第2話


「何をやっている!?」


 城の上部、そこにある一際豪華な装飾の一室で、王が兵士に怒鳴りつけていました。

 上質なマントを靡かせて、憎しみを込めた眼差しを、頭を下げ続ける兵士に投げ掛けていました。


「申し訳ありません…。普段は竜の存在は薄い道なのですが、今日に限って――」


「言い訳は聞きたくない! あの子供にどれ程の価値が有るかわかってるのか!!」


 持っていた宝石付きの棒を投げ、兵士に怒りをぶつけます。

 兜を脱いでいた兵士の頭から血が滴り落ちましたが、王は息を荒げて気にもしません。


 収まらない怒りをこれ以上撒き散らしても仕方なく思った王は、町を一望出来る窓から外を見つめて、気を落ち着かせようとしていました。

 そして呼吸が少しだけ戻ったと同時に、冷静な思考を取り戻します。


「……そうだ、骨は…。子供の骨はあったか!?」


「骨…ですか。それは見つかっていません、ですが王……竜の炎では跡形も無いと思うのですが…。


「戯け。あの子供はただの人ではない。万が一死んでも、それくらいは残る筈だ」


 王の言葉の意味がわからない兵士でしたが、骨は無かったと伝えました。それを聞いた王の表情には、希望のような笑みが零れました。


「探せ! 兵の数は問わん。周辺を隈無く探せぇ!」



















「…………」


「……あぅ?」


 ――森の中、漆黒の竜がいつも昼寝をしている花園の中。一人の赤子がキョロキョロと周りを窺う姿を、一頭の竜と一匹の猿は見つめていました。


「……どう思う。猿」


「どうって、可愛らしい赤ん坊じゃねェですかィ。ほれほれっ」


 猿は手を伸ばして、小さな頬を擽ります。

 それがくすぐったいのか、赤子は猿の指を握って、屈託の無い顔で笑いました。


「そうではない、このチビは何者だろうかと聞いたんだ」


「何者か、ですかィ? 別に変わった赤ん坊じゃ有るまいし、この地域から離れようとした家族か何かでは?」


「どうだろうな。…そいつの着ている服を見ろ」


 竜は大きな指で赤子を指し、猿は言われた通りに服を眺めました。

 上から包んでいたローブはボロボロですが、その下の衣服はとても綺麗な純白。


「んー…質がいい生地みたいですねェ、富裕層かな。あとこの紋章は……――っ、王家の紋章!?」


 猿は飛び退きます。

 突然の事に驚いた赤子は、目に涙を浮かべて泣き出してしまいました。


 ――衣服の背に金色の糸で縫い付けられた紋様、それはこの国を治める王家の物でした。


「この赤ん坊…まさか王様の子供ですかィ…?」


「いや、それは無い筈だ。王家の嫡子が生まれたとなれば、人は国を挙げて騒ぐもの。

 しかし、ここ最近にそんな催しは無かった。隠し子ならばこんな派手な格好をさせる訳にもいかないのだが…」


 竜は腕を組んで、泣き喚く赤子の姿を怪訝に見つめます。


 見た所、猿が言った通りに、本当にどこにでも居る赤子でした。わかる事といえば、大人になればさぞ女に言い寄られるであろうという顔立ち。まだ小さいのにそう思わせる程のものは感心ですが、やはりそれだけでした。

