第14話 夢魔の王 その五



 *


「青蘭! やめろ。そいつはミカエルじゃない!」


 クトゥルフのガードをつきやぶり、コアに侵入したとき、青蘭はなかば眠り、にもたれていた。

 麗しい金髪碧眼の青年。

 ヴィクトールだ。


「青蘭を離せ!」

「冗談。やっと手に入れたのに。いいよ。ここまで来たなら、君たちも歓迎しよう。これで賢者の石のすべてが、ここにそろった! おれの欲しかったものが、やっと一つになるんだ!」


 ヴィクトールの美貌が微妙にゆがむ。皮膚の表面がざらつき、繊毛がゆらいだ。カッコイイ長い足がブクブクとふくれ、無数の触手があらわれる。


 またもや、触手のムチが乱打される。威力は小さいが、そのぶん敏捷で、命中度が格段に高い。


 龍郎は退魔の剣で応戦した。しかし、触手の俊敏な動きに、何度も殴打された。足をすくわれ、倒れたひょうしにガブリエルの手が離れる。


(青蘭……すぐそこにいるのに……)


 ムチの嵐をあびながら、痛みよりも、もどかしさがこみあげる。


 必死に剣をふるう。

 無我夢中で、なかば意識を失っていた。触手のスピードにしだいに食いついていけるようになる。


 すると、うなり声をあげたヴィクトールの目が、よこしまに光った。そのとたん、抑えがたい睡魔がほとんど重力のように、龍郎に乗しかかってきた。


 龍郎はふらふらになりながら、なんとか剣を前につきだそうとする。その視界が四重にも五重にもダブって見える。重なった像が円を描く。


 龍郎は夢を見ていた。

 まだ竜があたりまえに空を飛びまわっていた時代、ひときわ青く輝く星が流れた。

 それは天界で命を失った男の魂だ。


 輝きながら時を越え、やがて、かつての器に似た生き物のなかに宿った。


 おそらく、ヨーロッパのどこかではないだろうか。

 ブドウ畑のなかで赤ん坊が泣いている。農婦がやってきて、赤ん坊を見つけた。その子はとても美しく、左手に不思議な星形のアザがあった。アザはすぐに消えたが、農婦はその子の背中に翼を見たような気がした。きっと天使の生まれ変わりに違いないと思い、その子にミハイルと名づけた。


 ひじょうに可愛がって大切に育てたのだけれど、その子はまだ物心もつく前にさらわれ、いなくなってしまった……。


 夢のなかで、さらわれた少年はカルト教団の兵士として育てられた。やがて新薔薇十字教団の巫子がやってきて、彼をその場所から救いだすまで、人の心を知らず、非情に生きた。

 銀色の髪の、ブルーグリーンの瞳の青年へと成長し、今は悪魔祓い師となって——


 龍郎は動揺を隠せなかった。

 神父だ。それはまぎれもなく、フレデリック神父のことだ。


(神父が……ミカエルの生まれ変わり?)


 だから、彼は青蘭に惹かれたというのだろうか?

 二人がそうなることは運命で決まっていたことだと?

 もしそうなら、これまで龍郎のしてきたことは、結ばれるはずの二人を引き離す行為でしかなかったというのか?


 戦う気力が全身からぬけおちる。さすがにこの打撃は強かった。


「そうだろ? 龍郎。おまえが苦痛の玉を持っていることじたいがおかしいんだ。それは私の心臓ものだ。返してくれないか?」


 目の前に神父が立ち、左手を伸ばしてくる。龍郎が決意し、その手をにぎれば、苦痛の玉は譲渡される。きっと、そうすることが正しいのだろう。青蘭のためにも、そのほうがいい。神父がミカエルなら、難なく救えるはず。


「さあ、龍郎。グズグズするな。とりかえしのつかないことになってもいいのか?」


 青蘭を邪神に奪われるくらいなら、潔く苦痛の玉をもとの持ちぬしに渡すほうが……。


「ほんとにそれでいいの?」と言ったのは、星流だ。いつのまにか、となりにいて、青蘭に似かよった仕草で肩をすくめた。


「君は青蘭を愛していないのか?」

「それは……もちろん、愛してる」

「じゃあ、青蘭が君を愛したことがウソだったとでも?」

「青蘭は苦痛の玉の持ちぬしを愛してる……」

「ほんとに? それなら、君に裏切られたと勘違いして、あんなに傷つくかな? 君だから、青蘭は愛したんじゃないかな?」


 そうだったなら、どんなに嬉しいだろう。二人のあいだにあったものが、たしかな愛だとしたら。


 いらだったように神父が足をふみだす。


「龍郎。早く渡せ。私なら青蘭を助けだせる」


 龍郎はゆっくりと右手をあげた。神父の左手をにぎろうとして、ふと、ためらう。


(鼓動が聞こえない……)


 快楽の玉との共鳴ほど強くはない。だが、それは以前、同じものの一部だった。苦痛の玉と、その欠けたカケラ。近づけばトクトクと脈動が聞こえる。

 でも、今、その音は死にたえている。


 龍郎は気がついた。

 神父の顔を見つめ、強くうなずきかけてくる彼に対し、確信を持って、剣をつきだした。


 ギャアアアアーッと悲鳴があがり、龍郎の意識はとつじょ明晰になる。やはり、そうだ。マインドアタックを受けていた。

 目の前に立ち、腕を押さえているのは、神父ではない。ヴィクトールだ。


「龍郎。ヤツをやるぞ!」


 本物の神父はうしろにいて、龍郎に呼びかけてくる。

 背中に神父の手がかかるのを感じた。苦痛の玉の脈動が一体になる。


 龍郎は続けざまに剣をふるった。うねる触手が頭上から反撃してくる。それがふりおろされるより早く、龍郎は敵のふところにかけより、けさがけに切りつける。血しぶきが舞い、ヴィクトールが倒れた。血へどを吐いている。


「とどめだ!」


 ヴィクトールは両手をあげて、顔をかばった。美しいそのおもてを損なわれるのは、彼にとって何よりツライことなのかもしれない。


 龍郎は最後の一撃をあたえるために、剣をふりおろす。


 だが、その瞬間、何者かがとびだしてきた——

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