第13話 ルルイエへの道 その四



 みるみるうちに道が閉ざされる。それは龍郎の侵入を拒んでいるようだ。

 じっさい、そうなのだろう。

 ここは邪神の内世界だ。ヤツの思惑に合致しないものは容赦なくしめだされる。


 あわてて、かけおりたものの、十メートルも進まないうちに、階段は完全に氷の壁でふさがった。右手をあてると、ジュッと湯気が立つが、壁面が溶解するほどではない。


(くそッ。おれに翔ぶ力があれば。このさきに青蘭の魂が囚われているのに)


 壁を叩いてもこぶしが痛むだけだ。歯がみしながら、龍郎は途方に暮れていた。


 そのときだ。


「龍郎。おれの力を貸す」


 ふわりと白っぽい光がとなりに立った。もう姿はほとんどわからない。それでも、龍郎にはそれが誰なのかわかった。


「アルバート」

「おれはヤツに憑依されたから、心の一部がまだ、つながってる。ヤツのいるその場所へ翔べる」

「いいのか?」

「最後に一度だけ、そのくらいの力は……」


 アルバートの影が龍郎の腕をつかんだ。とたんに、ガラスを粉砕するような音とともに、空中を浮遊する。というより、落ちていく。闇に吸われる。


 落下感——


 ずいぶん長いあいだ落ちていた。地球の中心まで移動したのではないかと思えるほど。


 ——たつろ……龍……待て。まだ…………玉が完全でなければ……。


 誰かがささやいた気がする。


 しかし、気がつくと、龍郎は氷のホールに立っていた。階段はもう見えない。真闇まやみのなかに、氷のかすかな反射光が四囲の広さを物語っている。まるで宇宙の深淵のような闇だが、どこかに光源があるのだ。


 いや、もしかすると、龍郎が感覚的にあたりの情景をとらえているのかもしれない。


 その空間にいるだけで総身がふるえた。絶えず冷気がまといつき、鳥肌が立つ。吐き気のするようなそれは生理的な嫌悪だ。


 そこにがいるから。


 いることは、ハッキリと伝わった。呼吸をするのにも、邪悪なものにむしばまれそうな瘴気が充満している。

 存在が極大すぎて、全容をながめることは、とうてい不可能だ。たぶん、この世界の大半を占める割合で存在する。それがの身体だ。

 ドロリとして、数えきれない触手と吸盤に埋まり、ジュクジュクと薄気味の悪い音を立て伸縮しながら粘液をたれながしている。


 の姿が闇に沈んでいることに、龍郎は感謝した。いかに苦痛の玉に守られているとは言え、その外観をつぶさに見れば、龍郎でさえも正気でいられないだろう。


 まるでその存在が発生する過程で、なんらかの歪みが生じ、本来なるはずの形になれなかったかのような、ことへの醜怪しゅうかいさを感じる。宇宙規模での壮大な失敗作。尊大な汚物。そんな何か……。


(青蘭……)


 どこかに青蘭がいるはずだ。

 青蘭を救わなければいけない。

 龍郎は意識をとぎすました。快楽の玉との共鳴に耳をすます。


 なんだろうか?

 共鳴はある。

 だが、遠い。

 何かに阻まれている。ぶあつい障壁を感じた。


「青蘭!」


 呼ぶと濃密な闇を切りさいて、赤い光がレーザーのように走った。


(あそこだ!)


 世界の中心の氷壁と、さらに果ても知れない肉塊のむこうに、青蘭がいる。一瞬、きらめいたあれは、快楽の玉の放つ光輝だ。


 そして、闇のなかで、あるかなしかのほのかな光を発する源が、青蘭自身なのだと知った。快楽の玉はずっと輝いていた。ただ、あまりにも厚い肉壁にさえぎられ、その光がつねには見えない。


 しかし、それでいて、龍郎は感覚的に。おぞましい事実を。


 青蘭は今、クトゥルフの体内にとりこまれているのだ。邪神の腹のなかで胎児のように丸くなっている。

 しかも、その姿には、どういうわけか純白の翼があった。つややかな黒髪も白金色に変わっている。

 その姿は、まるで天使——


(青蘭が天使の力をとりもどしつつあるのか?)


 青蘭の意思でそんなことができるのなら、とっくにそうなっていたはずだ。青蘭は人として生きることに、もう長いこと絶望していた。でも、自身で体を変化させることはできなかった。それが今になって急にできたということは、それなりの理由がある。


 おそらくは、ミカエルの心臓と一つになるというその前段階としてなら……。

 つまり、身体が苦痛の玉を受け入れるための準備にとりかかっているのだ。


「やめろッ! 青蘭。まだ早い!」


 それも、邪神の体内のなかでなど、もちろんのこと悪影響があるに決まっている。穂村が言っていたように、二つの玉が一つになり、新たな天使が生まれる瞬間に、邪神が介入してくるつもりだ。

 そのために、夢で虜にする力を駆使し、邪神が青蘭の知覚を誤認させているに違いない。


「やめろッ! きさまなんかに青蘭を渡さない!」


 右手に剣を呼びだし、巨大な敵に突進していく。

 に対して、あまりにも卑小な自身だが、負けるわけにはいかない。


 がむしゃらに駆けていった。




 了

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