第十話 森の遺跡

第10話 森の遺跡 その一



 肖像を見つめていても、それ以上の天啓はおりなかった。

 塔のなかで飼われていた化け物の少年を見たとき、彼自身が誰かに似ていると思ったのだが。


「ねえ、僕の前にも、エメリッヒっていたの?」


 青蘭がキョロキョロしながらたずねてくる。龍郎はすかさず、ベッドのかけ布団をはたき、ほこりを払った。


「ここにすわって」

「なんでわかったの? 僕が椅子を探してるって」

「わかるよ。君のことなら、なんでも」


 青蘭はツンとあごをそらして、そっぽをむいた。手強いところはあいかわらずだ。一度なくした信用をとりもどすのは難しい。


(誰のことも信じられなくて、一人でさまよってた。あのころのおまえに戻ってしまったんだな)


 青蘭のとなりに腰をおろし、そっと手をにぎった。赤い石のリングをした細い指に、龍郎の右手が重なると、トクトクトクと快楽の玉の鼓動が溶けてくる。青蘭も無意識のように、手をにぎりかえしてきた。


 自然にベッドに倒れこみ、唇でたわむれる。

 青蘭は龍郎のことを覚えていない。でも、記憶を失っても、体は忘れていないのだ。しびれるような官能を性急に求めあった。くりかえし。くりかえし。


 いつしか、日が傾いていた。

 ずいぶん、長い時間、夢中になっていた。


 ぐうと龍郎のお腹が鳴ったので、二人は顔を見あわせて笑った。


「なにそれ。ふんいき、ぶちこわしなんだけど」


 そう言う青蘭のお腹も、とたんにググウと可愛い悲鳴をあげる。


「ほら。青蘭だって。朝昼ぬいたからなぁ。さすがに腹へったよ」

「ねえ、ここに備蓄がある。缶詰やペットボトル」


 壁の一画に埋めこみ型の棚があった。食料やミネラルウォーター、日用品などが置かれている。


「缶詰、何食べる?」

「パイナップル」

「青蘭の好きな白桃もあるよ」


 青蘭はフルーツを、龍郎はスープと乾パンの缶詰をあける。スープは簡易コンロがあったので、それであたためた。


「やっぱり、狩り小屋なんだな。休憩しながら、栄養補給するための場所なんだ」

「何を狩るんだろう?」

「ふつうは狐とか、ウサギとか、鹿なんじゃないのかな?」


 そんなことを話しているうちに、しだいに日が落ちてくる。窓が小さいので、外が暗くなると、室内はあっというまに真っ暗だ。


「ランプだ。電池式だね」


 棚に小型のランプもあった。電池も保管されている。電池をはめこむまでのあいだ、細い日の光がギリギリ持った。電球の光が室内を照らす。


 いっこうにヨナタンが戻ってくるようすはない。食料の備蓄は一週間ぶんくらいあるし、簡易トイレもあるから、死にはしないのだが、夜になっても帰らなければ、いくらなんでも清美たちが心配するだろう。それに隠し財宝について調べられないのは困る。


「そうだ。電話かけて、穂村先生か清美さんに助けてもらえばいいんだ」


 なぜ、そんな単純なことに気がつかなかったのだろうか。ほんとは青蘭と二人きりでいられるこの時間を、無意識にひきのばそうとしてたのかもしれない。


「ちょっと待って。青蘭。仲間を呼ぶから」


 ジャケットのポケットからスマホをとりだして、清美に電話をかけた。が、城の陰になっているせいか、電波が通じない。こうなると、いよいよ、どうしていいかわからなくなる。


「どうなの? 助けは来そう?」

「ダメだ。城が電波を通してくれない」

「まあそうでしょうね」


 堅固で巨大な建造物であることが、あだとなった。


 青蘭は冷めた仕草で肩をすくめる。肌を重ねても、そっけない。以前の甘えん坊の青蘭はもう帰ってこないのだろうか?


「じゃあ、どうにかして自力で出ないとダメかな?」

「そうだね。と言っても、入口の扉を破壊するしか方法はないと思うけど」

「ナタとかオノとかないんですか?」

「ないなぁ」


 日没からどれくらい時間が経過したのだろうか。

 十一時半にはいつものように、塔の鐘が鳴るが、ここまでその音が届いてくるかどうか。城内にいて、あれほど響くのだから、一キロも離れていないこの場所なら、鐘の音も聞こえるはずだが。


 スマホの画面で確認すると、もう九時前だ。なんだか異様に時間の経つのが早い。ついさっきまで日暮れごろだった気がするのに。


「ねえ……」


 青蘭が急に不安そうな声でささやいた。


「変な音が聞こえない?」

「変な音?」

「誰か、外にいる」


 ようやく、ヨナタンが帰ってきたのだろうと、龍郎は思った。だが、いっこうに足音が近づいてくる気配がない。ようすがおかしい。ヨナタンではないのかもしれない。


「ちょっと、見てみるよ」


 龍郎は靴をぬぎ、ベッドにあがった。明かりとりの高窓は二メートルほどの位置にあり、龍郎が背伸びしても、ちょくせつ、のぞくことはできなかった。ベッドの上からなら適度な高さになる。


 窓の外には遺跡の一部が見えていた。手前に柱があり、奥のほうに祭壇が見える。

 今、その祭壇の前に、男が立っている。あのフードの男だ。こちらに背をむけ、祭壇をながめていた。


(何してるんだ?)


 龍郎はじっと男の挙動を観察した。

 男の体で見えないが、祭壇の上に、もう一人いる……。

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