第6話 縋るように恋をする
小さな息遣いが聞こえたあと、澄玲は弾かれたように体を起こした。瞬きを繰り返し、私を怪訝に睨みつける。
なんで私が睨まれなきゃいけないんだ。対抗心のようなものが芽生え、私も目に力を込めてみる。
ガンの飛ばし合いは一分ほど続いて、先に澄玲が折れた。しなびた野菜のように縮こまってしまい、それから僅かに口を動かした。
「そ、んなことなわ」
文章になっていなかった。それでもニュアンスで伝わってしまうのだから日本語ってすごい。
「そう、なら勘違いか」
別に深く追求するつもりもなかったので納得して腰を起こす。反動でクッションが後ろに倒れた。
私が自意識過剰な自惚れ女という名目が若干たってしまった気がするが、この際気にしないことにする。
はてさて今日はカレーかシチューかと頭の中で献立を組み立てる。この季節はまだ夜が長く、茜色に染まる過程をすっ飛ばす。なんともめんどくさがりな季節、私みたいだ。
コンビニ弁当でいいか、と。負けず劣らずの惰性を発揮してカーテンを閉める。
「う、うそです!」
暗くなった部屋で、澄玲がどういう顔をしているかは分からなかった。
「好き、です・・・・・・」
なんで敬語?
「そうなんだ」
「はい・・・・・・」
膝を抱える澄玲に近づくと、目をぐるぐると回しながら後ろに下がっていく。わ、わ、言いながら、ついにひっくり返ってしまった。
「ごめんなさい」
小ぶりな尻が喋る。
「謝らなくていいけど、なんで私?」
現役女子高生が成人している私をどういった目で見ているのか気になった。
「どこが好きなの?」
「わ、わかんない」
「顔か!」
「顔は、ふつう」
「あっそ」
なんて贅沢なやつだ。私は花屋の看板娘だぞ。と、称号だけかざしてみる。自分自身の顔を評価するのはむなしいだけなのでしたことがない。
「一緒にいたいなって思ってたら、好きになってました・・・・・・」
「乙女か」
尻を叩くと、ずりずりと落ちていって伏せの体勢になった澄玲が現れる。
好きの理由なんて人それぞれだ。顔とかにおいとか、性格とか、本当に色々ある。もしかしたら澄玲の好きは、姉妹や家族の延長線上にあるようなものなのかもしれないし、そもそも一時の感情や、幼心ゆえの勘違いである可能性だって充分にある。
けど、私はそのすべてを暴く秘密の呪文をしっていた。攻略本にだって載っていない。
「私とセックスしたい?」
秒針が時を刻む。
静寂をたっぷりと堪能したあと、澄玲は控えめに頷いた。
歪だ。一緒にいたいという気持ちが昇華して好意になり、それが肉体を求める切望へと変わる。あの時の彼女だって、そうだった。ギラギラと眼を輝かせ、私の体を貪った。この腕が、この指が、どうして。わたしにもその才をよこせと、折れんばかりの力で強く。
真っ直ぐな恋心なんて、滅多にありはしない。ありはしないのだから、きっと漫画やドラマの世界に登場するのだろう。フィクションなんて、夢見てなんぼだ。
「いいよ」
私は着ていた服をすべて放り投げた。
部屋の真ん中で全裸で立つ。驚くほど身軽だった。肘の内側が胸元を撫でてくすぐったいけど、だんだんと帯びてくる温かさが心地いい。自分の体を自分で抱くような、感覚。変態か。
澄玲はそんな私を見て、驚いて、目を逸らす。けど、また視線は戻ってきて私の体を撫でていく。
「抱きたきゃ抱きな。慣れてるから」
たった一度の経験を経て慣れているというのはいささか傲慢だろうか。
そうは言っても、私にとって求められる行為というのは簡単なものだった。技術や知識、それこそ経験なんていらない。ただ、天井を見ていれば終わるのだ。
好きになられるのは楽だ。なんていうとどこかの誰かに背負い投げでもされるかもしれない。許して。私にとって恋愛というのは、昔からそういうものだったのだ。
当然、告白されて断ったことだって何度もある。というかそっちの割合のほうが多い。それでも、まぁいいか。くらいに思ってしまえる時があって、もしかしたらそれが私にとっての好きなのかもしれない。あの時の彼女も、そして澄玲も。
