第2話 描いたものは色褪せて

「ちょっと花芹さん? ぼーっとしているようだけど大丈夫? 目の下にもクマができているし、睡眠はきちんと取った方がいいわよ」

「え、あ。すみません」


 品出しをしている所に後ろから声をかけてきたのは副店長だった。


 結局、私はあの後もどうにか涙を流せないかといろんな映画を日付が変わってからも見続けた。一緒に見ていた澄玲は気付いたら隣で寝息を立てていて、今朝は互いに上の空だったのを覚えている。


「仕事に支障は出ていないみたいだし、別に謝らなくたっていいわよ。ただ、花芹さんが心配なのよ。それに、一昨日の飲み会で無理させちゃったんじゃないかって」

「ああ、そのことですか。起きたらお酒は抜けてたんで、気にしないでください」


 副店長は「そう」と安堵したように息をついた。


「そういえば副店長。私ってあの後どうなったんですか?」

「一人で歩けるような状態じゃなかったから私が付き添ってタクシーを呼んだわ。申し訳ないとは思ったけど、鍵もあけさせてもらった。あ、一応許可はとったのよ? けどあなた、酔っていたから」

「じゃあ、特に一夜を過ごしたとかじゃないんですね」

「え?」


 それまで朗らかに笑っていた副店長の表情が固まる。しまった、直接的すぎたか。


 けど、副店長はすぐにいつもの佇まいに戻って短めの襟足を指で梳いた。


「花芹さんはしてほしかったの?」


 今度は私が驚く番だった。そんな私を見て副店長は「冗談よ」と口元を抑えた。


 副店長、冗談とか言うのか。少し意外だった。堅苦しいという印象はなく、店の中では一番の常識人だというのが私の中でのイメージだったので、フランクな箇所を垣間見ると人物像が僅かに明瞭となっていく。


「あなた、お酒を飲むととっても可愛らしくなるのね」

「え、なんですかそれ」

「ふふっ、ナイショよ」


 澄玲にも同じようにはぐらかされた。なんなんだろう。お酒を飲んだ私はそんなにもおかしなことになるのか。


「それにしても驚いたわ。あなたの家を訪れたら、制服を着た女の子が出てくるんですもの」

「ああ、それは」


 そうか。そういえば澄玲が副店長がどうのって言ってたな。


「変な奴でしたよね、すみません」

「そんなことないわ。確かに最初は怯えていたようだけど、あなたを見るとすぐに水を持ってきて、帰り際には丁寧にお辞儀までしてくれたわ。すごくしっかりした子だった。妹さん?」

「ただの親戚の子ですよ。ちょっと事情があって預かっているんです。子守を押しつけられた感じで」

「子守? けど・・・・・・」


 そこまで言って副店長の語尾は濁っていく。本人も言う必要はないと思ったのか拾い直すことはしなかった。それはそれで気になる。


「大変なときに悪いわね」


 大変、なのか? 邪魔だなと思うことはあれど、そこまで膨大なカロリーを消費したことはない。それは澄玲が手のかからない良い子ちゃんだから? まさか。朝から卵かけご飯をねだって家主を叩き起こす奴が良い子ちゃんなわけがない。


 なら私が偉いのか? それもまさかだ。世話なんて一つもしていないし、服や寝具など身の回りの物を買い与えるのなんて金がある社会人なら誰でもできる。私に特別優しい心があるわけではない。


「ふふっ、そういえば花芹さん。あなたが前に書いてくれたクリスマスツリーのPOP、絵が上手だって評判よ」


 うーむと悩む私がおかしかったのか、副店長は笑いながら私の肩を叩いた。私と話しているときの副店長はどこか機嫌がよさそうに見える。


「そんなに上手ですかね?」

「ええ。見てくれたお客さんは口を揃えて言うのよ。画家でも雇ったのかって。だからそんな余裕うちにはありませんよって言っておいたわ。花芹さんは絵を習っていたの?」

「ん、まぁ・・・・・・」


 あまり触れて欲しくはない話題だった。口元にもそれが出たようで思うように声が出ない。


「私もすごく上手だって思ったのよ。素人目からの感想だけどね、小さなアーモンドの木だけど力強い葉先がしっかり表現されていて、色使いも鮮やかで写真みたいだったわ。もっと早く花芹さんに頼んでおけばよかった」


