握り締め、片方の翼だけを羽ばたかせて回転しました。


「ふむ…久しぶりではないか?」


「ふんっ。知らぬわ」


 二頭は回転し続け、段々とその速度を増していきます。

 遠心力が高まる為に、繋いだ手には相当の負担がかかりますが、両者の握力の前ではただの些末。


 ――狭まる刃の牢獄。

 風を切り裂きながら、二頭の異形を貫き殺そうと突き進みます。しかしその軌道は、中心に行くほどに揺らぎ始めました。


 漆黒の翼と深紅の翼。

 二つが織り成す回転運動により、風が中心へと巻き込まれて、竜巻が起こり始めていたのです。

 それは僅かな時間でも着実に成長していき、二頭の姿を旋風で霞ませていきました。


「行くぞ――!」


 漆黒の掛け声により、二頭は同時に渾身の羽ばたきを行います。


 それが切欠となったのか、竜巻の巻き込む力は、解き放つ力へと変貌しました。

 寸前まで迫っていた竜殺しは、その旋風の壁に押し乱され、頼りなく宙を漂うばかり。

 勇ましかった姿はどこへ行ったやら、地上から仰ぎ見たその光景は、風に飛ばされるただの木材でしかありませんでした。


「――今だ!」


 降り注ぐ刃に騎士達が逃げ惑う中、二頭は城に向かって突き進みます。


























「――あぁ…、あれか」


 単眼鏡を覗く団長。抑揚の無い無機質な口調は、今見ている光景が予想通りだからです。

 なので団長は、ここまで竜が初めて攻めて来たという事に驚かず、ただぼうっと眺めているだけでした。


 ――竜撃槍と矢の嵐、それを躱しながら徐々に進んで来る漆黒の竜。

 時折ふらふらと飛ぶ姿を見て、どうやら翼を痛めていると、団長は予想しました。

 他にもう一頭が加わっているのは計算外でしたが、想定内には十分収まります。今の現状を見る限り、此方側の有利は揺るがないでしょう。


 それだけを確認して、単眼鏡を腰に下げます。

 振り返って塀に手をつき、その下に広がる風景を俯瞰しました。


 群がる機巧の数々――。

 既に竜撃槍は全てが準備を終えており、張り詰めた弦の音がキリキリと不気味に唸ります。

 連弩もまた然り、手入れを怠っていないそれらの道具は、確実に竜に脅威を与えるでしょう。


 バルムンクの水が入った樽を中心に、輪状の態勢を済ませた弓矢隊。

 そしてその全身、及び道具も既に水浸しである為、竜の炎でも一度は生き残ります。


「――さて」


 向き直る団長。

 単眼鏡を覗かずに自分の眼で前を見つめて、竜が到着するのを待ちました――。





















「小賢しい――ッッ!」


 横から飛んできた竜撃槍を掴み、乱暴に投げ返す深紅の腕。

 慣性で流されながらも、その軌道は見事に騎士に命中します。


「…あまり掴むな。掌が灼けるぞ」


「抜かせ。濡れているのは刃だけだろ。ならば柄を掴めばっ――ぬッ!!」


 再び飛んできた竜撃槍を掴み取り、また力任せに投げ返します。


「ッ…。おい、炎で道を拓くぞ。水さえ蒸発してしまえばいい話なのだろ」


「ならん。これは人を攻めている訳ではない。だからあまり殺すな」


「ッッ…。全く、貴様という奴は…!」


「ん? ワシは関係無いのでは無かったか?」


「ッッッ…う、煩い!」


 また少し頬を赤くした竜は、大きく口を開けて怒鳴りました。

 それがまた可笑しかったのか、漆黒の竜は悪戯に鼻で笑いました。


 ……その一瞬が、僅かに反応を鈍らせてしまいます。目線を逸らしてしまった為に、竜撃槍は深紅の肩を貫きました。


「がッッ――…っ!?」


「お、おい!」


 深紅の竜は大きく体勢を崩し、バルムンクの水によって侵食される傷の痛みのせいで、翼を開くのを忘れて落ちていってしまいます。


「全く世話の焼ける――!」


 追いかける様に、漆黒の竜は頭を下にして下降しました。


「ぬ、ぐぅぅ――ッ!」


 時計塔の頂上に激突する深紅の躯。

 自分の重みに堪えきれない木とレンガ造りを砕き撒き散らしながら、下へ下へと落ちていきます。


 ――飛び散る破片から逃げ惑う人々、その場に隠れていた国民は、いち早くそこから離れようと必死に走ります。

 いつもは笑い声で賑わっている市場も、この時ばかりは悲鳴しか聞こえてきません。


 そして数秒の後、時計塔の姿が破砕するのと同時に、深紅の竜は地上に叩きつけられました。

 その重さによって、飛び跳ねてしまう程の地響きが起こります。


「――おい、大丈夫か!?」


 空から下りてきた漆黒の竜は、崩れたレンガの山に呼びかけます。

 反応が無かった為、急いでその山を上から弾き飛ばしていきました。


 やがて見えてきた、深紅の手。

 咄嗟に掴み取り、本体を力任せに引きずり上げます。


 ――だらりと、ぶら下がる深紅の竜。息はしていますが、力が抜けてしまっている様で立とうとはしません。


「おい!」


「……ッッ、抜かった…すまん、大丈夫だ…」


 そう答えた竜は、痛む躯に鞭打って立ちました。

 しかし長くは保たず、直ぐにまた仰向けに倒れてしまいます。


「なっ…おかしいぞ…、力が、入らん…!」


「バルムンクの水のせいだ、少量でも生気が喰われてしまってる。…痛いが我慢しろ」


