第3話

 ――――あれから、思わぬ拾い物をしてから、三日が経ちました。


 この三日間は、やたらと森が騒いでいました。

 小動物は逃げ惑い、遠くから金属音と咆哮が毎日のように木霊します。

 …それは人と竜の衝突でした。ここ最近は何故か人の行動が活発であり、段々と森の奥まで進んでいるのです。

 ですが、その目的は開拓ではありません。

 武装した兵士達が、何かを探すように進軍していたのです。わざわざ敵の住処に足を入れる程、その探し物は大事なのでしょう。


 ――しかし、


「落とすなよ、猿」


「安心して下せェ、あっしは掴む事に関しては得意なんでさァ。ほれっチビ、高い高ーい」


「あぅ、きゃう!」


 この三者は、そんな事を気にもしていませんでした。今は、チビと呼ばれる事になった赤子を猿が抱き、それを竜が頭の上に乗せて遊んでいます。


「ばぅ、あー」


「へへ、旦那。チビの奴相当に楽しんでやすぜ?まるで人がゴミの様だ、って言いそうな陰険っぽい奴みたいに」


「お前はもっとマシな例えが出来んのか…」


 竜は溜め息を吐きます。

 でも、猿の例えがどうであれ自分も楽しかったので、鼻で笑って微笑んでいました。


 ――その時、鳥達が一斉に飛び立ちました。

 ぎゃーぎゃーと鳴き声を上げ、何かから逃げるように空を騒がします。


「ありゃ、どうしたんだろう?」


「………猿」


 向こうを仰ぎ見ていた竜は、頭上へと掌を上げます。静かに察した猿はチビを抱えてそっと乗り移り、地面に降ろされました。


「…旦那。もしかして…」


「わかったのなら早く行け。チビを見たらあいつは何をするか…――来たっ、隠れろ!」


「へ、へい…!」


 猿はチビを胸に抱き、二足歩行でせっせと木々の中に隠れ去りました。

 ――竜は変わらず前を向いたまま。

 黒い顔の中で光る鋭い眼で、ただ前だけを見つめて待ちます。


 そして、其れは現れました。

 炎よりも血を思わせる躯の色、大空揺るがす翼の羽ばたき――


「――…今日は起きているのだな」


 のしかかる重苦しい声、威圧する焔の瞳――


「訊きたいことがある。貴様、もしやとは思うが」


 それは――


「人の子を、養っているのではないだろうな?」


 ――全身から畏怖を滲み出す、深紅を纏った竜。

 相手を逃がすまいと、恐怖の眼光を向けます。


 ――その眼を見て、既に答えは知っているとわかりました。同時に殺意が含まれていると、漆黒の竜は感じ取っていたからです。

 質問など、茶番でしかありません。


「…だったら何だ?」


「決まっていよう。敵である人間を匿うなど、我等を裏切ると同義。ワタシが代表して、その者を八つ裂きに殺し尽くしてやる…!」


 尖った鋼質の牙を剥き出し、拳を握って怒りを表します。

 一族を誇りにする深紅の竜は、そんな異端者が大嫌いでなりません。


「そうか。それはご苦労だな。ではそんな奴を見つけたら、精々やりたいようにやればいい――」


「っ…待てぇ!!」


 背を向け去ろうとする漆黒に、深紅は有りっ丈に叫び止めました。

 さもやはりと云った表情で、諦め混じりの溜め息を吐いてから振り返ります。


「貴様がそうだという事はわかっている。一体、どこまで血を汚すつもりだ…」


「…………なぁ、命を助ける事はそんなに悪い事なのか? 単一だけにしか関心を持たない事は綺麗なのか? 何時までも堅い事を言わず、偶には自分の意思を持て阿呆」


「――ッッッ!!」


 大きく目を見開いた深紅の竜は、滞空を滑空へと切り替えました。

 目指す落下地点には異端者、そのまま体重と落下速度に任せ、到達と同時に五本の爪を振り下ろします。


 それを捉えていた漆黒の竜は、同じく五本の指を相手の指の間にそれぞれを突き通し、右側頭部が切り裂かれるのを防ぎました。

 竜同士の皮膚のぶつかる衝撃が、地面の粉塵を激しく圧して散らします。

 強く相手の手を握りしめ――出来れば臨みたくなかったと云う表情で、深紅の竜を悲しく睨みました。


「――――がああぁぁアア!!」


 深紅の竜は相手の手を握り返し、そのまま力任せに宙へと飛び立ちました。風圧の抵抗など意に介さず、漆黒の竜を上へと引っ張り上げます。

 ――木々の頭を折り曲げながら、空中に二頭の竜が姿を現しました。舞い散る植物の破片の中、両者はお互い眼だけを捉えます。


 深紅は急に止まり、慣性の流れを利用して相手を投げ飛ばします。漆黒の竜は乱回転していて翼が上手く開かず、そのまま丘の崖に叩きつけられました。

 間髪入れずに、紅い拳は一度の羽ばたきで生み出した爆風によって、風を切り裂きながら対象へと迫ります。腕に込められた筋肉の膨らみは、凡そ想像も出来ない程の一撃になるのでしょう。