 それだけの、極ありふれた、ただの赤ん坊でした。


「――まぁ、それは追々考えるとしよう。…それより今は…」


「今は?」


「ぴええぇぇぇ!!!」


「…五月蠅いから黙らせよう。猿、何とかしろ」


「えぇー…」


「ぴええええぇぇぇぇぇぇ――――!!!」


「あーー五月蝿いっ! 猿、何なんだこのチビは。何がそんなに気に入らないんだ!?」


 耳を両の手で塞ぐ竜。

 けれども、赤子の激しく劈く鳴き声は、そんな防御も突き抜けて届きます。普段は静かで心地良いお気に入りの場所でも、竜は離れたくて仕方ありませんでした。


「赤ん坊ってのは泣き出したら暫く止まらねェんですよ。何か落ち着ける物……あ、そうだ。ミルクでもあげりゃあ何とかなるかも」


 パンッと掌を合わせ、猿は提案しました。


「旦那。ささ、胸を突き出してっ」


「出るわけないだろ! 阿呆か!」


 吠える竜の風圧を、猿は顔の皮膚を震わせて受け止めます。


 竜が自分の子供を育てる時、それは母乳などで育てる訳ではありません。卵から孵化した時には、既に狩りが出来る大きさと知能を揃えているので、そんな物は必要無いのです。

 たしかに雄と雌は存在します、ですが当たり前に人間と同じ育成などではありませんでした。


「さっさと人の所に戻してこい。それが一番だ」


「…それは頂けないですぜェ旦那? 元の親が居るかどうかわかんねェですし、そもそも探しようがないし。もし育ての親が見つかったとしても、それまでこの子が生き残っているかどうか…」


「…………」


 猿の真剣な表情を見て、竜は黙りこくってしまいました。


 人が見ず知らずの他人の、それも赤ん坊を育てる事。それには覚悟、勇気、誠意、少々の自己満足が必要なのです。

 それは竜も知っていました、だから猿の言葉に、ただ黙るしかありませんでした。

 ――でもその時、竜はそれ以上の悲しむ顔をしていました。


「そんなしみったれた顔しねェで下さいよ旦那ァ。心配ご無用、あっしが何とかしてみます。風の悪戯猿の名は今も健在ですぜ」


 そう言って、猿は両肩を大きく回したかと思うと、颯爽と花園から駆け抜けて行きました。


 ――残された一頭と一人。

 片方は未だに泣き続け、もう片方は静かに見つめます。


「…………そうか、お前もか……」

























 「――周辺を隅々まで探せ」


 部隊長の命令が木霊します。綺麗に整列していた兵士達は、谷に響き渡る返事をして、一斉に馬車の残骸を調べ始めました。と言っても、辺りは炭と化した黒い粉末と爛れた岸壁ばかりで、調べる事は無意味に等しかったのですが。

 ――探しているのは痕跡、王が余程気にしていた赤ん坊の痕跡でした。

 骨が無いのなら可能性はある――、そんな信じられない事を、ただただ丹念に調査していました。


 しかし、周囲には諦めの空気が漂い、兵士達は雑に足を動かすばかり。

 それを注意しない部隊長も、やはり王の命令が信じられなかったのでしょう。


「――……隊長、もしかしたら谷底に落ちたのでは?」


「そこも別の部隊に捜索させている。…落ちても生きている可能性がある、だそうだ」


「生きてる…って。一体何なんですか…? その子供は」


「わからん……。ただ、王と大臣が話しているのを団長が聞いたらしいんだが。――その子供は半分不死者らしい」




















「旦那ァ。待たせやしたァ」


 暫くの後、また颯爽と猿は現れました。

 その手には布袋と、調理に使う鍋がありました。


「……遅いぞ猿。喚くのは収まったが、また何時瓦解するやらひやひやしておったのだぞ」


「そう言わねェで下さい旦那ァ。かなり貴重な物だから苦労したんですぜェ?」


 巨木の影に入って落ち着いた猿は、袋の中身を竜に見せました。

 そこには、やや濁った白色の粉が入っていました。

 竜は鼻を二度動かします。


「――粉ミルクか。よく手に入ったな」


「貴族がよくせしめてやがるんですよ。服をはだけるのは見苦しいなんて理由で」


 猿は淡々とした口調で、嫌いな貴族の豆知識を話しました。


 ――この時代、粉ミルクはとても貴重な物でした。製造するのに大変な労力と時間を有する為、その価値は家畜数頭に及びます。

 何故こんな物が出回っているかというと、竜との戦いにより、親を失う子供が多かったからです。

 まだ母親の乳しか受け付けない赤ん坊にとって、それは死ぬ事と道理。育ての親を探そうにも、前に話した通り、簡単な事ではありません。だからこの事態を解決すべく、国が考え出した物でした。

