第5話 甘えんぼうのサンタクロース

 ドアノブを回すと抵抗がなく、奥のほうからテレビの音が聞こえた。


 肩についた雪を払って戸を開けると澄玲が寝そべりながらスマホをいじっていた。連絡を取り合う友達もいないだろうし、動画でも見ているのかもしれない。動画を見ながらテレビをつけて寝そべる。なんて贅沢だ。


 ただ、前みたいに端っこで膝を抱えていられるよりは数倍マシだ。気を遣う必要がない。もしかしたらここは大人でいなくてもいい場所なのかもしれない、そんなことを思った。


「おかえりー。早かったね?」

「間違えて花を全部燃やしちゃってね。焚いた煙を吸ったらみんな頭おかしくなったから私だけ先に帰ってきたんだ」

「そっかぁ」


 ごろんごろん。転がって、ぺろんぺろん。スカートが翻る。


 澄玲は家だとほとんど制服のままだ。夜になるとさすがにパジャマに着替えるが、日中は学校から帰ってきたままの恰好でいることが多い。だからシワがつくのだ。


「アイロンかけたほうがいいよそれ」

「まつりかけてー」

「甘えるなひっつくな自分でやれ」


 足にしがみついてきた澄玲を蹴ると部屋の隅まで転がっていった。


「あ、そうか。高校生は今日から冬休みか」

「そうだよー。最高だよー」

「それはようござんしたね」


 コートを脱いで、ハンガーにかける。すると澄玲が「わ!」と目を輝かせて私を見た。


「サンタさんだ!」


 澄玲が制服姿なら、私も私で仕事していた時の恰好のままだった。さすがにコートを羽織って帰ったから痛いコスプレ女にはならずにすんだが。


「澄玲、どうだ」

「どうってなにが?」

「サンタさんなんて本当はいないんだ」


 どうせこいつのことだからいまだにサンタさんを信じているのだろう。私は演技がかった口調で澄玲に語りかけた。


「がっかりする気持ちは分かる。けどこれは誰もがいつか乗り越えなくちゃならない壁なんだ。そうして人は成長し、前に進むのだよ」

「そんなの知ってるよ? サンタさんなんて空想上のおじいさんなんだから」

「・・・・・・・・・・・・」


 脱ぐか。


 楽しみだった暴露大会が不発に終わった以上、こんな衣装着ている理由がない。


「脱ぎやすさしか利点がないなこの服」

「かわいいと思うけど」

「それって服が? それとも私が?」


 なんだかんだ、私は副店長に容姿を褒められたことで調子に乗っているようだ。綺麗だなんだともてはやされて、悪い気はしない。


「そ、そんなの」


 澄玲はあわあわと口を波打たせて言葉を濁す。手元のスマホなんてもうちっとも見ていなかった。


「ど、どっちもだよ」


 もにょもにょと余韻を残して漂う声は頼りない。信憑性のカケラもないので私も真に受けることはしなかった。


 サンタの衣装を脱いで下着姿で部屋をうろついていると、澄玲が「下着もかわいい」なんて言い出した。お前は床上の男か。


「衣装に合わせたの?」

「まさか」


 下着なんて手を突っ込んで掴んだものを付けているだけで、おみくじとなんら変わらない。 


 今日はもう出かける予定もないのでスウェットを着て椅子に座った。寒いし、紅茶でも淹れようとケトルの準備をする。


「ぶんなぐらなきゃよかった」


 沸騰する音の影で、澄玲がそんなことを言う。


「昨日言ってた子の話?」

「うん」


 昨日、澄玲は学校から帰ってくるなり私を睨んできた。何事かと思ったら、どうやら澄玲はクラスメイトを思い切り殴ってしまったとのことだった。殴ればいいという私の言葉を鵜呑みにしたらひどい目にあったと頬を風船みたいに膨らませてそれはもうプンプンだったが、ひどい目にあったのはクラスメイトの方だと思う。


