第13話 ルルイエへの道 その二



 暗い廊下へ出ると、ベタベタと変な足音を立てて、人魚たちがよってきた。人魚——つまり、インスマス人だ。クトゥルフの奉仕種族である。


 かなりの数がいる。廊下の端から端までのあいだだけで、十体以上。


 だが、ヤツらは龍郎の敵じゃない。右手を高くかかげると、まばゆい光が廊下全体をすみずみまで、くまなく照らす。光のなかでインスマス人はもろもろと雪像のように溶ける。


「……スゴイな。やっぱりカケラが補強されたからだ。以前より、ずっと浄化の範囲が広い」


 範囲だけではなかった。浄化をするには多少の体力を必要とするが、今はそれがまったく負荷に感じない。息をするのと同じほど容易なのだ。


「今の光、何?」

「いいから、走るんだ。触手はヤツらの親玉だ。こんなに簡単には行かない」


 書斎とドラゴンの間はさほど離れているわけではない。が、書斎を出るとすぐに、ななめ向かいのゴブリンの間から、大量の人魚の群れが湧いてでた。ロイコクロリディウム型の半魚人だ。両眼がカタツムリのようにとびだしている。


「さがってろ」


 悲鳴をあげるヨナタンを背後に守り、龍郎は右手をあげる。川の底流のように次々と湧きだしてくる半魚人が、一瞬で消える。以前より浄化が速い。あとかたもなく消えたすきにゴブリンの間をのぞいた。


「誰かいますか? 無事ですか?」


 ゴブリンの間はアメリカ人のバイヤーがいたはずだ。しかし、それらは今、姿が見えない。最初からいなかったかのように、もぬけのからだ。


(ほんとはバイヤーなんて、いなかった……?)


 いつだったか、そんな夢を見たような気がする。


 ロイコクロリディウム型の半魚人は暖炉のなかから湧きだしていた。まるで、その下に彼らの住処が隠されているみたいだ。


 暖炉の上にゴブリンの置物があった。ゴブリンが這いだすたびに、その像の目がピカピカ光る。半魚人を焼きながら、片手で像を暖炉の角にぶつけた。首がもぎとれる。

 すると、とつぜん、ガラガラと轟音をたて、暖炉がつぶれた。カタツムリのような化け物たちはもう出てこない。


「魔術だ。この像に召喚の魔法がかかってたんだ」


 ゴブリンが出てこなくなったことはいい。だが、イヤな予感がする。もしそうなら、ゴブリンの間だけじゃない。ウンディーネの間、そして、ドラゴンの間にも同様の魔法がかけられているのではないだろうか?


「清美さん!」


 穂村は言っても本体は魔王だ。人間の体を失っても本体で生きていける。しかし、清美はまごうかたなき人間の女性だ。巫女の力はあるが、ちょくせつ襲撃されれば、ドラゴン相手に戦えるわけがない。しかも、ゴブリンがインスマス人だったということは、おそらくドラゴンというのは、リントブルム。要するに、クトゥルフ自身だ。


 龍郎は急いでゴブリンの間をとびだした。廊下にはまだうろつくインスマス人の姿がある。こちらは下半身が触手になった人魚型だ。


 廊下には巨大な触手も這っている。やはり、ドラゴンの間から伸びてきているようだ。


「ヨナタン、遅れずについてこい!」

「う、うん。待ってよ」


 ウンディーネの間の前を通ると、そこでも、ものすごい数の人魚が流れだしてきた。扉の内からあふれてくる。

 龍郎が右手をそっちにむけると、見る見る浄化の光に溶ける。今度は室内へは入らず、そのままドラゴンの間へ急ぐ。清美のことが心配だ。


 ドラゴンの間の近くまで来た。部屋の扉が半開きになり、そこから触手が何本も這いだしている。

 だが、森のなかで見たものより小さい。もちろん、それでもニシキヘビていどのサイズはあるが、あの山を覆うほどケタ違いな怪物ではなかった。


(これなら、やれる)


 一人でも負ける気がしない。

 龍郎は右手に意識を集中した。以前、ガブリエルから受けとった天使の剣が、退魔の光を帯びて手の内に現れる。


 十数本の触手がからみあい、まるでイソギンチャクだ。扉をいっぱいにふさいでいる。

 そのまんなかへ、龍郎はかけていった。触手がいっせいに迫り、龍郎を包みこむ。


 いや、包もうとした。

 しかし、剣を一閃すると、コンニャクのようにたいした抵抗感もなく、スパスパと切れて燃えつきる。


 やはり、格段に強くなっている。カケラは残り一つ。ほぼ完全な形に戻っているせいだ。


(ミカエルはとても強い戦士だったんだな)


 密生する触手のまんなかに剣をつきさす。光が乱舞し、海棲生物は消えた。


「清美さん! 大丈夫ですかッ?」

「龍郎さん?」

「どこにいるんです?」

「寝室でぇす」


 暖炉の奥からニュルニュルと触手が伸びてくる。

 龍郎はかけこんで、それを両断した。この部屋は置物ではなく、ドラゴンの陽刻が壁にかけられている。壁からひきおろし、暖炉に打ちつけるものの、頑丈すぎて傷がつかない。これがあるかぎり、魔法は解けないのだ。


「本柳くん。目だ。その彫刻の目に嵌めこまれてるのは、石物仮装体だ。それを破壊しなさい」


 寝室のドアがあいて、穂村が顔をのぞかせている。


「わかりました!」


 天使の剣の柄で叩く。赤く光る妖しい竜の瞳がくだけちる。暖炉から這いだしていた触手が消えた。


「いやぁ。すまんね。サンキュー。サンキュー。助かったよ」


 ハッハッハッと笑いながら、穂村がリビングルームにやってきた。うしろから清美も出てくる。


「先生が魔除けを持っててくれたので、なんとか襲われずにすみましたぁ。ああ、怖かった」


 あんまり緊張感はないが、二人が無事でよかった。


「じゃあ、ここにいれば安全ですね。ヨナタンのことも頼みます。おれは青蘭を助けに行ってきます」

「待ちなさい」と、穂村が呼びとめる。


「なんですか?」

「カケラをとりもどしたんだね。本柳くん」

「はい」

「それでも、ヤツは強敵だ。快楽の玉、苦痛の玉、すべての力をあわせなければ倒すことはできないだろう」

「そう……ですね」


 フレデリック神父の持っているカケラもなければ、ということだ。

 しかし、神父は今、どこにいるのだろうか?

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