第14話 夢魔の王 その六



 マントを着た男が、ヴィクトールをかばうように身をなげだす。


 龍郎は止めようとしたものの、遅かった。もう刃は慣性でまっすぐ進んでいく。マントの人物とヴィクトールの折り重なった体を串刺しにする。


「……たの……む。殺さないで……」


 つぶやいたのは、マントの男だ。自身の命乞いをしているのだと思った。だが、そうではない。マントの男は必死にヴィクトールを抱きかかえ、自分の体の下にかばおうとする。


「この子を……殺さない、で……」


 乞うているのは、ヴィクトールの命だ。

 おどろいて、男を見つめた。フードがずれ、その下の金色の髪が輝く。面差しはヴィクトール本人かと思うほど、酷似していた。年齢は少し、上かもしれない。


「……あんた、エメリッヒか?」


 金髪碧眼の美青年はうなずいた。

 ウンディーネになったというエメリッヒだ。やはり、死んだわけではなく、邪神と交わることで存在が変質したのだろう。


 城内をウロついていたマントの男はエメリッヒだった。父が生きていると言ったベルンハルトの言葉から、バルシュミーデではないかと龍郎は考えていたが、そもそも、それが間違っていた。おそらく、ベルンハルトは知人の声を聞いて、バルシュミーデだと勘違いしたのだ。


「お母さ……ん」

「ごめんね。ヴィッキー。ずっと一人にして。さみしかったよね」


 信じられないことに、ヴィクトールは泣いていた。邪神のクローンのはずなのに、彼は生まれてすぐに人間に擬態することを強いられたせいで、人のような思考を持つに至ったのかもしれない。


「ヴィッキー。ルルイエに……帰ろう。あそこでなら、誰も、おまえを……」

「うん……」


 二人は抱きあいながら、こときれた。おだやかな笑みさえ浮かべて。


「わが子を守るために、さまよっていたのか」


 わが子であるヴィクトールを見守り、陰ながら手助けしていたに違いない。たとえば、アラブの富豪が殺された日の朝、龍郎がベッドの下に見たガウンのベルト。あれはヴィクトールに疑いがかからないよう、彼が工作したのではないだろうか。真相は富豪に正体を知られたから、ヴィクトールが自身の手で始末したにすぎないのだろうが。


「龍郎。急げ。コアが瓦解する」


 神父に言われ、龍郎はあわてて青蘭を探した。青蘭は夢見ながら泣いている。


「青蘭。青蘭。しっかりして。もう大丈夫だよ」

「龍郎……さん?」

「ああ」

「また、あの人がいなくなってしまった。ミカエルが」

「…………」


 ミカエルがフレデリック神父だというのは、邪神の見せた夢にすぎないのだろうか?

 それとも……?


 不安をふりはらい、龍郎は青蘭を抱きしめた。誤解を解くことができるとしたら、今が最後のチャンスだ。


「青蘭。君を愛してるよ。君が苦痛ミカエル心臓と一つになりたいなら、おれが必ず、その願いを叶えてみせる」

「ほんとに?」

「ああ。誓う。どんなことがあっても」


 安心したのか、青蘭の髪が黒く戻る。翼は実態ではなくなった。が、かすかに光を発し、その形をとどめている。


 やがて、コアがつぶれ、ふたたび、龍郎たちは氷のホールに押しだされた。

 そこでは、いまだに龍郎の仲間たちが、クトゥルフ本体と争っていた。


 邪神の目には、そこはかとない邪悪と本能的な増殖への欲求だけが見える。これとヴィクトールが同質のものとは、とても思えない。ヴィクトールは邪神自身が見た夢のなかの存在なのかもしれないと、龍郎は考えた。今よりさらに高次の存在になりたいという願望が、天使に似た姿を夢に見させたのだろうと。


「青蘭。ヤツを葬ろう。もう悲しい夢は見ないように」

「うん」


 青蘭と手をにぎりしめる。

 神父の左手が肩に置かれる。

 苦痛の玉、快楽の玉。そのすべての力が一つになる。

 光がほとばしった。


 邪神は咆哮ほうこうをあげながら、黒い影絵になり、しだいに細くなる。やがて砕けちり、光の粒となった。それらは青蘭の口中に吸われる。


「クトゥルフを……倒した」

「うん。やった……」


 氷のホールが溶ける。

 夢の世界が消えていく。


 気がついたとき、龍郎はリントブルム城の別館にいた。青蘭の寝室だ。ベッドによこたわる青蘭を前に、居眠りしていたようだ。もたれるように、うつぶせていた。


 そう言えば、夢の途中でいったん現実世界に戻ったあと、ガブリエルたちと、ふたたび突入した。あのとき、龍郎一人で青蘭を探して別館まで来ていた。あのあと、クトゥルフの術中におちいり、夢の深い部分に沈みこんでしまったのだ。


 体を起こすと、青蘭のまぶたが、ゆっくりとあがる。

 少しやつれた青蘭。

 龍郎を見て、ほのかに微笑んだ。龍郎も笑みを返す。


「龍郎さん……」

「うん。青蘭……」


 たがいの目のなかに、たしかに相手への愛があると信じた。

 龍郎がそうであるように、青蘭も龍郎が龍郎であるから愛し、求めているのだと。

 そして、この瞬間、二人の愛は間違いなく、つながれていると。


「君が目覚めてくれて、ほんとによかった」

「イヤな夢をたくさん見たよ」

「それは夢であって、現実じゃない」


 抱きあうと、ぬくもりが伝わる。




 了

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