第4話 狂気の色 その二
医者が寝室に入ってくると、ヨナタンは顔をしかめて廊下へとびだしていった。クレメンスからは話を聞けないようだ。龍郎も急いで、ヨナタンを追いかける。
「待ってくれ。ヨナタン。君と話したい」
ヨナタンはためらいがちに立ちどまる。すかさず、龍郎はその手をつかんだ。
「君もお父さんの養子なんだろ? 君たちがお父さんとかわした契約って、なんなんだ?」
「知らないよ」
「贅沢な暮らしと教育を受けることとひきかえだったと、ベルンハルトは言ってた。自分はもう役目を果たしたと」
「…………」
「さっき、君は儀式のあとから、クレメンスがああなったんだと言った。その儀式というのが契約と関係してるんだと思うんだ。なんの儀式かわかるかな? 君はもう経験した?」
ヨナタンは首をふった。
「……僕は、ほかの兄弟とは条件が違うんだと思う」
「どうして?」
「それは……」
そういえば、ヨナタンは最初に会ったときから自嘲的なことばかり述べていた。そこらへんに深い事情があるのかもしれない。
「なぜ、君だけ条件が違うんだ?」
「それは……」
思いきったように、ヨナタンが口をひらく。しかし、その瞬間に背後から声がかかった。
「おやおや。モトヤナギさま。こんなところで何をなさっているのですか?」
クリムゾンだ。いつのまに、こんなそばまで近づいていたのだろうか。
「クレメンスさんが倒れたので、部屋まで運んできたんです」
「さようですか。それはご尽力いただき、ありがとうございました。しかし、もうご用はおすみのようですね」
「ええ。まあ……」
「ここはご子息たちの住居です。お客さまはご遠慮くださいませ」
せっかくのチャンスなのに、なんとかならないだろうか。ヨナタンからも何か聞きだせそうなところだった。なんだか妨害するようなタイミングで現れた。もしかしたら、どこかに防犯カメラのようなものでも仕掛けてあるのかもしれない。
(こいつ、ほんとにただの執事なのかな)
クリムゾンは
しかたなく、龍郎はヨナタンの手を離し、クリムゾンに従う。今ここで強硬手段に出たところで、利点は少ない。その気になれば、食堂へ向かうところを待ちぶせして、子息と話をすることはできる。
そう考え、歩きだした。だが、別館から出た直後だ。何やら上のほうで人がさわいでいる。ふりあおぐと、別館の屋上に人が立っていた。クレメンスだ。屋上の石壁の上に立って、両手をひろげている。
龍郎はギョッとした。
「とびおりるつもりだ!」
龍郎のいる玄関から屋上までは二十メートルあまりの距離がある。それでも、クレメンスが笑っていることが見てとれた。
「早く止めないと!」
龍郎が玄関にとびこむと、クリムゾンがしぶしぶのようすで、ひきとめる。
「こちらへどうぞ」
玄関脇の扉の一つがエレベーターの昇降口になっていた。クリムゾンが自ら乗りこむあとに、龍郎も急いでかけこむ。エレベーターは旧式で、イライラするほどゆっくりと上昇していく。
「まだなのか?」
「エレベーターでは屋上まで行きません。最後は階段をあがりませんと」
「早くしないと、とびおりてしまってからじゃ遅いんだぞ。心配じゃないのか?」
「もちろん、心配ですとも。クレメンスさまはこれまでにも何度も、ああいったさわぎを起こしておられますので」
つまり、彼の自殺未遂は初めてではないらしい。いったい何があって、常軌を逸してしまったのだろうか?
「クレメンスはもともと、ああだったわけじゃないんですよね? なぜ、あんなことに?」
「さあ。わかりません。ですが、クレメンスさまは繊細なおかたでしたので」
龍郎が気になっていたのは、さっき下から仰視したときに、クレメンスの背後に誰かが立っているように見えたことだ。少し離れていたが、黒っぽい服を着た、とても細身の人影だった。
(青蘭……?)
なんだか、とてもイヤな予感がする。ベルンハルトは父を殺したのが、契約の見返りを払う前の弟だろうと言った。契約の代価を払うということが、ヨナタンの言っていた儀式であることは想像にかたくない。
(クレメンスは儀式をおこなったせいで心が壊れたんだと、ヨナタンが言った。ということは、残るはヴィクトールか青蘭——エメリッヒしかいないんじゃないのか? ヨナタンは条件が違うらしいし……)
胸がドキドキする。
愛する人が人を殺しているとは思いたくない。しかし、今、青蘭は記憶をなくしているようだ。悪魔にあやつられているのかもしれない。疑いたくないが、絶対に違うと断言もできない。
(青蘭。違うよな? おまえはそんなことしないよな?)
ようやく、エレベーターが止まった。最上階の四階だ。この上が屋上である。ドアの外に細い階段があった。クリムゾンがやけにのんびりしているように見えて、龍郎は焦燥する。早く屋上へ行かないと、とりかえしのつかないことになりそうな気がする。
龍郎はクリムゾンを追い越して、階段をかけあがった。やっと木の扉が現れる。ドアを押しあけ、屋上へとびだしたときには、クレメンスの姿は見えなくなっていた。
屋上には誰もいない。
「クレメンスは……?」
うしろからやってきたクリムゾンが、冷静にクレメンスが立っていた石壁の下をのぞきこむ。
「まにあいませんでした。残念です」
恐る恐る、龍郎は真下をながめた。そこにクレメンスが、鳥のように両手をひろげて、よこたわっていた。
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