第13話 ルルイエへの道 その三
「フレデリック神父? そうだ。あの人もバイヤーとして来てるはず。どの部屋に泊まってるんだったかな?」
これだけのさわぎに自室で熟睡しているのだろうか?
すると、頭の奥でスマホのコール音が鳴り響く。一瞬、気が遠くなりそうになる。どこか彼方から呼ぶ声が聞こえたような。
でも、気づくとその感覚は去り、目の前に立つ清美がスマートフォンをにぎっていた。龍郎のポケットのなかで電話が鳴る。出ると、清美からだ。
「龍郎さん。忘れてませんよね? ここがクトゥルフの作る夢の世界だって」
龍郎は愕然とした。
そうだった。また忘れかけていた。ここは虚構の世界だ。夢魔の創造した夢の世界。
あれほど衝撃を受けたのに、油断すると意識のあいまをすりぬけてしまう。
「すいません。クトゥルフがいることはわかっていたんですが」
「フレデリックさんは龍郎さんといっしょに夢の世界に入ったはずですよ。リエルさんにつれられて。はぐれちゃったんですか?」
「はい」
そうだ。どこで離れ離れになったのか、もう思いだせない。夢の表面を歩いていたはずなのだが……。
「おれはどうしたら? もう一度、目をさませばいいですか?」
「いえ。そこは夢の最深部にもっとも近いところです。そこからルルイエへ行ってください」
「ルルイエ……」
「本体が眠っている場所です。現実の世界からそこへ行くことはできません。夢のなかは変幻自在の迷路ですから、狙って深奥にたどりつくこともできません。でも、その場所からなら、すぐに行けるはず」
「ここから、すぐに?」
「あなたはもう、その入口を知ってますよ。龍郎さん」
あれだ。この城のなかで、まだ一か所だけ調べていないところがある。何度もそこへ行こうとしたのに、どうしても行けなかった場所。
(あの階段だ。中庭の噴水の下)
青蘭がさらわれているのも、あの場所だ。
行かなければいけない。
「わかりました。おれ、行きます」
「大丈夫。フレデリックさんにはリエルさんがついてるから、龍郎さんを探して追っていくことはできるはずです」
「はい」
「それから、最深部に囚われているのは魂です。傷つけられても死にはしませんが、激しく損傷すると精神的な障害を負う可能性はあります。気をつけて」
「はい」
向かいあって電話で話すようすはシュールだが、この言葉は現実世界にいる清美からの伝言だ。目の前にいる清美は睡眠中の清美の深層心理か、あるいは龍郎自身のイメージが作りだした虚像に違いない。電話が切れると、とたんに清美の表情がゆるんだ。
「あれっ? わたし、なんでスマホなんて持ってるんですか?」
あまりにも夢の深くにもぐりこんでいるため、夢巫女の清美の力をもってしても、ちょくせつ龍郎に話しかけることができなかったのだ。
「行ってきます。清美さん。穂村先生。ヨナタンも。なかから鍵をかけて、朝が来るまでここから出ちゃいけませんよ」
龍郎は三人に見送られ、単身、廊下へとびだした。
這いずる触手とロイコクロリディウム型の半魚人は、すでに見えない。触手のドレスをまとう人魚だけが、ときおり廊下をよこぎる。
一階へおり、食堂の前を走りぬける。遠くのほうで寸刻、影がゆらめいた。フードをかぶる男だ。
(バルシュミーデ?)
しかし、すぐに見えなくなった。
龍郎は追わなかった。
人間の魔法使いより、肝心なのは邪神だ。この世界に囚われたすべての人を解放するためにも、青蘭を救うためにも、邪神を倒さなければならない。
ようやく、中庭へ出る。
月光が波のように呼吸している。
龍郎がここは夢だと意識したせいか、現実の法則にのっとらないことが起こる。月は巨人の心臓になったかのごとく脈打つし、風は生ぬるい息吹と化した。世界のすべてに邪神の存在を感じる。
噴水は枯れていた。
石組みを乗りこえていく。
ウンディーネの像の足元に黒い穴があいている。とっくに誰かがそこを通ったらしい。
龍郎は懐中電灯をつけて、隠し階段にもぐりこんでいった。
内部はせまい螺旋階段になっていた。思っていたとおり、サラがおりていたあのきざはしだ。
石段がぬれている。
どこからか水音が響いた。
いや、あれは波のさざめきだろうか? あああああ、あああああああと、うなる潮流がまるで男の叫び声のようだ。
とても深い。十分、十五分。三十分と経っても、いっこうに階段の終わりが見えない。
やがて異様に寒くなってきた。それもそのはずだ。あたりが氷で包まれてくる。氷の壁。氷の床。天井からは太い
ここは、見おぼえがある。
以前、一度だけ、青蘭とともに来た。
あのときはまだ苦痛の玉のカケラを手に入れていなかった。そのせいか、夢の途中で目がさめてしまったが。しかし、それも夢のなかの夢だ。夢が何重にもおりかさなり、深い森のなかをさまようように道筋がつかめない。
でも、今度こそは行けるはず。苦痛の玉のカケラもとりもどしたし、きっと……。
それにしても、以前の氷の宮殿とは少し景色が違っていた。どこが異なるのか、すぐにはわからない。
青蘭と来たときには、もっとカラフルだった。深海の無気味さを秘めてはいたが、美しくもあった。
真紅のヒトデや虹色に点滅するクラゲや、蛍のようなグリーンの発光生物。ギザギザの牙をのぞかせたサメ。ギラギラと銀色に輝くダイオウイカ。
そんなものが氷のむこうに生きた壁画となって飾られていた。それが、今はない。
(なぜだ? あのときより氷の色が青っぽい?)
いや、そうではない。
龍郎は気づいた。
氷の壁が厚いのだ。
より深くから立ちのぼる冷気が、またたくうちに氷を成長させ、音を立てて道が閉ざされていく。このままでは、階段が封じられてしまう。
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