 うちの花屋では冬になると予約限定でクリスマス用の小さな木を販売する。その広告POPを毎年誰かが作るのだけど、今年はたまたま私の番だったのだ。断りたかったけど、他の人たちも嫌々書いているわけだしそれは我が儘がすぎると思い承諾したのだ。


 ちなみに去年は白雲さんが書いていて、お客さんからは「誰かのお子さんが書いたの?」と言われる始末であった。それを聞いた白雲さんが黙っているはずもなく、店内で「あたしはピカソだぞ」と暴れていたのを思い出す。なんであの人クビにならないんだ・・・・・・。


「またお願いしてもいい? もちろん、無理にとは言わないわ」

「まぁ、いいですけど」

「ありがとう。本当、花芹さんには助かってるわ。今日は定時であがってもかまわないから、しっかりお願いね」


 副店長は細長い指を揺らして去っていく。


「私、助けになってるのか」


 情熱的に働いているわけでもなし。そもそも花屋で働くくせに花が嫌いときたもんだ。こんな惰性で働くだけの私が、誰を、何を、いつ、どこで助けたというのか。


 うーん。分からん。


 そんな考え事をしながら午前は終わり、午後になると再び館山さんのそばに着いて欲しいと指示を出された。


 休憩を終えた私は少し膨らませすぎたお腹をさすりながら館山さんを探した。


「あのさ、なんでわかんないかな。私みたいな年下に毎日怒られてなんにも思わないわけ? いい年こいた大人がすみませんすみませんって頭下げて。ほら、ここ、また汚れてる。掃除もできないんですか? ほんとに主婦?」

「すみません、すみません・・・・・・」

「ほらそれ、次は気を付けますでしょ。だからいつまでたっても覚えないんですよ。その場さえしのげればそれでいいとか思ってません? あのね、これは館山さんの覚えが悪すぎるから注意しているだけなんです。私を悪者みたいに仕立て上げるのやめてくれませんか」


 客前だというのに、館山さんは高橋さんに怒られていた。高橋さんは怒る時、かなり大きな声を出すので館山さんも完全に萎縮してしまっていた。


 うわあ、声かけづら。


「いや、掃除は後でいいんで。てか変に手出さないでください。二度手間なんですよ。確認して回る私たちのこと考えたことあります? まず一つの仕事を終わらせてください。今までの職場でもそうしてきたんですか? そりゃどこも使ってくれないわけですよ。うちだって人がいないから使ってあげてますけど、新しい人が入ってきたらその内――」

「あのー、すみません」


 高橋さんの話は長引きそうで、このままじゃ埒があかないと思って私はおっかなびっくり割り込んでみる。


「なに?」


 高橋さんの能面みたいな顔が鋭く私を睨む。


「高橋さんは普段の業務に戻っていいみたいです。館山さんには私がつきますので」

「ふーん。ラッキー」


 私の言葉に、高橋さんは嬉しそうに足取り軽く去っていく。私に面倒事を押しつけられたからだろう。なんだかこんな役回りばっかりだなぁと最近の自分を見て思う。


「それじゃあやりますかぁ」


 さっきの問答には特に言及せず、前に教えた業務のおさらいをすることにした。

 館山さんは怒られていたからか顔を真っ青にしていたが、しばらく話していたらいつも通りの顔色に戻った。


 こうして数日、館山さんと仕事をして分かったのだけど彼女はどうもやる気がないわけではないようだった。しっかりメモは取るし、時間もきっちり守る。計算は苦手みたいだけど細かい作業は得意なようだった。仕事ができない、というわけではないらしい。


 ただ気になるのは、時々ぼーっと何かを考えているように動きを止めることだった。それは一日の中で頻繁にあり、もしかしたらそれが業務に支障をきたしているのかもしれない。