 そして、主に粉ミルクを消費する子寺院は国が管理している施設であり、そこで育てられた子供達は国を守る兵士となるのです。


「まぁ、人の数は足りてるだろうからな」


「けど高額ですからねェ。と、それよりチビに作ってやらねェと――」


 猿が向き直ると――涙を眼に一杯溜めた、今にもまた爆発しそうな赤子の姿がありました。

 泣き疲れたのでしょうが、恐らく何かの弾みでまた泣き喚いてしまうと思われます。


 ――猿は近くの小川を鍋で掬い、せっせとまた一頭と一人の下に戻ります。

 そして粉ミルクを直感で大凡にぶちまけ、後は竜に頼みました。


「旦那ァ。これに火を吐いて下さい。温めないといけないんで」


「やれやれ」


 やや面倒くさそうに、竜は溜め息混じりに炎を吐きました。

 ……それがいけなかったのか、確かに火力の無い見窄らしい炎でも、鍋を包み込むには充分でした。


「うきゃあーー!? 旦那ァ強過ぎですぜェ! 鍋が真っ黒焦げじゃねェですかィ!!」


「む、すまん……」























「王。例の子供なのですが、まだ詳細は掴めていません」


 帰ってきた騎士団長は、捜索に出ていた部下の報告を王に伝えました。


 それを聞いた王は、また怒りによって顔を赤くします。

 そして口を開いて怒号を放とうとした瞬間、


「――ですが、手掛かりは見付けました」


 差し出された物を見て、口を閉じました。


「……何だ、これは」


「鱗です。恐らく、竜と思われます」


 団長から半ば強引に奪い取り、王はその鱗を訝しげに見つめます。

 一通り眺めた後――、捨てる様に床に投げ、団長を憎たらしそうな眼で見つめました。


「…お前は余を愚弄しているのか? 馬車を襲ったのは竜、つまり鱗が落ちていてもおかしくはない。…まさかこんな物でその場を凌ごうなどと――」


「王。よくご覧になって下さい。その鱗を纏った竜は、この世に一頭しかいません」


 頭を下げたままの団長は、臆した様子も見せずに淡々と説明します。


「一頭しかいないだと…? 馬鹿な、竜にも多様な色彩が――…待て…、もしかしてお前が言っているのは…」


 改めて、王は投げ捨てた鱗に顔を向け、よく目を凝らして見つめました。


 ――その鱗の色は漆黒。


 黒に黒を重ねた様な、吸い込ませる感覚に陥る程の闇を纏っています。それはとても毒々しく、禍々しく、恐々とし。この世に在ってはならないとさえ思えてしまう、そんな歪な鱗でした。


「そんな…有り得ない…!“奴”は死んだ筈では――!?」


「ご心配なさらず、“奴”は確かに息絶えました。それは間違いありません。ですがある筋の情報に寄りますと、どうやら“奴”には兄弟がいたようです――」

























「……んっ、こんぐれェかな。よくわからねェけど」


 先程また盗んできた鍋、今度は中身ごと黒焦げにする事なく、無事に粉ミルクを温められました。始めに焚き火を作った事が成功したのでしょう。

 指を入れて温度を大凡に測った猿は、真ん中が窪んだ大きな葉っぱにミルクを注いで、器代わりにします。

 未だに泣き止まない赤子の口に谷折りにした先をくっつけ、チョロチョロとミルクをゆっくり流しました。


「――…んきゅ」


「ほぅ。お前の言った通り、急に顔が和らいだな」


「まァ赤ん坊は単純な生き物ですからねェ。あははは――ああぁ!?」


 自分の予想が上手くいった猿は気分をよくしました。

 しかしそれで気が緩み…手元を狂わせてしまいます。

 元々葉っぱには、器としての硬さはありません。だからちょっとした事で形を変えてしまい――結果的に、赤子の顔面にミルクをぶち撒ける事になってしまいました。


「ひ…ひ――――ぴやああぁぁぁぁぁ!!」


「猿ぅぅ!!」


「う、うきゃあーーー!!!」

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