 ――がらりと、罅割れた崖から岩石が落ちる中。

 漆黒の竜は埋まっていた頭を引き抜き、左右に振って視界を正常にします。でも、改めて前を確認した途端には――紅い拳が己の胸にめり込んでいました。


「っ――が、ぁあ――!?」


 衝撃は止まる事を知らず、相手に押されるままに、丘の反対側から突き抜けてしまいます。

 そして、駄目押しとばかりに膝を上げた紅い足によって、再び地上に蹴り落とされました。


 ――――森の中に、ぽっかりと大きな窪みが開いていました。

 地震じみた音と衝撃が大地を襲いましたが、鳥達は騒ぎません。元より、動物は既にこの一帯には存在しません。


 竜と竜がぶつかる事、それは即ち――天災と同じでした。地上で最も“力”がある者が暴れると、当然に辺りの存在価値は無くなります。

 どんな物も、幼児が組み立てた積み木の様に、容易く瓦解してしまうのです。


 それが竜同士の戦い。

 今この場は二頭だけの領域であり、他者にとっては死地と同義でした。


「……どういう事だ、貴様」


 深紅の竜は怪訝な眼差しを窪みに投げかけました。


「何故抵抗しない。手を抜いているのであれば、その身八つ裂きだけでは済まさんぞ」


 土煙が晴れてきたその中を、遺憾な表情で睨みます。


 ――両手足をだらしなく大の字にしていた漆黒の竜は、息を荒げて上体を起こします。

 吐き捨てる血反吐、暫し呼吸を落ち着かせてから、重い腰を上げました。


「…別に、お前と戦う意味は無いだろう…。ワシが勝ってなんになる……無益に用は無い」


「――貴様。それは、ワタシを倒す事は容易…と、聞こえるが…?」


 剥き出しの牙の隙間から炎が零れます。

 まるで怒りが形を現しているように、深紅の竜の口内は熱で一杯でした。


「当たり前だ阿呆。その飛び方を教えたのは誰だと思っている」


「ッッッ――…黙れ…、……黙れえぇぇぇーー!!!」


 深紅の竜は咆哮し、咽頭の奥から燃え盛る炎を放ちました。それは空間すら燃やしているかの如く、熱気の波が情景を揺らします。


 ――迫り来る炎。

 深紅の竜が放ったそれは、他の竜の中でも上位に位置する“質”を持っていました。

 竜とは、他の生き物に比べて逸脱した寿命を持っています。しかしその実、限界は竜たちにもわからず、自分がいつまで生き続けられるのかどの竜にもわかりません。

 理由は討伐にあります。殺された竜たちの年齢を凡そで計るなら、約七千。今ではその七千という数が、竜の平均寿命になっていました。


 そして深紅の竜の現在年齢は丁度九千。

 これは中々に長く生きた数です。


 話を戻すと、竜が放つ炎はこの年齢が関係します。年を重ねれば重ねるほどに、比例して炎の強さが増すのです。

 それは竜の中での地位にも関わっていました。


 ――つまり、もしその炎を防ぎたいのであれば、それよりも強い――年を重ねた質の高い炎を持ち合わせねばならないのです。

 だから漆黒の竜は――、


「……温い…」


 眺めていました。

 ただ、なんとなしに――。




















「うっきゃー……ここまで揺れてくる…」


 ――波紋が起つ、大きな池。

 この辺りの動物達がよく喉を潤しに来る、山に降る雨水が流れて集まった、とても綺麗な中間点。

 そのほとりで壁の様に聳える巨大な石の上で、猿は胡座の中にチビを寝かせていました。

 時折聞こえてくる爆発音のせいで、チビは眠る事は出来ませんでしたが、怯えたり泣いたりする事もしませんでした。

 それが何なのか知っているかのように、臆さず、猿の毛を毟って気ままに遊んでいます。


