第9話 エメリッヒの肖像 その二



 別館を出ると、裏庭を通り、森へ入っていく。あまり手入れのされていない庭園の端に、蔓薔薇つるばらがアーチのようになった小径があり、そこから森へ続いていた。


 川のせせらぎがだんだん大きくなってくる。


 上から見たときは近いように感じたが、あの白い屋根まで、そこそこの距離はあった。夜の暗い時間帯なら迷ったかもしれない。


「ヨナタンはなんで、そこに財宝が隠されてるって知ってるの?」


 聞くと、少年は沈黙のまま龍郎を見る。どうも嫌われてるっぽい。


 そうこうするうちに樹間に人工物が見えてきた。東屋というより、古代遺跡なのだろうか。パルテノン神殿みたいな白大理石の建物が、なかば崩れかけている。そのよこにドーム屋根の建物があった。こちらは建てられたのが、だいぶ最近らしい。東屋のような吹きぬけではなく、ちゃんと壁のあるお堂だ。


「崩れてるほうは古代の遺跡だね」

「ベルンハルトはそう言ってた。古代人がここで生贄を神に捧げてたんだって」


 生贄。神。

 怪しいキーワードだ。

 初代城主はリントブルムに娘を生贄にさしだしたと言う。神というのは、もしかしたら、伝説のリントブルムなのかもしれない。


 たしかに、そこで何かしらの魔術的な儀式が行われたようすはあった。濃い邪気がこびりついているのだ。つい最近のものではなかった。かすかな残り香にすぎないが、胸の奥にザラつくイヤな感触がわきおこる。


 龍郎の目星をつけていた場所ではなかったが、ここはここで何かが隠されている可能性があった。


「ちょっと調べてみようか」


 青蘭とヨナタンは答えない。

 立ちつくす二人を見ながら、龍郎は遺跡のなかを歩きまわった。

 一面だけ壁が残っていて、その手前に祭壇らしき石のテーブルがある。そのかたわらに大きな水瓶もあるが、それだけだ。あとは柱も半分は折れているし、とくに目につくものもなく、瓦礫がれきが散らばっている。


 すみずみを観察する。とくに敷石の下に隠し階段がないか注意してみた。が、それらしいものはない。


「財宝が隠してある感じじゃないなぁ」

「お父さんが隠したんなら、こっちの狩り小屋のほうだよ。お父さんが建てたんだ」と、ヨナタンは円柱にドーム屋根のついた形の建造物をさす。


「ずいぶん立派な狩り小屋だなぁ」

「お父さんは狩りが好きだったんだって」

「ふうん」


 バルシュミーデ氏の建てたものなら、なんらかの意図はあっただろう。ほんとに狩りが好きだったのかもしれないが、調べてみる価値はある。


「でも、鍵は?」

「かんぬきがかけてあるだけだから、入れるよ」


 なるほど。たしかに、扉の前に無粋な鉄のかんぬきが刺さっている。しかし、かんぬきを固定する錠前はぶらさがっていなかった。


 龍郎はかんぬきをぬいた。それを脇に置き、戸口の前に立つ。固い木の扉だ。オーク材だろう。蝶つがいがサビているのか、あけるとき盛大に軋んだ。


 窓がほとんどないので、内部はひじょうに薄暗い。高い位置にある明かりとりの小さな窓から入る陽光が、ほこりっぽい室内を照らしている。


「なんだ、これ。ふつうの住居じゃないか」


 狩り小屋なら、狩りのための拠点だ。狩りの道具や食料などの備品を置いておく物置のようなものであるはず。

 だが、目の前にあるのは、誰かの寝室と言ったほうがいい。服をかけておくポールや大きなベッドが目についた。入口の壁の真正面には油絵の肖像画がかけられている。


「誰の肖像だろう?」


 迷いもなく、ヨナタンの答えが返ってくる。

「エメリッヒの肖像だって聞いた」


 エメリッヒ——

 この場合は青蘭のことじゃないだろう。ベルンハルトの手記にその名が残っていた、十五年前にこの城にいた、もう一人の子息だ。


(エメリッヒか。どんな顔をしてたんだろう?)


 薄暗くて、入口からではちょうど顔の部分が陰になっている。龍郎は肖像に近づいていった。


 真正面で見て、ギョッとする。

 サイズは長辺が一メートルかそこらはあるので、40号か50号ていど。椅子にすわった細身の青年の姿が描かれているのだが、顔の部分だけ乱暴に黒い絵の具でぬりつぶされている。


「これじゃ、どんな顔だったのかわからないな」


 ため息をつくと、戸口のほうから、ヨナタンの声がした。


「とてもキレイだったんだよ。野薔薇の精霊みたいだったって」

「君は彼を見たことないだろ?」

「でも、ベルンハルトが言ってた。あのね——」


 つかのま、口ごもったあと、ヨナタンは思いきったようすで言いだす。


「エメリッヒは僕のお母さんなんだよ」

「えっ?」

「だから、僕はこの城にひきとられたんだ」


 龍郎はまじまじとヨナタンを見つめた。この少年は何を言っているんだと思う。エメリッヒは少年だったはずだ。男が子どもなんて生めるはずがない。


「君が言ってるのは十五年前に城にいた、以前のエメリッヒのことだよね? それもベルンハルトから聞いたの?」


 ヨナタンはうなずく。

「エメリッヒは死んだわけじゃないって、ベルンハルトは言ってた。エメリッヒはウンディーネになったんだって」


 そういえば、あの手記にもそんなことが書かれていた。


 ヨナタンは続ける。


「僕は子どものころ両親にすてられて、ずっと孤児院で暮らしてきた。でも、二年前、お父さんが迎えにきてくれたんだよ。やっと幸せになれると思ったんだ。でも、お父さんは養子のお兄さんたちばっかり大切にして……だから、エメリッヒが帰ってきたとき、ほんとに嬉しかったんだ。ねえ、エメリッヒ。僕に会いにきてくれたんだよね? エメリッヒは薔薇の精みたいに綺麗だ。エメリッヒが僕のお母さんなんでしょ?」


 その声の響きに、龍郎は狂気を感じた。

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