「人間の顔って、意外と硬いんだね」

「サイコパスか」

「だって、そうなんだもん。ぶんなぐったすみれも、すごく痛かった」


 そう言って澄玲は、自分の手のひらをじっと見つめた。


「やっぱり、ぶんなぐるのはよくないよ」

「そ。まぁ今のうちに誰かを殴っといてよかったじゃん」

「よくないっていってるのに」

「けど、もしこの先殴りたいような奴が現れたとしても、澄玲はその痛みを思い出せるってことじゃん。痛みも分からずに背だけデカくなるよりはよっぽどいいって」


 紅茶を淹れると、芳醇な香りが部屋を包む。


「あんたも飲む?」

「飲む」


 澄玲の分のマグカップを用意して注いでやる。


「まつりは知ってたの? ぶんなぐると痛いって」

「は? 知らんけど」


 あっけからんと私が言うと、澄玲の猫みたいな目が大きく開いた。


「え、でも知ってるみたいな口ぶりだったよ」

「いや、適当言っただけだし。てかクラスメイトを殴るとか普通にやべー奴じゃん。こわ」

「まつり!」


 はははと私が笑っていると、闘志剥き出しの澄玲が襲いかかってくる。わちゃわちゃと取っ組み合いをして布団の上に押し倒された。


「もうまつりの言うこと信じない!」


 よっぽどご立腹なのか澄玲は顔を真っ赤にして私の上で暴れた。


「澄玲、あんまり頭に血を昇らせると次第に血液が頭蓋骨に溜まってその重さで思考能力が落ちるらしいよ。若年性のボケが最近流行ってるのはそれが理由だってテレビで言ってたから気を付けな」

「え、そうなの・・・・・・?」

「いや嘘」

「まつり!」


 前に私の嘘を見抜けるようになったとかほざいていたような気がするが、まだまだだな。


「でも筆箱は返ってきたんでしょ?」

「それは、うん。あと、今までごめんって謝られた。すみれ何かされてたのかな」


 イジメに気付けないというのも才能か。澄玲はおそらく純粋で、流されやすい人種なのだろう。人を試しに殴ってしまえるような野蛮さを持っているのだから、優しさとはきっと違うのだろうけど。


「お父さんも、こんな気持ちだったのかな・・・・・・」

「さぁね。事情も知らんし」


 他人の、ましてや刑務所に入っているような人間の思考など理解できるはずもない。根っからの頭のおかしい人なのかもしれないし、やむを得ない何かがあったのかもしれない。たとえば、誰かを守るためとか。ただ本当にそれは当人にしか分からないので考えるだけ無駄だ。


 紅茶だけじゃ乾ききった喉は潤うことはなく、私は冷蔵庫から缶チューハイを一つ取り出して開けた。


「それってお酒? やめておいたほうがいいんじゃない?」

「女房みたいなこと言うな」

「だってまつり、酔うと、あれなんだもん・・・・・・」

「あれとは」


 副店長といい澄玲といい、私の酔い状態をやけに隠したがる。まさか酒を飲むと全身の毛穴から触手が生えるとかじゃないだろうな。


 澄玲は目を泳がせて、若干恥ずかしがりながらも口にした。


「まつり、お酒飲むと甘えん坊になるんだもん」

「・・・・・・は?」

「この前もすごかったんだから。ふくてんちょーさんから引き剥がそうとしても全然離れてくれないし、やっと離れたと思ったら今度はすみれにだっ、抱きついてくるしっ」

「いやいやそんなわけないでしょ。甘えん坊? 私が?」


 こくんこくんと澄玲が頷く。


「ははーん、さてはさっきのお返しに嘘ついてるな? 詰めが甘いね。そんなあからさまな嘘、バレバレだって」

「う、嘘じゃないよ!」


 被告人の世迷い言なんて聞く耳を持たない。


 私は仕事が早く終わったことによる開放感と、クリスマスという特別な日に浮かれて酒を一気に胃に流し込んだ。


 それからの記憶は、あまりない。


 別に酔っていたからというわけではない。そもそも缶チューハイ一本飲んだだけで酔うほど私は酒に弱くはないのだ。


「すみれぇ~」

「うぅ・・・・・・ぐるじいぃ・・・・・・」


 だからきっと途中で寝てしまったのだろう。夢のような不規則な記憶が頭を支配しているのだから、間違いない。


「なんだよ小学生のくせにこの綺麗な足はよぉ~」

「小学生じゃなもわー!? どこ触ってるの!?」


 副店長が言っていた、誰かがいてくれる幸せ。そんなことを思い出す。


 今までずっと一人で過ごしていたクリスマス。甘酸っぱいものでも誰かが憧れるようなものでもないけれど、確かに私は往年とは違う聖夜を過ごしていた。


 楽しくもないし、嬉しくもない、幸せなんてもってのほかで、特に前向きな感情を生まない微睡みの中だけど。


 一人よりはいいか。


 なんて、思ってしまうのだった。

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