 漆黒の手は、深紅の肩に突き刺さった竜撃槍を掴みました。

 そして苦い顔をして、躊躇せずに槍を引き抜きます。


「んギィイッッッッ――!!?」


 引き吊る頬、硬く瞑る目蓋、剥き出しの牙を強く噛んで、肩の激痛に堪える深紅の竜。

 あまりの事に、呼吸を暫し忘れてしまいます。


 よほど顎に力を入れているのか、首の筋肉が恐ろしく浮き彫りになっていました。

 つっかえのせいで周りの肉までも引きずり出してしまいましたが、こうするのが最善なのです。


 竜撃槍の刃には、当然にバルムンクの水が掛けられていました。それは深紅の竜に刺さった瞬間、体内へと侵食し始めます。

この水は、謂ってみれば竜殺しの毒です。

 毒を何時までも体の中に残しておく訳にはいきません、だから荒療治でも、傷口が酷くなってしまうのを覚悟で取り除く事が大事なのです。


 噴き出す大量の血。

 でもそれは毒の排出となり、夥しく血を失うくらいでも、竜の生命力は揺るぎません。


「――がっ…――はぁ! はぁ…!」


 それでも、その痛みは壮絶なものでした。

 深紅の竜は喘ぐ様に、必死に呼吸する事で痛みに堪えています。


「……これでは飛べんな。仕方ない、ワシの手を繋いで一緒に――」


「いらんッッ!!」


 伸ばされた手を、深紅の手は弾きました。


「――…阿呆!! こんな時でも誇りを出すかお前は!? いいから手を――!」


「貴様だけで行け――…ワタシは後で行く」


 未だに落ち着かない息で、深紅の竜はぽつりと呟きました。そこにはいつもの力強さはありませんでした。


「…何を血迷った事を…。飛べんのだろ、それにこのままでは騎士どもが…」


「では訊こう。ワタシを抱えたまま、この先も迎撃を躱して進む事が出来るのか…?」


「…………」


 肩を掴み抑える竜。

 下を向いたまま訊ねた言葉に、相手は答えてはくれませんでした。


「行け。貴様には成さねばならない事があるのだろう。ワタシに構ってる暇があるのなら、さっさと前に進め…!」


「…………上手く逃げるのだぞ…」


「ふんっ、戯け。ワタシを見くびるな」


 鼻であしらった、嘲笑う深紅。

 馬鹿にするなと言いたいのでしょうが、流血している姿からは空元気としか見て取れません。


 その強気に笑みを返す事なく、漆黒はじっと見つめます。暫くして険しい目つきを静かに瞑り、振り向いて翼を開き、後ろを確認せずに飛び立ちました。

 ある種の願い、そして、別れを告げるかの様に。


 ――静寂に包まれるこの一帯。

 深紅の竜は相変わらずに崩れた破片の山に凭れて、今も尚荒い呼吸を続けていました。


 やがて鉄の音が近付いてきます。

 ガシャガシャとした耳障りなそれは、次第に数が増えていきます。竜撃槍と連弩は設置型の兵器なので、近付いているのは弓矢だけでしょう。


「――――」


 整ってきた呼吸、血も流したお陰か、躯も軽くなりました。

 しかし飛ぶには時間がまだ足りません。体力も無ければ、時計塔に落ちた時に直撃した翼の痛みもあります。

 とても、羽ばたくなど不可能でした。


 深紅の竜はゆっくりと躯を起こし、両の足で立ち上がりました。

 動いた事でまた血が噴き出しましたが、気にするのも馬鹿らしく思っています。


 ――竜は囲まれていました。

 四方八方から鉄の音がしていたのは、これが理由です。仄かな蒼色の鏃は弦で限界まで引っ張られ、その鋭さを此方に向けていました。


「―――くっ」


 竜は笑います。

 今の自分と、この状況を確認して、竜は笑います。


 誇り高き己が今、人などと云う下等種族に追い詰められているのです。状況を見る限りは此方の劣勢、自分を殺すのに幾千の犠牲を生もうと、結局は自分の死を回避出来ません。

 それが可笑しくて、竜は笑っていました。


 ――今か今かと、解き放たれるのを待つ矢。

 弦の鳴りが、嫌という程に聞こえてきます。


 でも竜はそれに臆すること無く、大きく息を吸って、最期の咆哮を上げました。


「聞けぇ! 脆弱な者共よ! 我は九千を生きた誇り高き竜。この鱗、この力、この魂。そう易々とらしはせん……。我が紅蓮の炎の前にひれ伏し、立ち向かった事を無様に後悔する間もなく尽きるがいい――ッッ!!!」




















「……」


 険しい表情をした漆黒の竜。

 どこか虚ろに眺める瞳は視界など見ておらず、深紅の竜の姿を見ていました。


 小さい躯のくせに負けん気だけは一人前――、

 弱い躯のくせに努力だけは一人前――、

 甘えて縋り付いて来るその姿だけは、半人前――。


 昔懐かしい記憶を思い起こしながら、飛んで来る人の凶器を躱していきます。その中の一つ、正面から貫いてきた槍を虚ろに掴み取り――鬼の形相で睨んで、天に向かって吠えました。


 この世のモノとは思えない咆哮はまるで悲劇を語る様に大気を震わし、一瞬だけ騎士達に自身の死を思い描かせてしまいます。

 悪竜ファーブニルの伝説を知る者達は震え上がり、空に浮かぶ黒点に手を出す事は、恐怖によって拒絶していました。


「――……」


 その空気、何も思いません。

竜撃槍を握り潰し、漆黒の翼は羽ばたきました。




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