第3話 ある契約 その四



 くちづけは、いつも魔法だ。

 唇と舌で話しているときは、ウソをつけない。

 夢中で求めあっていた。


 だが、青蘭の頬を両手で包みこもうとしたとき、背後でコホンとせきばらいが聞こえた。

 ハッと我に返ったようすで、青蘭はうろたえ、走り去っていく。


 うしろに立っていたのは、フレデリック神父だ。リエルはいない。


「なんだってジャマするんですか?」


 神父が前々から青蘭に惹かれていることは知っていた。だからこそ、なおさら腹が立つ。


 神父は皮肉な調子で肩をすくめる。


「ここは食堂の出入口だ。ふさがれていては通れない」

「…………」


 龍郎は深呼吸をして自分を落ちつける。正論であるがゆえに、しゃくにさわる。


「……フレデリックさん。青蘭をここにつれてきたのは、あなたたちじゃないんですよね?」


 おそらく、それは違うということは、すでに察していた。青蘭はさらわれたのだと。


 神父は急に冷徹な目になった。


「龍郎。私は青蘭と寝たよ」


 ズンと胃のあたりが重くなる。これまで、青蘭が悪魔に弄ばれたことは何度もあった。じっさいに、この目でそれを見たこともある。

 しかし、そのときだって、今ほど怒りに燃えたことはない。胃液が沸騰しそうだ。


 龍郎はいきなり、神父の胸ぐらをつかんだ。

 だが、神父の顔色は変わらない。


「きさまッ!」

「青蘭が望んだんだ。君が傷つけたからだ」


 それはわかっている。

 あの三択が、青蘭にとってどれほど残酷な事実だったか、痛いほど理解している。

 だからこそ、その悲嘆につけこんだ神父がゆるせない。


「あんた、よくそんなマネができるな! 青蘭が本気で望んだとでも思ってるのか?」


 すると、どういうわけか、神父は鼻先で笑った。


「いいね。その顔が見たかった」

「はッ?」

「君も聖人君子ではなかったわけだ」

「あたりまえだろ?」


 ドンッ——と、神父の背中を壁に押しつける。しかし、こぶしをふりあげることはなかった。神父がこう告げたからだ。


「青蘭を私たちの組織につれて帰るつもりだった。青蘭もその気でいた。だが、朝方、目がさめたとき、青蘭はいなくなっていた」

「いなくなった? 逃げだしたってことか?」

「違う。ホテルの防犯カメラの画像をチェックしたが、青蘭は映っていなかった。魔法のようにかき消えたとしか思えない」

「つまり、ここに青蘭がいるのは、あんたたちの意図ではないんだな?」

「そうだ」


 魔法のように……それはもう悪魔の仕業としか考えられない。やはり、青蘭はなんらかの魔術的な力で、この城につれてこられたのだ。記憶も封じられているのかもしれない。


 怒りよりも危惧が勝った。

 神父の胸ぐらを離し、青蘭のあとを追おうとする。が、とっくにいない。


 食堂の出入口だから、穂村や清美やヨナタンがながめていた。清美はスマホでしっかり録画していたようだ。


「キャー。萌え修羅場ー! これでドンブリ飯三杯いけます!」


 龍郎は恥ずかしくなって、道をあけた。穂村が龍郎の肩をぽんと叩き、清美の手をひっぱってつれていく。龍郎は心のなかで両手をあわせた。


 しかし、青蘭がたちの悪い悪魔にさらわれたとなれば、一刻も猶予はない。


 とは言え、昨日もあれほど探しまわったのに、青蘭と出会うことはなかった。おそらく、城主とその家族の部屋は別館にあるのだ。昨日、別館にだけは立ち入ることができなかった。


(別館は鍵も持ってないんだよな。どうにかして入りこめないかな)


 そう言えば、穂村がヴィクトールの誘いに乗ってみろと言っていた。うまく言いくるめて、彼の部屋で話すことができないだろうか?


 だが、ヴィクトールはまだ食堂のテーブルについて、アラブの富豪と仲むつまじく話しこんでいる。


 目の前にいるのは、ヨナタンとクレメンスだ。二人のうちのどちらかと話してみようと、龍郎は思案した。


 さて、どっちにしようと思い、二人を見くらべる。ヨナタンは五男だ。青蘭より年下だし、ベルンハルトの話していた契約のことをよく知らないかもしれない。いつも青白い顔をして、なんとなく神経質そうなクレメンスのほうが、詳細を聞きだせそうな気がした。


「あの——」


 声をかけようとした瞬間。

 近くで悲鳴が響きわたる。

 尋常ではない。

 エントランスホールのほうからだ。急いで走っていった。


 今朝、サラが倒れていたその場所。ホールのどまんなかで、メイドの服を着た女が腰をぬかしている。


「どうしましたか? しっかりしてください」


 声をかけると、女は上部の豪華なシャンデリアを指さした。つられて見あげる。


 龍郎はゾッとした。

 キラキラと輝くクリスタルガラスが、ゆれながら、かすかな音を立てている。ゆれているのは、そこにぶらさがるものが振り子のように、右に左にクルクルと動くからだ。


 青ざめた顔で、ブラブラ。

 つい一時間ほど前に話したばかりだったのに。

 造作が秀麗なので、なんだかその姿は人形めいていた。


 ヒイイッと声をあげ、誰かが倒れる。龍郎のあとをついてきたクレメンスだ。女のように失神した。当然と言えば当然だ。兄のあんな姿を見たら、誰だって。


 シャンデリアのワイヤーに首をからめとられ、ベルンハルトが死んでいる——




 了

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