 そんな風に今もぼーっとしている館山さんを眺めていたら、彼女も私に気付いて慌てて頭を下げた。


「別に、謝らないでいいですよ。私も朝は半分寝ながら仕事していますし」


 言うと館山さんは首を振って仕事に取りかかる。気合いを入れたようだった。


「・・・・・・悩みとかあるんですか?」

「え?」


 たまたまお客さんがいなくなったので、レジのお金を集計している館山さんに話かけてみた。


「疲れているようにも見えたので」


 すると館山さんは少し考えたような間をあけて。


「ありがとうございます。でも、大丈夫です」


 と、腰を曲げながら言った。悩みについては、否定しなかった。


 それから今日の売り上げと実際のお金があっているか確認して、誤差がなくホッとしていると館山さんが口を開いた。


「高校生の息子がいるんです」


 一度は言い躊躇ったのに、どうして話す気になったのだろう。気になったが、躊躇や足踏みは誰だってしたいしせざるを得ない時だってあるのかもしれない。


「あそこの高校なんですけど、知ってます? 黒のセーラー服が有名な」

「あー、知っています」


 最近スマホで調べたし、なんなら直接足も運んだ。どうやらそこに、館山さんの息子さんが通っているらしい。妙な縁もあったものだ。


「それで、息子の様子が最近変なんです」

「変、というと?」

「どうも盗みをしているみたいなんです」


 店の外に並んでいる花をスーツ姿の男が眺めていたが、買う気はないようで去っていく。それを見て、私は壁にもたれて館山さんの話を聞いた。


「買った覚えのない筆箱が息子のカバンに入っていて、それを問いただしたら自分で買ったと言うんです。でも、明らかに息子の様子はおかしくて。もしかしたらクラスの子の物なんじゃないかって思うんです。でも、どれだけ話をしようとしても逃げてしまって。主人にも相談したんですけど、仕事が忙しいと取り合ってくれなくて」


 館山さんがここまで矢継ぎ早に話すのは初めてだった。店長や、勿論高橋さんと話している時は自信なさげに頭を下げるばかりで、少し驚く。


「実は今の主人は、息子にとって二人目の父親なんです。親戚との事情もあって引っ越しが多く、いつからか息子は私たちに反発するようになって、きっとその延長線でこんなことをしていると思うんです。このまま放っておいたら、もっとエスカレートして、大変なことをしてしまうんじゃないかって」


 泣きそうな顔で館山さんは思いを吐露した。


「そうなんですね」


 別に私は館山さんに興味があったわけじゃない。彼女がどういう生活をしていようが、不幸な境遇に見舞われていようが、どうだってよかった。ともすれば元気に働いて欲しいわけでもなく、高橋さんに抉られた胸の傷を癒やそうとしたわけでもない。


 きっとこれが、社会人としての付き合い。そう思っただけなのだ。


 心配する気持ちなんてまったくなくて、館山さんがこの先うちでやっていけるように悩みを聞く気もさらさらない。


 だから私は意図せずして淡々とした相槌を打っていた。


「すみません。言い訳するみたいで。家の事情なんて皆さん持っているのに」

「いえ、まぁ」


 自分で聞いておきながら、私の返事は突き放すように熱を持たない。


「がんばるしかないですね」


 どういうつもりで言ったのか私でも分からない出来損ないの激励を館山さんはどう受け取ったのか。おそるおそる見てみると、淡く淀んだ唇は行き場を探すように輪郭を彷徨わせていた。


 もっと気の利いた助言やお世辞を言えたらよかったのかもしれない。館山さんの隣にいたのが私のような冷酷な人間じゃなかったら、もしかしたら解決の糸口を見つけられた。そうでなくとも、館山さんの心のわだかまりを少しは解消することができたのかもしれない。


 レジに釣り銭を補充すると、館山さんは休む間もなく次の業務に取りかかった。外に出ている花をキーパーと呼ばれる容器に移すだけの簡単な作業だが、館山さんはあかぎれのある手でぎこちなく花を持ち上げ、歩いては葉を散らしていた。


 持って行く場所も間違え、再び遠くから高橋さんの声が聞こえた。


 それを聞きながら私は自分の仕事をこなす。


 ちょきん、ちょきんと。花を切って、不必要な部分を落とす。


 栄養を蓄えて、陽の光を浴び、空へ空へと誇らしげに伸びた花びらは成長の妨げになるらしい。葉が隣の花に当たれば互いに歪むし、地面につけば虫を拾う。だから切る。


 正しいとか間違っているとか、頭のいい人間が首を傾げて考えるようなことは私には分からない。


 私は私で自分という人間がどういうものなのかは理解しているつもりだし、今更館山さんや誰かの背中を追って優しい言葉をかけようとは思わない。冷酷な罵声も浴びせない代わりに、優しい人のフリくらいならしてもいいけど。その立ち位置がどういったものをくれるのかを知らない限り前のめりにはなれそうにない。


 そういう人間だ。


 そういう奴なのだ。昔から。


 ちょきん。


 ボトボトと落ちていく、咲こうと背伸びをしたばかりの枝。それを見た私はどういうわけか。


 小さい頃に使っていた、ボロボロのスケッチブックを思い出していた。

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