第7話
「…?」
思っていたよりも、竜撃槍による迎撃が少なく感じました。予想ではまともに前に進めないと思っていた竜ですが、恐らく偶々配置に抜かりがあったのだろうと片付けました。
――十番街に到達しました。
ここでやっと半分、城の姿も竜の瞳で霞んで見える程度。翼に損傷はあれど、辿り着けなくは無い――いえ、辿り着かなければならない距離です。
ですが、このまま騎士の攻撃を避け続けるのも体力の無駄です。
なので、あまりやりたくは無かったのですが、竜は大きく息を吸って叫び、轟かせました――。
「――退けぇ人間共!! 我は悪竜ファーブニルが眷族。邪魔する者は一人残らず喰らい尽くし、死して尚その魂に恐怖を刻もうぞ――!!!」
震える大気――まるで慄いたそれは、逃げる様に町に圧し広がります。
びしびしと建物は振動で揺れ、突然の咆哮に耳を塞いでいた人々は、目を点にして空を見上げました。
「……おい、聞いたか今の…」
「フーブニルの…眷族…?」
「馬鹿な、そんな事が在るはず無い!」
「でもあの色…、文献と全く一緒だぜ?」
「それにここまで来れた竜なんて居やしねぇ…」
「じゃあ、今のは、本当に……!」
「そんな――嘘だろ――!?」
「逃げろぉーー!!!」
最後の喚きが切欠となり、困惑は恐怖へと変わりました。
隠れていた庶民は我先にと逃げ惑い、構えていた騎士は戦意を喪失して腰を抜かすばかり。
悪竜フーブニルの名、それは人にとって恐怖の対象でしかありません。様々な一国に突然舞い降りては、全てを燃やし尽くし、総てを喰らい尽くした忌まわしい伝説は今も語られています。
実在したその竜の一族が現れたのですから、何よりも逃げる事を優先するのは当たり前の事。
――その光景を、飛行して見つめる漆黒の竜。
少しだけ悲しい表情をしましたが、直ぐに前に向き直り、羽ばたいて進みました。
「……ふぅ。やっとここまでか。時代とは早く進むものだな」
十三番街。
ここからは背の高い建物が並び立ち、飛び進むには少々骨を折る場所でした。
フーブニルの眷族と言っても最早効果はありません、よく訓練された騎士達なのでしょう。
無理をすれば、建物の上まで舞い上がってそのまま進めるのですが、如何せん翼にそんな力は残っていません。流石に疲労が重なっているのか、羽ばたくその姿も弱々しくも見えました。
――でも人は待ってくれません。
国を、中には家族を、ある者は己を、そんな決意を堅めて竜を殺しに来ます。
所々で構える騎士達は竜の疲弊を知りませんが、竜は此方が不利である事を知っています。
バルムンクの光を帯びた竜撃槍を躱し続け、尚且つ前へ前へ進まないといけない。
――いけるか――と、思わず自分に問い掛けてしまいます。
「……ふっ…」
しかしそれが可笑しかったのか、頬を小さく吊り上げて鼻で笑いました。
元よりその身は進むが為の入れ物、行ける行けないの問題ではなく、行かなければならないのです。あまりにも寂しく悲しい別れを取り消す為に――竜は行かなければならないのです。
自分を心配する事。それはただの杞憂、ただの堕落でしかありません。
もう心を決めて、もうここまで来たのです、ならば行くのが道理です。
“あの笑顔をまた見たい”が為に、翼に力を
“あの笑顔をまた見たい”が為に、眼に光を灯すのもまた罪滅ぼし。
不安にさせて泣かせてしまった事への、顔も見せずに拒絶してしまった事への、竜なりの謝罪。
それを成就させる為に、漆黒の竜は加速しました――。
「はぁ…やっちまった…」
「やっちまった…」
「何も出来なかったなんて、団長殿も許してはくれないなぁ…。あの人、いつも何考えてるのかわからないから、一体どんな罰を与えられるか…」
「られるか…」
大門を警護する騎士二人は、共に溜め息を吐いてうなだれていました。
竜の侵入を容易く許してしまい、しかも報告までも遅れてしまった事は、門を護る者として恥。
特に責任感がある人物では無いのですが、あまりの不甲斐なさを嘆く姿は隠しようがありませんでした。
「ここの仕事を外されるかも知れないなぁ…。あぁ…母ちゃんになんて説明しようか…」
「しよう…か?」
その時、インコみたいに繰り返していた騎士が急に立ち上がりました。
何か遠くを見ようとする姿が気になって、もう一人も立ち上がってその方向を眺めます。
「…――竜だ! また来やがった! よしっ、今度こそはみんなに――ぎゃああ!?」
急いで鏑矢を準備していた騎士。
しかしその間に、目の前からやってきた爆風は嘲笑うかの様に二人の頭上を通り過ぎていってしまいました。
尻餅をついた二人は慌てて身を起こしましたが、既に竜は点となっています。
鏑矢と弓はどこかに吹き飛ばされており、手には何も残っていませんでした。
「…………」
「…………」
「ちぃ――っ!」
十四番街。
竜撃槍と弓矢の数は前の倍近くと増えていたこの場で、漆黒の竜は苦戦していました。
建物が邪魔という事も重なり、中々真っ直ぐには進めません。
――加えて、この建物自体が、新たな脅威の存在となっていました。
建物の窓と屋上から、騎士が備えてあった湖の水をぶち撒けてくるのです。
この水にはバルムンクの加護が受けてあります。
一度だけ炎から守ると同時に、竜に浴びせれば鱗を溶かす力も秘めています。
一度その水を浴びてしまえば、ただの鉄の塊でさえ裂傷を許してしまうでしょう。
なので浴びる訳にはいきません。
バルムンクの湖の鉱石は希少故に、一般騎士には矢は一本しか支給されていないようです。
だから一度避けてしまえばそれで済みますが、ただの鉄の矢は無数にあります。それらを危惧する対象にしない為にも、竜は細心の注意で旋回し続けました。
――その時、民家の屋根の上に騎士がいました。
用意していたのは連弩、矢を連続して発射する為に考案された、騎士団長自らが発明した機巧です。
大して脅威にならない物だと思った竜ですが、“それ”を見て思考が一時硬直してしまいます。
騎士が連弩に、バルムンクの水を掛けていたのです。
仄かな蒼色で濡れた矢、鉱石ほどの力は無くとも、刺さる程度には強化されている事でしょう。
「ッッ――!」
翼を羽ばたかせて急速に転回、追いかけてくる照準が合致する寸前に、また風を薙いで躱します。
連続して迫り来る矢は竜を追い詰めていき、その度に痛む翼は苦痛へと変わっていきます。
しかし炎は無効化される為に、翼に頼るしかありません。
気付けば、周りの殆どの建物に連弩が構えていました。当然にバルムンクの水が鏃から滴っており、竜殺しを可能とする準備は整っています。
あとは狙いを定めて発射――漆黒な対象を落とすだけ。
旋回の進路など疾うに見切られており、回避の軌道ですら予測が及んでいる状況。
篭の鳥と化した竜は、牙を歯軋って一か八かの再加速を試みました。
――深紅の其れが姿を現したのは、その寸前の事――。
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