第6話
「…暇だな」
「だな」
――この国の首都は、外部からの攻撃を防ぐ為に、巨大な壁で囲まれています。そして人口が増える度に外に新しい町を築いては、またそれを囲む新しい壁を造り上げてきました。
しかし国が大きくなるに連れ、そんな壁は邪魔と言うこともあり、現在は首都の中にはかつて三つ目だった壁が一つだけ残してあります。
と言うのも、この壁は貴族と庶民を区分する為の物でした。
貴族の中にもそれなりの階級が存在しており、城を中心に一つ目の壁までが、超特権階級が住める町。この中は外側との違いが激しく、とても綺麗で発展しています。
首都を囲う、二つ目の壁の上。
八方にある八つの大門、国が大き過ぎる為に作られた三十の隠し扉。東側の大門の上で見張る騎士二人は、退屈なのか無駄話を始めていました。
森が目の前にあるので一番警戒しなければならない場所なのですが、弓を足下に置いて、立てた剣に顎を乗せています。
「最近は竜が来ないな。…まぁ平和で良い事だけど」
「だけど」
「でもやっぱりこう…刺激が欲しいよな。腕も鈍るしな」
「鈍るしな」
「……お前インコみたいだな」
「よく言われる」
ははは、と笑い合う二人。
警戒という物々しさは、この両者からは感じ取れませんでした。
「――…あ? 何だあれ…」
「何だあれ」
急に笑うのを止め、前に目を凝らす二人。
柄頭から顎を上げて、持っていた単眼鏡でそれを確認しようとしました。
「ああーくそ。これってまず見つけるのが大変なんだよな…。おい、今あれはどの辺りを――うぉおお!!?」
「ぉおお――?!!」
突如として吹き抜けた突風に、二人は驚いて尻餅を付いてしまいます。慌てて後方を確認すると、それは既に点になっていました。でも、そんな事象を前にして、二人はそれが何なのかわかりました。
「まずい…、竜が攻め込んできやがった!」
――飛び進む、漆黒の体躯。
普段は見せない、突き抜ける事のみを追求した翼の羽ばたき。風を完璧に捉えられる自分にしか出来ない、何者も追いつく事は叶わない、漆黒の竜だけの飛行。
その瞳――竜の瞳には、光が戻っていました。
後悔など無くて、ただ何が目的に向かって、やらなければならないと云う眼光。
下で流れ行く人の世界なんて、興味も無ければ見る必要もありません。
竜の瞳が見据えるは前、
まだ見えない、
この国を治める、一際輝く大きな建物ただ一つのみ――。
――六番街も通り過ぎた竜。
まだ国の半分にも達していませんが、ここまで無傷を保った竜は初めてでした。
対応出来ない騎士達、相手が悪いのです。
兄は力、弟は技量。
昔からそんな事を、周りの竜に言われてきました。実際は弟の実力を見た竜はいません、兄弟だからと過大評価されただけの事です。
しかし、どうやらそれは正しかった様です。
ただの力のみで他を寄せ付けない兄も凄まじいのですが、静かに技術を持ち合わせていた弟も、やはり凄まじいの一言でした。
「……そうか。思った通りの竜だな。いやぁ、本当に竜らしくない竜だな」
城門の上で向こうを見つめる団長、手を目蓋の上に置いて日の光を遮り、淡々と思っていた事を独り呟いていました。
始めからわかっていたので、喫驚も呆然もせずに、無機質に無表情を向けるばかりでした。
――その後ろ、城門から城までの広々とした空間。
竜の迎撃専用に用意された輪状の広場には、既に騎士達が撃退の準備をしていました。
予定よりも漆黒の竜が速く来てしまいましたが、ここに到達するまでには間に合うでしょう。
ドレスのフリルみたいに付いた痛々しいつっかえ、異様に大きく鋭く尖った刃、斬るのではなく貫く面に重点を置いた――一般的に竜撃槍と呼ばれるそれは半分が弩に装填完了。
大量の矢を一斉に放てる連弩は、もう直ぐ装填完了。
弓矢隊はその二つが完了次第、位置に着く予定でした――。
――八番街に到達した頃、竜の速度はやや遅くなっていました。爆風を生み続けるほど翼を酷使した為に、羽ばたく事が辛くなってきてしまったのです。
しかし、それでも速い事に変わりありません。
気を抜きさえしなければ、騎士達の迎撃など当たりはしないでしょう。
