第7話 烏骨鶏のタマゴ

 土曜日、職場では業務が終わったにも限らず従業員全員で会議を行っていた。

 珍しく店長が顔を出しているあたり、重要な話であることは明確だった。丸めた新聞紙のような顔をさらに歪めて、今日の命題を口にする。


「店を閉めることが決まった」


 経済的損失と、大手業者が土地を譲って欲しいと直談判してきたことが理由らしい。副店長はすでに知っていたようで顔色を変えない。白雲さんはよくわかっていないようで頬杖をついてスマホを弄っていた。高橋さんは悔しそうに唇を噛み、そんな人たちを見る私はしきりに時計を気にしていた。


「といってもすぐじゃないから。予定は来年の三月。まぁそれまで、新しい仕事を探す準備をしておいてね」


 店長は特に思い残すこともないような表情をしていた。


 花屋で働くために生まれてきたんだよ! と私を歓迎してくれた頃に比べると、シワが増えたように見える。


「なんとかならないですかね」


 店長がいなくなったあと、高橋さんがそんなことを言う。


「お客さんが増えて、もっと盛況すればあるいは」


 副店長が提言するが、語尾は弱い。


 どうすれば閉店を免れることができるか。そんなような話に変わりつつある狭い部屋で、私は軽い腕を挙げた。


「あの、私。もう帰っていいですか」


 すると、高橋さんの鋭い視線が私を射貫く。


「ちょっと花芹さん。どういうつもり?」

「あ、すみません。でも、就業時間は過ぎていますし。もしまだ会議を続けるようでしたら先に帰らせてもらおうかなと」


 ガタン、と椅子が鳴って高橋さんが前につんのめる。


「まー、落ち着けってたかちゃん」

「そのたかちゃんって言うのやめてください。白雲さんはどうせ話を聞いてなかったんでしょ、邪魔しないで」

「茉莉にだって用事があるんでしょ。事情はともあれ、仕事が終わってんのはたしかなんだし引き止める権利はなくない?」


 バチバチと火花が散る。ありゃりゃまずいなと二人の攻防を眺めていると副店長が私の肩に触れた。


「そうね。今後のことは、これから考えましょう。一度寝て起きれば、冷静に話し合えると思えるし」


 副店長の一言に頷いて、私は先に休憩室を出た。


 帰る際、店先にいた店長と目が合って会釈する。私が一目散に帰ることは予想できていたのか、店長は私を見ないまま挨拶をした。


 そりゃ、そうか。


 私の働きぶりを見ていれば、私の仕事に対する意識のようなものも透けて見えるのだろう。


 物事に鈍感で、毎日を平坦に過ごす。愚痴も溢さなければ不満も口にしない。けどそれは改善する気がないということだ。店長からしてみれば、私がなんのために働いて、なんのためにこの職場を選んだのか不思議で仕方なかったに違いない。


「花芹さん」


 すれ違ってから、背中に声をかけられた。


「花は好き?」

「・・・・・・はい」


 それから返ってくる言葉がなかったので、私も早々に帰路に就く。


 仕事、また探さなきゃか。


 これからのことをつらつらと並べていく。灰色の空が、未来の出来事を予言している気がして、足取りは妙に重い。


 何もかもに無関心でいられるほど私は屍じみていない。感じる視線も、周りで生まれる感情も、少なからず感じ取ってしまい、伝染する。


 面倒事に巻き込まれた。そんな後ろ向きな境遇が嫌で、私は急いで家に帰った。


「澄玲」


 今日は土曜日だから、家にいるはずだ。


 そう思ったのだが、鍵は閉まっていて。テレビの音も聞こえない。


「澄玲?」


 部屋を探し回る。けど、狭い部屋だ。すぐに探し終わる。


「いないのか」


 クッションに身を投げて、天井を見る。襟が曲がって、後ろ髪も下手なわたがしのように形を変えた。


 外は嫌いだ。色々な事情と感情が交じりすぎている。混ぜすぎるとたいして美味しくならないと、調理実習で教わらなかったのだろうか。


 食材なんて、二つで充分なのだ。衝突することはあれど、変化することはない。必ず隣り合うように、渦を巻く。そのくらいで丁度いい。


「久しぶりだ」


 しんとした部屋で、呟く。


 いつも澄玲が近くにいて、こうして寝そべっていると隣にきて私の顔を覗き込んでくる。もしくは腹にのしかかってくる。どちらにせよ、騒がしいことに変わりはない。


 急に部屋が広くなったような気がして、どうも落ち着かず腰を起こして歩き回る。


「澄玲」


 トイレを開けてみる。いない。布団をめくってみる。いない。風呂の蓋を外してみる。冷めた水が張ってあった。あいつ、あれだけ栓抜けって言ったのに。


「・・・・・・・・・・・・」


 代わりに私が栓を抜いて、減っていく水を眺める。減っていくたしかな過程は形に見えない。なのに気付くと量は減っている。人生みたいだ。人生みたいか? それっぽいことを言って時間を潰すしかない。


