第1話 悪魔の棲む城 その五
ヴィクトールがいなくなったので、龍郎は今度こそ、青蘭を探しに室内を出た。
スマホで撮った見取り図を見ながら、青蘭が歩いていた二階をウロウロする。だが、人影が見あたらない。部屋数も多いし、全館まわるのに何時間もかかりそうだ。
(これだけ広いと、人間一人見つけるのにGPSがいるな)
二階にはアラブの富豪とメガネ女史たちの部屋もあるようだった。UとGの頭文字の部屋だ。ウンディーネと、ゴブリンだろうか。室内から笑い声が聞こえてきた。誰かと歓談している。もしかしたら、長男やその他の息子たちが相手かもしれない。
忘れないようにスマホの写真編集アプリを使って、手書きの文字を入れる。ウンディーネにアラブ、ゴブリンにメガネと。
二階を歩きつくしたあと、三階へ行ってみた。ここにも掃除をする使用人以外、人影がない。
書斎のなかに、ようやく人がいた。書斎というより図書室と言ったほうがいいほど広い。窓ぎわの明るい場所に重厚なデスクがあり、そこで一人の男が一心不乱に本を読んでいる。
黒髪だが、青蘭でないことは遠目にもわかった。執事のクリムゾンとも同じ髪色だが、体つきが違う。うなり声をあげたり、髪の毛をかきまわしたり、近よりがたい感じだ。使用人には見えないから、息子のなかの一人だろうか。
龍郎はそっと扉を閉め、書斎をあとにした。
三階の端に、上へつながる細い階段があった。階段のさきには固い木の扉。鍵はかかっていなかった。あけると、広々とした屋上だ。
「うわぁ。スゴイなぁ。あんな遠くまで見渡せる」
山のいただきにある城の、さらに最上階なのだ。遠くかすむように、ふもとの街並みを望める。が、一方で、その遠さから、この場所が山脈にかこまれ、外界から切り離された陸の孤島であることを、よりいっそう実感した。
龍郎は深呼吸して、澄んだ空気を吸った。城内は邪気のせいか、いつも空気がこもっているようで気分が悪いのだ。病弱な人間なら、すぐにも倒れるだろう。
(あれ? 離れに通じてるな)
本館と別館は完全に棟がわかれているのだが、屋上にはあいだをつなぐ通路があった。石造りの橋のようなものだ。扉もないので、そのまま歩いていける。
(別館には何があるんだろう?)
行ってみようとしたが、その手前に誰か立っている。橋の手すりによりかかって街をながめている。小柄なので少年かもしれない。とは言え、青蘭ではない。うしろ姿だが、髪の色が違う。西洋人によくあるブラウンの髪だ。
龍郎はスマホをとりだし、翻訳機能をオンにした。日本語、ドイツ語の互換だ。
「こんにちは。いいながめですね」
スマホが龍郎の言葉を翻訳すると、相手はふりかえった。そばかすだらけの少年だ。とくに美形ではない。目の色もブラウンだ。十六か七くらいだろう。西洋人は日本人から見ると大人っぽく見えるものだが、少年にはどことなく、あどけなさが残っていた。
少年は一瞬、逃げだしそうなそぶりを見せる。
「誰?」
「あっ、すみません。おどろかせましたか? お城の内見に来たバイヤーです。タツロウ・モトヤナギと言います。日本人です」
「…………」
少年は黙って龍郎を見つめている。誰だろう? 使用人だろうか? それとも、息子の一人?
「えーと、あなたは?」
たずねると、少年は侮蔑的な表情になる。
「ヨナタン」
どうやら、五男のヨナタンだ。末っ子である。次男のヴィクトールを見たあとだと、ずいぶん見劣りする。ほんとに血をわけた兄弟かと疑いたくなるほどだ。
ヨナタンは龍郎の顔を見て何かを察したらしかった。
「僕らに血のつながりはないよ」
そしてまた侮蔑的な顔をする。それは他人を嘲笑うというより、自嘲なのだということに、龍郎は気づいた。
(まあ、あんな兄貴がいたら、くらべられるよな)
なんとなく同情した。
「ヨナタンは契約相手を探さなくてもいいの?」
たずねると、黙って首をふる。遺産を継ぎたくはないのだろうか? 城の売却額だけでも、おそらく一億だ。総取りなら金銭的な面では豊かな人生になる。
「ティーンエイジャーには法的手続きとか難しいかな。でも、そういうのは弁護士を雇えばしてくれるよ?」
「いいんだ。どうせ、僕は……」
ヨナタンは言い残し、別館のほうへと走りだす。
「あっ、ちょっと待ってくれないか。人を探してるんだ」
肝心なことを聞こうと、少年の背中に叫ぶ。だがもう声も聞こえなかったのかもしれない。というより、スマホの通訳が、ヨナタンのところまでは届かなかったのだろう。そのまま、ふりむきもせず、少年は別館の扉のなかに入ってしまった。
(残念。まず最初に、青蘭のことを聞いとくべきだったな)
龍郎が追って、別館側へと橋を渡っていったときには、出入口の扉は鍵で閉ざされていた。鍵束をとりだして、あてがってみるものの、どれもその鍵穴に一致しない。ここの鍵ではないらしい。
ガッカリしながら本館に戻った。一階におりて内部を歩きまわる。庭まで散策してみたが、やはり、青蘭の姿は見つからなかった。
夜になった。
山頂は日暮れが早い。
深い森が黒いシルエットになり、夕焼けのオレンジもそのなかに吸いこまれるように、またたくまに消えていった。
(青蘭。どこにいるんだ?)
落胆しながら、龍郎は食堂へむかった。だが、そこで思わぬ出会いを果たすことになる。
広い食堂には、三十人以上が列席できる長卓が中央に置かれていた。シャンデリアは電気式のようだ。ほのぐらい光を卓上になげかける。
テーブルにはナプキンなどがセットされ、金文字で名前を押されたカードが置かれていた。
早めにきたせいか、一番乗りだ。ようやく八時前になって、ゲストが勢ぞろいする。富豪の子息も一人また一人とやってきた。金髪の麗しいヴィクトールや、ヨナタン。それに書斎で見かけた黒髪の男。近くで見ると三十代の初めくらいだ。黒髪に青い瞳で、これもかなりの美形。
(三十代ってことは、ヴィクトールの上だな。てことは、あの黒髪が長男のベルンハルトか)
書斎で見たとき、何やら苦悩していたふうだが、なんだったのだろう?
続いて、オレンジがかった赤毛の青年が現れる。ヴィクトールと年齢的に変わらないので、きっと三男のクレメンスだ。
「くふぅーっ。美男祭り」
となりで清美がささやく。
たしかに、息子たちはヨナタン以外、目をみはる美青年ばかりである。
(あとは、四男のエメリッヒか)
テーブル席には、青蘭の姿はない。バイヤーの同行者も、昼間、ホールで会った人物しかいない。
(変だな。青蘭はどこにいるんだ? もしかして、バイヤーの部屋で待ってるとか?)
龍郎に会いたくないからだろうか……そんなふうに考えていたやさき——
最後の一人が食堂にやってきた。その姿を見て、龍郎はぼうぜんとする。
なぜなら、それは青蘭だったから。子息たち側の席に、迷うこともなくすわる。
(青蘭が富豪の息子……? どういうことだ?)
龍郎の困惑をよそに、晩餐が始まる。
了
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