外に出ると、色々な人の混じり合いによって生まれる陰湿な渦に巻き込まれる。
この家にいると、そういうものが生まれない。
都合がいい。のかもしれない。
面倒なことを忘れるには、ここが。
「ほら」
澄玲の腕を引く。
小さな体が私を抱いて、倒れ混む。無垢な瞳が私を見下ろす。相変わらず子供っぽい。なんでこんなやつに私が押し倒される形になっているんだ。と悪態をつくと、沸々と湧き上がるものがある。
「ま、まつり」
「いいってのに。そういうもんでしょ」
せっかく私が誘ってやってるというのに、澄玲は首を壊れたおもちゃみたいに動かして、私から背けた。
「や、や、です」
胸元を引っ張る。ぱくぱくと口を開け、聞き慣れない敬語で喋る。普段もそんなような敬う心を持って接してほしいものだ。
「なんで嫌がるの?」
ともすれば私も、どうかしていた。
嫌と言われたら、ああそうと離してしまえばいいのに、どうにもムキになってしまう。こいつに負けたくないからだろうか。そんな威勢のいい感情が私に眠っているとは言いがたいけれど、自分の心は自分じゃ覗けない。
「私が惨めなんだけど、どうしてくれんの」
暗闇で、澄玲の首根っこを掴む。すると澄玲は苦い顔をして私の腕を握った。
「痛いの、知ってるから」
拳がぐーぱーと開いて、白い手のひらを見る。
「誰かを傷付けると、傷付けたほうも痛いから」
弱いけど、意志のある瞳が私を射貫く。
「はぁ・・・・・・」
ため息をついて、澄玲を横に転がす。
「さすが、番長の言うことは違いますな」
「そ、そう?」
「うん。なんか、ああ・・・・・・なんだろうなぁ」
澄玲の言っていることは、間違いではない気がした。
もしこのままなし崩し的に行為に及んでいたら、もっと淀んだ空気が部屋を漂っていたかもしれない。
私は拒絶された。そのはずなのに、どこか安堵している自分もいた。
変なの。
「ごめん、忘れて」
自分の行いを振り返って、頭を抱えた。奇行だな、こりゃ。
だから飲み会って嫌なんだ。色々な人間の価値観や人生観を聞かされて、自分の中で築き上げたものが形を変えてしまう。
「まつり」
そんな私を、澄玲が後ろから抱きしめる。
素肌に伝わる熱は、子供から発せられる暑苦しいものではなかった。
「悩んでることがあったら相談して」
もっと、ぬるい。人肌の、温度。もう少し、温度があがればきっと暖かい。それを期待して腕が何かを求めて彷徨う。
澄玲の腰を掴んで、前に突き飛ばした。
「余計なお世話だっての、がきんちょ」
力が弱かったのか、澄玲とそれほど距離は離れない。
「がんばって大人になるよ」
背筋を伸ばして、視線は直線上。
私よりはよっぽど大人だ。
そんなことは、口が裂けても言えなかった。
電気を点けて、服を着た。
袖に腕を通していると、へそに指が這わされて変な声が出た。顔を出すと、澄玲が名残惜しそうに自分の指を見ていた。
半、大人だな。せっかく言い切ったのだから、意志はしっかり固めてほしいものだ。
その日は結局、シチューを作ることにした。
あくを取りながら混ぜていると、料理もしないくせに一丁前にエプロンをつけた澄玲がかけよってくる。
「いいにおい~」
覗き込んで、鼻を利かせる。
二人して、白く渦を巻く鍋を眺めた。
真っ白な世界に、ひとつ、ふたつ。食材を足していくと、彩りが生まれる。お、と思って牛乳を足すと、やっぱり白に戻る。それからは何を入れても、色彩は増えない。
けれど香りは複雑に絡み合い、熱を帯びるととろけていく。
小さな世界の中で、理不尽と希望が絡み合う。
「私って、冷めてるかな」
おたまを動かすと、波が生まれる。揺れて、私の頭の酸素を奪っていく。
ぼーっとして、妙なことを口走ってしまったと気付いた頃には、澄玲が私の手を握っていた。
「そう? あったかいよ?」
力の込められた手のひらが、熱を帯びる。
食材がひとつ、ぽとんと落ちる。
かきまぜると。
より一層。
とろけていった。
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