 そうしないと、面倒なことばかりを思い出してしまう。


『あんたが世話をきちんとしてないって周りから思われるのよ。その時に困るのは茉莉なの』

『夢の先には必ず誰かがいる。夢ってそういうもんだ』

『店を閉めることが決まった』


 うるさいな。


『茉莉って、どうしてそうやって嘘をつくの?』 


 違うって。


 私は嘘なんてついてない。


 ただ、外の世界があまりにも正直すぎるのだ。


 膝を擦りむけば血が流れる。叫べば喉が枯れて、走る回ると息が切れる。朝起きると太陽が昇って、着替えていると今日もよろしくと当たり前のように責任を押しつけられる。様々なことが真実となり、常識と化し、それに抗う術を持たない人間は、薄まって、広がって、海に一滴落とすように透けていく。


 排水溝に流れていく水に自分を照らし合わせる。悪あがきのように渦をつくり、最後は穴に飲み込まれていく。ズゾゾ、と気味の悪い音はもしかしたら悲痛な慟哭なのかもしれない。


「澄玲?」


 ドアの向こうで音がしたので、慌ててスリッパを履く。


 開けると、宅急便だった。


 荷物を受け取って、中見を確認しないまま布団に放り投げる。


 それから時計は六時を回り、仕方がないので夕飯の準備をすることにした。親子丼でいいか。親子丼・・・・・・特に理由はない。


 カラカラと乾いたフライパンを鳴らしていると、ドアノブが回った。


「ただいまぁ」


 声がして、首を回す。


 風を受けてきたのか、髪が後ろに流れて額を晒した澄玲が靴を並べていた。 

 

「・・・・・・おかえり。なにしてたの?」

「アルバイトでもしよっかなーって思って友達といろいろ回ってたの。ほら、求人いっぱいあった」

「お笑い芸人はどうしたんだ」

「あ」


 どうやら忘れていたらしく、求人雑誌を腕に抱いたまま困ったように笑った。


「おいおいね。って、おいおい」


 反応しない私が悪い、みたいな空気になるのは勘弁してほしい。ツッコミありきのボケなんて口にしないほうが懸命だ。


「ぜんぜん面白くないわ」

「ふがふが」


 鼻をつまんでやると、豚のように鼻を鳴らして後ろにひっくり返った。


「もう!」

「ははっ」

「・・・・・・あっ!」

「あ?」


 鼻先を赤くした澄玲が、驚いたように私を見る。


「なに?」

「・・・・・・ううん、なんでもないっ」


 澄玲はぱたぱたと走ってリュックをリビングに置きに行った。で、すぐに戻ってくる。相変わらず料理には手出ししないくせに、エプロンをつけていた。


「わあ、親子丼?」

「まあね」

「おいしそー!」


 ぐつぐつと泡立つ黄色の膜に澄玲の目が光る。


「澄玲の分はないけど」

「え、なんで」

「だっていなかったし」


 そろそろいいかな、と火を止める。白出汁の良い香りがした。


「またまたー、そんなこといって、二人分作ってあるんでしょ?」


 期待したような顔で澄玲が体をすり寄せてくる。


「ごめんマジで私の分しか作ってないわ」

「うそー!?」


 本当に驚いたようで、澄玲は怒ることはせずに私を見開いた目で見上げ続けた。


「すみれの帰り待っててくれたんじゃないの?」

「並行世界の私は待ってたかもしれん」


 炊きたてのご飯に盛り付けて、完成。おー、うまそ。


「でもすみれが帰ってきた時さ。まつり、嬉しそうな顔してたよ」

「はぁ?」

「むすーっとフライパン睨んでたのに。ぱあって明るくなった」


 私の真似をしているのか、澄玲がにへらと顔を融かす。


「そんなわけないでしょ」


 下手な因縁をつけられて、私はお手上げだったので換気扇のスイッチを切って皿をテーブルに持って行く。


「私のこと好きな分際で」

「・・・・・・う、それは、その・・・・・・ごめんなさい」


 しょんぼり項垂れて、私の向かいに座る。


「でも・・・・・・両思いなら、いいなって・・・・・・」

「ふーん」


 澄玲の顔が真っ赤に染まる。そういえば紅ショウガを忘れたな。今度買っておこう。


 もにょもにょと動く澄玲の唇を見ながら出来たてほやほやの親子丼を頬張る。


 両思いか。


 そんなロマンチックなもの、本当にこの世に存在するのだろうか。両思いと口にすることはできても、互いの熱量が常に同じだとは限らない。ただそれを確かめる術もないので、好きだよ私も好き、と喉を震わせて満足するのだろう。


 そういう誤魔化し合い騙し合いは、嫌いじゃない。人間味があって、愚かで、滑稽だ。


「半分、いる?」

「いいの!?」

「うん」


 わあ、と澄玲がキッチンに走って皿を取りに行った。


 俊敏な動きが面白い。


 まさか、本当に一人分しか作ってないと思ってたのか。私は鬼じゃないんだぞ。


 同居人の晩飯くらい、作ってやる。それが私に想いを馳せている見る目のないバカな奴なら、尚更だ。


「えへへ、半分こ」

「あ、ちょっと。鶏肉とりすぎ。・・・・・・いいけどさ」


 頬杖をついて、頬を膨らます澄玲を眺める。前に比べて、少し肉付きもよくなったか。このままぶくぶく太らせるのも面白いかもしれない。


「ねぇ、まつり」

「ん?」

「今度はもうすこし、早く帰ってくるね」

「・・・・・・そう」


 歪みそうになる口に、米粒を放り込む。


 ああ、滑稽だ。笑ってしまうくらいに。

   

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