「――――!?」
ですが、そんな事を考えてしまった事が気の緩みでした。
時代と共に、武具も人も成長していくものです。人にも竜にも干渉せず、昔の記憶から止まっている漆黒の竜の知識では、目の前から襲ってきた竜撃槍に驚愕するばかり。
「ふ――ッッ!」
翼を無理やり動かして風の流れを変えます。
突進の慣性で真横ではなく斜めにしか進めませんでしたが、体を捻って何とか躱しました。
……今ので翼を痛めてしまいます。
速度は更に下がってしまい、もう爆風は生み出せなければ、高く飛翔する事も出来ません。
でも、それでもまだ此方に有利であります。
弓矢程度が硬い漆黒の鱗に突き刺さる事はないので、竜撃槍にさえ気をつけていればいいのです。
速度も、他竜と比べれば速い方。なので大して恐れを抱かずにいたのですが――それも気の緩みでした。
「っ――!?」
矢が肩を掠めました。当たったのは先端ですが、傷付けられない筈の鱗が確かに削られています。
「馬鹿な…まさかこの時点で、コレを使用しているのか――!」
バルムンク――。
かつてジークフリートが愛用していた、数々の功績を共にしてきた大剣。幅広の刀身、金の柄には蒼色の宝玉が埋め込まれ、鞘には金の打紐が捲かれた、宝剣とも云える存在。
悪竜フーブニルを倒す事が出来たのも、この剣のお陰でした。
その斬撃は強大で邪悪な炎を切り裂き、どんな侵害も許さない硬い鱗さえも抉り、ジークフリートを英雄へと導いてきた大切な剣。
そしてジークフリートの亡骸と共に、大きな湖へと沈めらた伝説の剣。
――異変に気付いたのは数十年前、誰かが産まれようとした兆候を示すその年。
英雄と宝剣が沈められた湖が仄かに蒼く光っているのを、管理していた祭司が見つけました。
調べた結果。湖の中にある鉱石に竜を殺す事に於いて特化した力が付加されており、湖の水には一度だけ竜の炎を遮断出来る事がわかりました。
恐らくこれはジークフリートの贈り物と、王はその鉱石をかき集めて武具を造るよう国をあげて命令しました。
加工が難しく、また王は自分の保護にしか目が向いていない為に、王城の近辺にしか備える事を許されていませんでした。
竜はそれに驚いていたのです――。
「……ふんっ、あの騎士団長とやらの考えか…。中心に行く程に警戒態勢が整っておるわ」
遠くを見据える漆黒の瞳。
前線の慌ただしさは薄く、騎士の配置と構えは既に終わっている様子。
全ては竜殺しに特化した、無機質な思考によるもの。
でも見据える瞳に恐れはありません。兄を殺す事を唯一可能とした宝剣の加護が掛かっていようと、竜には恐れる理由が生まれません。
この身はただ突き進むだけの躯、“逢いたい”が為のただの入れ物。
伝えるべきは己の言葉――だからそんな物如きで臆する事はなく、竜は痛む翼を動かして、蒼色と鉄色の中を飛び続けました。
「――右に一五度。上に八度――」
民家の屋上に設置された竜撃槍。
観測係の言葉通り、騎士は弩の向きを修正します。
前からは漆黒の竜、今も尚迎撃を避け続け、此方には気付いていません。
横にある建物によってそこは死角となり、目の前を通ろうとする竜を仕留めるのに絶好の場所でした。如何に高速を持つ竜でも、いきなり真横から槍が放たれてきてはどうしようもないでしょう。
タイミングなど、日頃から訓練している騎士にとっては造作も無い事。神憑った予測能力に、竜が落とされるのは時間の問題でした。
――だから、猿がいました。
「な、何だこの猿――ぐわっ!?」
突然現れた猿によって騎士達は屋上から突き落とされました。
実行した二匹の猿は、お互いに手を叩き合わせて尻を叩き、騎士達を馬鹿にしていました。
「へへっ、素直じゃねェなァ旦那も。元からそんな性格してんだから楽に考えりゃいいのに。――これで借りは返しやしたぜ旦那ァ。もう一つある狒狒王の名がまだ生きてて良かったぜェ」
木の上で町を見つめる猿、見えない竜を眺めて、うききっと笑っていました。
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