4章

第1話 帰るJkとわがままな私

 経営難を解消するためにチラシ配りをはじめた。らしい。


 けれど私は参加しなかった。いつも通り、レシの前で突っ立ていることを決め込んだ。チラシ配りに人員を割いても回るくらいには暇だし閉店も致し方なしだな、と時計を睨んだ。いつもなら早く帰りたいと思うわけだけど、今回ばかりはどうもそんな気分にはなれない。


 アパートの前で鉢合わせたのは、澄玲の父親だった。


 話によるととっくに刑期を終えて出所いていたらしい。ただ働き口が見つからず、生活も安定していなかったためこれまで一人で生計を立てていた。最近になって安定した職場も見つかり、お金も澄玲に回せるだけの分が貯まってようやく迎えにこれたとのことだった。


 澄玲は物を探しに行ったと伝えると、来週のこの時間に澄玲を迎えにくる。澄玲の父親はそう言った。


 ただ、キーホルダーを無事見つけて帰ってきた澄玲にそれを伝えることが、私にはできなかった。非常に複雑な事情と、それから胸中に渦巻くなにかが押しとどめたのだ。


 澄玲の父親は清潔感があり、佇まいも落ち着いていて礼儀もしっかりしていて、とても何か犯罪を犯した人には見えないというのが第一印象だ。


 たびたび自虐的な発言もあったので、反省しているのだろう。そのための刑務所だ。反省ですむ事柄なのかは知らないけれど。


 だから澄玲を引き渡すことに疑問も不満もありはしない。ただ、伝えるのが億劫だった。


「花芹さん? どうしたの? もうあがっていいわよ」


 後ろから副店長に声をかけられてハッとする。気付けば店のシャッターは締まっていて、辺りは暗くなっていた。


 副店長は、パートの人たちに解雇の旨を通知する時どうしているんだろう。遠回しに言っているのか、それとも直球なのか。相手の傷心をいちいち気にしていられるかと割り切っているのだろうか。


「どうしたの?」

「・・・・・・なんでもないです。お疲れさまでした」


 面倒だ。


 考えるのも悩むのも、現実に打ちのめされるようで、嫌いだ。


 ロッカーからスマホを取り出すと、彼女からメッセージが届いていた。あの日再会してから頻繁にやりとりをするようになったのだ。・・・・・・いや、やりとりはしてないか。


 既読無視がコミュニケーションに該当するとは思えない。

 階段を昇る音が聞こえてきたので、私は急いで着替えて外に出た。今はあまり、顔を合わせたくない。


 家に帰れば何もかも忘れるはずだった。澄玲とバカみたいな話をして、子供みたいに笑う顔をみて、黒いものを溶かしていくのが日課だった。


 帰りたくない。言いたくない。


 学校から家に電話が来ると分かっていて、帰宅する足が重くなる。そんな心境だった。


 けど、もう私は子供じゃない。大人なのだ。そういった面倒事にも顔を突っ込まざるを得ないことだってある。


 家に帰ると、澄玲が玄関で待っていた。階段を昇る音で分かるらしい。ほんと、犬みたいなやつ。


「まつり? どうしたの?」

「なにが?」

「暗い顔してる」

「あー」


 澄玲にまで言われたら、おしまいだな。


「父親が来てた」


 私が言うと、澄玲はキョトンとした表情で私を見た。


「まつりの?」

「あんたの」


 指を指すと、澄玲も自分に指を向ける。


「出所したんだって。来週って言ってたから・・・・・・明日か。夕方くらいに迎えに来るってさ」


 言葉はすらすらと出てきた。ただ、そこにはなんの感情もない。機械にでもなった気分だった。


 ようやくこれで澄玲は家族と過ごせる。こんな紛い物の私で誤魔化す必要はないのだ。


 澄玲は抱えたクッションに視線を落としてなにやら考えているようだった。


「今のうちに荷物片付けな」

「・・・・・・うん」


 僅かな沈黙の中に、私は何かを期待した。


 引き止める権利もない私はただ委ねるだけで、そっと手放してしまえばあとは遠い親戚の関係に戻る。こんな風に一緒に寝食を共にすることもなくなり、話すこともない。そんな軽薄な繋がりが待ち受けている気がして、上着をハンガーにかけることも忘れて布団に倒れこむ。


