第3話 ある契約 その二



 書斎は二階の最奥にある。

 壁は書架におおわれ、革表紙のぶあつい本がビッシリならんでいた。読者好きにはたまらない部屋だ。


 ベルンハルトは窓ぎわのデスクの前まで歩いていった。黒い格子の窓から、別館の屋根と塔が見える。


「それで、お話というのはなんですか?」


 ベルンハルトはデスクの席につき、両手の指を組みあわせた。自分から誘ってきたくせに、この期に及んで話そうか話すまいか迷っている。


「城の競売の件ですか? サラさんがあんなことになっても、まだ続けるんですか?」

「違う。私は君たちに助けてもらいたいんだ」

「助ける?」


 ベルンハルトは病んだような目で、チラチラと龍郎をうかがう。

 なんだか媚びるような目つきだったので、ちょっと気分が悪くなる。たしかに彼はすこぶるつきの美青年だ。とは言え、龍郎より十歳は年上だし、西洋人の三十代は、そうとうの美青年でも、かなりゴツイ。そもそも、龍郎は青蘭以外の男にはまったく興味がない。青蘭だけが特別なのであって、本来はノーマルなのだ。


「なんですか?」


 ちょっと、つっけんどんに言うと、ベルンハルトは決心したように口をひらく。それだって、いったんひらきかけた口を何度も閉ざしてから、やっと言葉を吐きだした。


「こんなことを言うと、私の頭がどうかしてると思われるだろうが、決してウソではない。信じてほしい。じつは……父は生きているんだ」

「えっ?」


 思わず、龍郎はぶしつけなほど、じろじろとベルンハルトをながめてしまった。城主が死んだから遺産相続のためのこの競売会のはずなのだが、生きているとなれば、根底から話がくつがえる。


「バルシュミーデ氏が生きている?」

「そう。父はまだ生きているんだ。なぜなら、夜になると……声がする」

「…………」


 龍郎は返答に窮した。

 悪魔がひそんでいるのはたしかだ。しかし、それが城主の亡霊であるかどうかはわからない。ベルンハルトが父を亡くしたストレスから、神経症にかかっている可能性も否定できなかった。


「あの、プライバシーに立ち入るようで申しわけありませんが、問題なければ、バルシュミーデ氏のことを少し聞かせていただいてもよろしいですか?」

「父の何を?」

「おれは故人に会ったことないですから、どういう人だったのか知りたいんです」


 つまり、悪魔化しそうな人物なのかどうかを判断するためにだ。


 ベルンハルトはまた口ごもる。いったい、なんだというのか。他人に対して話しづらいことでもあるのか。


「……父は若いころに株で成功し、大金持ちになった。だが一生、独身をつらぬき正式な結婚はしていない。もう聞いているかもしれないが、私たちは全員、養子だ」

「五人全員ですか?」


 ベルンハルトは重苦しい仕草で首肯する。


「そう。建前はね。私たちは父のコレクションだ。父は美しい男を集めることが趣味だった。私たちは全員、親のない孤児だったので、贅沢な暮らしと一流の教育を受けられる見返りに契約した」


「契約?」


 気になる言葉だ。

 悪魔と取り引きするときには、必ず契約をかわす。


「そう。契約」

「どんな契約ですか?」


 ベルンハルトは黙考した。


「それについては教えられない。当事者以外には無関係な話だ」


 契約の内容が肝心なのに、さすがに口を割らない。

 しかし、こうなると、亡き城主が悪魔化していることは充分に考えられた。


 ベルンハルトは続ける。


「私は契約による自身の役割は果たした。私は最初の一人だったので。その役割はずいぶん早くまわってきた。だから、私じゃない。でも、弟たちのなかには役目を果たしていない者もいる。つい最近に買われてきたエメリッヒなど」


 龍郎は思わず、ベルンハルトが述べるのをさえぎった。


「つい最近? それはいつですか?」

「二週間くらい前。父が亡くなる直前だ」


 二週間前なら、ちょうど青蘭がいなくなったころだ。やはり、エメリッヒは青蘭だ。どういう手段かわからないが、一人でいたところをさらわれて、つれてこられたのだ。


「じゃあ、まだ彼は契約を完全には遂行していない?」

「私は思うんだ。父を殺したのは、契約の代償を支払うことを恐れた誰かじゃないかと」

「殺した?」

「父は殺されたんだ。病気で死ぬような人じゃない」


 龍郎はベルンハルトを観察した。ウソをついているようすはない。少なくとも、ベルンハルト本人は本気でそう考えている。


「ちなみに死因はなんでしたか?」

「心臓発作だという話だが、それだって、うちの主治医の言うことだ。真実ではないかもしれない。クリムゾンが警察の介入を嫌って、主治医をまるめこんだ可能性もある」

「あなたはお父さんの遺体を見たわけではないんですね?」

「見てないよ。そうそうに棺おけに入れられて、顔もおがめなかった」

「そうなんですか」


 死体を見ていないから、ベルンハルトが変な妄想をいだいたのだろうか? それとも城主が、ほんとになんらかの策略で死んだように見せかけているのか?


 それもないわけではないと、龍郎は考えた。今回の相続の条件をかんがみると、真に才能のある人物を見わけるために、資産家が一芝居打ったとも考えられる。


 しかし、一方で、ベルンハルトは矛盾することも言っていた。


 龍郎は詰問した。

「誰かがあなたの養父を殺したと言いましたね?」

「そうとしか思えない。きっと……をするのが怖くなったんだ。もうすぐ…………だから」


 もうすぐのあとが不明瞭になって、よく聞こえなかった。


「でも、あなたはお父さんが生きているとも言いましたよね? どっちなんですか?」

「死んでるはずなのに声がするんだ。やはり、父の言っていたことは真実だったのかもしれない。リントヴルム……恐ろしい」

「バルシュミーデ氏が何か言っていたんですね? 詳しく教えてください」


 だが、そのとき、とつじょ、あの音がとどろいた。城の地下を巨大な竜が咆哮しながら飛んでいくような轟音だ。


 ベルンハルトは黙りこんだ。そのあと、いっさい口をひらかなくなった。

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