「旦那も大変だなァ。“兄貴”があんなんだったから勝手に過大評価されて、性格がわかったらわかったでまた勝手に除け者にされて、事あるごとに直ぐ殺し合いだもんなァ」


 チビの頭を、猿は撫でます。

 卵みたいに艶々した髪の毛の感触は、硬い手の皮でも十分に感じ取れました。


「と言いつつ、オレはその時まだ生まれてないけどな。全部旦那に聞いた話さっ」


 チビに顔を近づけ、ニヤリと片頬を吊り上げます。

 それを見たチビも、ニヤリと両頬を吊り上げました。


「きゅうぅ」


 猿の笑い顔に気を良くしたチビは、大きく体を反って寝返りをうちました。

 その時に胡座の中から出てしまい、石の上を転がってしまいます。


「おっと――危ねェ危ねェ。頼むから大人しくしててくれよおめェさんはよォ。………ぉん、何だこれ?」


 後ろの襟を掴む猿。

 引っ張られた衣服から覗かせた、真っ白な背中。


 ――その柔肌に、模様がありました――。



















「――炎は無闇に使うものでないと、それも教えた筈だぞ」


 もう目の前まで迫ってきた炎の塊。

 放射されたそれは、突き進むに連れて範囲を広げていきました。


 ここでも質が物を言います。

 広がる事は、その変化によって段々と質量を劣化させていくものです。芯がぼやけてしまっては、到達する頃には弱々しくなるのが当たり前の事。


 しかしそれを無くすのが、齢の数でした。

 九千年を生きる深紅の竜の炎は、逆に広がる事で致死率が上がっていきます。

 人間の爪くらいの零れ火でさえ、大鍋一杯の水を蒸発させる事が出来る程でした。


「……む。そう言えば粉ミルクを温めるのに、ワシも吐いていたような…。やれやれ、自分が一番情けないではないか……」


 ひょんな事で思い出した竜は、大きく溜め息を吐きました。


 ――けれど、もうそんな暇はありません。

 翼を力の限りにしならせようが、既に逃げる事など叶わない所まで来ていました。

 劣化しない深紅の炎は、猛りながら漆黒を燃やし尽くそうと、囂々とその灯りを落として来ます。


「――まぁ、いいか――」


 そう言って竜は、フー…、と炎を吐きました。

 熱いスープを冷ます様な、小さくて軽めの、不確かな吐息。

 この場には考えられない、とてもふざけた反撃。


 しかし――――。

 そんなおちょくった炎は、深紅の炎を難無く打ち消しました。まるで包み飲み込むように、炎が炎を喰らって、後には何も残していませんでした。


「な――に…!」


「阿呆。集中しないからあんなだらしない炎になるんだ。ワシじゃなかったら、疾うにお前は丸焦げだぞ」


 漆黒の竜がわざと小さな炎を吐いたのは、深紅の竜を傷付けない為かも知れません。


 何せ、漆黒の竜の体験してきた年数は実に一万二千二百。


 その炎の質たるや、この大陸一の強大さを持っています。高々九千年の炎など、その気になれば容易く突き破れるのです。


「ッ…調子に――!」


「乗っておらん」


 喫驚した深紅の瞳は、勢いよく見上げます。漆黒の竜は既に自分の上にいました。

 反撃する余裕もなく、振り下ろされた漆黒の手にて、躯ごと地面に叩きつけられました。


 ――ポリポリと、掌を爪で掻きます。

 久しぶりに平手打ちなんてしたせいか、分厚い手の皮でも痒くなったのでしょう。


「……全く。まぁ出来の悪い教え子に復習させただけ、有益とするか」


















「…う、ぅ――ぐっっ…!?」


 ――深紅の両腕で、その重たい躯を持ち上げます。

 頭を激しく揺さぶられた為に、その視界にはうっすらと靄が掛かり、酷く気分も悪い状態でした。


