第十四話 夢魔の王

第14話 夢魔の王 その一



「青蘭ーッ!」


 氷に阻まれた厚い肉壁の彼方。

 どす黒い汚泥の庭に咲く、たった一輪の高貴な薔薇ばら

 青蘭の魂。


 巨魁きょかいに突進し、つきあたった瞬間、激しい力に押しかえされた。目に見えない圧力が暴風となって吹きぬける。


 はねとばされ、龍郎は意識が遠くなった。

 目をあけると、ベッドのなかだ。まだ朝早い。青蘭がとなりによこたわっている。


「財宝を探しに行こうよ」

「えっ? うん……」


 神秘的な黒真珠の瞳で見つめられると、とろけるように甘い気分になる。酩酊しそうにクラクラしていると、隣室からスマホのコール音が大音量で響いた。


「龍郎さん! 油断しちゃいけませんよ!」


 青蘭の姿が消え、暗闇のホールに戻される。

 赤い薔薇が脈打つように、ほのかな光を周期的に放っている。邪神の夢に包みこまれた青蘭。


 そうだった。戦っている最中だった。また、どこかの夢に飛ばされるところだ。

 これがヤツの攻撃なのだ。クトゥルフは夢魔だ。精神に侵蝕し、自らの意のままにあやつり、やがては廃人となるまで正気を食いつぶす。


「青蘭! たのむ! 目をさましてくれ。おまえの相手はそんなヤツじゃないだろッ?」


 ——ミカエル……。


 青蘭の声だ。

 でも、ほんの一瞬だった。声は遠い。


 あきらめるのは早い。

 絶対に青蘭を助ける。とりもどす。

 そのためなら自分の命など、どうなってもいい。


 龍郎は再度、邪神にむかっていった。刃をつきたてると、氷壁にヒビ割れが走る。だが、表面上にすぎない。


(青蘭。青蘭。青蘭を助ける!)


 もう一度、刃をふりおろす。硬質な音とともに、氷が削れてキラキラと舞った。瞬間、ふわりと青蘭の笑顔が見えて、意識を持っていかれそうになる。強烈な睡魔をともなう、心地よい夢のいざない……。


 龍郎は気力をふりしぼり、それに抵抗した。これは攻撃だ。夢にひたってはいけない。それがどんなに快くても。


 何度も、剣をふりおろす。中空にきらめく氷のカケラが少しずつ大きくなる。

 どうにか、本体に達することができるだろうか?

 肉壁をちょくせつ退魔の剣で切れば、いくらなんでも何がしかの傷を負わせることはできるだろう。


 とびちる氷片がまるで流星のよう。


「見て。龍郎さん。今の流れ星だったよ」

「えっ? どこ?」

「ほら。あそこ」

「見えないよ」

「もう消えたんだ。儚いね」


 二人で空を見あげた……あれは、今年の夏だ。初めていっしょに祝った青蘭の誕生日。

 ちょうど魔界へ行ったころだった。青蘭が天使の生まれ変わりだと知って、その思いが自分にむけられたものなのかどうか、不安に思い始めたころ……。


(あのころに戻れば、やりなおせるんだろうか? あのルリムにつきつけられた三択を回避するためには、どこからやりなおせばいいんだ?)


 ぐっと髪をつかまれ、ひきずりこまれるような感覚があった。どろりと脳髄のとろけるような空白。


「龍郎さん。六道だ」


 青蘭がとなりにいて、青く燃え立つ広大な渦巻きを指さしている。

 龍郎はつかのま、めまいを感じた。いつのまに自分は魔界へ来ていたのだろう?

 いや、そうだ。タルタロスの番人が暴れて奈落の底にまで落ちてしまったのだ。


「ねえ、龍郎さん。あの渦のなかにとびこめば、僕たち、生まれ変われるんじゃないの?」

「生まれ変わって、どうするの?」

「もう一度、天使に戻るんだ」

「それはムリだよ。青蘭は天界で英雄の卵を盗んだ罰で、堕天させられたんだろ? 転生しても、もう天使にはなれないよ」

「そんなことないよ。僕は許されたんだ。だから、ミカエルと一つになるんだよ。さあ、いっしょにとびこもう?」


 ほんとに許されたんだったかな? 青蘭が天使に戻れるなら……。


「ねえ、龍郎さん。だから、僕に苦痛の玉をちょうだいよ」

「青蘭……?」


 青蘭の目がピカピカ光っている。なんだか、いつもの青蘭らしくない。


 すると、どこからかマダム・グレモリーの声が聞こえた。

 黄金にむせかえるほど西日に染まった砂漠が、とつぜん、目の前の情景をやぶって現出する。


「龍郎。夢魔に捕まってはいけません。わたくしの願いを叶えるまで、あなたは戦わなくてはなりませんよ」


 夢に堕ちていたのだ。

 ハアハアと息をきらし、とびおきた。


 豪華な赤と黒を基調にした室内。どこかで見たような場所だ。ホテルであることは、ひとめでわかった。でなければ、こんなに贅沢な調度品など置いてあるわけがない。


 うたたねをしていた。

 そうだ。ここは聖マリアンヌ学園付属のホテルだ。ここにアンドロマリウスの隠し財産があるかもしれないから、青蘭と二人で調べに来たのだ。


「龍郎さん。寝てるヒマがあったら手伝ってください。ほら、この奥に何かある」


 青蘭が椅子に乗って通風孔をのぞいている。

 あれ、この場面はなんだか知ってるぞと龍郎は思った。案の定、支えているうちに青蘭もろとも倒れてしまった。そして、はずみで龍郎は告白する。


「青蘭。君を好きなんだ。恋人になってくれますか?」


 龍郎の記憶では、たしか「ウソつき!」と言って、つっぱねられたはずだ。でも、そのときの青蘭はあっけなく、うなずいた。


「いいよ。そのかわり、僕と一つになってくれるよね?」

「ああ。いいけど」

「君と僕の心臓を重ねるんだ。ねえ、龍郎さん?」

「うん……」


 青蘭は妖しく微笑む。

 その双眸を見ていると、意識がもうろうとしてくる……。


 とつぜん、誰かに手をひかれた。目の前に竜巻があって、そのなかから伸びる手が、龍郎の手をにぎりしめている。


「龍郎。青蘭をどうか、守ってほしい」


 ハッとした。

 その声は一度だけ聞いたことがある。青蘭の父、星流だ。

 そう。聖マリアンヌ学園のホテルで、星流から苦痛の玉のカケラを受け継いだ。


「これは夢だ。君はまた、夢魔の攻撃にさらされている」


 龍郎は歯がみした。

 いったい、いつになったら、ヤツの本体にたどりつけるのだろう?

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