第2話 午前零時の鐘が鳴る前に その二



 暖炉の前でアラブの富豪が四人の美青年をはべらせる図を、しばし見せつけられた。何やら楽しげに歓談しているが、子息たちの目つきは獰猛どうもうたかのそれだ。


 龍郎は一刻も早く青蘭と話したいのだが、青蘭が何かの目的を持って潜入しているのなら、その行動をさえぎるのは、妨げになるのかもしれない。歯がみしながら、おじさんのひざに手をかける青蘭をながめる。


(あれ? 四人しかいない。ヨナタンは?)


 ヨナタンの姿はいつのまにか見えなくなっていた。遺産相続に興味がないのか。


 場を離れるのも気がかりだったので、遠巻きに富豪と子息たちをながめていると、メガネ女史が声をかけてきた。

 彼女は三十代くらい。黒髪に褐色の肌の美人だ。


「どうも。サラ・ホイットニーです。アメリカから来ました」


 そう言って、右手をさしだしてくる。龍郎も自己紹介しながら、その手をにぎりかえす。


「タツロウ・モトヤナギです。よろしく」

「よろしく。ねえ、あなた、どう思う? あの人、いきなり二億ユーロなんて言いだしたけど」


 なるほど。商談におとずれたのだから、龍郎がどう出るつもりなのか、さぐっているのだ。


「高すぎますね。ドイツの城の相場は一億ユーロあまりだ。いきなり倍額も出すのはバカバカしい。ホテルにしたいだけなら、ほかにも城はたくさんあるんだから、早々に手をひきますよね?」


 メガネを押しあげながら、サラは思案する。龍郎の目をじっと見つめるのだが、その裏で金勘定をしているのだと見てとれた。この人は純粋に城をビジネスとして売買しにきただけのようだ。


「そうよね。割にあわない。そんな金額じゃ、ボスが納得しないわ」

「ボスですか」

「ええ。私は社長代理で来てるの。でも、これじゃ考えなおさなくちゃね」

「そうですね」


 すると、穂村が口をはさむ。


「それが彼らの手かもしれませんね。最初に高額を提示して、ライバルをあきらめさせる。あわよくば、競り合う相手が帰ってしまえば、彼の独壇場だ。じっさいには相場より低い額で買い取ることもできる」


 さすがは宇宙の全知にたけた魔王だ。策略はお手の物らしい。


 穂村がメガネ女史とビジネスの話を始めたので、龍郎はぼんやりとそれを聞いていた。だが、サラの語調が変わったので、その言葉が耳についた。


「このお城にはとんでもない宝が隠されてるってウワサがあるの。もしかしたら、それを見こんで、高く買いとろうとしてるのかもしれないわね」


 思わず、龍郎は二人の話に割りこんだ。


「宝ってなんですか?」

「このお城、なんでリントヴルム城って呼ばれているのかご存知?」

「リントヴルムっていう竜が出るからですよね?」

「そう。でも、その竜は初代の城主に倒されたの。そのとき、竜の体内から、とてつもない宝物が出てきたって話。まあ、ウワサですけどね」


 アラブの富豪は伝説を信じて宝探しにやってきたのかもしれない、という示唆だ。それなら、金額で張りあってもムダだ。富豪はロマンを求めに来ているから、いくらでもつりあげてくる。もちろん、竜がほんとにいるはずもないし、ただの言い伝えなのだろうが。


 そんなことを話していると、やがて鐘が鳴った。一度だけだ。十二時三十分前である。まるで何かを警告するかのようなタイミングだ。子息たちがソワソワしだす。三男のクレメンスは逃げるように食堂を去っていった。ベルンハルトもよろめくような足どりで立ちあがる。


(なんだろう? 夜中になると何か起こるのか?)


 いや、清美によれば殺人事件が起こるという。しかし、子息たちはそれを知らないのだ。清美の見た予知夢でしかないのだから。


 ちょっとあせったふうで、強引にヴィクトールが富豪の腕をつかんだ。耳元に何事かささやくと、富豪は喜んで彼と出ていった。


 青蘭が追いかけようとするのを、急いでかけより、龍郎はひきとめた。


「待ってくれ。青蘭。青蘭だよね?」


 だが、青蘭は冷めた目をして、龍郎をにらむ。やっぱり、怒っているのだろうか?


「ゆるしてくれ。謝るから。君を愛しているんだよ。その想いは変わらない」


 青蘭の表情は冷ややかなままだ。むしろ、侮蔑的になって、こう言った。


「どなたですか?」


 ドイツ語だ。スマホを持ってなければ、何を言っているのかわからなかった。


 なんだか、龍郎の胸はざわめいた。青蘭は五歳のときに大ケガを負い、そのあと何年も植物状態だった。ようやく覚醒したあとも、孤島の診療所に軟禁され、義務教育さえ受けていない。家庭教師が勉強を教えてくれたんだと言っていたものの、おそらく、それはほんの基本的なもの。外国語まで教わっているとは思えない。


「……何を言ってるんだ。青蘭だろ? タツロウだよ。君の恋人の」


 青蘭は瑠璃色の瞳で、龍郎を見つめる。つかんだ青蘭の手からは、たしかに快楽の玉の脈動を感じた。まちがいなく、青蘭だ。


 なのに、青蘭は龍郎を凝視したあと、妖しい笑みを浮かべ、耳元に唇をよせてきた。何かささやくのだが、ドイツ語なので、わからない。小声だとスマホが音をひろわないのだ。


「えーと、何?」


 スマホを近づけると、青蘭はげんなりしたような表情で、龍郎の手をふりはらう。

 そのまま、立ち去った。

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