第九話 エメリッヒの肖像

第9話 エメリッヒの肖像 その一



 理由のない焦燥感にジリジリする。


「龍郎さん。朝ですよぉ。ご飯。ご飯。朝食に行きましょう」


 清美の能天気な声に誘われたものの、龍郎は食事をする気分になれなかった。それよりも、今すぐ青蘭に会いたい。もうこれ以上ほっとけないような気がしてならない。


「清美さん。おれ、食欲ないんで残ってます。穂村先生と行ってください」

「わかりました。じゃあ、朝食の残り、もらってきますね」


 二人が出ていってすぐ、龍郎は自分の部屋を出た。これまでも二日めの朝、青蘭は食堂に来なかった。たぶん、今回も同じだ。別館に行かなければ会うことはできない。


 別館には常時、鍵がかかっている。忍びこむためには、子息の誰かが出入りするのを待つしかない。朝食の席には、青蘭とヴィクトール以外の息子たちは来ていた。今日もそうなら、彼らが別館を開錠するはずだ。


 急いで裏口へ走る。

 中庭をつっきり、別館の前まで来たところで、ちょうど扉がひらく。ヨナタンが現れた。

 龍郎はビックリしている少年を押しのけて、別館へ押し入る。早くしないと、またクリムゾンがやってくる。


「ダメだよ。どこへ行くの?」


 追ってくるヨナタンを無視して、龍郎は二階へあがっていった。前に一度、ヨナタンに案内してもらって、青蘭の部屋に行ったことがあるから、間取りはわかっている。

 アンモナイトの内部構造のように、円を描くように細い廊下を走って、青蘭の部屋までたどりついた。


「せ——エメリッヒ。話があるんだ。いいかな?」


 しつこくドアをたたいていると、ようやく、なかから青蘭が顔をのぞかせた。

 今日の青蘭は怒ってはいないが、なんとなく龍郎をさけている。また記憶をなくしているようだ。


「なんの用ですか?」


 出会ったばかりのころのように、よそよそしい態度でたずねてくる。

 龍郎はすかさず、室内に入りこんだ。とにかく、無事でいてくれて安堵する。ほんとは抱きしめたいのだが、それをすると、きっと機嫌をそこねるだろう。


「取り引きをしよう。君はこの城に隠された財宝が欲しい。そうだろ? エメリッヒ」


 青蘭は、今度こそミカエルと一つになりたいという願望を悪用され、記憶を操作されている。深い暗示のようなものだろう。ということは、城の隠された財宝を——つまり、苦痛の玉のカケラを欲しているということだ。遺産や城じたいはどうでもいいはずである。


 低くささやくと、ビンゴだった。青蘭の顔つきが変わる。柳眉をひそめ、龍郎をうかがっている。そして、ため息をついた。


「僕はあなたが嫌いです。あなたを見ていると、なんだかわからないけどイライラするんだ。でも、財宝を見つけてくれるなら、手を組んでもいいですよ」


 やっと、まともに青蘭と話せる。それだけでも今は嬉しい。


「じゃあ、探しに行こう。じつは見当がついてるんだ」

「ウソ」

「ウソじゃない」

「どこ?」


 龍郎はそっと耳打ちした。

 青蘭の目は不信に満ちている。


「まさか。そんなところに」

「とりあえず、調べてみるくらいはいいだろ?」

「わかりました」


 青蘭と二人であの階段をくだっていくと思うとワクワクする。危険が待ちうけているかもしれないが、それでも心が躍る。


 が、そこでジャマが入った。ヨナタンだ。ずっと龍郎のあとをついてきて、扉の前で二人のようすを見ていたのだ。


「エメリッヒをどこへつれてく気? エメリッヒに変なことしたらゆるさない」

「…………」


 気の弱い少年だと思っていたのに、目をそばだてて、一歩もひかない感じでにらみつけてくる。


 龍郎は困惑した。

 ヨナタンが青蘭に執着する理由がわからない。青蘭はほんの二週間前にこの城へ来たらしいから、ヨナタンと特別に親しいわけではないと思うのだが。


(青蘭は絶世の美女みたいだからなぁ。女装してれば女にしか見えないし、ひとめぼれでもしたのかな?)


 龍郎はそんなふうに考えた。


「いや、おれはただ、エメリッヒを相続人に選びたいだけだよ。君には関係ないから、悪いけど二人にしてくれないか」

「今、どっかへ行くって言った。僕もついてく」


 どうも龍郎を見張っているつもりらしい。

 困ったことになった。苦痛の玉の隠し場所だ。相手が悪魔にしろ魔法使いにしろ、なんらかのトラップを仕掛けている可能性は高い。危険な場所に無関係の少年をつれていくわけにはいかない。青蘭だけなら、自分の身をていしてでも守るが、ヨナタンまでひっついてきたのでは、彼の命の充分な安全を保証できない。


 龍郎が断固として拒絶しようとしたときだ。それを察したのか、とつぜん、ヨナタンが声をひそめた。


「財宝のありかなら、僕、知ってるよ」

「えっ? ほんとに?」

「うん。なんなら案内してあげてもいいけど」


 急に協力的になった。

 信用できないが、あるいは青蘭の気をひきたいのかもしれない。それなら、まんざらウソではないはずだ。


「それって、どこ?」

「ほら、あそこだよ」と言って、ヨナタンは窓に歩みよると、外をさし示す。


 青蘭の部屋は北東に面していて、窓の外の風景が、ドラゴンの間とはずいぶん異なる。塔は北西だから、それも見えない。眺望できるのは、あたり一体の森だ。森の端は崖になっていて、深い渓谷が見える。川のせせらぎが、かすかに聞こえる。


「あそこって、森しか見えないけど」

「ほら、あそこに屋根が見えるよね?」


 指さされて、龍郎は黒い木々のあいだにのぞく白っぽい建物に気づいた。ドーム型の屋根だ。森のなかの東屋のようなものだろう。


(だからって、あんな外から誰でも行けるような場所に財宝を隠すと思えないんだけどな)


 しかし、このままではヨナタンが離れてくれないだろう。ついていって、途中で彼をまくことはできると考えた。


「わかった。じゃあ、案内してもらおうか」

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