第14話 夢魔の王 その二



 夢からさめたと思っても、また夢。夢が十重二十重に折りかさなり、とばりのように真の道を隠している。


 あの黒く腐食した泥沼のなかに囚われた青蘭が、どんどん遠くなる。

 このままでは、青蘭を奪われてしまう。


「青蘭を助けに行かないと」


 龍郎はあせったが、星流は奇妙なことを告げてひきとめた。


「知ってるか? じつは、ミカエルの魂も転生したんだよ」

「えっ?」

「天使は心臓があるかぎり、その魂は失われない。現世をさまよいながら、恋人と出会う日を待ち続けている」


 星流の姿は急速に遠ざかっていった。風に吹きちぎれるように。


(ミカエルが転生している……現世で、人になって……?)


 それは龍郎の不安をあおる考えだ。もしそうなら、その人物が現れたとき、青蘭の心は否応なくその人に向くだろう。龍郎は代理でしかなかったことを、痛いほど思い知らされる。


 しかし、今はとにかく、青蘭を助けなければ。

 あの氷のホールに帰りたいところだが、なかなか、うまくいかない。すぐにまた、リントブルム城のベッドのなかで目をさます自分を発見する。が、その感覚をはらいのけた。空間をかきわけるようにして、どうにか氷のホールまで戻ってくる。


「くそッ! くそッ! 青蘭を返せ!」


 無情な氷の壁をたたいていると、とうとつに清美の声がハッキリ聞こえた。


「今そこに、フレデリックさんを呼びます! もうちょっとだけ、がんばってください!」


 苦痛の玉のカケラが近づいてくる。弾丸のように、まっすぐ飛んでいる。



 ——龍郎。あなたの味方、すべての力をあわせなければ勝てませんよ。マルコシアスを呼びなさい。わたくしも力を貸すわ。



 グレモリーの声だ。

 龍郎は言われるままに念じた。マルコシアスは魔王だが、青蘭を想う気持ちは龍郎に劣らない。


(たのむ。マルコシアス。力を貸してくれ。クトゥルフの防御をやぶりたい。青蘭がなかに囚われているんだ)


 そのあいだにも、耳の奥でガンガンと鋼鉄の壁をたたくような轟音が響いた。やがて、弾丸が厚い障壁をやぶり、ホールに現れる。


「龍郎! 私の手をとれ!」


 ガブリエルだ。片手にフレデリック神父の手をにぎっている。


「ルルイエの巫女がこの場所へ導いてくれた。やつの防御を突破するぞ」

「はい!」


 ガブリエルが龍郎の左手をにぎると、彼を媒介にして、神父のなかにある苦痛の玉のカケラの力が龍郎のなかに流入してくる。玉の力が完全になった。


 カッと白熱する光がホールをすみずみまで満たした。すさまじい力だ。光の圧力で氷壁をじわじわ溶かしていく。これが苦痛の玉の本来の力なのだ。


「龍郎。ヤツは結界のなかに、さらに強固なコアを作り、そこに青蘭を隠している。コアをやぶらなければ、青蘭のところまで行けない」と、ガブリエルが冷静な声で示唆する。


「どうやったら、コアを壊せる?」

「君は青蘭に呼びかけろ。コアの内側は、おそらく、青蘭の内世界だ」

「そう言えば、おれが呼んだとき、赤く光った」

「君の強い念なら、届くだろう」


 龍郎は青蘭を呼びながら、氷壁に剣をふりおろした。さっきまで、わずかに氷をくだくにすぎなかったのに、今は一撃で氷壁全体に真っ白な蜘蛛の巣状のヒビを入れる。数メートルずつの氷が、そのたびにくだけおちた。


「青蘭! 青蘭! おれの声が聞こえるかッ? こたえてくれ。青蘭!」


 遠く赤い光がこたえる。

 でも、いっこうにそこまで近づかない。溶かしても、くだいても、まだまだ氷の壁が二人のあいだをふさいでいる。


 すると、また結界をやぶる金属的な音を響かせて、黒い影がとびこんできた。マルコシアスだ。背に翼を持つ巨大な狼。その背中には、なぜかガマ仙人も乗っている。


「龍郎殿。わしも力を貸そうぞ」

「えっと……ありがとうございます。だけど、ムチャはしないでくださいね」


 戦力外と思っていたのに、意外なことが起きた。マルコシアスが巨体で氷壁にぶつかり、ヒビを入れる。そのあとガマ仙人が手をふると、氷壁の内部で触手がもだえるように暴れるのだ。内部からの振動によって、氷壁がいっきに瓦解する。


「何をしたんですか?」

「うむ。井戸の底の大ガマが死んだでのう。唯一、生き残りの眷属けんぞくであるわしが、ヤツの能力を引き継いだのじゃ」

「大ガマ——つまり、ツァトゥグアですね!」


 ガマ仙人は清美に懐柔されて、龍郎たちの仲間になった。が、本来はツァトゥグアの奉仕種族だった。そしてツァトゥグアの能力とは、敵の血管内に強酸を流しこみ、内部から沸騰させ、焼きつくすことだ。


「わしの妖力ではそう度々は使えぬが、今このときこそが力の使いどきと見た。それ。踊れ。踊れ。タコの丸焼きじゃ!」


 恐ろしい力である。これまでさんざん、ガマ仙人をペットあつかいしてきたが、これからは気をつけようと龍郎は思った。


 鳴動が激しくなり、内部の振動と、龍郎たちのくわえる攻撃によって、最後に残る氷壁が、はじけとぶように崩壊する。


 その瞬間、無数の触手が暴れだした。龍郎たちを叩きつけようと縦横無尽にうごめいて迫る。


「ガブリエル。たのむ。あの赤い光の中心へ近づいてくれ!」

「わかっている」


 ガブリエルが空中に舞い、雨のような触手のムチをくぐりぬける。

 龍郎は近づく触手を切りすて、離れた場所から来るものは剣圧によって浄化していった。マルコシアスとガマ仙人が援護してくれる。


 それでも触手は無数にあった。氷壁の次は触手の壁だ。切っても切ってもキリがない。浄化の光で、いっきに数百の触手をまとめて消せる。が、それを上まわるほどに数が多い。京、垓、穣……極、恒河沙こうかしゃ阿僧祇あそうぎ、天文学的な数だ。これでは青蘭のもとへ行くまでに力つきてしまう。


(くそッ。青蘭。おまえのところまで、あと少しなのに!)


 那由多なゆたの壁にさまたげられ、たどりつけない。

 このままでは、青蘭が邪神と一つになってしまう。

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