「無理をするな。少々情が混じったのでな、必要以上に叩いてしまった」


 目の前に降り立った漆黒は、優しく手を差し伸べます。しかしそれが不快なものだと自分に言い聞かせている深紅の竜は、煩わしいと云った乱暴な手つきで払いました。


「…貴様……、あなたは、いつもそうだ…」


「ん?」


「何故トドメを刺さない…何故最後には優しくする…。小競り合いも入れてこれで八度目なのに、何故いつもいつも…こんな中途半端な事を……」


 いつの間にか拳にしていたは深紅の手は、わなわなと小刻みに震えています。それを静かに確認した漆黒の瞳は、申し訳無いのを隠して悠々と答えました。


「言っただろう。無益、つまりお前を殺す事には意味がない。意味がないのなら価値もない」


「――ッ!」


 深紅の躯は無理矢理起き上がりました。

 その為によろけて片膝をつけてしまいましたが、気力で持ち直します。


 ――ふらふらと、横を通り過ぎます。

 それを見つめようとはせず、漆黒の竜は前を向いたままでした。


「…………何故、あなたは竜の在り方を嫌う…?」


 と。

 深紅の竜は振り返らず、俯いたまま訊ねました。

 その声に僅かの寂しさを込めて。


「嫌ってはいない。疾うにこの種族として生まれ育ってきたからな、そんな事はない。…ただ、“兄”を認めたくないだけだ」


 同じく漆黒の竜も、遠くを見つめながら答えました。


「……あの御方は凄まじかった。時には同族も喰らっていたが、それは強者にのみ許される事、皆は何も言わない。――ワタシはそれを憧れていた。あの御方ほど、竜の存在を全うした者はいない」


 否定するみたいに、深紅は言葉を繋ぎます。

 まるで漆黒の竜に何かを求めているかの様な、そんな思い出話。


「――……だが、尊敬しているのは――あなただ。皆より成長が劣っていたワタシに、あなたは色々な事を教えてくれた…」


 深紅の竜は、淡々と似つかわしくない弱々しさで、昔の話をしました。


 竜は基本的に、同族にも無関心です。

 ある目的が重なった時には結託しますが、それは上辺だけ、結局は自分の存在を誇示しているだけでした。唯一感心を持てる相手は肉親、親兄弟のみ。

 でも躯が小さくて弱かったその竜は、そんな存在にも見放されました。なので、深紅の子供はいつも一頭でした。慣れない狩りをする時も、上手く出来ない飛行をする時も、横取りされない場所を探して眠る時も、何もかも。


 これは人と似ていました。

 人は他人の子を嫌悪する様に、竜は他の子に興味も関心もありません。だからただの小石と同然に、まともに視認する事さえしませんでした。


 ……それが寂しかった。

 無関心である筈の種族の末裔でも、深紅の子供は寂しいと、そんな子供心に悩まされて。


「…………」


「竜を全うしてほしい。あなたがそうなってくれれば、ワタシは嬉しい」


 まるで懇願する様な独り言。

 同じ返事を七回もされ、また同じ台詞をもう一度聞く事になろうと、深紅の竜はまた呟いてしまいます。


「――ワシはワシだ。そんな縛りなど反吐が出る」


「……そうか」


 そう言って、深紅の翼は羽ばたきました。

 けれでもそれにはいつもの力強さが無く、バサバサと、情けなく何度も風を撒き散らします。


「――次は負けん。貴様など、今度こそねじ伏せてやる」


 吐き捨てて、深紅の竜は牙を噛み締めながら、どこか遠くへ飛んでいきました。


 ――後に残るは漆黒の体躯。

 未だ遠くを見つめながら、独り小さく溜め息を吐きました。

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