「よかったじゃん。父親と暮らせるようになって」


 天井にはやや黒い染みがついていた。いつからあったのだろう。寒くなって、鍋を食べ始めたあたりだろうか。


「いいのかな?」

「なにが」

「すみれ、あっちにいって」


 照明の隣に澄玲の顔が並んで私を見下ろす。


「いいでしょ。唯一の家族なんだから。一緒にいてあげなよ」


 ぼふん、と隣に澄玲が倒れこんでくる。


「そっか・・・・・・うん」


 澄玲は一度考えたような素振りを見せた後、枕に顔を埋めて笑ってみせた。


 やはり、澄玲にとって父親は大事な存在なのだろう。嬉しそうな笑顔を見ているとそう思う。


「えへへ」


 人の幸せを祝えるほどできた人間ではないけれど、一人ぼっちだった澄玲がようやく肉親の元で暮らせるのは、まぁいい事なんだろうなと思う。


 最初は私だって思ってた。私のような優しさのカケラもない人間の元で暮らすよりも信用のできる大人のそばにいたほうがいいに決まってる。


 それがついに叶ったのだから、私も安堵の息を吐くべきなのだ。


「私のカバンも使っていいよ。服とかはそこに入れたらいい」

「うん。ありがとね、まつり」

「・・・・・・ああ」


 感謝の言葉を貰っても、心がビクとも動かない。


 善行をしたと思っているわけでもないけれど、見返りが欲しいわけでもないけれど。荷物をせっせとリュックに詰める澄玲の背中を見ると奥歯が軋んだ。


 まぁでも、自分を卑下しようとしても仕方ない。よく言った。喉に詰まるような面倒な話をよく切り出した。都合の悪いことは全て俯いて黙りこくるような子供ではないのだ。


 感情と言葉を切り離して事実を告げる。ああなんて大人なんだろう。


『あんたももう、大人なんだから』


 母親の言葉が頭の中で反芻する。


 どうだこれで文句ないかと見えない面影に鼻を鳴らす。


「最後の晩餐はなにがいい?」

「卵かけご飯!」

「はいよ」


 炊きたてのご飯に卵をかけて、卵かけご飯用の醤油をかける。


 湯気がたって、目を輝かせた澄玲が力士よろしくかきこんだ。口に米をたんまり入れたまま「ほいひい」と呟いてそれを眺める私は頬杖をついて紅茶を飲む。眠れなそうだな、今日は。カフェインのせいで。


「でも最後じゃないよ。また会おうよ」

「そうだなぁ」


 風呂に入って歯を磨く。普段通り時間が経過して、朝が来る。最後だから何か特別なことが起きるとは限らない。それは私が何もしなかったからだろう。


 ただ、行動力が伴っていたとしても具体的な内容は思い浮かばない。旅立つ人間を見送ることなど今までなかったからだ。


 澄玲はむにゃむにゃと目を擦りながらテレビを点けて座り込んだ。


「澄玲」

「んー?」

「私、寝るから」

「うんいー」


 なんだその返事は。


 気の抜けるような澄玲の声を聞きながら私は布団に潜り込んだ。二度寝が癖になってんだ。


 顔にまで布団をかけると空気がこもるのと同時に熱を帯びる。粘ついた熱気を口に含むと息が浅くなり酸素不足の腕がなにかを求める。布団を抱きしめて、横になった。


 暗く息苦しい布団の中は心地が良い。目を開けようが閉じようが視界は黒で、周りの音は遮断され自分の息と鼓動だけが反響する。


 澄玲は、潜り込んでこなかった。


 まだテレビを見ているのだろうか。


「・・・・・・・・・・・・」


 これまでもこれからも、私の世界はこの布団の中にある。ここから出た世界は悪夢であり、目を背けてもよい出来事ばかりだ。


 私は大人だ。そして周りの大人もそうやって生きている。


 起きた瞬間に理不尽な世界を目の当たりにして、けれど逃げることができずに夕日が落ちるか自分の心が廃れるかのチキンレースをはじめるのだ。例外などない。


「澄玲・・・・・・」


 眠る前に呟いた言葉は、やはり外に出ることはなく私の世界で響き渡る。


 昼寝は文字通り昼頃まで続いて、うどんをすすって夕日が昇る。私に入れ替わって眠った澄玲を起こして、夕飯の準備をしようとするが必要ないと気付く。


「忘れ物、ない?」

「大丈夫。多分!」

「あったらまた取りにくればいいよ」


 これで終わり。


 終わりは必ず訪れる。


 明日かもしれないし、十年後かもしれない。どちらにせよ、ゆるやかなものではない。バケツをひっくり返したように溢れ、空になる。残るのは水浸しだけだ。その上を歩けば、足は濡れる。眉をしかめてしまほどに冷たい。


 だがそれもいつかは乾く。乾いて忘れる。終わりにも終わりはある。変な話だ。

 少しすると、階段を昇る音が聞こえる。隣の人でも宅急便でもない。重く、落ち着いた足音だった。


 その音に澄玲も顔をあげ、私も覚悟を決める。覚悟ってなんだ。そんな仰々しいものじゃないだろう。


 今までの生活に戻るだけだ。こんながきんちょがいなくなったところで私はどうも思わない。友達と遊び、夕方になると寂しがる。あんな子供の頃とは違うのだ。


「ほら、リュック」


 二つのキーホルダーが揺れる。


 一つは母親のもので、もう一つは私と一緒にガシャポンで当てたもの。


 これまでの期間、澄玲にとって私はどんな人間でいられただろう。私を好いてくれている以上、最低限の世話はしてくれる親戚だろうか。それとも、毎日そういう、その、目で見られていたのだろうか。風呂からあがったときの私を見る澄玲の視線を思い出す。


 コンコン、とドアが叩かれる。小気味良く、抑揚のない。大人のノックの仕方だ。


 澄玲は緊張したようにリュックを担ぎ直した。パンパンに膨らんだそれは少々重そうだった。


 たいして私は、靴を揃えて、玄関周りの見栄えをよくしてこの時を待っていた。なんて大人だ。


 周りの目を気にして、生きることの出来る。大人だ。


 ああ、大人だ。


 大人、か?


 大人ってなんだろうな。


 大人。


 大人って、そんなにいいものか?


 我慢って、そんなに大事なことか?


 我が儘って、そんな幼稚なことか?


 澄玲が私を見ている。ドアを開けないの? そんなことを言いたそうだった。


「あのさ、澄玲」


 今もドアの前で大人が私たちを待っているのだろうか。


 娘との感動の再会を望んでいるのだろうか。


 この理路整然とした状況で、私はいったい、なにを――。


「逃げようか」

  

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