5章

第1話 雲に憧れるナメクジ

 淡い寒色が鮮やかな暖色に変わると、かすかに鼻をかすめていく香りにも柔らかさが募る。


 上着も一枚減って、靴も軽いものになる。動きやすく、歩き始めるのに適した季節だ。


 春は出会いと別れの季節なんて言うけれど、あながち間違っていないのかもしれない。だからといって夏秋冬にそんなようなものがないというわけではないので横着してはいけないのだろうけど。


 今は今。あぐらをかかずに立ち上がる。けど、別に機敏に動く必要などないのだ。


 よっこらせ、と腰を起こすフリでもいい。その助走はきっと無駄にならない。


 だから私も歩幅は狭く、おっかなびっくりぎくしゃくどきどきしながら『花盛舞』の前まで来ていた。


 店内を覗くと、副店長が接客をしていた。普段副店長はレジをいじらないのだけど、きっと私がいない分の仕事が回っているのだろう。申し訳ない。うわあ、帰ろうかな。


「あ!? 茉莉!?」

「どわー!」


 こそこそ入り口で盗み見ていたら急に肩を叩かれて私は吹っ飛んでいく。


「やっぱ茉莉じゃん。なにその声。ウケるわ」


 紅葉が舞って、もう秋かと感慨に浸るけど、すぐに違うと気付く。その赤色は人工的に明るく、根元に差し掛かるにつれて黒が混じっている。


 白雲しらくもさんだった。


 最悪だ。


 なんで最初のエンカウントが白雲さんなんだろう。初期装備で草原を歩いていたら徘徊している裏ボスとばったり鉢合わせてしまったような、そんな状況だった。


「今日から仕事復帰だっけ?」

「復帰というか謝りに来たというか殺されに来たというか・・・・・・」

「殺される? 誰に」


 ぴ、と遠慮がちに指さすとその指を折られた。


「ほら!」

「だーもうなんなんだよ。仕事しにきたんじゃないのかよ」

「いえ、今日は謝りに来たんです」

「はあ? 謝るって、何を」

「無断欠勤したことです。連絡もしないですみませんでした」

「なにそれ? あたしは体調不良で一ヶ月休職するって聞いたんだけど」

「えっ?」

「え、じゃなくて。え? なに? 実はサボりだったん? そんなわけないよなー」


 ガシっと肩を掴まれて。「だったら本当に折ってたし」と脅される。なんで花屋で脅されてるんだ。


 というよりも、私が休職扱いになっていることに驚いた。てっきりクビになって私の愚痴にでも盛り上がっているのだと思ったのだけど。


 ぐりぐりと二の腕を拳で突かれ、あまり下手なことをいうと腕ごと持っていかれそうだった。


 副店長や、他の人には本当のことを話してきちんと謝るとして、白雲さんにはこのまま体調不良ということで話を通しておいたほうがよさそうだ。あながち間違ってないし。


「もう体は大丈夫なん?」

「はい。バッチリです。腕立て伏せもできます」


 むきむきと腕に力を入れる。ピクピク動いて、すぐにしぼんだ。


「ほーん。まぁ良くなったんなら休んだ甲斐もあったってもんだし、ばんばんざいじゃん」

「ばんばんざい」


 中華料理でありそう。


 一緒にばんざいして、わははと笑う。お客さんが変な目でこちらを見ていた。私はすぐに手を下ろすけど、白雲さんは気にしていないようで白い歯を輝かせていた。


 ・・・・・・経験の差かな。


 私はまだ初心者だから、あと一歩が足りない。


「副店長って休憩まだですよね?」


 時刻はまだ十二時半。副店長はいつも昼を少し過ぎた後に休憩に入るのでその時間を見計らって来たのだ。仕事中と休憩中、どっちがお邪魔になるかは分からないけど、どうせなら二人で話したい。


「多分ね。なになに? なんかダイジな話?」

「そんなところです」

「そうかそうかー。茉莉もようやくそんなお年頃になったかー」


 頭をよしよしされて、けどその力が強いので首がぐわんぐわん揺れる。


「茉莉、ちょいこれ見てよ」


 よしよしされて、そのまま首をがっちりホールドされたまま目の前に差し出されたスマホを見る。なんで業務中にスマホを持っているのかなんて疑問は今更だ。


 見せられた動画投稿サイトは私も馴染みあるもので、自慢気に白雲さんが鼻息を鳴らす。


「これ、あたしが歌ってんの」

「え、マジすか」

「マジっす」


 なんだか可愛らしいキャラが映っているけど、これが白雲さん? 似ても似つかない。


「ぶいちゅーばーとかいうらしい。先週突然声をかけられてさ、どう? すごくね?」

「す、すごいです。再生数も十万いってるじゃないですか」

「ま、あたしの歌声は世界一なんだし、トウゼンだな」


 中身は白雲さんなキャラクターがマイク片手に熱唱する。その力強い歌声に感動したというコメントも多く見られた。


「てか、どう考えてもこんなキャラよりあたしの方がかわいくね」

「それは・・・・・・どうなんでしょうね」


 清楚感という点においては、キャラクターの圧勝である気はする。白雲さんがバッと顔を出したら視聴者は腰を抜かしそうだ。・・・・・・白雲さんならやりかねない。


「なんかよくわかんねー世界で、あたしの知らないことばっかだけどさ。まぁ、なんだ。一応これでも夢は叶ったんかもしれない」


 確か前に白雲さんに聞いたことがある。


 ミュージシャンを目指した理由。歌を歌う理由。それから、夢を追うというのがどういうことなのか。夢の先には必ず誰かがいて、その誰かのおかげで頑張れると。


「世界にあたしの歌を届ける。それができるんだからさ」

「そうですね。おめでとうございます、白雲さん」


 人の幸せを願うことができるような人間ではないけれど、自分ではない自分が歌っている姿を見て快活に笑う白雲さんは素直に眩しくて、釣られて私も笑ってしまうほどだった。


 店内のお客さんがいなくなって、副店長が二階にあがっていくのが見えた。これから休憩のようだ。


「じゃあ、私行きますね」

「ん、みっちり怒られてくるといい」

「なんですかそれ・・・・・・」


 人の不幸を願う人がここにいた。私は愛想笑いにも成り立たない冷や汗を浮かべて副店長の背中を追いかけた。


「茉莉」


 そんな時、店内に大きな声が響く。それは力強く、体ごと揺さぶられるような、世界一の歌声だ。


「遠回りを恥じんなよ。茉莉のその手は、誇れる手だ」

「・・・・・・はい」


 いつも、白雲さんの態度は適当で、自由に生きて。だからこそ、そんな先人の言葉が頼もしかった。


 こんな人でも真っ直ぐに夢を叶えることが難しいのだから、私がナメクジみたいにズルズル地を這ったって誰も文句は言わないだろう。


 辿り着く場所さえ見定められたら、それでいい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る